現地で休日は2回の日曜日に恵まれました。1回目の休日は大連の中心地(便宜上旧市街)を目指します先任者から聞いていた通り開発区駅から快軌鉄道で30分ほど、料金は4元なので66円程度になります。同時期に出張で来た4名で大連旧市街に向いましたが全然予備知識も無く出かけたので勝利広場の地下街で類似品のお店を冷やかしたくらいで午後には開発区に戻ってしまいました。
昼過ぎに解散して午後は一人で開発区を散策しましたが言葉という壁を感じて「ガイコク」に放り込まれると何もできないことに少々戸惑いました。
昼食は一人で日本料理街のお店で頂きましたが味噌ラーメンにチャーシューをトッピングするのに一苦労、でもお店の方とGoogle翻訳でコミュニケーションをとることができて少し楽しめました。言語って大切ですね。
翌日、日方隊長さんに「休日はどうでした?」と休みの顛末を聞かれて「なんだかわからずに終わってしまいました」と答えたところ「観光ならねGoogleマップで通りの位置関係を把握して歩けばいいんですよ、食べたいものあったら指差せば大丈夫」とアドバイス頂き、次の休みはこれに基づいて冒険することに…単独行動なら誰にも迷惑かからないのでその方向で密かに準備しました。
今回は故障したNIKON1は留守番、大スポからCANON G7Xmk2を借りてきました。このカメラは秋口、かねてから高倍率コンデジを使っていたもののピンボケが多いと不満をもらしていた大スポに「高くてもちゃんとしたもの買った方が安い」とアドバイスしたところ「じゃあ選んできて」と一任されて購入したカメラです。NIKON1で使い慣れた1インチセンサーと明るいF1.8-F2.8のレンズ。高画質化と引き換えに高倍率ズームは捨てました。これまでのが経験上24mm-100mmできれいに撮れた方が歩留まり無く行動できると思いチョイスしたしだいです。まさか借りることになるとは…でした。
2回目の日曜日、朝7時前に宿を出て大連へ向かいました。ようやく上野駅に通ずる設計の大連駅にご対面、緑色のセダンは現地のタクシー、5M/Tを駆使した神業な運転が光ります。ブレーキの前にクラクション!乗り物酔いする方にはお勧めできませんが(笑)
大連駅の外から構内を覗いてみると高速鉄道とトワイライトエクスプレスの様な深緑の客車…長距離列車ですね。北京から800km前後、高速鉄道で5時間、寝台列車で11時間とのことです。日本では絶滅した寝台列車が中国では健在です。
街を走るトラムと大連駅のスナップ
石作の旧い建物、木漏れ日が足元を照らします、異国の街を見ながらロシア風情街を目指します。
ロシア風情街というけれどロシア人はとうの昔にいないそうです。ロシア租借地時代の名残で旧い情緒あふれる建物が残っています。通りにはロシア土産の屋台が並びロシア風情とちょっと違う雰囲気を見せます。ボロボロの公衆トイレに閉口しました。
ロシア風情街に渡る橋の上から車両整備場を眺めます、上野駅でいえば尾久の様な存在でしょうか。大型のDLは入替作業で客車をやりくりしていました。
それにしても大陸の列車は大きく感じます。
ELが脇の線路を通過、車庫に向かうようです。
ここからトラムに乗って海辺の公園を目指します。
横断歩道に信号もあるけれど、合間に渡り始める人の多いこと…。
201系統になります。綺麗な最新のトラム、1元コインを放り込んで乗ります。
言葉も分らないところでの不要のトラブルを避けるため、小銭は準備しておきます。ちなみに201系統は旧いトラムが多く走るそうですが今回は縁が無く新型しか乗れませんでした。
太平洋の見渡せる海辺の公園、大連東方水城。実は年賀状用にきれいな写真でもと思って来てみたのですが…オフシーズンのためか東洋のベニスの水は抜かれてましたorz
人はいないので落ち着いて写真は撮りやすいけど…。
ここで重要なことに気が付きました、中国にいるのに「ロシア」と「イタリア」の風景を撮りにきているということに…今度は近場のバス停から大連駅まで戻り昼食後に星海公園に行くことにしました。
バスも行き先がよくわからず2本乗り逃し…ようやく大連に戻ってきました。
