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Nuk-P@RailStarのブログ一覧

2021年02月28日 イイね!

リフレッシュ。

リフレッシュ。相変わらずの週休1日状態で、みんカラブログとは縁遠い生活が続いています。

基本的には週6日、好きなことに好きなだけのめり込んでいるので(笑)、私自身は疲労感をさほど自覚していません。でも、無意識のうちに心身のストレスを溜めてしまわないように、また、知らないうちに運転に対する興味や関心が薄れてしまわないように、日曜の早朝の時間帯に、純粋なドライブの機会を設けることを心掛けています。

もっとも、実現には幾つかのハードルがあり・・・
まず、天候が悪いと運転に神経を使ってしまうし、走行後の汚れの後始末も週休1日では頭の痛いところ^^;。また、午前中に家族の予定が入っていると、思い切って足を延ばすわけにもいきません。そしてなにより、自身の気力や体力が充実していないと、早起きすることが難しいし、強引に思い腰を上げても楽しいドライブにはなり得ないのです。

そんな案配なので、首尾よく出掛けられるのはせいぜい月1回か2回。とくに今冬は雪や雨に阻まれる日曜日が多く、底冷えする夜道をワクワクしながら走り始める機会は、ほんの数回しか巡ってきませんでした。

そんな数少ない早朝ドライブに毎回登板させているのが、我が家の一年生のMazda3
外出自粛モードに阻まれ、まともに納車ドライブに繰り出せなかった不運もあり、11ヶ月間で走行は僅か3,900kmと、マイレージの低迷度は歴代マイカーで断トツ。手厚く迎え入れたにもかかわらず、掌中に収めた感覚にまだ乏しく、濃密な対話の積み重ねが急務となっているのです。
ま、新鮮さが失われていない点は喜ばしいのですけど^^;。

今朝は5時40分に周南市の自宅を出発し、山間の三桁国道をひたすら北進。早々に県境を跨いで島根県に入り、山陰の益田市郊外で折り返し。結局、瀬戸内の沿岸部から日本海の一歩手前まで、中国山地をほぼ縦断したカタチですね。
ちなみに帰着は8時半過ぎ。同居の家族や近居の母に私の不在を気付かれないギリギリの線でした^^;。ここも私にとっては重要なポイントです。

さてその3時間の旅。
道中、崖崩れの交互通行区間で、真っ暗な中、3分間も孤独で静寂な信号待ちを強いられたのには参りましたが(笑)、基本的には中央線がしっかり存在する三桁国道ばかりだったので、1.8mの車幅がネックになるシーンも皆無で、ドライブ自体は大変快適なものでした。
燃費に関しても、ワインディング区間ではわりと遠慮せず踏んでいたものの、全行程(約170km)を通じて信号機の少なさが効いたのか、トータルで19km/L超と優秀な結果でした。印象的だったのは、高地の平坦路巡航で27km/L台の数値をしぶとくキープした健闘ぶり。過去、21~22km/L台で頭打ち感があったSKYACTIV-Xの新たな側面を見た気がしました。

惜しむらくは、沿道に3~4箇所あった道の駅がどこも開店前の時間帯だったこと。家族にお土産ひとつ買って帰れませんでしたからね^^;。

ともあれ、新年5つ目のこのブログで、全マイカーの写真をひと通り載せることができました。
今年いっぱい、更新の頻度アップは望めない状況なので、整備手帳と燃費記録を中心にボチボチやっていきたいと思います(^^)。
Posted at 2021/03/01 07:11:00 | コメント(2) | トラックバック(0) | 隠れ家のMazda3 | 日記
2021年02月13日 イイね!

愛車と出会って21年!

