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ドライブへ行こうのブログ一覧

2018年11月28日 イイね!

ファーストカメラ

ファーストカメラ













「部屋着の裏地特設スタジオ」からお送りしています。






事実上、はじめての一眼レフカメラ。





2014年初頭に買ったと記憶しています。




パンケーキレンズと呼ばれる40mm単焦点をはじめてつけた感想は換算64mmということも知る由もなく「近すぎて撮りづらい、なんだこれ」でした。



 EOS Kiss X7 + EF50mm F1.8 II

子供用にと譲ってだいぶ経ち、久しぶりに撮ってみようと思えば充電切れでした。




ちなみに昨夜は100円ショップでLEDライトを購入し、ストロボ付属の簡易デュフューザーも付けたり四苦八苦してみましたが、光が青く諦めました。撮影用のライトにするのが無難そうです。











スタートのセット。「暇そうですね」と言われながらときが過ぎ、水曜日はあっという間にお迎えの時間です。






Posted at 2018/11/28 10:58:57 | コメント(2) | トラックバック(0) | カメラ | 日記
2018年11月27日 イイね!

カメラという被写体。

カメラという被写体。













48時間、つまり二日の間このセットで子供に張り付いていました。




主に動画向きとされるE18-105というこのレンズをα6500に着けました。見かけよりも非常に軽いセットで持ったまま中年が難なくドロケイもこなし、解像は甘めかと思いますが、等倍鑑賞しなければもちろん十分な写真を撮ってくれ、換算27mmから157mmまでカバーし使い勝手もよいセットに思います。






ある程度条件を整えないと等倍鑑賞は耐えられないかと思いますが、等倍鑑賞の利点というのは、あまり語られないところでいいますと、被写体愛が強い場合、記録として肌のディテールまでいつでも会える機会を作っておけるのではないかと思います。ピクセルを見るではなく、レンズの解像度を楽しむのではなく、それら技術のエッセンスを堪能するのでもなく、毛穴の果てまで時が経ってもいつでもその人に再会したいという被写体愛に応えてくれるのが品質の高い等倍鑑賞の利点かと思います。







もちろん雰囲気や、当時を思い出す記憶喚起装置として、写真を撮るのも目的の最たる一つですが、ときにそのような偏った需要にも応えてくれるカメラ。




通常のポートレート撮り、つまりはさした感情移入がなくモデルを綺麗に撮りたいのであれば、毛穴や剃残しを見る、もしくはそこからモデルとしてのプロ意識を推察してみる、などの必要はなく雰囲気重視のレンズが合っているのかもしれません。あるいは普段は近くで見ることができない飛行機のビス一つを確認して喜ぶというのも被写体愛の一つかもしれません。被写体への想いの度合で、その人にとって写真の解釈、引いては同じ人撮りでもときに真逆に機材感というものが変わってくるように思い、正解は人ぞれぞれのように感じます。





造形としてこのカメラという物の形、どこか魅かれます。この夜は意外に前玉が大きいことに気が付き、撮影開始しました。





夜の室内、手持ちで絞ってみたり、色かぶりがあったり、埃があったり、背景がよくなかったり、環境を整えないとなかなかに難しいわけですが、





「ティッシュが光ってたよ」と子供が言う通り、今度はここだと置いたソファの生地感がでないよう露出を下げながらカメラへの光量を増やすためスマホのライトを当て、しかし直射では固い光になってしまうので、周りを見渡すとティッシュだろう、ということでやりましたが、通常の1枚すなわち薄く重なるティッシュ2枚では光量が落ちすぎるので、わざわざ1枚にして、それをデュフューザー代わりに、片手でプルプルしながら妥協して絞りを開けていく自己研磨の時間。




修行の成果に呆然としているとママがお風呂だというので一時中断しその間、本を読んでほしいとのことでこの程度のエアラインであれば楽勝に100点となるように育ってきました。






タイ航空を見ればジャンボの倍乗れるんだよ、と解説を受けた後「タイはいっちゃだめなんでしょ?怖いおねーさんいるんでしょ?」と今月月初に話ししたことを何気にちゃんと聞いていて、覚えていてくれました。120点。




月光仮面も大好きで、歌を唄えば園長先生にもウケがいいかもしれません。ママがドリフターズのお一方を見たというので、たまにみるオリジナルに加え月光仮面のコントを見て「月光仮面〇〇に住んでいるの?」と質問を受けながら就寝しました。