バスの道中、日本統治時代の建物を見ることもできました。荘厳な作りに目を奪われましたがバスの中でカメラもオフでしたので写真はとれませんでした。
駅近くには吉野家もマクドナルドもあるのですが…やはり地元(とはいえ観光客相手のお店なのでちょっと高め)の中華屋さんに入ってみることに。店頭写真は撮り忘れました(汗)
牛肉と青菜の入った麺、昨夜食べた水餃子が忘れられずここでも水餃子を注文…と、メニュー写真とカタコトの漢字(?)から物をイメージします。メニュー冊子を指差して注文したのですが、おばさんが注文とった時に聞きなおしてきたので「これとこれ」って念押ししました。厨房の方で笑いながら話していたのでちょっと感じ悪かったのですが…その理由はすぐあきらかに。
着席時に振る舞われたジャスミン茶と牛肉と青菜の麺…昨今の味の強い日本のラーメンよりも優しい感じでした、これもなかなかのボリューム。さて水餃子登場。
何人前よ?という具合ですが、こちらでは皿料理をシェアして食べるのが普通…とうことで訪れた日本人は一人で食うといいはるわけです。そりゃ、耳を疑いますね。
皮がもちもちで美味しかったです、辣油もね、うまいんです。
とはいえこれ完食した後お会計の時におばさんがコミュニケーションとってきました。
Google翻訳でお話したら「どこから来たの」っていうだけでしたが「日本の東京」って言ってみたら笑顔で「気を付けてねー」と見送ってくれました。まぁ、食習慣にも知らずに必死に食べている姿が面白かったんだろうな。ここで気付いたのが双方がコミュニケーションをとりたいと思い、翻訳ロスを許せる時にGoogle翻訳は役立ちました。逆に通りすがりやら、忙しい人をつかまえてのコミュニケーションとなると相手の時間を奪うわけでコミュニケーションの場の雰囲気も変わるようです。
さて午後は201系統を逆方向に行き途中で202系統に乗換えます。
星海広場へ…途中大きな解体工事現場前を通りました、旧いものを捨てどんどん発展して行く中国の勢いを感じましたが、風景が近代化してしまうのはどの国も同じようでちょっと寂しいものがります。
冬の陽の傾きは早いです。海辺の公園に到着。
海辺の広場ではかもめの餌やりとこのかもめバックに写真を撮る店(?)がありました。
西日に照らされたかもめたちのシルエット写真、奥の橋は浜海大道という横断橋、同僚の方はこの橋を渡って旅順~二〇三高地へ行ったそうです。あいにくの天候で壮大な景観は拝めなかったとか。
逆光の妙、人影がシルエットで「場の雰囲気」を見せてくれます。
出張最後の休日は良い天候で楽しかったです。
一人で気楽な小冒険はここまで、夕方には後任との歓送迎会が行われるので開発区に戻ります。
この星海広場、公園は夜のライトアップが有名だそうです、暗くなるまで待てずに撤収。
歩き疲れてしまったので電停まで行かず近隣のホテル前でタクシーを捕まえて大連駅まで…
ここでもiphoneが活躍、Google翻訳で大連駅と入力して画面に大映しして提示すると運転手さんは大きくうなずいてこれまた昭和の走り屋よろしく駅まで乗っけてくれました。
明日には帰国だったので釣銭の小銭は受け取らずに降車、小さな冒険は無事終了しました。
帰国の朝は同僚の出勤を見送り、その後、日本料理街へスナップを撮りに…。
毎晩美味しい時間を過ごさせていただきました。
来た時と同じ黒いティアナで大連周水子空港へ、ここでタクシーの運ちゃんに頼んで1枚撮らせてもらいました。
出国時の検査は時間がかかりました。中に入り空港待合席で同僚の方に売店で買った青島ビールを差し出し小さな祝杯をあげました。これまで縁が無くこの仕事で初めてご一緒させてもらいました。とても感謝しつつ機会があればまた飲みましょうと約束。数時間で機上の人です。
最新のハイテク機はカーテンも無く驚きました、ボタンで電気的に窓のサンシェード効果を出してるようです。
翼よあれが富士山だ…。
成田空港から成田エクスプレスで都内に帰ります。
外国帰りのわりにソバ食べたいとか米食べたいとか無い不思議な感覚でした。ちょっとした安心感日常への社会復帰にかまえる気持ちが入交る帰国となりました。
気づけば勤続30年、ちょっとした節目の出張となりました。