2019年師走は秋田で穏やかに迎えました。
ここの旅館の料理、夕食も朝食もかなりツボに入りまた来たくなりました。
どれを頂いても美味しく、そしてどこか懐かしく。
余裕を持って家を出て、羽田駐車場でターミナルを間違えて、バスに乗り、チェックインカウンターに行けば「秋田行き、荷物の受付終了となります」という声が聞こえ始め、乗り場に行けばほぼ待つこともなく搭乗がはじまり、つまりはスムースであった一方で、かなりのぎりぎりで、危ないところでしたが、こうして無事に秋田の朝を過ごします。
「味がある光景だねぇ、昔はこうして大根とか干していたんだよ」と言えば、「(大根が)本物ならね」と言われてよく見ればフェルト生地で作られた人工大根であり、「ここの源泉は98度もあるんだって、マグマの近くから湧いているのかな」と言えば「それじゃパイプとか融けちゃうでしょ」と会話しつつ朝風呂に向かい、
朝のひとっぷろも貸切状態で、シャッターチャンスを頂き、
幼稚園の制服に着替えて、
初冬秋田の雪景色を見て、小安峡温泉 旅館多郎兵衛を後にして後進ご尊父の葬儀へ向かいます。
私は幼稚園の頃に、異母兄弟で30歳離れた兄の喪主を務めたことがあり、
葬儀の記憶は危ういですが、金沢にてイタリア製のスーパーカーで交通事故を起こし、全身包帯巻きとなり、病院で看護婦さんがその光景を私に見せないようにするために「これ蚊よけの機械なんだよ」とごまかそうとしていたのをよく覚えています。
子供心にそのごまかしに乗っておいたほうがいいのかな、という心象を持ったのも鮮明に覚えており、インパクトが強いことだったのだろうと回想する次第です。
この旅で「ランクル70で行く、秋田乳頭温泉の旅」を企図し、道中また小安峡温泉に一泊できますよう祈念して、雪国を走る中、
ナビだと高速を使って2時間半、グーグル先生だと一般道で1時間半の道しるべ。じゃあということでナビも一般道指定しても2時間半のご案内。どうしてこんなに異なるのか、グーグル先生は冬季通行止めをナビゲートしているのではないか、いや世界中からハイスペックな人材を集めている企業と、そうではない企業の差を感じながら、グーグル先生に従ってみることにします。
人の死という雰囲気につき表立って遠ざけ隠すばかりの人間社会。
病気、事故、寿命、その他、毎日毎秒社会において死は身近にあり、
人生においても、自然においても、それは同じであり、言ってみれば特別なことではなく、という認識の基、今般の葬儀に子供も連れ立ちました。秋田県山形県に跨り、秋田と山形両県の富士山とも言える、名山「鳥海山(ちょうかいさん)」美しい山です。出羽富士(でわふじ)とも呼ばれるそうです。
グーグル先生のご高配により、余裕を持って目的地に着きそうな様子に、道の駅で除雪作業に勤しむことにします。
興味持って近づくも手に取ってみれば「なんか違うな」とそれも勉強となり、
美味しそうな柿を買えということで、セレクトを託し、
「どこかで見たことあるなぁ」との声に確か
阿蘇山に似たような置物系玩具があったのではないかと言えば「あぁ」と本当に覚えているのか不明瞭ながら、
除雪機による除雪作業に勤しみます。ベンチの他、新雪残るPスペースも丹念に除雪をしました。
スノーシュートをしていると、
助手席窓を潜り抜けて、運転席右ドア隙間にみごとゴール。
雪のサッカーボールをリリースして、おみ足を拝見しながら、
スズキのディーラーしかないのではないか、というほどサブディーラー合わせ「スズキ」の看板が多く、中には「ジムニーすぐ乗れます」と在庫をアピールするお品書きも目に入り、若年層の少なさや日本で最も高齢化している秋田経済の傾斜具合に、日本の未来、その縮図を見るようです。
ご尊父に極上の香りを感じて頂きたく、持参した香木2片ほどを会場にて細かくしながらご焼香させてもらい、
後進にどうお世話になってきたのか説明もしながら、「葬儀のためにこんな遠くまで来たか」と聞きながら車を降りて、葬儀を終え、コンビニ車中で着替えて「からあげ君レギュラーくださぁい」とピノ半分この約束で、空腹のつなぎとし、
秋田空港に到着です。
飛行機を見ながら遅めのランチにしますが、
ここでも秋田の味に癒されました。
20フライトぐらいを数えるのか、もう何フライト目なのか数え切れなくなってきておりますが、まだ欠かしたことがない毎度の儀式を執り行い、
行きも帰りも「おれがやる」と座席を探してくれました。
段々街の灯りが大きくなり、羽田の渋滞か東京埼玉千葉を一周旋回して、
