というわけで地頭つけるなら車に乗れ!てんで。
いやいや、乗ってて頭が良くなるならみんな良くなってるだろ、と思うでしょ。
違うんだな。
ただ乗るだけじゃ駄目。
まあ車に乗るってことは二つの技術がまず要求されるので、一気にハードルが高くなるのも事実。
一つは自分と車の間の技術であり、もう一つは自分と他人の間の技術な訳ですよ。
だのでこれらはいったん切り離す事がベストです。
私が最初にナビを導入し、壊れて以降買い足さなかった(新車購入時ですらレスオプションで落とした)理由は、『ナビの言葉にしたがって、車の運転に集中する』ためでした。
要するにコースを考えない。コースに対する車の動きだけを理想的に追う。
これが普段の運転で、人気のない夜の山でじっくり車との会話を行ってきた訳ですね。
1年も必要なかったかと思います。車の動きやらが判るようになると、ナビが邪魔になるんで、壊れてからは地図を使っていました。
で、最終的にはこんなヒトになってたんですけどね。
練習する時もただ走ればいいってものじゃない。
自分で理解できてるところ、できてないところで疑問を一つの目標にして走り込むのです。
何故今前輪が鳴いたのか?ステアリングをもっと切り込むのか?もっと速度を落とすべきなのか?タイヤが駄目なのか?
何故タイヤはショルダーが灼けているのか?コレで正しいことなのか?
何かにおいがするが、何の匂いなのか?
オイルは適量なのか?もっと入れて良いのか?少ない方が性能は良いのか?
スタッドレスタイヤはドライ路面で使えるのか?
このステアリングの感触はどこからくるのか?
右足前ぐらいから音がする。何の音なのか?
疑問一つ一つを仮説へ変えて、原因を追及し、試して確認し、飲み込む。
繰り返し経験を貯めていくと、具体的な部分が自分の中で十二分に蓄積され、仮説の精度が上がっていきます。
何の音?→くぐもっているから外、堅い音だけど何かに吸音されてる感じがするからブッシュの向こうの音、多分足かな?
何の音?→金属的な音?→近いな、この音はマグネチックの音だからリレー?
のような感じでしょうか。
出来た仮説は追求し、仮説=真理になるまで繰り返すのです。
そのうち入力から仮説≒真理になり、きっちり判ってくるようになります。
私のドライビングの理想は何も考えずに、まるで体のように車を操ること。
入力されてくる情報を無意識で処理するために、条件反射を鍛えるという繰り返しを行います。
そのためどうしても、上記のような『音』や『現象』を判断しなければならなかったのです。
で、特定の危険な因子に対してだけ頭で判断するようにしようとしたわけです。
それは故障の兆候だし、車が限界を超える瞬間でもあるわけです。
そしてそれらがほぼ無意識で処理できる中でようやく他者との間の技術に入ろうとしました。
たとえばとある音が自分の経験した事のない初の音だとします。
それはどこから来ているかはすぐに判ります。
なので、自分の車かどうかを判断し『他からの音』と仮説が立てられた瞬間、方向と自車の位置関係を確認します。
見えていなくても聞こえていれば、それを「避けられる」かどうか判断し、避けようとするか否かを考察すればいいのです。
だので車が無意識レベルで自在に動く必要が有るんですね、ソコに至るまでに。
行き着いた時には、時速60km以下の世界であれば何が起きても何も起きないと自負できました。
そのくらい車を仕立てて掌握できていたということに他ならないのですが。
当然、自分の目と耳に入力され、ステアリングからの感触と腰に伝わる感覚が何者かを理解できていたということになります。
そこまでいけば、オイル交換の効果やタイヤのインプレッションもできるだろうと。
というのがビートに乗る前までの私です。
もちろんそれらはビートにも応用は出来ますが、まあ如何せん違いすぎる車故に、1年じゃ理解に及ばず、2年でどうにか見えたところもあるんですが……まあまだ限界を試していないのでどうにも。
こうすることで、『何』という事実に対して『何か』の解答をほぼ得ることができるようになるという考え方や手法というのは単に普通の化学実験と同じです。
それが事実である、という根拠は私はモノに頼っていますが。
これが誰もに揺るがない真実ですよ。
見て触れて判る。
言葉以外の全てで理解できる、これが私の求めるものなんです。
そして確実ですよね。少なくとも見ている瞬間は。
だので、たとえば車に乗っている時に入力されてくる情報は2秒以下しか有効期限がありません。
それ以上は有効ではない、既に過去の古い情報となります。
能動防衛運転とは、有る瞬間の時間安全を確保することが概念的に定まっていると言うことです。
ソレを理解した上で運動性能の高い、整備済みの車にのれば事故はない。
当たり前ですが……期限切れの情報を元に走ることをしない、ということもあげられるでしょう。
その根拠は?『見れば判る』モノに預けましょう。
どう見たって誰もいない隣の車線。
2秒後にはソコに割り込んでこようとする車がいるかもしれない。
2秒以内には後ろから追いつかれるかも知れない。
2秒すれば合流車線が現れるかも知れない。
あと数秒もしないうちに消失する路線かも知れない。
そしていきなり隕石が降ってきたとして、それは何秒の猶予があるか?
突然地面から壊れることが有ったとしても、前兆がないならば2秒は大丈夫と私は踏んでいるのです。
このように、車を運転するということは私にとってはリアルに頭を鍛える活動に他ならない、と言えるわけです。
最近は自己位置をスマホで入手して、様々な判断材料に対する解答を用意できるのでより『安心』を得られますけど……それをナビとして使うと逆に安心できませんね。
ナビをほしがるヒトの頭が私には理解できない、と言うべきでしょうか。
まあそれでも迷子からの脱出はナビでいきますけどね。
それが最短になることが多いので。
というわけで、車に乗り、ドライブし、自分で整備すれば地頭は必ず鍛えられる。
そう信じているのです。
そうそう、蛇足ですが『地頭力』っておかしな単語ですね。
頭が頭痛みたいな意味がある気がします。まあ、地頭って謎の単語なんでこういう言葉を生んでも仕方がないのかも知れませんね。