2011年08月16日
「金八先生」の闇に葬られた歴史
金八先生の放送終了から時間も経過したことですし、そろそろ皆さんの記憶から「金八先生、お疲れ様の感情」や、金八先生自体も消えてくる頃かと思いますので、闇に葬られた歴史について紹介していきます。
金八先生は、1979年の放送開始以来、8シリーズまで放送され、その間いくつかのスペシャルがありました。「太陽にほえろ!」のように連続放送ではないので、単純に32年間放送が続いたとはいえませんが、それでも長期間放送した番組といえます。その功績からか、テレビに批判的な新聞でさえ、「金八先生は理想の先生像」と書くようになり、ちょっと美化されすぎているような気がします。
「金八先生で言われていることが全て正しい」とするのは、どうも危険すぎるように思います。ここでとは、番組に関する一般的なことを紹介し、金八先生だから全て正しいとしているわけでもないことを訴えます。しかし、「金八先生」という番組を離れた出演者やスタッフの行動について書くものではありません。
①パート1における妊娠問題の扱い
金八先生は、当時全盛だった太陽にほえろ!に対し、半ばやけっぱちで企画された作品だとされています。その割には事前広告がなされたようで、当時小学生だった私に対して、特に母は「中学生になったときに役に立つように、太陽にほえろ!を見るのをやめて、こっちを見なさい」といいました。当時、「荒れる中学校」と、中学生の先生に対する校内暴力が問題となっていました。おそらく、この問題への準備をせよ、ということが意図にあったのだと思います。
当時は親に逆らってまで太陽にほえろを見ることはしませんでしたので、こちらを見ました。ところが2話か3話になると「中学生の妊娠問題」を取り上げるようになり、中学生の校内暴力とは何の関係もなくなったことから、「もう見なくて良いよ」と言われました。
当時中学生の子を持つ親の間にも、「寝た子を起こすな」と批判を受けたそうです。
番組自体は、「命の尊さ」を訴えましたが、まあ、出演者に実際に子供が出来たわけでもないし、現実に子供が出来たわけでもないし、「現実に存在しない子供なら、いくらでも命の尊さを主張できるよね」と、世間の風潮は一気に醒めたように記憶しています。顔を真っ赤にして二人を擁護する金八先生に対し、見ているほうはどんどん醒めた、というところです。
②第二シリーズにおける、不良生徒の取り扱い
第一シリーズが、結局のところ荒れる中学生に触れなかったためか、第二シリーズでは不良問題を取り扱いました。しかし、不良生徒役の「加藤」君、単なる不良ではなく、複雑な家庭問題を絡めて、ドラマとして成立しやすい設定にしました。
しかし、現実に中学校で暴れている中学生は、単なる自己中心的思考や甘えから暴力を振るっていた、というのが当時の多くの大人の考えでした。
そしてこのシリーズ最後の頃、金八先生は不良の生徒を擁護する意見を、顔を真っ赤にして主張します。太陽にほえろ!が野球で中止になったときは、我が家でも金八先生を見ていましたが、父は「武田鉄也が何を言っていやがる!」と起こっていましたし、母も「なんか論点がずれている」と言っていたのを記憶しています。でも、武田鉄也は単に台詞を言っているだけで、言わせているのは脚本家やプロデューサーですよね。。。でも、私も「不良に対して、甘すぎない?」と思ったものでした。
もちろん不良学生を世の中からたたき出すだけでは、世の中はよくなりません。でも、この番組は不良学生を美化しすぎていました。
反対を述べたのは、両親だけではありません。
同じ放送局で放送された「Gメン’75」も、「荒れる中学生シリーズ」を製作し、金八先生へ反論します。なお、金八先生は「TBS制作」、Gメン’75は、「東映制作」となっています。
この「荒れる中学生」シリーズは、確か二回か三回制作されています。第一回は、「人形をまるで自分の子供のように扱う老人が主人公。この人形を中学生が面白がって壊した。この老人が中学生に仕返しをするも、反対に殺されてしまう。最後、立花警部は中学生に対し、社会の厳しさを暴力を持って思い知らす。」というものでした。
その「思い知らす」のシーンで、立花警部はこう言います。「世間ではお前たちのようなものを甘やかそうとする風潮があるが~」の「世間」とは、金八先生のことを言っています。後年、立花警部を演じていた若林豪氏が明かしています。
もちろんアドリブでも何でもありません。金八先生に対して、「何を言っていやがる」と思う人は決して少なくありませんでした。ところが、「加藤」が放送室にこもるシーンだけが美化され、当時の大人の意見だけが忘れ去られているのは、どうも危険な香りがします。