スタジオや近い環境もなく、気の利いたライト類もないわけなので、やっぱり光量も期待でき色かぶりもしにくい自然光だろう、ということで、カーテンで光を柔らかくそして方向性も試してみながら、部屋着の裏地を特設スタジオにして、しかしボロがでてしまうのであまり絞れなく、とあれこれ何らの意味をなさない時間ですが、薄い基礎知識を応用して考えてみたりする楽しさもありつつ、





物撮りでの水平の大切さや、こうして右が無駄にできる構図力、ロケーション力、ライト類など機材を揃えていないのはつまりは光への意識と基礎力のなさ、なども含め、何気なく自分に足りないことを大いに教えてくれるカメラ被写体撮影。勉強も合わせて楽しくカメラを被写体にしてカメラをしました。



Posted at 2018/11/27 12:20:49 | コメント(1) | トラックバック(0) | カメラ | 日記
2018年11月26日 イイね!

春の草津その2 渋川スカイランドパーク。

春の草津その2 渋川スカイランドパーク。
















登園時に幼稚園でパパの仕事をいう時間があったと聞き、




歯医者さんにパン屋さんとお友達が言っていたところ私のことは「お金稼ぐこと」というので、




社員のみなさんが仕事をしやすいように環境を整える仕事かな、と言ってみれば「それは正解じゃないんじゃない、ちょっと難しいなぁ」とのことに、



「じゃあ、会社を大きくするのが仕事だよ」と言えば、それなら覚えやすいと、今後多面的な役割を少しずつ伝えていこうかと考えます。




何屋さんでいえば〇〇屋さんかな、といま集中している事業を伝え、過去にしてきた事業も「えええ、そんなこともしていたの?」と一つひとつ驚きながら聞いてくれました。




前は20個の会社で25の事業を経営していたよ「20個の会社経営しているのね」と、今はしていませんが、撤退したもの含めればいくつになることやら、基本は大企業との取引がメイン事業でしたが、別の事業ではハイブランドのVIP中のVIPのみに関わる事業や、大富豪例えばR天のオーナー氏の自宅などに関わる事業、あるいは広く一般ユーザーを対象にしている事業もありました。何より財産となったことは、広く社会勉強をさせてもらったことと感じています。




いずれにしても大きくは二つのグループに分けながらも雑多な展開でしたが、これからはいたずらに法人数は増やさないつもりながら軸に関連しながら早晩数は増えていくと思われ、分社など合わせ、来年から再来年にかけては効率を考え10社ぐらいで展開していこうと考えています。うち5乃至6社はまったく同じ業務内容になりますが、表向きはグループも関連も分からないように取り組みたいと考えています。成長の効率化と、できるだけ目立たぬようにするサブマリン効果を期待した自らへ取り計らいです。




数多くの失敗をしてきましたが、その一つは若い人に勘違いをさせてしまったこともあるように反省しています。「200人超の会社の社長として扱ってもらわなければ困る」などと社長の一人は吹聴するようになったと耳に届き、私の導き方、環境の作り方、あるいは待遇の置き方など悪かったのだと思います。




実力や器、あるいは能力、ときには魅力という要素と、椅子とその環境の整え方に相違と不足がある中に、人間のさがも強力にアシストをしてくれたかと思います。





今般といっても一年少々経ちましたが、立ち上げた会社は、MAを一切せず従前の規模をもう越えかけて、今後はMAする可能性はありますが、業界内でシェアを拡大する場合を基本路線として、乱打や成長の軸には据えず、総合して基本としてはMAはせず、にて歩んでいこうと考えています。




多くをもたらしてくれている神様に王子様、私をぱぱさんと呼んでくれる女性社員、ボスと呼んでくれる友、対人能力の達人な女性、そして頼りにしている後進、会社へ行けば寄ってきてくれて、いなければ探してくれる人もいて、出張に私がいないと知れば寂しそうにしてくれたり、新たな紹介も増え、率直に幸せを感じる環境を有り難く思いつつ、





この半年後である先日は同じところから「ほらAちゃんのFJ止まってるよ、見えるよ」ということになるとは、このときは想像も想定もせず、



一秒先の予測は不可能なことだらけですので、よい未来を切り開き、どうしても緩んでしまう脇というものを締めて締めて締めながら、それを維持できるよう生きていきたいと考えています。