愛車と出会って21年!2月6日で愛車と出会って21年になりました!
21年前の愛車との出会いを振り返ります!
 (↑勝手に改ざん 笑)

■愛車のイイね!数(2021年02月13日時点)
1045イイね!
(皆さん、ありがとうございます)

■愛車に一言

とても一言では言い尽くせませんが^^;、この真っ赤なⅤ型FDを迎え入れた頃を思い返してみます。

ロータリーエンジン車の存続に少しでも貢献したい!との一途な思いから、半ば衝動的にアンフィニRX-7を新車購入したのが1997年の1月。今から24年前、私がまだ20代(!)の出来事でした。
自身初のRE車となったシルバーのⅣ型FDが納車された瞬間の感動は今でも忘れられませんが、世界でただ1台の市販RE車をリアルに所有できた悦びは、その後も衰えるどころか逆に激しくエスカレート。美しい外観を眺めて静かに悦に入るもよし、サーキットで高次元の運動性能を心ゆくまで満喫するもよし、同志の仲間たちと其々の思いを語り合うもよし。私にとって初めてのFR車でもあり、初めてのスポーツカーでもあったRX-7との距離感は瞬く間に解消し、これまでのマイカーにはない特別な蜜月関係が築かれていきました。

そんな中で1998年の12月、REの開発継続が大いに不安視されていたマツダから、まさかの大幅改良モデルが発表されたのです。自主規制枠いっぱいの280psまでパワーアップし、限界走行時の冷却性や安定性を一段と高めたⅤ型FDでした。
まさに起死回生。このまま消え行く運命にも思えていたREに一筋の光が射した瞬間、私は2年前の正月、お気に入りのランティスクーペを突如放出した蛮行がやっと報われた思いがしたものです。でも、ホッと安堵するどころか、そこから沸き上がってきたものは、こうして絶体絶命の状況下にもかからわず進化したRX-7を世に問うたマツダの勇気や心意気に対し、しっかりレスポンスを返さねばというピュアな思い。ましてや最新のRX-7は、私のようなスポーツ走行ユーザーのための改良を満載しているではありませんか。

こうして2000年の1月、6万キロを走破したⅣ型FDが初車検を迎えるタイミングで、私は2台目のRX-7に乗り換える決意をしたのです。
裕に30歳を過ぎたのにボディ色をシブい銀から派手な赤に変えたのは、自らのREへの思いやⅤ型FDの高性能をサーキットという舞台で強くアピールしたかったのと・・・真紅のランティスに乗り込む際の気持ちの高揚感がいつまでも忘れられなかったから。

その後、2000年式のⅤ型FDは結婚、子供の誕生、そして引越しと、私の生活ステージの変化にも辛抱強く付き合い続け、早21年が経過しました。
その間、JSPC観戦に明け暮れた青春時代を再現したい私の我儘をボディ全体で少しずつ受け止めながら(笑)、後継のRE車となったRX-8の誕生とその最期を見届け、世界のファンを驚かせたRX-VISIONの旋風を感じ、独自の電動化技術としての新たなREの活路を風の便りに聞き、2021年の現在に至ります。

マイカー歴33年のうち、実に24年間がRE車を含むカーライフで、もはやRX-7が車庫にいなかった時代が思い出せないほど。自身にとっても家族にとっても、赤CHARGE号は当たり前の存在となっています。
幸いにも4年前からは密閉式の空間で保管できる環境にありつけましたが、かといって床の間の飾りにするつもりは全くありません。その奇抜な外観を眺めている時、タイトな運転席に(ヨッコラショと)収まった時、そしてREの鼓動を感じながら走らせる時、いつの時代の私にも簡単に戻れる世界一のタイムマシンとして、これからもMyガレージの主役の座を張り続けてもらいたいと、私は心から願っています(^^)。

>>愛車プロフィールはこちら
Posted at 2021/02/13 15:31:22 | コメント(3) | トラックバック(0) | 隠れ家のみんカラ | 日記

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小学生の時代に到来したスーパーカーブームがほぼ終わりかけた頃、極めて身近な存在だった国産車、とりわけ強烈な個性が滲み出る'50s~'60sの旧車に強い興味を持っ...
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