EOS R5 + RF28-70mm F2 L USM
日曜日の朝。ゆっくり時間が流れます。
X-Pro2 + XF35mmF1.4R
そしてシュリンプが手つかずの朝食からキャリーオーバーした日曜日の昼食。コストコ尽くしコースは続きます。なおレモンもコストコ調達です。
EOS R5 + RF28-70mm F2 L USM
夕暮れが近づいてきて、コストコのチーズケーキを食べて、
EOS R5 + RF28-70mm F2 L USM
ヘリコプターに乗るスナイパーとなって、女の子を敵から守る、無双系ゲーム。
EOS R5 + RF28-70mm F2 L USM
4駆の車で綱引きをするゲーム「あなたのためのようなゲームじゃん」「だから夢のようなゲームだっていってんじゃん」や、インベーダーゲーム、グラディウス的ゲームをタッチ画面で操作する現代。総合的に現状ではゲーム機よりもスマホゲームに楽しみの軍配があがるのではないかという印象です。
EOS R5 + RF28-70mm F2 L USM
そうこうしていると夕刻到来です。「日帰り温泉行って、南京亭かスシローでもいこうか」と出動することにします。「今日は軽いほうのカメラに24mm着けて行く」「自分でやる?」「ううん」と、がっつりアシスタント状態を味合わせてもらい、
EOS R5 + RF28-70mm F2 L USM
十分なカメラを持ちだしてくれるので、私はキヤノンコンデジS120を持っていこうとすると「同じのにしようよ」とペアルックのお誘いを頂き、24mmにできるだけ近しい35mmを着けろというご指示。付け替える手間を省くため、画角は35mmのほうが近いけど、見た目は50mmのほうが近しいと折衝をして、かようなセットで出かけることにします。
EOS RP + RF50mm F1.8 STM
カメラを肩にかけ、スマホでゲームしながら、ランドクルーザー300へ乗り込み出発です。
RX100M6
なおゲーム続きなスマホは接収されたまま、このあと充電切れを迎えることになります。
RX100M6
ママ常備のカメラが非常用カメラになってきていてペアルックを一枚。
EOS RP + RF50mm F1.8 STM
「あぁ草津行きたい」「いきたいねー」と空気の振動が組成されながら、
EOS RP + RF50mm F1.8 STM
まずはお風呂へ到着です。
ママの古いXperia
そして気持ちよく寝湯やらをパパのお腹を枕にして楽しんで、先にお風呂からあがってゲームができる用にと、ママのスマホを託されているところにこれで一枚。
EOS RP + RF50mm F1.8 STM
心地よい秋の足音が近づいてきている中に、ヨーグルトドリンクの蓋を舐めて、
EOS RP + RF24mm F1.8 MACRO IS STM
ご飯前なのに糖分摂取。
EOS RP + RF24mm F1.8 MACRO IS STM
お風呂をあがったところで、小雨が降り出し、急激にまとまった雨となり、雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろうな季節へ着々と進みながら、すぐ止むことになります。
EOS RP + RF24mm F1.8 MACRO IS STM
二人で珍百景番組を見入ってママを待つことにします。
EOS RP + RF24mm F1.8 MACRO IS STM
そしてパパとママの南京亭音頭はかき消されて「ここ
前に来たよね?」と、スシローへ。
EOS RP + RF24mm F1.8 MACRO IS STM
しじみから訂正の、裏メニューあさり味噌ラーメン。前回のお店ではお味噌汁が少し煮立っていたのか、ほどよい塩味でしたが、私も同じセットをオーダーしてみたところ、今般は少し薄く感じ微妙でした。ママが頼んだ、めんたいクリームつけラーメン(期間限定)のほうが美味しく、
EOS RP + RF24mm F1.8 MACRO IS STM
行きの草津談義から、生後八か月、幼児を固定気味に座らせるベビーソファーとも呼ばれるらしいバンボ導入間もない頃の写真を見ることになり、夕食は進みます。
