先日セラの前身AXV-IIの展示ラスト週末という事で見にトヨタ博物館に行ったら、偶然デビュー30周年という事でセラのオフ会していました。
40台近いセラが並ぶ姿は壮観でした、いずれ未来の何時かにブログで書く予定です。
そんな根強い人気車種とは程遠い存在なぺけきゅうもといX-90、タイトル通りこの10/16で
デビュー25周年
迎えました。
当然盛大なオフ会やお祭りも無く、寂しい限りですが折角なので某wi〇i等にも書かれていないX-90に関するちょっとしたマニアックなお話を。
ちょっと長くなりますのでご了承を。
1・販売台数
未来永劫もう同コンセプトのお車が出る気がしない、
「ほぼクロカンに近いラダーフレームシャーシをもつTバールーフオープン2シーターSUVクーペ」
と言う謎過ぎるコンセプトで登場したX-90。
最初に世に出たのは1993年の東京モーターショー
初代ワゴンR等と同時に発表されました。
変なフォグ付きバンパーとリアウイング以外は市販状態そのもの。
時々勘違いされますが完全にこの手のキワモノが市販されることが多かったバブル期とは完全に外れた時期で、バブル崩壊が始まったのが1991年、コンセプトモデル事態の開発は始まっていたと思いますが、経済は急降下中のモーターショーで発表したお車。
なのにショーで人気が有ったからと市販化を英断?
海外では1994年、日本では1995年に市販スタート、何故ゴーサインが出た?
コンセプト時代のX-90は現存していないと思いますが、丁度先日先に上げたトヨ博で見たAXV-IIで少しヒントが見えた気が。
1987年に発表されたこのお車のサイドやリアウインドウ、市販車のセラとそっくり。
そう思ってよくよく見たら既にトヨタのロゴマークが入り、合わせガラスでもう製作されています。
という事はこの部分は恐らくセラと全く同じと思われます=もう金型が製作済み。
一方でヘッドライトやブレーキランプには一切の刻印が無く、黒の縁取りなどはどう見ても塗装で手作り感満点。
実際この部分はセラには流用されず。
外装があれだけ専用設計の塊のX-90ももうコンセプト時代で金型を作ってしまった部品が有り後に戻る事が出来ず市販してしまった?何てこれを見てそう思ってしまいました?
しかし結果は日本の市販車市場でもワーストTOP20に間違いなく入る僅か
1,348台
と言う散々たる結果、少し話題逸れてましたが本題。
この1,348台が如何に散々たる結果だったか判るのが以下のリスト。
ネットやwikiの情報を元に日本の大手メーカーのワースト市販車台数を調べてリスト化したもの。
情報出てこなかった車種も多く不正確だとは思います、バイオレットリベルタ(僅か1年生産)や7代目フロンテ(僅か5か月生産)が気に成る・・。
こうして並べると意外や25位とそこまで酷くない?っと思われがちですが様々なフィルターを掛けるともはやダントツに酷いと言えるのです。
限定車は当然最初からその台数で割り切ってのコスト計算。
ハイパーミニ、ディグニティやメガクルーザーは完全に特殊な車両、一般人が買う目的の車では無い。
アルティスやキャラはOEMなのでそもそも元車有っての本体、存在感が薄い、似たようなものでユーノス100は販売店違いの姉妹車、売れる要素ゼロ。
S500、2000GT、コスモスポーツ、初代シルビア等黎明期、1970年代までのお車は日本の自動車メーカーの挑戦の証、生産台数が少ないのも納得出来る車ばかり。
っと以上のフィルター掛けただけでもう一気に3位に(爆)。
もはや似たり寄ったりの生産台数、ですがここでも気が付くのはTOP3もはやディーラーも撃滅し撤退カウントダウン時代のいすゞ車。
更にプラウディアは価格帯も全く違う上に、生産期間も短くもはや重役用。
因みにX-90は136万円ともはや今で言ったら軽四レベル(爆)。
この事からも完全に赤字大出血、日本の自動車史に残るレベルの売れなさ(苦笑)。
またここで笑えないのが販売台数近いビークロスは半分限定車的なもの、ボディパネルの金型の加減でこの台数を目標に生産したらしいのでそれよりも少ないって・・。
初代インサイトは、まぁあれはハイブリッドへの挑戦、チャレンジングオブホンダの実験車、赤字覚悟でしょう。
それを除くともはやワーストランキングはX-90、キザシとスズキのワンツー状態、これはもう頂けない(爆)
もはやここまで売れなかった事は誇りにするべきでは?スズキ歴史館。
因みに販売台数と同じようなこぼれ話が車体番号・・。
普通一般的なお車は100番台ぐらいから番号が割り振り始められています。
公道を走るための実験車にその手前の番号は割り振られている筈です。
しかし初年度登録が平成七年=1995年の10月、正に市販開始のその月に登録された私のぺけきゅうは何と2桁な車体番号、もはや試作車(爆)。
余談ですが、中古車市場に出ているX-90、3桁の車体番号の時点でもはや99%の車体番号が漏れています(爆)
桁数はメーカー毎に決まり有るのでしょうけど1万桁まで0なので1万台は売る気だった???