有難く、そして幸せを感じるひとときの連続の中に、






「どうしてすぐにそういう話しになるのか」とママから質問を受けながら、





取引先担当の方の力を借りながら、新しく立ち上げを進めています。




この数日、後進が友の案内で、いや案内ではなく友が主体ですが、西日本全取引先を表敬訪問させてもらえれば、東京以上に顧客との関係も深く味ももって良好であり、






いきいきとした友の様子も伝えてもらい、新たなビジネスチャンスをもらっているようです。家族風呂に入れば「ほらパパ花が咲いているよ、梅なかぁ、桜かなぁ」と会話をくれてました。





メールを見れば姫路に岐阜など毎日各地の地名が踊るようになりこれはもう友の大功績でありここまでやってくれるとは想定してませんでしたが






首都圏と地方都市は本業に任せ、それを補完する形で、少々スタンスを変えて地方展開を担いたく考えています、という取り組みを始めました。





もうひとっ風呂浴びて、



群馬の散歩へ出かけます。




よいお湯を御礼申し上げます。



西日本の顧客からよいお話しも頂き、弊社の本気度も伝わったようで、





友、後進、行っていない私にとっても、人生史上で最も有意義な出張になったかと感じました。




お客様からの評価は、大いなる元気になり「おかげさまで儲かってしょうがないよ」という声をお客様からよく耳にしてきておりますが、お客様のビジネスの厚さ広さ深さに敬意を思いつつ、これもモチベーションとなり「やってきてよかった」としみじみ思い、そして「これからもがんばっていこう」と思える心の栄養、ならびに心の炭水化物です。




一年後に1,000名を数えるように会社を育て、目標としては残り2,000名(8,000名)というあたりで一段目の盤石化と考え、




今は寄付だけになっている社会福祉に向けて本格的に活動も執り行っていきたいと考えています。





遥か雲の上では、莫大に予算を要する難病の解明や治療の開発、科学進歩への寄付や援助活動、または投資活動が盛んに行われ、人類とそのマジョリティの方々に対して、




またはマジョリティが困ったときに善処できる環境作りに力点が置かれ取り組みが行われているケースが多いかと思いますが、






やがては未来の障がいを持つ方々の役にも立ちたいと思いますが、まずは早晩できることから着手をしていきたいと考えています。




前回は記録によれば2歳半のつまりは写真当時からすれば2年前に行ったのにもかかわらず、








「パンダ乗ったとこ?ゴーカート乗ったとこ?」と覚えていたのは、これまたその記憶の保持にびっくりしました、





という渋川スカイランドパーク到着です。







この時は「ぱんたなんてはずかしい」と乗りませんでした。






成長を見せたのか、このときは「挽回」など熟語を使い、あるいは「4駆を買って岩はしりにいこうよ
」などのプレゼンを受けていました。youtubeの影響です。






最近は「このジープはにせんじゅうろくねんせいかな」、などというようにもなり、あるいは「ブロッコリーだけのお弁当してみたい」とブロッコリー好きが深化し、成長と子供の斬新さが同居をした楽しい会話を聞きながら成長を感じています。


つづく


Posted at 2018/11/26 11:11:33 | コメント(1) | トラックバック(0) | 群馬ドライブ | 日記
2018年11月26日 イイね!

春の草津。 その1

春の草津。 その1















 A7M2 + Batis 2/25

春もたくさんサイクリングをしました。






寒いといけないから、と恐らくはママが無理に着させたであろう厚手のジャンパー。





途中で暑くてヘルメットを取ったのを写真で思い出しました。





駅前に自転車を止めて、




行きつけのジュースコーナーで一杯ひっかけて、





つまみは、大好きなたくあんの試食です。数種類を試食して、概ね二種類は買って帰り、ばぁばに半分おすそ分けするのが常道です。






別の日のサイクリング。




この頃はまだパパと二人の秘密だった自転車のエスカレーターがあるコース。





今では一日一冊になろうかという勢いの当時でも数日で一冊分の印字ペースだったので、これを怠ると後々大変なことになります。この日はそのような記帳に付き合ってもらい、




後進とハイタッチで出社して、連日の出勤サイクリング。





ママも合流して恨みを買わぬよう、美味しいランチを召し上がっていただきました。




ばぁばのところで少し早いスイカをもらい、種はいつも取ってもらい、




スプリングコート、このあたりから着だして、




お風呂はラジコンと入浴する日々だったのを思い出しました。




大概は乾かすと直ります、という経験値。




集まりのときに子供が撮る写真、





しっかりと水平が取れていることが多く、上手になってきた気がします。





そして年中になり登園と、





大好きなマンゴーフラッペの日々もありつつ、





まだこの頃は、FJを買うことすらも決まっていなかった中にいざ草津へ。




遊びでこのようなセットも連れ立ってみました。



 α7 II + フォクトレンダー NOKTON vintage line 50mm F1.5 Aspherical VM

社会人経験のスタートは23歳での創業、そしていわゆる法人成りは24歳でした。経営という仕事一筋20年を数えるようになりました。相撲で言えば前頭十五枚目ぐらいにはなれたかもしれません。