バンボ脱出年齢選手権があったとしたら地方大会にてそこそこ上位に食い込めたかもしれない、2014年9月、写真草津のとき、到着してバンボに座らせて息を抜こうと思った瞬間、すぐに抜け出し、一瞬たりともゆっくり気を抜けなかった頃を思い出します。バンボ結局数回しか使いませんでしたが、そのような思い出話をしながら、
EOS RP + RF24mm F1.8 MACRO IS STM
好きな旅先、1位箱根翠松園、2位ハワイモアナサーフライダー、3位草津と現在のランキングを聞いてみて、
EOS RP + RF24mm F1.8 MACRO IS STM
「パパはどうやって大学行ったの?」「パパはね『俺は交渉学で大学に行ったんだ』って若いとき説明してたんだけどさ、高校の先生に推薦もらっていかせてもらったんだよ」
EOS RP + RF24mm F1.8 MACRO IS STM
「推薦と言ってもただの推薦じゃない。学校は毎年一分でも遅刻したら留年というほどギリギリスレスレに行ってなくて、もうアルバイトでお金稼ぐのとその仕事、あとそこの仲間が楽しくてみんなでよく遊んだり、あと当時永福町にぼろいパチンコ屋があってさここが出るのなんのそこでも稼いで、そっちにのめり込んでいた」
EOS RP + RF24mm F1.8 MACRO IS STM
「停学にも2回なったし、成績はすべて1か2。オール煙突かアヒルだよ」「えぇそうだったの?」
EOS RP + RF24mm F1.8 MACRO IS STM
大手予備校の偏差値だと自分はどれぐらいなんだろうって受けたらなんと、これは自慢でもあるんだけどダメ過ぎて「計測不能」と出た。しかも二回も。日本一のバカよりバカってことだ。続けて三回目受けてやっと35ぐらい、ドベの底辺でやっと数値化されたよ。」
EOS RP + RF24mm F1.8 MACRO IS STM
「歴史なんてくだらねぇ。都合よく書き換えられたフィクションだ、ただの捏造じゃーねか。学ぶ意味なんてない。無意味。」とか言って、中学から一切勉強したことなかった。小学校から心理学、天文学、法律、思想、中学校から量子力学やらも手を出して、ちゃんとした理解はできていなかったんだろうけど、自分の興味ある分野ばかり勉強して、学校の勉強はバカにしていた。」
EOS R5 + RF28-70mm F2 L USM
昔グアムで買ったシールが出てきて懐かしみながら、パパの衣服を敷き詰めて新規秘密基地の落成経て、
RX1-R
夜食はコストコ。「そんな感じだったから、学校の勉強はぜんぜんできなかった。そんな様子から、ぼんやりと先々大学受験が目に見える時期となってきて、早めに受験勉強でも始めておくかと、自分の体を座椅子に縛り付け、毎日8時間とか10時間一ヵ月ぐらい家で猛勉強してみた。すると計測不能から一週間後に偏差値35になって、それが一ヵ月後には偏差値が60ぐらいになったんだよ。自分で単なるバカだと思っていたから30歳過ぎてから気が付いたけどなかなか記憶力があることを知ったわけだけど、まだ当時はそんな意識が微塵もなく、単に感触として一ヵ月でこれなら三カ月あれば70ぐらい行けんじゃないの?と、あっこれは楽勝だ、まだ勉強しなくていいやギリギリになったら受験勉強再開するとして、それまで稼げるのにもったいないアルバイトやろうって、パチンコとアルバイトで稼ぐ日々に戻り勉強を止めてしまった。」
Xperia PRO-I
「毎日でもいいですよ」と続朝の送り。幸せな時間をもらいます。
COOLPIX S60
「それがさ、気が付くとあと数か月で受験シーズン目前。みんなすげー勉強している。やべ今から勉強しても間に合わない、追いつけないかもって不安に支配された。でも大学行きたい、どうしようって考えてひらめいた。そうだ推薦もらえばいいんじゃね?推薦にまだ間に合う。そうしたら受験勉強なんてしなくていいい上に、確実に大学いけるんじゃね?って思った」「それで?」
COOLPIX S60
「そう思ったら早々に翌日、当時相性が悪かったいつも人を子馬鹿にするK大学卒業の気取った女性の担任に相談行ったんだよ。」「それで?」
COOLPIX S60
「先生、おれ推薦で大学行きたい」「は?あんた何言ってんの?バカじゃないの?」と一蹴だよ。内心としては「そりゃ、そうだよな」と思ったよ。だって遅刻ちょっとでも一回でもしたら留年決定というぐらい出席状態は毎年ギリギリ、成績はオール1と2、停学二回、学校行事は不参加、むろんそれらの委員などやったことなどない、という生徒だったんだから。出来の悪いをさらに下回る、担任としては『なんでお前みたいのがいるんだよ』っていうやっかいな生徒だよ」
