
「プロポ・ラジコン博物館」の館長のNobuです。
昔のプロポやラジコンは、白黒写真しか残っておらず現物を見たくても見ることができず色や大きさすらわからないのが現状です。
当館「プロポ・ラジコン博物館」では当時のプロポやラジコンをフルカラー写真で掲載し当時の人がどのようにラジオコントロールを楽しんでいたのかを想像して頂ける助けになればと思い開設いたしました。
パサート ㈱OK模型
■ 全長:680mm 全幅:370mm
■ 適合エンジン:20
■ 形式:スリーポイント
本格的マニア用と呼ぶにふさわしいレーシングキット、流麗なラインは一見しただけでマニアの心をとらえる。
発売当初価格 5,900円(船体キット価格)
世界初のラジコン「増田屋斎藤貿易 RADICON BUS」
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~ラジコンの歴史~
ラジコンは、元々、軍用の標的機、誘導弾として開発が進められてきた経緯がある。古くはニコラ・テスラが無線操縦の船を試作したり、日本でも1930年に日比谷公園で無線操縦戦車の実験が公開されたり、標的艦「攝津」が運用された記録がある。近年、無人機が活躍しているニュースを聞くが、何も今になって始まった事ではなく、冬戦争や第2次大戦初期にソ連の赤軍はテレタンクと呼ばれる無線制御の無人戦車を投入し、ドイツ軍も大戦中に無線誘導弾フリッツXやフンクレンクパンツァー無線誘導戦車を実戦に投入し、フリッツXはイタリアの戦艦「ローマ」を撃沈する等の戦果を上げた。
戦後、それらの技術が波及し、現在に至る。ホビー用のラジコンとしては増田屋斎藤貿易(現在の増田屋コーポレーション)が1955年にラジコンバスを発売した。当時、高価だったトランジスタや真空管を使用せず、火花送信機とコヒーラ検波器を使用していた。当時の所得水準から判断すると高価で主に輸出され、外貨獲得に貢献した。当時、日本国内での電波法の認可は順調に取れたが、米国での認可には時間がかかり、翌年の夏に発売され た。ソニーの創業者達も分解してその構造に驚いたと言う。また、増田屋は他に、専用の笛から出る音で操縦するソニコンも製造した。ラジコン、ソニコンはそれぞれ当時、同社の主力製品であったブリキ製のバスや自動車、ロボット、戦車等に搭載された。
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Posted at
2015/12/16 10:14:38