朝の登園中ラジオを聞いていれば、今の若い方は節約で4人に1人、つまり25%になるのでしょうか、お弁当を作るそうです。







関越坂戸のあたり、何ができるのか、機材は違えどこのようなラッシュが全国で繰り広げられていた、国の成長期、そのような何をやっても黄金比率かのような時代に会社の経営をしてみたかった、いや戦後のどさくさから経営してみたかった、という思いもありますが、思ったところでしかたありません。





もう20年も前になってしまいますが、私も24歳の頃はお弁当を作っていました。節約というほどの余裕もなく、とにかくなんとか空腹を満たすためです。最低限の栄養も考えつつひじきご飯と、味付けなしに煮た豆だけというお弁当でした。家で食べるときのメニューは一つ、スーパーの特売で1袋30円で買ってきた賞味期限がきれた格安うどんをまとめ買いしておき、増えるワカメと足がそこそこ俊敏なネギは早く使い切ることと栄養価も期待して大量投入という贅沢メニューです。ごま油を入れたり、お酢を入れたり、ごかましごまかし毎夜毎朝のように食べていたように記憶しています。






会社を立ち上げたものの、半年間売上はゼロで、深夜から朝までガソリンスタンドでアルバイトもしていました。アルバイト給与のほとんどは家賃で消えて、残りは食費と会社の備品購入に充てていました。待ち望むアルバイト給与日まで一週間を残して500円しかないときもありました。




私だけでなく、声をかけて集まってくれた友人数名も半年以上アルバイトを掛け持ちしながら、無給で仕事をしてくれました。皆若いからできたことかと思いますが、有難いことと今では思います。




とにかくお金というものがなかったので、アルバイト給与日まで残り三日三千円だか1,500円だかその程度が所持金どころか全財産というときに、一冊の本を買うか、食費に充てるか、ビジネス書コーナー前で一冊の本を前に2時間立ち悩み、悩んで悩んで本を買うという選択をしたこともありました。その本は何度も何度も読み、片手にもって実践ということも繰り返しました。今から思えば、これがマーケティングとの出会いでした。





というほどにお金がないのに、資本金1,000万円の株式会社を作りました。今では最低資本金が1円でも会社を作れますが、当時は株式会社が資本金最低1,000万円、有限会社が資本金最低300万円という制度がありましたが、会社なら株式会社だろう、という感覚で株式会社にしました。





見せ金といって、当時は預金が一定期間されている必要もあり常態化していたと思われる違法行為になってしまいますが、一時的に借りてきて資本金として預金しておき、法人登記が完了してから引き出して、そのまま返済をしました。貸してくれたのは、高架下にお店を構える知り合いの靴屋さんでした。高架の工事で東急電鉄から補償費用が出てお金がある、ということで10日間ほどだったか貸してもらい、設立資本金としました。登記は自分で行い、当時法務局で会社目的について新規のものを認めてもらう、というように、暇だったのでしつこく通っていました。




一冊の本を買うまで私は「自分の感性で仕事をしたい」と強く思い、かつそれで通じると根拠なき自信を持っており、誰かのマネや誰かの方法を知ろうなどと思ってもいませんでしたが、ある日本を読もう、と思うきっかけがありました。





当時、結局として己の感性など通じない社会の洗礼を浴びながら、苦労を重ねやっと掴んだ1人のお客様が「あなた達のためにお金を払ってあげるから、話を聞いてみなさい」と言われ、当時本も数冊出し、楽天ショップを成功に導くコンサルタントという肩書の方を紹介してもらいました。話しを聞いてみれば、すべてが終始一貫理論立ち、私はなるほどと唸る気持ちと共に、歳もさして違わないのにどえらい知能と知識に差があることを思い知らされました。




そして後日そのコンサルタント氏の自宅へ行くことになり、行ってみれば積み上げられた本のタワーが幾重にもという光景を見て秘密を知った気がし、本のタイトルを一所懸命に覚え、同じ本を数冊買ってみれば、コンサルタント氏が話をしていたことがそこには書かれていました。