COOLPIX S60
「ところがさ、パパは諦めなかったんだよ。なんとしても推薦をもらおう。そのために過去の出席や成績、あらゆる記録を改ざんしてもらおうって考えた」
COOLPIX S60
まずは目に入った先生片っ端から声をかけてみた。「先生、おれ推薦で大学行きたい。推薦要件を調べました。過去の成績オール5にしてもらって、ま4と5でもいいんだけど、で欠席はなかったことにしてくれれば、推薦で大学いけます」という言うと、どの先生も「そら無理だ」とこれまた一蹴だよ。ニコっと微笑んで返事すらくれない先生もいたよ。「だよな」と思ったよ」
Xperia PRO-I
そして一人の先生に絞って、もう顔を見るなり毎日、そして一日何回も「先生、ダメなのはわかっているけど、なんとかお願いします。おれ社会に出たら、社会のために働いて、社会に貢献したい。だからそのために大学で勉強したい」という趣旨の話しをもう何度も校内ですれ違うたびに、声をかけて、懇願したんだよ。」「それで?」
COOLPIX S60
「そしたら、何度目だろう『そこまで言うなら、よし分かった。任せておけ』っていう言葉をくれたんだよ」「それで?」
Xperia PRO-I
「そこからは、その先生が他の教科の先生や」「他の教科の先生って?」と高校では教科ごとに先生が異なる説明を挟みつつ「そのほかの教科の先生や、そして担任の先生までをも説得してくたんだよ。パパがだいぶ年を重ねてから知ることになるんだけど、校長先生まで巻き込まないとできないらしい。これもあとあと知ることになるけど、先生たちは退職金が吹っ飛ぶかもしれない公文書偽造・同行使ってことまでしてくれたんだよ」
COOLPIX S60
担任の先生とは実際かなり折り合いが悪かったから「ほんとありえない。ほんと信じられない。こんなことがあっていいの?絶対におかしい」と何度も不満どころか最後まで納得いかず怒り心頭という感じだったな。卒業の最後の最後にお礼に行っても担任はけしておめでとうとは言わず「ありえない、ありえない」を繰り返していたよ。そんな先生達もみんな定年だし、中には虹を渡った人もいるけど、先生には頭が上がらないよ」
COOLPIX S60
「そうやって、パパは書類上の優等生となることになる。成績は「なんだよもう少し5が多くてもいいんじゃね?」と思ったけど、4と5のみで、これを平均してパパが希望した大学の推薦要件を十分満たすこととなり、欠席は「ゼロでいいじゃね?」と思ったけど、お悔み事で1日ということになっていた。「なるほど成績だけじゃなくて、こういうのも大切なんだ」と知ったわけだけど、先生達はパパをやったことなどない委員会歴任という輝かしい優等な高校生活をくれた。書類上ね。」
COOLPIX S60
「それだけではなかった。受験は小論文と面接だけだったんだけどさ、面接で「へぇ~君は自転車で大阪まで行ったんだ?」と大学の面接官として真ん中に座っていた法学部長に言われ「なんだよ先生推薦状にそんなことまで書いたのかよ、聞いてないよ、言っといてくれよ」と焦ったんだけど、パパ本人も面接試験の場で初めて知る内容もあって「あっはい。友人と行きました」と適当に答えるわけさ。そして「どれぐらいかかったの?」と聞かれて内心「しらねーよ。自転車どころか大阪なんて行ったことねーよ」と距離感も分からないし、でもここは曖昧に答えないとだめだと直感的に思って「はい、友人が途中で体調不良もありまして、休み休み行ったので1週間かかりました」と答えたら」「それで?」
Xperia PRO-I
「そうですか。それは大変でしたね。当校に入ったらがんばってくださいね」と言われて合格を確信したよ。そのあとすぐばぁばに電話した。当時は公衆電話だったけど、そうやってあとでお義父さんとなる人が働いていた大学へ行くことになる」
COOLPIX S60
「大学でママと出会ったんでしょ?ママはどうやっていったの?」
Xperia PRO-I
「それがさママも推薦なんだよ」「えっじゃあうちはみんな推薦?」言われて気づきましたが「ま、そういうことになる」と返答し、
Xperia PRO-I
