
本題に入る前に、日産とスカイラインの歴史について書かなくてはなりません。
話は80年代前半に遡ります。
DR30スカイラインが出た時、史上最強と日産自らが臆面もなく宣言した。
排ガス規制でパワーがなくり、スポーツカーには冬の時代が長かったから、それを抜けた喜びもあったかも知れない。
確かにあのスカイラインは凄かった。黒と赤のツートン。金色のステッカーでRS-TURBOと張ってあるのがイカしてた。
高額な車であり、まだ十代でこれから免許を取る世代に買えるはずもない。
車談義で名が上がり、Zやセリカと比べて『俺は○○に乗りたい!』と憧れを語っていた。それはそれで楽しくはあった。
やがて『柔らかい都市工学』というハイソカー路線で85年に出てきた7th。
日産の悪い癖が出てしまい、ハイソカーブームに乗ってしまった。セリカをライバルにしていたのに、マーク2に目を向けてしまったのだ。
スカイラインには思い入れを抱いている人は少なくない。誰もそんな路線を望んではいないのに…。
新型RBエンジンも期待を裏切る凡庸さだった。
日産は、その市場の反応に慌てたに違いない。年をが改まって出てきた2ドアクーペは、スポーティムードを携えていた。新アイテムのGTオートスポイラーが、走り好きを魅了した。
『やはりスカイラインはこうでなきゃ!』と、ファンは思ったに違いない。
この後、日産は我々の予想を超えた変化を始める。
翌87年には、セドリックグロリアがFMC。その垢抜けたスタイルに度肝を抜かれた。トヨタの後追いをやめたのだ。
今までダサいイメージがあった日産が、イモムシから美しい蝶へと生まれ変わったかの如く…。
これ以降、出る車は次々ヒットした。
7thスカイラインもマイチェンでGTS-Rを追加。この車が次期GT-Rの布石であることは、まだ皆知らなかった。
88年に登場したセフィーロは、翌年出る32スカイラインへの期待を膨らませた。
セフィーロがあれだけ良いのだから、7th登場のような【ガッカリ】はないはずと…。
(続きます)
※今日はブログをもう一個書くかも・・・。

Posted at 2008/07/13 16:27:45 | |
トラックバック(0) |
GT-R | モブログ