道中「ここぐんま?かかしあったとこ?」といつもの確認をしながら旅館に着けば「ごはんこっちだよ」と毎度おぼえている小さい仲居さんに案内をもらいながら、同じ部屋になることが多い安らぎの場に到着です。



はじめてのM&Aというものは25歳を少しすぎたあたりぐらいだったかと記憶しています。やり方や交渉のしかたを誰に教わるでもなく、法律は学生時代にかじっていたので「こんなもん民法555条の売買契約であって、(本質は)ガムを買うのと一緒でしょ」と嘯いて、難しくは考えず取り組み、やがて件数だけは日本一になる時期もありました。今思えばほとんどはガラクタを買い集めるような作業だった一方で、






この10年来は任せっぱなしで、そして選択と集中のために今年に入ってこの事業は手放してしまいましたが、振り返って、このM&Aは小さなMAですが成功だったといってもいいかもしれません。手離れする最後の最後まで収益を生み続けてくれました。




毎月数百万円赤字の会社を手にして、未払い先である銀行やリース会社、現金でももう二度と取引したくないとおっしゃる仕入先含め、一件一件回り、再建プランを伝え、営業面としては減収増益を断行し、つまりは利益率の悪い仕事はすべて断って、収益性がよい仕事だけに特化して、設計変更でキャッシュフローを改善し、仕入れも大きく見直し大胆な方針を打ち出して、




雇用は守りながら、二か月ほどで黒字化を達成し、毎月300万円から800万円ほど営業利益が出るようにあっという間になりました。売上を数倍にしたあたりで一人目の社長に代替わりを行い、それから手放すまで、社長の代替わりをして売り上げが落ちたことはありましたが、一度も赤字になることなく、収益として貢献し続けてくれました。横浜銀行の本社法務部へ乗り込んで若い勢いで論破した経験や、別の部長氏がふらっとお昼前に来社されてよくランチをごちそうになったのも懐かしい思い出です。今では定年を迎えているのかと思えば、これも時間の経過を感じます。






という思い出も満載なこの事業を最終的に買い取ってくれたのは、MAで付き合いのあったとある財閥系MAの窓口を務めるファンドのトップが個人としてオーナーになり、社員第一号氏が社長となりもらわれていきました。





25歳買収時に作った集客サイトと、30歳のお盆休みに、空調が切れた高層ビルの蒸し暑い部屋で、1時間500円でエアコンを追加できるのにこれをけちりながら、これも私自らが作り直した集客サイト付きで、その事業は売れていきましたが、このWEBサイトは12年間多少の更新だけで、20億超は新規顧客を獲得し続けてくれました。誰もが知っている有名企業や、芸能関係も引き合い多くいろいろな作品の撮影に使われたり、毎月1,000万円の安定発注を頂く上場企業のお仕事など、とあるもののリース事業と物販でしたが、多くの顧客との出会いをもたらしてくれました。





一番転機になったMAは28歳ぐらいだったかと思います。高層ビルに引っ越す前の汚い雑居ビルで、棚をビルの前に粗大ゴミとして運び、置いた瞬間に一人のマダムが「これもらっていいの?」と声をかけてきました。





どうぞどうぞと差し上げて、当時はトラックを持っている事業も有していたので、運搬費をもらい自宅兼事務所のようなところに運びました。運搬費は2万円ぐらいもらいましたが、今にして思えば相手にとり高くついてしまったかもしれません。




あとで知ることになりますが、このマダムはオーナー社長でした。




そのような粗大ゴミがきっかけで知り合い、それから時おり私の事務所へ来るようになり、経営談義などをするようになりました。それが段々と会社を買ってくれないか、という話しになっていきます。




取引先は日立をはじめとする大企業が並び、几帳面に整えられてきた帳簿類とともに6千万の預金と、毎月の営業利益3,000万円の会社を、負債2億ほどだったか、これを私が連帯保証に入ることもなく返済していく約束で、不動産のみ社長氏に移管し、あとはそのままという内容で、当時私が有するの子会社の一部株式交換というスキームでほぼ無償で頂きました。事実上ノーリスクですから、ゴミを捨てただけで宝くじに当たったようなものかもしれません。盛りなしの話です。






「ちょうどいい温度だね、きもちいー」「露天風呂入りたい」戻ればまた部屋のお風呂、そして「ぱぱの事務所ちっちゃいからミニ事務所なんだよ」などと聞きながら時間を過ごします。






