●
マスコミの「匿名発表に異論」は傲慢? 「19人刺殺」犠牲者めぐり論議
相模原市の障害者施設で発生した大量殺傷事件に関し,神奈川県警は,被害者の家族が公表しないでほしいとの思いを持っていることを理由に被害者の氏名を公表しない方針を明らかにしました。
この点を巡って,報道機関の側が「事件の重みを伝えられなくなる。」と批判する一方で,そのような報道機関側の意見を傲慢であると評する意見も出ているようですが,この問題は,犯罪被害者のプライバシーという利益と,報道機関の言論・報道の自由という利益が対立する場面において,どちらを重視すべきなのか,どのように2つの利益を調整するのかが問われているものといえます。
被害者の氏名発表は犯罪報道の公益性に基づくと言えるのか?
民主主義国家においてより良い社会を実現していくためには,正確な情報の流通が不可欠であり,報道機関はその重要な役割を担っています。
報道機関の言論・報道の自由は,まさにその公益的使命を果たすために確保されるべき利益であり,犯罪報道の自由もそこに含まれます。
事件が重大であればあるほど社会の関心は高くなり,公共性が高まるといえますので,今回のような大量殺傷事件を報道する公共の利益(公益)の高さは当然に理解されるところです。
しかしながら,本件で考えなくてはならないのは,「被害者の氏名」を公表すべき公益があるのかという点です。
犯罪報道の公益性について,そこで提供される情報をもとに現在の犯罪対策や刑事司法制度等を検証すること繋がるという点にあることは理解できるのですが,「被害者の氏名」を公表することがそういった利益に繋がるといえるのでしょうか。
被害者の氏名公表は差し控えるべきではないか
被害の重大さや悲惨さを伝えるために,被害者がどのような人物なのか,どのような人生を歩んできたのかといった情報も必要であり,そのような情報を入手するためには,被害者の実名を知った上で,関係者に取材をする途を開く必要があるとの意見もありますが,これに対しては,そうであれば,最終的に必要な情報は,「被害者がどのような人物なのか,どのような人生を歩んできたのかといった情報」であって「被害者の氏名」ではないし,ましてや報道機関がこれを公表する利益もないとの反論が考えられるでしょう。
今回の事件の被害者が障害者であるため,家族の心情に理解を示して,健常者の場合とは異なる扱いをした警察の姿勢に賛同する声もあるようですが,個人的には,被害者が健常者であろうがなかろうが,「被害者の氏名」の公表は差し控えるべきものと考えています。
(田沢 剛/弁護士)
ーーーーーーーーーー
なんで被害者の氏名が要るんだ。被害者だよ?被害を受けた側だよ?それを知る必要って何?
何処其処の誰其さんが殺されました、それを報じてどうしたいの?
全ては自分達が「ウケる」為。被害者の為じゃない。
被害者の事を思うなら逆にそっとしておくべき。無理してほじくりだす必要は無い。
>被害者がどのような人物なのか,どのような人生を歩んできたのかといった情報
私はそれも要らないと思います。
どうして彼等は重複障害者になったかなんて必要ですか?
重複障害者にならなければ殺されなかった、そう言いたいのですか?
被害者の氏名をどうしても知りたいなんて遺族以外におります?
遺族なら警察なり何処からか知らせる筈で。
世間が欲しているからとか思ってません?、なら良い様に利用されてますな我々は。
何処の誰なんて知りたい人そんなに居ます?、知りたいのは加害者では?
被害者は我々に何もしませんものね。知っておかなきゃならんのは危ない方。
吊るされてこの世から消えるならいいですが何年かでシャバに。
仮に、あの場所って事は知り合いかも、て場合。
それでも貴方は単なる知り合いで遺族ではないです。
兎に角、性急に知りたい人なんてそうそう居ない(筈)。
それをさも、世間は知りたがっているなんて言い訳して。
人の所為にすんじゃねえですわよ、自分等が知りたい「だけ」のくせに。
そう、知りたいだけなんですよ。報道の意義なんて存在しない。
Posted at 2016/08/04 00:52:52 | |
気持ち悪い | 日記