
2016年8月16日、お陰様で40歳の誕生日を無事迎える事が出来ました。
家族と沖縄への旅行期間中、とっても幸せな時間です。
FBへのメッセージ等も含めて本当に皆様からのお言葉に接し嬉しさを増幅させてます。
(全部目を通しておりますがお返事には少しお時間をください)
特にこの10年はアジアを主戦としたレース活動と”ワンスマ”となったレッスン事業が澤圭太の代名詞となる位となり、自分の心身を成長させてくれたと自信を持って言えます。
良く私は”レーシングドライバーっぽくない!?”って言われます。
多分、いい意味で言って下さったいると思うので凄く嬉しく前向きに捉えています。
レッスンを技術者として磨く事、ビジネスのしくみ作りとして磨く事、またそれらの話をしている時、夢の話をしている時、何かの問題に直面している時の捉え方や向き合い方・・・
歳を重ねて自分なりにまだまだ技術もメンタルも成長しているのかな?と感じる時がまだあります。
正直言って自分のドライバーとしてプロ度合、瞬間的な速さは20代の頃は自分でもイケてると思ってましたが今は落ち着きました(笑)
決して世界級、日本の超トップ級の速さはもう無いと思いますがそれをカバーする部分が自分の今の魅力を活かす事だとも思います。
だからまだ成長していて、衰えを感じているのは絶対的な体力とリカバリー力だけ(笑)
この10年の念願だったル・マン出場を達成し、次の夢への準備が始まろうとしてます。
夢を実現させる力を実感体感した経験は何事にも変えがたく、この効果はきっと自分の中で感じている”今”から波及して段々外へと影響していくとも思います。
澤圭太のような決して1流ではないDriverが何故世界3大レースの1つと言えるLe Mans 24へ出場し予選でクラスPPを獲得出来るようなチームに在籍し、初参加ながら大きなミスなく、またチームもノートラブルで結果クラス4位完走を果たせたのか?
ここまで取り組んできたこと、考え方、手法、成功のコツ、失敗例などを振り返って形として残したいと思ってます。
自分の大好きな”いきものがかり”の『心の花を咲かせよう』にある一節。
”多くを語らず自らその先を見据えていく、一瞬迷うけど必ず道がある、届かない様なゴールなんてない・・・眠れない1人の夜巡る思考回路は悟る『今の自分で間違いない』ってさ~”
それを信じてきて今まで来ました。
でも、沖縄に初めて来てみてレンタカーで走ってみると如何に普段せかせか運転し時間に追われてイライラしているか?沖縄独特の時間が交通事情にも流れている中で”環境が変わったら環境にアジャストせよ!”と人には言っておきながら・・・良く自分が解る(苦笑)
先の戦争で唯一の地上戦を味わった沖縄。
琉球の国だったのに薩摩藩に攻められて日本になって、戦争で負けてアメリカになって、また国の都合で日本に戻って、でも基地だけ残されて・・・
道だって左通行になったり右通行になったり、紙幣も変わって・・・周りに都合に翻弄され続けてしまった島人(しまんちゅ)たちは酒(泡盛)を呑んで、島唄を歌い、仲間同士で踊り、まだサトウキビ畑の下に見つけられないまま眠っている先祖を思って夜を明かす・・・そんな事で自分たちの運命を受け入れ文化としてそれが形成され、人々の独特のメンタリティが構築されてきたのでしょう。
日本である事を嫌う人と日本でない(ような雰囲気だ)と言う事を嫌う人。
世代によって沖縄にも色々と居るそうです。
基地の存在を肯定すつ人と否定する人が同じ社内や家族に居てしまう事も沖縄を難しくしているのでしょう。
40歳になった今、”人生ほぼ折り返し地点”です。
終戦記念日やお盆に絡んだ日程で来た沖縄だからこそ感じる部分かも?ですが人がよく言う”沖縄の魅力”を少し感じれた今だからこそ。
自分らしい魅力や武器に更に磨きを掛けて”オーラーを消しているオーラが出ている”ようなここからの10年への戦いに既に気持ちは備えています。
これからはより人の為に自分の経験を形にする事を意識して行きます。
その結果の10年後、50歳の澤圭太が実は今から凄く楽しみな自分。
もっと色気のある俳優:佐藤浩市みたいな男性になっているとイイんですけど(笑)
実は”あるべき澤圭太像を演じているだけ”、生身はしょうもない40歳のおっさんだと思いますが、今後共澤圭太もワンスマも私が愛する周りの人たちも、是非ご愛顧&御支持のほど、今後共宜しくお願いいたします。
改めて、全ての皆さんに感謝申し上げます。 (8月17日 澤圭太)
Posted at 2016/08/17 10:40:35 | |
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