次いで転機になったMAは、30歳のときです。社員100名ほどのIT会社で、買収後は二倍ほどに成長し半期で1.5億利益が出るようになったあたりで後任社長へ引き継ぎました。当時のオーナー社長とは今でも飲みにいきますが、先日はワタミのような居酒屋で、そのあと一軒安いガールズバーへ行き昔を懐かしく話していましたが、




この社長氏は、外資系大企業の日本法人を立ち上げた父を持つ方で、その大企業相談役より「お前のおやじはもっと豪快に飲んでいたぞ」とよく言われ、その影響により遊び方が派手でした。




日本で一番高いカラオケがあると言われる下にある六本木の高級キャバクラでオーラスし、閉店後は5人前後の女性をアフターし、次にいくのは仮面ライダーなどにも出ている子も働く高級ガールズバーへなだれ込みます。会計は社長氏の黒いカードです。




MAするために、一気に距離感を縮めようと思い、毎夜毎夜このコースを付き合ったことがありました。





夕方にまずその会社へ私が行き、10歳ほど上のその社長に説教します。「こんなお金の使い方していちゃだめですよ」と説教していた私が同じ口で時間が来ると「じゃそろそろ行きますか」と店へ誘う流れがあり、これも今では笑い話です。





DD中、会社の通帳を見てますとM子さんという女性個人に600万円の振込があったので「これはなんですか」と野暮にしかし聞かねばならぬと問うてみれば「知らね」というやり取りも、今でもネタにさせてもらっていますが、未だに「知らね」で通されています。






どの会社も見るにつけ、10年来、20年来、あるいは30年以上社長についていこうが、苦楽を共にしようが、中高からの親友であろうとも、バンド仲間がスタートであっても、あるいは右腕であろうが、社長の気持ちというものを社長以外知る人は社内にいません、と言い切ってよいかと思います。





社長の気持ちを知ってさしあげる、というファクターは実はMAにおける交渉過程で最も級に大きなウエートを占めているかもしれません。オーナーと社長が分離、あるいはオーナーが複数の場合もあるわけですので、この通則が効かない場合はまた一工夫必要です。出会いも様々、松下家の親族、おそらくは隠し子でフェラーリに乗り、銀座でしか飲まない、海外の人脈も豊富というオーナー氏もいました。あるいは私が使っているカメラメーカーの孫会社を買ったときもありましたが、ガバナンスを知れば孫会社社長の月次接待交際費の決裁権3万円それ以上は親会社へ稟議という大手の手厳しい手法に驚いたこともありました。




案件集めに、その都度考えるストラクチャーに、交渉材料に交渉の仕方、交渉相手の分析方法含め、私はMAノウハウのコピーを始めます。つまりはチーム化、やがて部門と言ってもいいであろう成長をしていき、「なぜ相手がそう言うと分かるのか」と質問されながら、将棋の数手先までをアドバイスするかのごとく交渉の相談の乗り指南しながらチームとして成果を出していきました。





社内でMA専任が10名以上、動いてくれる仲介も少なくとも50名以上を数えていたかと思いますが、という環境まで構築し、持ち込まれる案件数が毎月100案件超になっていきます。何年も前から600店舗を有するマッサージ業も売りに出ており、過日のニュースで売れていたこともしりました。案件数から成約数を見込み、目標の業績に対してどれぐらい上積みをしていくか、各社の業績目標とは別に、MAを営業と同じような考え方で執り行っていくようになります。




買収した会社は同じような事業であれば合併させ、もしくは状況によっては孫会社にし、外部招聘ではなくプロパー社員にこだわり、次から次へと経営を任せていきますが、経験を積んでもらっても、経営ノウハウを伝えても、お金を使わせてみても、管理者は育てど経営者というものは育ちませんでした。「どうしてこんな簡単なことができないんだ」と思う毎日でした。私の器量もあるかと思いますが、今では多角的に経験を分析し、あるいは考えた結果として元来的に経営というものは持って生まれた要素に大きく左右されるのではないかと考えています。




換言すれば、まともな人、すなわち健常的では務まらない、と一面言ってもよいかもしれません。




内外見渡し、事業部長ぐらいであれば、できる方も多いという所感ですが、これもそれぞれの器というものが作用するように見てきました。ざっくり言ってしまうと「この人は2億まで回せるな」「この人は5億見れるな」もしくは「この人は100名までがギリギリかな」という所感・感覚で、器のサイズを見てきました。あながち見立ては間違っていなかったかと感じています。