でも月販売目標はエスクードと抱き合わせで3,000台、一体X-90は月販売台数、何台だったのでしょう・・、1996年ぐらいのベストカー辺りを何時か集めたいです。
販売台数からざっと見積もって・・・、月30台前後ですね(爆)、恐らく最初は100台ぐらいで推移し最終10台前後へと落ちていった事でしょう、GT-Rみたい。
蛇足ですが英語版wikiによるとアメリカでは7,205台とそこそこの台数、オーストラリアでは484台(涙)、他欧州圏に輸出されていた模様です、全世界総計で1.5万台いかないぐらいでしょうか、やはり赤字でしょうね・・。
2・マイナーチェンジ
日本では3年程で生産終了したX-90、これだけ短いとやはりマイナーチェンジは無し。
しかし日本仕様では途中一部改良が行われています。
1995年10月のカタログの裏面。
ところ変わって1996年5月、デビューして半年ほどのカタログの裏面。
間違い探しのように変わっているのがそう、ボディカラー、マーキュリーシルバーメタリックが追加、でこれだけ、他探しましたが本当にこれだけの模様。
気に成っていたのが海外仕様
数年前に入手していたドイツ仕様のカタログ?パンフレットに日本仕様には無いエアバック装備の絵が。
日本仕様には最初からない装備ですが、海外では途中で変更されたのか気に成っていたのですが、タイムリーに今年大変貴重なX-90に関する資料を入手。
「1994 SUZUKI INFORMATION」
アメリカスズキのプレスキットか何かで1994年のスズキラインナップの紹介と、
1994年1月のデトロイトモーターショーで展示したX-90の詳細な説明が、もうこの時点で完全に市販化決定の模様。
このプレスリリースの時点でアメリカ仕様にはエアバックとABSが標準で装備と記載、という事で最初から海外仕様は装備されていた模様。
そして良い光沢紙で印刷されたモノクロのピンナップが、1995年のアメリカ仕様のようです、ホイールが全く見覚えのないフルキャップ仕様と言うのが変〇。
「1995 SUZUKI INFORMATION」
そして翌年1995年のプレスキットも同時に入手、1996年発売仕様の紹介と成っているのですが・・。
同じくして挟まれているモノクロ写真には1996年仕様のX-90が。
日本仕様には無いカッコいいアルミホイール履いているのが一番目につく所ですが何よりビックリなのはサイドデカールの位置とサイドマーカーの位置も間違い探しのように変わっている事。
僅か1年で微妙な仕様変更が有ったのかもしれません。
こうなるとあと欲しいのはアメリカ仕様のカタログですね、こうも生産期間短い割にいろいろ情報出てくるので面白いです。
しかしまぁ全く同じエンジンとシャーシの初代エスクードのオープントップに下を見ればジムニーの幌仕様もまだ存在し、更にはオープン2シーターと一部キャラが被っているカプチーノまで併売している時代・・。
バブル後の景気後退中の中一体なぜ市販化したのか正に珍車中の珍車。
しかし生産台数を考えると中古車市場に出てくる台数も多く、50台以上は生き残っていそう、そうすると生存率は0.07%と中々に優秀。
しかし1995年が25年前とは不思議な感覚、1995年だったら1970年式の車。
もう立派に旧車ですね、部品も相当厳しい状況に成りつつ有ります。
それでも自分のぺけきゅうはエンジン死に絶えるまで乗るつもりです、エアコンも折角治したので後5年は頑張って欲しいですね。
取り敢えずもう一度
25歳おめでとう。