2018年9月。エアサスを思えば高品位な特製ベッドに横になるひと時、をばぁばのところで過ごさせてもらったり、
まだこの組み合わせが足なのを懐かしく思ったり、
ハードオフ八王子デビューもこの頃だったか、
二軒目へは一回通りすぎて戻る道「パパ、ここ曲がるんだよ」と教えてもらったり、
同時にFJクルーザーのプレリュードな頃。一時はこれがアマゾンやヤフオクで10万円前後まで高騰していくFJバブルを見ることになります。
スパゲティを大きい口を開けて食べ、
遊びながらFJ冊子もめくるめく、
時計を回して寝る時間をごまかそうとしたり、このときは反対に回したところで私が見つけてしまいましたが、
会長職マインドで出社したり、
デッドストックとなっていたベビーソープでエンジニアリングの追求をリラクゼーションとともにAI的にカテゴライズしたり、ともはや文章の意味が分かりませんが、
二回目となるときだったか、目当ての場所が分かっているので一目散のときもあり、
なぜディフェンダーは欲しくないのか、という問いは「デザインが古すぎるのと、故障が心配」というディフェンダーは敬遠しつつも、興味はある端緒になっていく頃か、
まだまだ飛行機への興味も旺盛だったように思いますが、この頃に比べれば最近は少しクールダウンも感じます。それはTOYOTAという会社への興味にエネルギーが行っているからのような気がしています。
大人になって数百万、数千万かかって学ぶ感性と、幼少のときに数万円で学べる感性は後者が大なりのような気がしなくもありません。自然、自然と、自然から万物を学べるとすれば、原始人も大層な感性を有していたはずであり、あるいは公園で勝手に遊ばせるのも大切かと思いますが、それだけではマンネリのリピートのような気もして、大人の知恵投入を意識していくのが大事かと思って頭を捻ってみる毎日です。
まだベンチ入り前のS400。今でもしみじみ「自動車感がしっかりとある」よい車だと思います。
多大な旅行に、豊富な玩具、潤沢な親との会話、溢れんばかりの愛情。学問はまだまだこれから、あるいは苦手分野もあろかと思いますが、一方で社会的理解は思いのほか育ってきているのではないかと感じています。
じぃじに歯磨きもしてもらいお泊り会。おむつが取れてからというもの、引き続き、おねしょはせず、起きてからダムの放水か、もしくは先日は6時頃起きて一人でトイレを済ませまた寝だす様相に、少なくとも同い年のときな親換算より立派に思えてなりません。
意思を尊重してきているので、真っすぐ豊な自我そして社会的自我も順調に育まれているように思い、
自分で感じ、自分で考え、自分で決める、その理由も発しそこで会話で揉んでみて、視野が広がり新しい知識や見方・考え方を習得する、という風合いでの日常の繰り返しは、意思決定の合理性があるゆえに「自分の思い」ではなく「自分の考え」と合わないとその意見には従わない、という反抗期にも似たようなフェーズに入っているのではないか、と思うときもあります。と思えばきちんと説明し合理性を思えば「わかった」意思を変えるところもあります。
上を見れば青天井ながら、零細の中ではそこそこ幹部や社長を育てることは得意分野ではないかと思ってきました。それでも多大な失敗をしてきたと、自覚認識し、加えて己の知能を中心とした足りなさ、器の極小さ、未熟さも痛感しているところですが、
修正、反省、私も成長できるか不安も思いながら、気づけば価値観もまるっきり変わってしまい、多くの考え方も捨ててリセットしてみて、その上で、押し付けにはけしてならぬよう、ときに導きながら、この子の持っている得意な分野を伸ばしてたい、という視点で、
あるいは親として、将来少しでも立派な社会貢献ができるような成人に育てていくことも心の片隅で願いながら、それらのために生きる強い力も持てれるよう、元来好きであろう育成という分野で私も伸び伸び泳ぐ気持ちで、FJクルーザーを買いにいくことにします。
家族旅行ではじめて作りました、不評だった旅のしおり。旅行中、作者たる私が促して一回開かれた以外は、けして役立つことはありませんでした。
「長い旅になるから、幼稚園でばいばーいしといた、みんなにくまもとにFJクルーザーとりにいくよって話したよ」みんなはFJ分かるのかと問えば「FJクルーザーみんなわかるわけないでしょ」と、マイナーな意識はあるのかないのか、
幼稚園が終わり、ママのお迎えで途中着替えて、そのまま電車に乗って、パパと合流し、