そうやって時間をかけて、エネルギーをかけても、なかなかに経営者、もっと言えばトップは育たない、つまりは素養ある人をいかに見出し、ということになるのですが、大企業の数万人からセレクトしても難しいわけですので、中小零細はその導線を思っても、不可能的に見当たりにくい、という自然的な帰結になろうかと思います。





中小零細に入社してきた中に特出した傑作を見出したとしても、セブンイレブンの鈴木氏や、あるいはゴーン氏のようにゆくゆく割れてしまうことになれば、それもまた歯がゆしなのでしょう。




もしくは世を見れば多くの零細企業の後継者がおらずで、代替わりというのは非常に難しい論点かと思いますが、それをやり抜いているマイノリティな企業もあるわけでして、傍からは分からない大変さもありつつと想像し、敬意を持って頭が下がる想いです。



売却してきた事業は残り1つを数え、友が愛人と「別れたとしてもちゃんとやります」という形容もつきながら、12月1日移管に向けて各種段取りをしています。


春の草津その二へつづく

Posted at 2018/11/26 11:02:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 群馬ドライブ | 日記
2018年11月24日 イイね!

七五三 

七五三 















 A7M2 + Batis 2/25

自転車でおもちゃ屋経由ばぁば行きの予定が、少々転んで戦意喪失、






 A7M2 + Batis 2/25

一旦帰宅して、パパ自転車で再出発し、おもちゃ屋へ寄り、




 A7M2 + Batis 2/25

向かい風がプロペラを回しながらばぁばのところへ向かいました。




 EOS R + EF35mm F1.4L II USM

ばぁば宅泊、風邪のママにご飯を届けたり所用で自宅と行ったり来たりする間にカメラが増えてしまいました。






 A7M2 + Batis 2/25

だいぶトリミングして、借景の中に潜むシャボン玉がプレデターレベルで分かりません。




 A7M2 + Batis 2/25

ばぁばの家一泊二日目、お出かけです。



 A7M2 + Batis 2/25

電車の存在感のみ中井精也氏を意識して一枚。



 A7M2 + Batis 2/25

ヤフオクで買うのが最もコスパがよさそうですが、物を買うだけでなく、体験を定期購読ということで、また来てしまいました。



 A7M2 + Batis 2/25

大人であってもいきなりゴールの要求を表明したり、求めたりするものですが、



 A7M2 + Batis 2/25

我が子ながら、なかなかに思うのは、



 A7M2 + Batis 2/25

この子はゴールを意識しつつも、それが通らそうな事項であれば、いきなりゴールの要求をせず、段階的に少しずつ、まずは低い要求から行い、




 A7M2 + Batis 2/25

最終的な要求までしたたかに通していくのですが、





 A7M2 + Batis 2/25

本人のシナリオに基づいて、ゆっくり焦らずじっくりと一つひとつ要求を通し、




 A7M2 + Batis 2/25

つまりはゴールの欲求をいきなり伝えない、ということができることが特異的なのではないかと所感を持っています。これを1歳過ぎた頃から自然と始めました。




 A7M2 + Batis 2/25

マンションにも住みたい、前に住んでいた夜景が綺麗なところがいい、と1歳半前後の記憶もあり、これも親としてもおどろきますが、



 A7M2 + Batis 2/25

他方で大きな家がよく、5台は止められるところ、小さいところは嫌だ、というどこで身につくのか、豪快なあるいは男としてのなのか、感性も持つようになりましたが最近もその意見をよくぶつけてきます。




