昨年9月12日。クラウンエステート引取り納車翌日もまたクラウンエステート。
そして「
やぁくらさんだよ。」という、昭和の時代多くの公立学校で視聴時間があった、教育テレビを懐かしく思い出しました。他にも「やぁちょーさんだよ」などがあったように思います。「たんけんぼくのまち」は1984年4月9日から1992年3月25日まで放送されていたとあります。その他にも「みんないっしょ」という番組タイトルで、昭和60年前後は「くちぶえ吹いて、空地へ行った」という、当時からして前時代的な歌詞のオープニング曲で始まっていたのを思い出します。
さらに教育番組をみると『わたしたちのくらし』というのがあり、wikiにある概要には、1954年4月27日から1987年3月16日までNHKテレビで放送されていた小学校中学年向けの学校放送(教科:社会科)である。」旨記載あります。なお、当初NHKから始まり途中NHK教育テレビに独立派生していく形となったようです。
2022年現在、当時小学校3年生以上として教育番組に接してきた人々は、76歳を数え、43歳ぐらいまでの人々が「わたしたちのくらし」という番組テーマを共有していていたことになります。
教育テレビという独立した形では、今年は62周年だそうで、今ではEテレという名称に変わって久しいですが、戦後多くの人々がこの教育コンテンツに何らかの形で見聞きして触れてきた歳月を経ています。その他「おかあさんといっしょ」や民放では「ぽんきっき」も広く国民が共有してきた、または共有させられてきたコンテンツが思い出されます。
昭和後期に製造された身としては通称「視聴覚の時間」みたいに呼ばれるコマがあり、学校で、授業でテレビが見られる、ということも相まって楽しみの一つでした。
我が家における「たんけんぼくのまち」。この日も「おれの庭」と呼ぶ越境地帯に位置するお気に入りの日帰り温泉ならびにその駐車場で「クラさん」とひとときを過ごしました。
たしか写真の頃だったかと思いますが、
「声かけていたの、パパだけだった」と車中ママに説明する出来事がありました。
何も手が掛からなくなったどころか、マッサージや洗髪までしてくれたり、むしろ私よりお風呂を長く楽しむように育ち、先にちょこっと行ってバスタオルを用意してくれるようになりましたが、そんなお風呂あがり脱衣所で整えていると、
「バッシーン、ガタガタ」と凄い音がするので、振り返ると、
若いお兄さんが、座っていた椅子から後頭部をぶつける形で後ろにひっくり返り、籐のチョイ掛け椅子が転がっている光景がありました。
「大丈夫ですか」と声をかけるものの耳に届かない様子で「あぁのぼせた」と言いながら、お兄さんは立ち上がったところで、そのまままた後方に倒れ激しく「ゴツン」という骨からの音が響くほど、後頭部を強打して「また倒れて危ないから、そのまま寝てて。それかロッカーを背に床に座って」と声をかけ、
一息の間それに従ってくれますが、単なるのぼせただけだという様子で数秒でまた立ち上がろうとします。
一瞬の出来事でしたが、このお兄さんはテンカンに似たような発作を持っていると感じ、かつそれを周囲に悟られたくなくて平静を装っているゆえに、何度も何もなかったようにまた振舞おうとしていると状況を理解しました。
小学校4年生のときに先生がテンカンで倒れ、保健の先生が「はいあーんして」とスプーンを口に突っ込んでいた光景を覚えています。舌を噛まぬよう咄嗟にスプーンの代用品を一瞬探しながらですが、しかし様子からするとテンカンではなさそうなものの、まずは床に寝かせました。
数秒もしないうちにまた起きようとするので「ほら人の目なんて気にしくていいから、無理しないで、立ち上がらなくていいから、もう少しゆっくりして」と言ってもまた数秒横になったあとに上体をまた起こそうとするので「みんなよくあることだから誰の目も気にする必要ない、そこに大の字になって少し寝ちゃいな。バスタオルかけましょうか」と声をかけました。するとおにーさんは大の字になってしばし仰向けで寝るのを維持してくれました。
