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2024年02月25日 イイね!

ドラマ「不適切にもほどがある」でフューチャー!1986年を調査する(機械編)

ドラマ「不適切にもほどがある」でフューチャー!1986年を調査する(機械編)  TBS系列で金曜日午後10時から放送されているテレビドラマ「不適切にもほどがある」は、1986年当時50歳の教員(演:阿部サダヲ)が、2024年との間をタイムスリップする物語です。当然彼は1986年の中年男性の感覚で行動するのですから、様々なところでトラブルを発生、一方で彼の行動から現代の「過剰コンプライアンス」にも警鐘を鳴らす物語になっています。

そして近代史好きの私には、当然1986年を調べる必要性が生まれました。さっそく、当時の世相を振り返ってみましょう。

機械編
・カムリ/ビスタがフルモデルチェンジ
 初代はシンプルで室内が広い前輪駆動のセダンとして売り出しましたが、シンプルすぎて持つ喜びが足りない、という声があったようです。そのため外観はやや丸く、室内はベロア調など贅沢志向にしました。特筆だったのは「ハイメカツインカムエンジン」です。カムシャフトプーリーを1個とし、もう一方のカムシャフトはカムシャフト間のギヤで駆動する方式です。バルブタイミングの自由度とバルブの大きさが低下しますが、シリンダーヘッドを小さくできます。以後、他社でも同様の方式のツインカムエンジンが増えていきました。

ソアラフルモデルチェンジ、スープラ登場
 ソアラは初代で成功した「高級高性能大型クーペ」の性格を強め、スープラも先代のセリカXXよりも高級志向を強めていきます。どちらも似たような車になりましたが、ソアラは比較的高年齢層にも受け入れられ、スープラは若年層寄りでした。そのため、スープラはデートカーになったとも言えます。しかし、ソアラはほとんど性格を変えないまま熟成を図っていったのに対して、スープラはこの後徐々にスポーツカー化していきます。

セリカにGT-four追加
 ハイパワーなスポーツクーペのセリカに、フルタイム4WDモデルが追加されました。ハイパワーを4輪に振り分け、安定して走行できるようにする目的です。すでに他の国産車がフルタイム4WDを採用していましたが、ついにスポーツモデルでも4WD化が始まったといえます。

スターレットにもターボエンジン車追加
 自然吸気1300ccEFIエンジンでもかなりのハイパワーを誇っていましたが、ターボ装着でついに105馬力を実現しました。相当なハイパワーで、以後、モータースポーツベースとしても、血気盛んな若者用としても人気を博していきます。

姉妹車化が進む日産
 1600ccエンジンクラスだったスタンザを、新たにブルーバードの姉妹車として登場させました。先行していたオースターとともに3姉妹となるのですが、ブルーバードともどもあまり人気があったモデルとは言えず、単なる販売店競争の現れでした。

同様にパルサーもモデルチェンジしますが、リベルタビラとラングレーもモデルチェンジします。サニーにはRZ-1のサブネームを持つクーペを追加しますが、いずれもモデルごとの差異が小さく、存在意義が疑問でした。ただし、ビスカスカップリングをセンターデフとして使用した、「フルオートフルタイム4WD」は簡易的な4WD化として、現在のスタンバイ4WD方式の元祖になっているといえます。

レパードがフルモデルチェンジ
 初代モデルは2ドアに加えて4ドアセダンもあるなど、かつてのブルーバード2000GT的性格だったレパードは、2ドアクーペのみで登場します。濃紺をイメージカラーとするなどシックな印象でしたが、ソアラのハイパワーエンジンのインパクトと比較すると地味に映ってしまい、さらに人気を落とすのでした。しかし2024年現在、「あぶない刑事」ファンにこのモデルが支えられていることを考えると、歴史上の存在となってしまったソアラは、古臭く見えてしまいます。

ルーチェをフルモデルチェンジ
 やや線が欲しく華奢な印象だったルーチェが、丸くマッシブな印象のスタイルにモデルチェンジしました。高剛性ボディとマルチリンク式リヤサスペンションは、後の「走りも高性能な高級車」のはしりともいえ、新時代の高級車像を打ち出しました。しかし、翌年にフルモデルチェンジを受けたセドリック/グロリアも同様の路線をたどることになり、短い天下でした。

デボネアをフルモデルチェンジ
 1960年代前半から細々とつくられていたデボネアが、とうとうフルモデルチェンジされました。この時代でも遅れていた角張ったスタイルを採用しており、「旧型も古臭いが、新型は出たときから古臭い」と言われました。