「パパはどちらかと言えば苦労して生きてきて、努力もたくさんしたんだけど、ママは高校も推薦、大学も推薦、じぃじに力があったから就職もコネっていうんだけど推薦みたいなもので立派な会社に就職させてもらって、何の苦労や努力をしたことがないのに、人生恵まれている人なんだよ。今もかなり恵まれているほうだと思う。パパは母子家庭だったし貧乏なときもあったし家がないときもあって親戚に預けられたことも、思春期に会社に寝泊まりさせられたこともあってこれが今思い返してもきつくて家がないってのは「ふぅ~」って一瞬すら息を抜くことができない時間が連続していてそれが毎日続く精神的大変さを知ったけど、ジェットコースターみたいな人生、でもママはずーっと安定して恵まれてきている。そして多くのお金が欲しいなら長財布にしろだのとか啓発系の教えと違って、あらゆることに無欲でお金なんて求めないのに経済的に安定している人生であるところがまた面白い。ある意味パパとは真逆だ。だからパパからしたら『世の中にはこういう人もいるんだなぁ』って感じだよ。ママがいないとパパはボロボロになる自信がある」
Xperia PRO-I
という、何事も始めから不可能・無理と決めつけない事例として伝えつつも、受験ノウハウが一切ない我が家「Hちゃんは国立って言って、全部の教科ができないと行けない頭のいい大学行っているんだよ。Nさんなんてコロンビア大学で世界有数の大学だよ」と、やがて来る今後の受験については周りからアドバイスを頂戴することにしたいと思います。
Xperia PRO-I
夏休みが終わり、久しぶりにママとのランチ兼買い物。
COOLPIX S60
2008年 9月発売ということなので、私が32歳の頃、当時会社の仲間から誕生日プレゼントにもらったCOOLPIX S60を持ち出して、
Xperia PRO-I
14年の歳月で、どれぐらい技術は進歩したのだろう、
COOLPIX S60
という劣化一途のポンコツが時の流れを味わう作業。
Xperia PRO-I
スマホで撮った一枚を暗部上げ、
COOLPIX S60
14年前のクールピクスで撮った一枚を暗部上げ、してみて差異を確認してみたくなったり、
Xperia PRO-I
こちらは1,220万画素3D iToF1/2.9型センサーとなる光学50mmレンズにて。
COOLPIX S60
光学ズーム換算46mm(5.9-29.5mm=光学35mm判換算で33-165mm相当の撮影画角と、電子ズーム最大4倍35mm判換算で約660mm相当の撮影画角が可)となる
センサーサイズ1/2.3型有効1,000万画素搭載の
COOLPIX S60。
COOLPIX S60
ドライビングテクニックに脱帽して驚愕に思いつつ、
COOLPIX S60
我に返れば、そうだ、俺は社会のためになると言って大きなリスクまで冒してもらい高校の先生方に学校へ行かせてもらったんじゃないか、みんな気になる、いや社会が求めている「徹底比較コンデジ対決」あとこれも社会的要請が強いと言える「徹底比較焼きガニ風味かまぼこ決戦」企画をやらずして、どうする、と自問自答しようかと思いつつ、
COOLPIX S60
発言一つで為替に影響を与える人になりたい、いや日本にはまだ一人もいないであろうたった一言で各国の為替が大きく動くような影響力を手に入れたい、いやそれよりもやはり使命といえるに近しい、
R1-R
より大きく公益に資することになる「徹底対決!焼きガニ風味かまぼこ決戦!」のほうが重要であろうという理念先行型の演繹的論理の帰結に基づいたプロジェクトの準備風景。おやつにしたいと思います。いや実際には先生に感謝してもっとがんばらねばなのに、こんなことやっていて、と実は自虐的に思うわけですが、
富士フィルム FinePix F11
買い物についていくと、余計な買い物までしてしまいます。なおコストコでは会計前に「ちょっと荷物多すぎだろう。カクヤスで頼もう」と棚に戻したアサヒビール、日系スーパーのほうが400円ぐらい安く「じゃあ800円安いんだ」「いやいやコストコが4,200円ぐらいでスーパーが3,800円だから400円でしょ」「だから二つで800円安いんでしょ」「あぁそういうこと。たしかに」と下校してきた我が子へパパがこの日した社会勉強を共有しようとして無駄のない結論を出す思考プロセスを教えてもらい、この日が過ぎて行きました。