病院へ行く必要がありそうか等、確認し、あくまでも大事にせず何らかの病気であることも秘したそうにしている様子から過剰な干渉は避け、一応大丈夫と見て取れたのを確認しつつ「みんなよくあることだから、でーんっと寝ちゃっていなよ」「ありがとうございます」と寝ているとおにーさんとやり取りし、あとにしました。
施設の方へ、お兄さんの状況や内心を察した希望を伝え、大事大げさに対処するのではなく、それとなく監視をして様子を見てあげてほしい旨を伝え、駐車場に向かえば、
横で一部始終見聞きしていた我が子「おにーさんどうしたの?」と当然に質問タイムです。
人間の体の中でも、脳というものは、そんじょそこいらの精密機器よりも、比べ物にならぬほど精密に出来ている。あのおにーさんは、脳がどこか繋がっていないとか、血液が脳にしっかり回らないとか、何かの原因で一瞬シャットダウンしちゃうんだろうね。いっぱい嫌で辛い思いもしてきたのだろう、知られるとより生きづらくなる経験をしてきたのだろう、それを周りに知られたくないから、生きる術として習性化しているかのように反射的に何でもないと装って何度も立とうとしていたのだと思うよ。
何か一つおかしいところがあれば、あぁやってバグが起きたり、病気として症状を抱えている人もいる。みんな脳や心臓、あるいは胃腸は多いような気がするけど、肝臓、腎臓なのか、それらを攻撃する特定のウイルスに弱いとか、アレルギーがあるとか免疫システムに過不足あるとか、はたまた手足なのか、目や肌なのか、脳の構成が影響する何らかの内面的特性として持っていたり、すべての「人」と呼ばれる生き物が、何かしらは大なり小なり不完全さというものを持っているものだよ。
年を重ねていけば、劣化する箇所も激増していくから、より不完全に近づいていく中に、
目に見えないところ含め、凡そ体の基幹、内臓や機能、あらゆるすべてが完璧という人は確率論からして地球に1人いるかどうかレベルじゃないかな、けど例えばお酒を分解する能力が低くても酒の席という人生の無駄な時間浪費が少なくなったり、アルコール依存症の確度が下がったり、考え方や価値観によってはそれがメリットになる場合もあったり、はたまた脚の速さや肺活量などどっちが優れているかという相対的な評価の場合もあったり、はたまた攻撃性が高い、平常心が強いなどどちらの要素が強いのか、状況や時代によって生存が高まるのに相反する要素もあったり、何をもってして完全体なのかは難しくもあり、完全な人間や完璧な人間を定義するのは不可能とも言える。車も同じじゃない?スポーツカー、オフロード、ラグジュアリーそれぞれ特性が違う「たしかに」といつもの相槌を聞いて、
みんな綺麗に着飾ったり、いい車乗ったり、学歴を誇示したり、現代の最先端を生きていると錯覚のように思いながらスマホをいじったり、しかし人間なんてそんなものだよ。と話してみました。おにーさんはより苦労して生きていくことを持って生まれてしまった、それは可哀想であり、困ったときはちょっとだけでいい手を差し伸べればいいと思うけど、一方でああいう一瞬の気絶を繰り返しちゃうおにーさんや、心臓がいつ止まるかわからないおじさんとかが車の運転をしていることもあるから怖い。油断なんてできないんだよ、とも話してみて、
いろんな人がいる、という知覚だけでなく、もう一つ論点があるように思う社会科の出来事。
なぜ誰も助けようとしないのかという論点「みんなどうしたらいいのか、分からないんだよ。だからちらっと見たり、見ないふりするけど、どうしたらいいのか分からない。だから声一つかけないんだよ。急いでいる人もいるし、面倒はご免だと思う人もいるけどね」
「世の中にはどうしたらいいか分からない、突然のことに軽いパニックになったりそういう人が多いからこそ、リーダーはいかなるときも冷静に多くの人に気を配ったり、問題解決に先頭切ったり介入したり、むしろみんなを落ち着かせたりそういう役割も必要なんじゃないかな」と付け加えて説明してみました。