シティをフルモデルチェンジ
 背が高く新しい感覚の乗用車として登場した初代シティは、この頃になると特徴の一つの「ポップな感じ」が「1980年的で古臭い」と言われていました。この二代目は反対に背を低くし、運動性能を高めるホンダ流になりました。この頃は1200ccエンジンしかありませんでしたが、後に追加される1300ccエンジンモデルは、現代でも相当な高性能を発揮します。

レオーネにフルタイム4WD設定拡大
 頑固にパートタイム4WDを続けていたスバルは、ここへきて方向転換をして、フルタイム4WD車の設定を拡大してきました。自社の技術に強い自信を持ち続けると、いつのまにか他社に追い抜かれる良い例だといえます。

カルタスにDOHCエンジン搭載のGT-i追加
 ごく簡素な「リッターカー」だったカルタスに、1300ccDOHCエンジン搭載車を追加しました。現代の「スイフトスポーツ」の先祖です。こちらもスターレットと同様、速いコンパクトカーを望む若者向けの商品ですが、スターレットと比較すると当時の台数も、その後残った台数も少ないように感じます。

アルトにDOHCエンジン搭載車追加
 ハイパワーエンジン搭載のワークスが登場する前に、DOHCエンジン搭載車を追加しました。別途、ターボエンジン搭載車もエンジンをパワーアップしています。ライバルとなるダイハツのミラは前年にTR-XXを追加しており、軽自動車パワーウォーズ幕開け直前となりました。

FFジェミニにターボエンジン追加、イルムシャーシリーズを展開
 他社のコンパクトセダンとはやや異なる性格のFFジェミニに、ターボエンジンが追加されました。ドイツのイルムシャー社でチューニングを受け、エアロパーツやエアロホイールカバーを装着しています。あわせてカースタントを用いたテレビCMの展開を始めたのもこの頃で、カローラやサニーとは異なる、若者向けの4ドアセダンというジャンルを開拓していきます。

・ANAが国際線の定期運航を開始
 それまで国内線のみだったANAが国際線の定期運航を開始し、国策会社だった日本航空と競争が激しくなっていきます。ここにも、国鉄の失策の反省があるのでしょうかね?

・国鉄埼京線が新宿まで延伸
 それまで池袋止まりで、赤羽線の性格が強かった埼京線でしたが、新宿まで延伸します。武蔵野線開業で空いた山の手貨物船を利用した乗り入れで、以後、東北線や高崎線乗り入れの先鞭となります。この国鉄ネットワークにより、東武や東急、小田急をはじめとした関東私鉄の苦戦が始まります。

・近鉄東大阪線、大阪市営地下鉄中央線と乗り入れ開始
 関東と異なり、私鉄が都市部内ターミナル駅まで乗り入れていた大阪では、私鉄と地下鉄の乗り入れは行われていませんでした。それがこの乗り入れにて実現されたのですが、以後、それほど広まっていません。

・日本テレコム、第二電電、東京通信ネットワーク、日本高速通信事業開始
 電電公社の民営化により、通信事業への参入が自由化されます。それまで会社専用電話網を持っていた会社が、新たに通信事業者として名乗りを上げたのです。この流れは、後年の携帯電話競争時代まで続いていきますが、再編も行われていきます。

・富士フィルムが、使い捨てカメラ「写ルンです」を発売
 それまでも何度かカメラブームはありましたが、主に男性主体でした。写ルンですは、カメラとしての機能を最小限として、むしろ撮影を気軽に出来るようにしたものです。ブームとなるのはもう少し後ですが、「写真はかしこまって撮影するものではなく、気軽に日常を撮影するもの」とした効果は大きかったです。併せて、カメラはマニアのもの、という見かたも徐々に低下していきました。

・アスキーが、マイクロソフトとの提携を解消
 今や消滅したアスキー社ですが、当初はマイクロソフトの日本代理店位置づけだったのです。まあ、マイクロソフトの方も今やあまり名前を聞かなくなってきていますが、コンピューター技術の会社というのは、トップであり続けるのは難しいのですね。

・PC-9801UV2発売、FM音源を初搭載
 今やパソコンが扱う音源など無限だといえますが、この機種以前はごく簡単な、PSGという簡易的な音しか出せませんでした。FM音源化により音楽の自由度が高くなり、パソコンならではの音楽というものが出来始めました。