羽田空港行きのバスに乗る、幼稚園児にしてはハードスケジュールかもしれません。
わくわく興奮しつつ、パパベルトしなくちゃだめだよとしてくれ、パパに触れながら、
あっという間に即寝です。
いつも羽田へ行くコース、バスからの車窓、一段二段高くて景色が異なります。
空港について飛行機を見ていると「ほら、ぼくこれかぶっていいよ」とパイロットの方から帽子を貸してもらいました。これだけでもレアな体験ですが、
「こっちのほうが羽が多いから偉いんだよ、こっちかぶりな」と会話からすると、今度は機長からキャプテンの帽子を貸してもらい、最初の帽子をかぶらないわけにもいかないので困った我が家、二つ同時にかぶらせてもらいレア重ねを頂きました。お心遣いに深謝いたす次第です。
そんな貴重な体験を旅の出始めから頂いた思い出の記録担当は35mmを付けたキャノン機に託しました。RX100M6広角端にて。
同望遠端近くにて。
物事には深度というものがあるような気がし、マントルのさらに奥かと思う最も深いものは学問がその一つかもしれませんが、概ねその他のことは、殊に趣味や遊び、物欲あるいは自己実現などは、さした深度がないのではないかと思わなくもなく、
浅瀬のあたりは潮干狩りのごとくなんでもとことんやると、それは「満足」または「飽き」と呼ばれる、脳への刺激がなくなり、卒業していくのではないかと思い、飽きることが増えていくことは煩悩が減っていくことを意味し、同時に楽しみ喜びもその機会が減っていくことですので人生が飽きる危険性もありますが、
その先にこそ、本物の煩悩があるやもしれずという探求心の旅をプランニングの勢いで提案実施中です。乗る飛行機を確認し、
「スカイマークだよアナだ、エアカナダだ、格納庫こんな景色はじめてみたよ」と声を聞きながら、写真に収めそびれましたが、政府専用機の離陸も見て、スペシャルな旅が重なっていきます。
このフライト、この冊子の写真記事がきっかけとなり、アフリカへの旅を思いました。
旅の目標、いや目途の目安の道しるべ、達成できるのか、まずは今夏、足早に流しながらだとしても日本一周から目指してみたいと思います。
この写真から十ヵ月後となる昨夜、素敵な会話、いや私の人生、我が家の命運も大きく変わっていくかもしれない対話を5歳になるこの子とさせてもらいました。
どこもかしこも、場所によっては並んで級に、トヨタのディーラーがあり、
街行く車はトヨタ車だらけ。どうしてこんなにトヨタが多いのか、という問いは幾度となくドライブ中に受けてきており、
都度「お客さんに最も選んでもらうから」と答えれば、「なぜ選ばれるのか」と聞かれてきました。夜の熊本空港に到着です。十分な旅情と言ってもいい雰囲気かもしれません。
「日産を選ぶ人もいるけど、トヨタが一番いいと、トヨタを選ぶ人が一番多い」それはなぜか、「デザインも内装の質感もよく、値段もそこそこ手ごろで故障もせず、サービスもよく、技術の研究も怠らず、他社よりも選ばれてきた」と説明してあります。加えて宣伝も上手だった、販売網の構築も力強かった、とあとで説明を付加したいと思いますが、
最近このような会話が増えつつ、RAV4は毎日3千台作っているとして、トヨタは全部で毎日どれぐらい作っているのか、という問いに毎日3万台以上はつくってると思うよ、つまり1,000が30個ぐらいを毎日世界中で作っていると思うよ、と疑問に答えてみれば、
「トヨタはおっきい会社だなぁ」と感想がこぼれてきました。工場は年間平均244日稼働との痕跡がありましたので、それであとで計算をしてみますと概ねグループ総数として毎日41,000台を世界中で生産しているようです。
5歳でそう感じれることに感心もしつつ、「ではなぜトヨタはそこまで大きくなれたのか」という質疑に移っていきました。
トヨタの人たちが優秀で、そのような能力があったからだと思う旨答えれば、
RAV4の窓口をしている方のことを「じゃあYさんが優秀だから?」という個別質問には、
「Yさんも優秀だと思うけど、本社にいる経営している人たちがさらにとっても優秀だから、ここまで大きくなったんだと思うよ」と答えてみました。「パパはYさんに頼んでトヨタに入れてもらおうと思わないの?」という疑問へは「自分で会社を作らないと、お金をいっぱいもらえない」という側面も説明してみました。みんなトヨタみたいな会社を作ろうと思って作ることがでれば、トヨタのような会社だらけだけど、現実はそうじゃない、トヨタみたいな会社を作ることはとっても難しいことなんだよ、それをやってきた人たちがいて、経営者の能力が大きく影響していると思う、とも説明をしてみました。