街中で「大丈夫?」と声をかけるケースが多いのは、圧倒的に「おばさま」のように思いますが、男性のみがいる脱衣所では、殊更に声をかける確度が低かったのかもしれません。
じぃじが心臓発作で倒れても、誰も声をかけてもらえなかったことや、でも最近じぃじが転んだときは声をかけてもらったようだ、や、女風呂でも湯舟に入った瞬間にすこーんとそのまま気絶して頭まで潜っていったおばあちゃんがいたりとママが話していたことなどもテーマに加えながら
困った人がいたときや、イレギュラーが突発して起こったときにどのような様子を維持しながら、どのように対処したらいいのか、というケーススタディになったかもしれず、
着飾ることが不可能な、そして色々な人が裸のままいる大衆浴場は、社会性を育てるのに好ましいそうですが、では大衆浴場の文化がない諸外国では社会性が育っていないのか、という反論も思いつつ、一助あればそれはおまけとして、何よりも五感でお風呂や風を楽しむことが大切かと思い、
そうしたベースの中に、その日のような社会勉強をする機会が訪れたときもありました。バックドアを使って、両腕・片腕バージョンそれぞれ筋トレ中です。
小規模な運送会社のトラックが納品先の屋根に接触してしまった事故をみれば「あの人社長のような気がする」と分析を披露したり、
秋のロイヤルホスト、期間限定マスカットデザートのマスカットだけを楽しむタームもあったり、18歳で免許を取り、初めての車はメーター改ざんも呼吸のように当たり前の時代、中古のホンダプレリュードでしたが、担当の名前やほくろの位置を憶えている中もう老齢久しいでしょうが足立区にてディラー物を買った割りにはあれは絶対事故車だったような気がしつつ、今はオークションで厳しくチェックされ中古車の品質も格段に上がり、いずれにせよ30年ぶりぐらいに入れて以来の効果があるのか添加剤を買ってみて、それも楽しく、
相手や自分の命や手足が無くなるようなことをしなければ、大概何でもやってよい方針で育てており、人に迷惑をかけることも多少はいい、それぐらいしないと社会で人の役に立てる人間にならない、と言っていますが、そもそも人が生きているだけで他者には迷惑なケースも多分に少なくなく、迷惑をかけるようなことはするなと主張する人もまた多く迷惑をかけているところ、自分にとって迷惑なのかが基準に過ぎず、つまりはそのような些細なことからして負けるな、という生存競争のしたたかさ逞しさが大切かと思い、
これは会社経営も同じですが、あぁでもない、こうでもない、こうしたほうがよい、あの人はよくない、などみんな好き勝手にいいますが、得てしてその責任を取る者など一人もおらず、そう言っていた割には数年経っていなくなっていたり、姿は大人の形をしていたりスーツを着ていかにもビジネスができる風な人もいるが、中身は小学生もいっぱいいる、誰のどのような意見を聞くかそれを留意して、決めるのは自分だ、ということ合わせ、そのようないいかげんな大人をからかうぐらいでちょうどいい、
ただね、生きるって意外に大変なんだよ、大変なことが多いんだよ、年を重ねるほどに体力や気力も落ちてその分しんどくなる、だからみんな必死になって生きている、必死に生きているだけなんだよ、大人もね。とも教えています。だから少しでもそれを助けてあげたり、仲間同士助け合ったり、その中でなお更に生きるのが下手な人を自分が得意な分野で特に助けてあげたり、持ちつ持たれつ助け合うのも大切かもしれない。そういう装置として会社を営んでいる、という側面もある。という話しもしています。
この頃も幾度かの日帰り温泉や、雨の日にニトリへ行ったり、
「あ、あのアルファード、モデスタついてる」と聞きながら寄った、ここの日帰り温泉も幼稚園のときに初めて行きましたが、ここでのゲームを当時したことを覚えてくれていたり、そうして日々が過ぎていく中に「パパ抱っこして~」などあともうギリ数年、二度と帰ってこない時間かと思い、抱き着こうものなら「やめろよ」と言われるまで目前そうで、老化と合わせて戦々恐々して生きています。ジープそろそろです。