③第三シリーズは途中で打ち切り
こんにちでは第二シリーズが美化されていますが、まあ、色々と反論もあったのでしょう。金八先生シリーズとして新八、仙八、貫八、東中学シリーズと、武田鉄也氏が出ないシリーズが制作されました。武田鉄也氏がNHK「おんな太閤記」に出演し、役者として次の段階へステップアップ仕様としていたことも関係あると思います。金八先生は、いったん幕を下ろします。
しかし、中学生像が「無気力化」したと言われたバブル期の1988年、突然復活します。もちろん、無気力なのですから、妊娠問題も校内暴力問題も起こりません。
えー、学校でウンコが出来ない小中学生が増えたので、金八先生がウンコの大切さを教えたり、将来どんな仕事をして良いのか分からない生徒に色々諭したりと、急にテーマのスケールが小さくなります。まあ、実際の教育現場での問題は、そんな程度なのでしょうがね。
加えて金八先生が出世し、新任の先生を指導する立場にもなっています。かつてのように顔を真っ赤にすることもなくなりました。
そんなドラマですので、視聴率の点で苦戦し、毎度のごとく10月に放送が始まったのですが3月まで持たず、12月を以っていったん終了、3月に恒例の卒業スペシャルを放送したのでした。
この「いったん終了」、ファンサイトでは「当初から決まっていた事実」としていますが、当時誰が見ても「打ち切り」でした。そりゃあ、いくら現実の中学生が地味だからと言って、そのつまらない現実を見せられても仕方がないよ、というものです。
当時、長淵剛氏主演のヤクザドラマ「とんぼ」がものすごく話題になりました。朝日新聞はこの二つの番組を比較し、
「刑務所出所後、力強く生きていこうとする長淵剛演じるヤクザの姿に対し、生徒に相手にされず、視聴者にも相手にされない金八先生の後姿には、中年の寂しさを感じる」
とつづるのでした。この「とんぼ」、わずか8話しか放送されていないのですが、その最終シーンは私の目に強く焼きついています。ボン刑事とボギー刑事の殉職シーンを足して二で割ったようなシーンだからというのもその理由です。当時、VTR作品は安っぽいと考えていましたが、このようなカメラワークだとそうは感じさせません。ドラマ制作関係者は、やはり過去の作品を見直すべきです。最近のカメラマン、手ぶれすらする有様です。
とんぼ最終回シーン
その後、金八先生は再び7年間沈黙し、1995年に復活します。このときは再び問題になっていた「いじめ問題」を扱い、ドラマ的にもかなり重厚なつくりになりました。それまで金八先生が嫌いだった私も、
「金八先生が、現実に起こったいじめ自殺事件を「○月○日、何々で自殺」などと、生徒に読み上げるシーン」
「第一シリーズで生まれた子が、自分は生まれるべきではなかったのかと神戸の復興現場で作業する父の元へ問い詰めに行き、その父は震災復興の点などから子を説得するシーン」
などには、涙したなあ。
その後、第五シリーズは私は好きではないのですが、第六シリーズは問題詰め込みすぎ、と思いながらも好きです。
第七シリーズは、中学生と覚せい剤の問題を取り扱いますが、さすがにそれはやりすぎだろう、というのが世間と脚本家の意見でした。脚本家とプロデューサーが仲たがいし、プロデューサーが更迭されます。
第八シリーズは「等身大の中学生像」に回帰しますが、第三シリーズのような雰囲気になってしまいました。10-12月はところどころ良い話もあるのですが、結局視聴率は急降下、年末スペシャル改め年始スペシャルは放送されましたが、3月の最終回スペシャルはありませんでした。
そしてこの3月に放送された、シリーズ最終回、この内容は誰が見たって「本当は半年放送される内容が、3時間にまとめられて放送された」ものでした。すなわち、企画されたものの局などの意向でスペシャルのみ放送、しかも「本作を持ってシリーズ打ち切り」です。
金八先生の放送が終了し、一時風化はするでしょう。でも、時間がたつと金八先生が過剰に美化されてしまうので、それを防ぐためにこのブログを書きました。金八先生が言ったからといって、必ずしも正しいことではありません。
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Posted at
2011/08/16 12:12:26
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