FJクルーザー引き取り納車の旅、九州に無事到着し、ホテルチェックインでは外国人の人をたくさん見てこれも社会勉強として、近くの居酒屋に繰り出して乾杯です。
質問は「じゃあその経営者はどのような人なのだ」という項目へ移っていきます。
食事も済ませ、大浴場で汗も流し就寝し、
いよいよTOYOTA FJクルーザーとご対面の日が到来です。
今の社長を説明し「豊田章男さんはどんな人なの?」という質問から豊田佐吉氏、豊田喜一郎氏、豊田章一郎氏、豊田章男氏という父子関係、系譜を説明し、
三代、四代かけて社を大きくしてきた、という話をしました。
どうしてパパはトヨタみたいな会社を作ってないのだ、という質疑へは「能力が足りていなかったからだと思う」と述べ、「あと血縁に恵まれてこなかったからなのもあると思うけど、今はAちゃんがいる」ゆえに「力を貸してくれよ、一緒にやろうよ」とも付け加えてみました。
この頃はロボットに関するyoutubeを暇さえあれば食い入るようにみていました。
週末、靴置き場にて裸で靴を探していると思えば、私が写真整理をしていて、ちらっとこの写真が見えて探し出したようで、些細なことまでいつ何を見て行動に移すのか分かりませんが、総合してこのような些細なことも大切な思い出にしていきたく認めながらですが、
「明日クラウンで行きたい」と話していると、ちょうどHちゃんが来たので駐車場までハリアーで乗せて行ってもらい、クラウンに乗り込めば、かのようなトヨタ社の話しになり、
クラウンを近所に止めて、家まで二人で夜の散歩をすれば豊田家の話しになり、
家に帰ったら「自動織機」の動画を見たい、佐吉さんや喜一郎さんを見てみたい、ということで喜一郎氏は「かっこいい」との感想も聞きながらネットで動画や写真を拝見し、織り機は「どうやったら手でやっていのを自動にできるか、佐吉さんが考えに、考え、考えたのだと思うよ」と説明し、「はじめは木だったんだ」と、なるほど新鮮な着眼点をもらい、
(僭越ですが例えてみれば)「佐吉さんがパパだとすれば、『自動車作ろうぜ』と言った喜一郎氏がAちゃんで、章一郎氏はAちゃんの子供で、どう三代でTOYOTAみたいな大きな会社作らない?」と、こうした内容は初めて説明しつつ、改めて問うてみれば、
「うん、やりたい、パパやろう」という言葉をもらったので、お互いに両手で固い握手をして、記念に家人に撮ってもらいました。だから早くAちゃんの子供を作って、子供ができたらとにかくいっぱい脳を刺激してあげてね、と追加注文もし、
蜜月どころではない一心同体級の魂同士と感じていますが、そこに礎となるぶっとい串が一本入った感覚を覚えました。我が子と私、というよりも、我が家のという感覚です。
こうして共に、超長期的なビジョンを共有共鳴し、大きな志を息子と共にできることは、その成否は一旦置いておくとしても、よい影響が生まれていきそうな予感もいたす次第です。
なんの事業にする?と早々に楽しい会話に発展しています。「ロボットがいいんじゃない?人間とまったく同じロボットで、人間と同じように作るってのはどう?」との我が子提案に、
田舎に引っ越して、もくもくと二人でロボット作ろうか、という持ちかけをしてみれば、大きな電動カーが欲しい利害が一致して、快諾を頂くばかりか、ママに田舎に越したいと話していたようですが、
これから我々のバスはどう出発していくのか、山を買って切り開く希望は人生の遊びでやるとしても、本業の創業に向けて、どの事業をどのような順番で行っていけることができるのか、この子と人生を、しかも大好きな仕事を共にできればこの上なく幸甚の限りでもあり、生き甲斐の盤石を塗り重ねてみたいと思います。
そしていよいよ、ママが動画も撮ってくれながら、我が家に「のちのちTOYOTAという会社の意識させてくれ、多くの会話をもたらしてくれる端緒となる」FJクルーザーとのご対面です。
我々の旅も、事業も、つづく
日曜日の我が子。「泊りにいくんだ」と、父親参観で6日連続登園だった疲れもなんのその、レインコートまで羽織ってまで泊りに来てくれると思えば、ばぁばも幸せかもしれません。
朝食はじぃじにパンを焼いてもらい、私は毎度の美味しいコーヒーも入れてもらい、世界一のやさしさに触れて、
一旦家に向かい、
青空を見ながら
余談つづく