・PC-98LT、初のラップトップパソコンとして発売
 こちらも今やパソコンの主流となる、折りたたみ、持ち運び自在なスタイルが、このPC-98LTで始まりました。ラップトップとはいえ膝上にどのくらいの時間載せておけるかはわかりませんが、持ち運びが自由になったことは一部の人には有効だったのかもしれません。

・PC-8801FH発売、パソコン初のブラックモデル
 それまでパソコンと言えば、アイボリーかグレーというのが相場でした。オフィスになじむカラーとでもいうのでしょうか。このPC-8801FHはパソコン初のブラックボディとして登場し、以後、他社の機種にも広まっていきます。ブラックは個人需要を狙ったものとされており、以後、家電製品にもブラックが増えていきます。

・X1G、縦置き筐体で登場
 一時、DELLなどのオフィルマシンでは、縦置き型が主流でした。その先駆だったのが、シャープのX1Gです。縦置きにより床面積が縮小、置き方が自由になるということが売りでした。

・ファミコンにディスクシステム登場
 それまでのROM要領では複雑なゲームが出来なくなり、外付けのディスクシステムが登場しました。シャープが製作していた「クイックディスク」そのもので、読み取り速度は従来のフロッピーディスクに劣るものの、容量の上ではそれまでのROMをはるかに上回る、ということが特徴でした。しかしよく年頃から、より容量が大きな「メガROM」が登場し、ディスクシステムはあっという間に旧退化してしまいました。

・ブラザー工業、ソフトウェア通信販売システムの「TAKERU」の展開を開始
 ソフトウエアは、データです。データならデータセンターに記憶させておき、必要に応じて送信、店舗の置いた自動販売機でダウンロードして、ディスクに格納することが可能です。ミシンやパソコン周辺機器製造メーカーのブラザー工業は、パソコンソフトのTAKERUの展開を始めました。

しかし、TAKERUで購入したソフトは箱が汎用のものになるにもかかわらず、価格は店頭販売品と同じ、ということで、まったく人気が得られませんでした。当時のパソコンソフトは、イメージ商品でもあったのです。現代の、本や漫画やゲームは権利を購入する、とは全く違った時代だったのですね。

しかし後年、ブラザー工業はTAKERUのシステムを活用した「通信カラオケ」事業に「JOY SOUND」として参入、大成功を収めるだけでなく、若者にカラオケを普及させたり、邦楽市場の拡大にと、世の中の動向すら変えてしまいました。

・ヴァル研究所「首都圏電車網最短経路案内システム」を発売
 今でいう、「駅すぱあと」です。いや、駅すぱあとの機能が各サイトに格納されて、使用を意識しない人も多そうです。まあ、当時はまだまだマイナーな存在でしたが、気軽に経路や乗り換えを検索してくれるシステム、いや、検索システムとしての大きな一歩だったのかもしれません。しかし、鉄道好きには「そんなの頭で考えれば良いのに」という印象だったようです。

 いかがでしょうか?懐かしいモデルやサービスはありましたか?ハイパワーかつ高性能モデルが多数発売されたのは1987年以降で、この年は自動車の上では小休止といった状況です。米国に工場を建設するなどの、円高対策に追われていたからかもしれません。また、文化の上でも自動車が必ずしも若者の中心というわけでもなく、まだ「郊外の人の移動の足」的側面が強かったようで、1980年代前半の空気が残っていたようです。
Posted at 2024/02/25 16:13:08 | コメント(2) | トラックバック(0) | 歴史 | 暮らし/家族
2024年02月25日 イイね!

ドラマ「不適切にもほどがある」でフューチャー!1986年を調査する(暮らし編)

ドラマ「不適切にもほどがある」でフューチャー!1986年を調査する(暮らし編)  TBS系列で金曜日午後10時から放送されているテレビドラマ「不適切にもほどがある」は、1986年当時50歳の教員(演:阿部サダヲ)が、2024年との間をタイムスリップする物語です。当然彼は1986年の中年男性の感覚で行動するのですから、様々なところでトラブルを発生、一方で彼の行動から現代の「過剰コンプライアンス」にも警鐘を鳴らす物語になっています。