 A7M2 + Batis 2/25

今日もすれ違った同じ個体の白いFJの後ろについて宿泊先へ帰ります。





 EOS R + EF35mm F1.4L II USM

もうひと散歩。



 EOS R + EF35mm F1.4L II USM

じぃじここ座ってこんな顔して苦しそうだったんだよ、と過日心筋梗塞の現場を通り、




 EOS R + EF35mm F1.4L II USM

この翌日はお見舞いに行き、病院でラーメンとカレーをつまみ、



 EOS R + EF35mm F1.4L II USM

元気そうなじぃじに会えました。




 EOS R + EF35mm F1.4L II USM

このパン全部食べる、とお気に入りゆえ子供の大人買いですが、間を取ればことな買い。



 EOS R + EF35mm F1.4L II USM

今宵のお風呂で熱いとぬるいの中間の言葉を子供が作っていましたが、私が忘れてしまいました。



 EOS R + EF35mm F1.4L II USM

あとでじぃじにもこの景色見せたい、と


 EOS R + EF35mm F1.4L II USM

一つ目のお祝い退院へお迎えの二泊三日目。



 EOS R + EF35mm F1.4L II USM

そして七五三へ向かうため、着替えに一度自宅へ帰り、レンズも替えます。




 A7R3 + FE 24-70mm F2.8 GM SEL2470GM

じぃじもばぁばも乗るので我が家の1BOX代わりということで、FJはお休みです。




 A7R3 + FE 24-70mm F2.8 GM SEL2470GM

久しぶりの神田明神。



 A7R3 + FE 24-70mm F2.8 GM SEL2470GM

対面あたりにあった駐車場がなくなっており、神社内Pへ向かいおにぎりで腹ごしらえをしながら、しばし空くのを待ちます。







 A7R3 + FE 24-70mm F2.8 GM SEL2470GM

どうしてもこのおみくじがやりたいとのことで、やってみれば、




 EOS R + RF50mm F1.2L USM

この子にとって人生初めてのおみくじ、七五三の日に大吉に恵まれました。おめでとうございます。





 EOS R + RF50mm F1.2L USM

人生何らの努力をせずに、一度もお金に困ったこともなく、進学に就職もすべて推薦および縁故で、主婦になったあとも恵まれているほうかと思いますが、コンビニのくじ引きも勝率8割ほどで、どこに行ってもそのあとの混みだすボリュームが半端なくという引きもあるのか、そういうママの強運を受け継いだのかもしれません。





 A7R3 + FE 24-70mm F2.8 GM SEL2470GM

ママの安泰人生系を引き継いでもらい、パパの努力家も引き継いでもらいつつ波乱万丈系は引き継がずでお願いしをしたいところです。なかなかにエキサイティングであり楽しいとは思いますが。



 A7R3 + FE 24-70mm F2.8 GM SEL2470GM

じぃじも無事に退院した、本日大安に無事に七五三も行えて、二つのお祝いが重なりました。



雲が広がっていましたが、この子が七五三のときだけ青空が広がり始め、



 EOS R + RF50mm F1.2L USM

「神さまはどこにいるんだ」という質問には社の中にいると伝えれば、じゃあ見えないから悪いことしてもいいのか、との指摘に、空から見ているんだよ、と答えておきましが、雲を取っ払って見に来たのかもしれません。


 EOS R + RF50mm F1.2L USM

そしてカメラはがんばってコンデジも数えれば三機ほど持参しました。




 EOS R + RF50mm F1.2L USM

ソニーは主に動画用です。





 A7R3 + FE 24-70mm F2.8 GM SEL2470GM

開始まで20分少々待ちながら、



 A7R3 + FE 24-70mm F2.8 GM SEL2470GM

挙式をチラ見で見学させてもらい、



 EOS R + RF50mm F1.2L USM

二泊三日ばぁばの家に私と泊まりに行っていたので、三日ぶりに会うせいかママと行くと手をつなぎ、



 EOS R + RF50mm F1.2L USM

祝詞を上げて頂き、




 EOS R + RF50mm F1.2L USM

七五三を終えてきました。おめでとう。




 A7R3 + FE 24-70mm F2.8 GM SEL2470GM

今日は5:45に起きて、じぃじ退院の迎えにも行き、と疲れたのか、眠気が限界だとのことで、食事の予定は諦めて、方針転換にてばぁばとママがデパ地下へ食材を買いに行っている間、寝床に着きました。



 RX100M4

お昼を抜いたパパ達はお腹ペコペコの中になんとか自宅にたどり着いてご飯にありつけました。




 RX100M4

好物のお赤飯は昼寝後に食べるとして、



 EOS 7D2 + EF100-400mm F4.5-5.6L IS II USM

私は手持ち無沙汰な中にどうしてもこれが望遠で撮りたくなり、明日は飛行機が見たいとのリクエストをもらっているので久しぶりにこのセットも持ち出してみようかと遊び心は忘れずに、


 A7R3 + FE 24-70mm F2.8 GM SEL2470GM

もうじき5歳かと思うと、嬉しさとともに切なさも有難く増す日々です。







Posted at 2018/11/24 22:22:22 | コメント(3) | トラックバック(0) | 神社仏閣ドライブ・散歩 | 日記

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「そのうち車中泊候補地その2ぐらい。GW、いつもよりは交通量多いのかもしれませんが、渋滞もなく観光地に人出の山もなく、世相なのかもそれません。かつご年配ドライバーが多い気がして時代なのかもしれません。」
何シテル?   04/28 15:34
ドライブへ行こうです。 子供と出かけた全記録です。 よろしくお願い申し上げます。
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