「スターウォーズだ」と行きに見たのと同じ機体か、
加えて何が気になったかマダムを見つめ、
儀式もアツ盛に東京へ到着しました。
ときおり見せる表情一つも成長を感じ、
日々を楽しむ天才に敬意を思いながら、もう少しあどけなさもまだまだ残してほしいと懇願しつつ、
すぐに荷物を見つけてくれて一人で行って取ってきて、
カートにも自ら荷物を載せて、
「乗っちゃだめって書いてあるよ?」と言い出したことに成長を思いつつも、むしろ私が「いいんだよ、少しぐらい」と多少の禁止事項に従わないぐらいのマインドと経験値も積み重ね、
私の凡ミスによりバスに乗れることに感謝をもらいたいと思いながら、
衝突安全テストは同じ重さとぶつかったと仮定したテストであり一概に比較考察できない、質量が大きいほうが強い、他方で大きいものが動くときはそれだけエネルギーが必要だったりいいことばかりでなく、という話しの流れで大小スーツケースのクラッシュテストのテスト。
近くに元祖ニュータンタンメンがあることを知ってか「たんたん麺食べたいでしょ?たんたん麺でもいいよ」と気遣いをもらいながら、しかし帰って簡単にママが作ってくれることとして東京に帰ってきました。
「行く!」と元気にこの日最後は公園のライトアップに帰宅後行ってきました。
翌朝は「あっヨンマルだ、あんな古いのよく走れるなぁ」と聞きながら、タコマ登園し、
代車AMGをお貸し頂きまして、この日は遅めの降園にこれでお迎えに行ってきました。
コンパクトで軽量なボディに3.0リッターV型6気筒ツインターボエンジン搭載のC43。
少し前にお借りしたS560e、オプションも入れれば2,000万円近くになるのか、今回のC43は乗り出し約1,000万円ということになるのか、あるいは同じく代車でS560、EクラスのAMGと有難いチョイスを頂いている中ですが、
それよりも、我が家の場合はですが200万円前後のジムニーのほうがいい、楽しい、差額はプライスレス、と異なる次元を知ってしまった我々親子。いやこの子から教わった知らなかった世界観がまだまだ広がっていきます。
旅の翌日、夕刻までの長い幼稚園のあとはじぃじにベッドを坂にして室内ヘルメット姿で「おれのトラクター」でスーパーダウンヒルソロ競技で遊んでもらい、
結び方もいくつか覚えて来たのか「おれのトラクター」レッカー仕様にして、旅の途中も昼寝もすることなく除雪作業にも勤しんで「こいつの元気はどこから出てくるんだ」と思いつつ、私はふと仮眠に落ちて夜が更けていき、
最近は「なんでもいい」と言っていた登園カーのセレクトですが、今朝はせっかくのAMGよりタコマがいいといわれつつも、車庫証明を取りに行くため警察署の狭いPに納まるようAMGにて付き合ってもらい、
賞味あと三か月程度の幼稚園、私の切なさも載せて幼稚園前に8:30から車庫証明窓口が開いていると知り、なんと警察の一般事務も朝が早いことかと思いながら共に車庫証明を朝から受け取り幼稚園へハンドルを握ってきました。
ランクル70(76)改の車検もスムースに通ったらしく、早ければ週末納車とのことに、週末は幼稚園発表会とリアラダーも付いたジムニー引き取り、オフロードの予定の中に、
ナナマルの引き取りをどうスケジューリングするか降園道中に相談してみれば「発表会終わってジムニー取りに行って家に一回帰って、そのあとナナマル取りにいくってどう?あぁ遠いかな、両方いけないかな?」と融合案の提示を受け、そうかその手があったか、ナナマルが間に合えばそれでいきましょう、
ということになり、コンビニの寄り道も今だけと日々思いながら、またしてもコンビニで小声で「内緒だよ」とお菓子を頂き、有難い体感値をまた一つ重ねさせてもらい、
Fセグロングボディよりも長いホイールベースが、独特なオンロードでの乗り心地と、オフロードでの安定性をもたらすタコマにガソリン投入して至帰宅後は、ジムニーの公式プロモーション動画50回目ぐらいになるのかが始まって、その再生をBGMにブログ完了です。
なおちなみに前輪を揃えた後輪の差。あまり変わらないようにも見えますが、過日のS560eとタコマ。
という中にそろそろ公園行ってタミヤかなと思っていると「ラダーフレームを採用!」というサウンドの中、ふと見ると、旅の疲れ、そして「お遊戯会じゃない、発表会って言ってるでしょ」というその練習が連日続き疲れたのか、珍しくなってきたお昼寝にいつの間にか突入。年少の頃は毎日がお昼寝でしたが、それも数少なくなってきたこの1年前後、薄っすらさみしさも思う次第です。