ちなみに、8000m級以上クラスの山は地球上に14地点存在します。K2とか、ナンガ・パルバート
などがそうです。このアンナプルナは、北側ルートは、雪崩が多く、南側は巨大な垂直岩壁と
成っていて、容易く登れる構造ではありません。この山に人類初の挑戦を行ったのは、フランスの
登山チームで、『モーリス・エルゾーク』と『ルイ・ラシュナル』ガイド2名のガストン・レビュファ、
リヨネル・テレイ、映画監督のマルセル・イシャック、医師のジャック・ウド、補給支援担当の
フランシス・ド・ノワイエル、ジャン・クジー、マンセル・シャッツのメンバーでした。
この登山が成功した条件として、当時は登山服と言えば天然素材のモノしか無くて、雨雪で
濡れたり、自分の汗で濡れると非常に体温を奪ってしまう素材ばかりでしたが、1935年に
デュポン社がナイロンを開発したことによって、過去の登山の常識を覆す、『軽装速攻主義』
(山をナメたウマシカ装備)でチャレンジしたのですΣ(・ω・;|||
この時のリーダーを務めたのはモーリス・エルゾークなのですが、彼は大学卒業と共に
レジスタンス活動にのめり込み、アルペン猟兵第27アルペン猟兵大隊第2中隊長/大尉
第5半旅団一員として、1944-1945冬季アルプス方面戦闘に参加した経歴があります。
冬のアルプスで戦争ごっこをやった方ですから、それなりに癖のあるお方です(´‐ω‐)=з
この時のアンナプルナについては、『処女峰アンナプルナ-最初の8000m峰登頂』と、言う
モーリス自著の本が出版されていますが、ここに書かれている内容については、他の
仲間からは、空想的な広報活動と言われ、実娘のフェリシテ・エルゾークからは、自らの
想像の産物に基づいた小説であると指摘されています。この登山が過酷な登山であった
のを証明するのは、モーリスは山頂付近で手袋を無くし、下山中には酷い嵐に見舞われて、
クレバスの中でビバークするも、第2ベースキャンプより凍傷で自歩困難となり、
ソリを使って移動、後にポーターに背負われてモンスーンの激雨の中、撤退しました。
ルイ・ラシュナルは、10本の指を失い、モーリスは手足全ての指を失いました。
モーリスが自著の最後のページに綴った
言葉は有名であり、『人生には他のアンナプルナがある。』
因みにこの登山を決行した時代には興奮剤として、合法的にマキシトン(アンフェタミン)が
携行されており、遠征で起きたことやモーリス・エルゾークの果たした役割など、同行した
ルイ・ラシュナルの手記では、異なる記述となっている。
アンナプルナには多くの方がチャレンジしてますが、生存して帰還した方は、191人であり、
61柱以上がその地に眠ってます(ノ_-。)
1964年には京都大学登山隊が南峰初登頂し、1979年に静岡山岳連盟 田中成三さんが
ダッチ・リブより無酸素補給登山成功してます。
1985年にはイタリアの登山家で、世界14峰無酸素補給登山で有名なラインホルト・メスナー
が完全登頂しております。
豊穣の女神さまに、豆苗が良く育つようにお願いに行くのは、おっちゃんにはほんの少しだけ、
無理がある様です(≧∇≦)ノ彡
ピッケル持ったら何処でも登れると思う寝言は、寝て言いましょうwww