そして近代史好きの私には、当然1986年を調べる必要性が生まれました。さっそく、当時の世相を振り返ってみましょう。

暮らし編

・DCブランドブームと、丸井メンズ館オープン
 この時代よりもずっと後の時代まで、高校生くらいから30歳くらいまでのだけでなく、女性の服までデザイン不在でした。40歳代の人の服に近づけるか、小学生の服を大きくしたような感じにするか、いずれにしても、若者のちょうど良い服は不在でした。
そこへ、「デザイナーズ&キャラクターブランド」という、デザイン優先の考えの者と、近未来的なデザインの服で普及を図ったのが「DCブランド」でした。DCブランド自体は数年で廃れますが、この年代の人の服の市場が出来、デザインも改善されていきました。
これにいち早く目を付けたのが若者向けファッションビル業態の丸井で、DCブランドをテナントとして入居させました。セール時期には若者が行列をなし、その報道が今度は20歳代向け服市場の隆盛を促していったのでした。女性のボディコン服もDCブランドの一環ですが、極端に露出が多い服はバブル末期のものですよ。男性用下着のフィットしたブリーフも、この頃に出て来たそうです。

・スポーツクラブ「エグザス」開業
 これ以前にも、特にオリンピックの時期を中心に何度かスポーツのブームがありました。この時期は「スポーツクラブ」が開業していくのですが、新興かつ世帯収入が高い地域が早く、特に東急田園都市線沿線などからスポーツクラブが開業、若い女性だけでなく、主婦層や一部では男性までもが加入したようです。しかし当時の多くの人の感覚では、「なぜ、お金を払って疲れに行かなくてはならないの?」というのが大多数でした。一方、開業する企業は都市部で古くなった工場や倉庫の跡地利用の側面もあったようです。

・とらばーゆ(する)
 この頃の女性一般職は、勤続年数が長くなっても昇級せず、仕事も誰でもできる内容のままであり、しかも職場は結婚相手探しの側面もありました。そのため、ある職場で良い結婚相手に恵まれなければ、転職して次の職場で結婚相手を見つける動きがみられるようになりました。どうせその職場にいても昇級しないのですから、だったら転職するという考えも、間違いではなさそうです。その時に読む転職情報誌が「とらばーゆ」で、これに「する」を付けて転職することを「とらばーゆする」と言ったようです。

この動きが、現代の「誰でもスキルアップや収入向上のために転職する」動きにつながるのですから、世の中のわずかな動きにも注意する必要があります。

・「新人類」現る
 現代の「Z世代」にも近いものですが、この頃に就職をした世代(1963~1968年産まれ)の世代を「新人類」と呼びました。すでに「ネクラ、ネアカ」などの人的カテゴライズは行われていましたが、この頃に就職した世代はそれまでの世代と比較すると、「嫌なことがあると転職する」「力仕事、汚れる仕事、大変な仕事はイヤ」「仕事よりもプライベートの充実を望む」「やりがいのある仕事につきたい」などの傾向がみられたそうです。3K(暗い、危険、きつい)仕事と呼ばれて、工場や工事現場で働くことが忌み嫌われ始めたのも、この頃ではなかったでしょうか。

今までの世代とは違う、ということで「新人類」と呼びましたが、この世代が2020年代以降、「働かないおじさん」となっていくのです。

・ビックリマンチョコ、小学生に大流行
 ロッテが発売する「ビックリマンチョコ」は、昔からシールが入っていました。この頃にそのシールのキャラクターがシリーズ化され、小学生に大流行しました。あまりに流行し、「お菓子を捨ててシールだけ集める」子が増えたため社会問題化、「食べ物を食べたくても食べられない国の子がいる」などの教育が行われていきます。

・「午後の紅茶」発売
 初めての缶入り紅茶飲料でした。今や普通になった紅茶飲料の市販化の始まりです。家に帰れば自由に飲める紅茶を「そんなの街で売っても誰も買わない」と考えるか、「家の外で売れば家の外で飲みたい人が買う」と考えるか、ビジネスの観点でも、以後の転換点となりました。

・温泉ブーム始まる
 それまで温泉旅行と言えば、年寄りが行くものでした。それを気軽な国内旅行として売り出し、特に女子大生などが好んで行ったようです。そういえば、当時の二時間ドラマにも「女子大生湯煙云々」という題名の作品がありましたね。

・卒業旅行がブーム
 修学旅行がある小、中、高校と比較して、専門学校や短大、大学は、学校行事としての修学旅行はありません。そのため、折からの円高傾向もあって特に女性の「(海外)卒業旅行」が広まりました。といってもパックツアーだったのかもしれませんが、女性の海外志向や英語志向が高まっていったことの表れかもしれませんし、「卒業したら間もなく結婚して専業主婦になり、数十年間も旅行に行けない。だから、人生最後の自由な旅行」という面もあったかもしれません。

・激辛ブーム
 グルメブームの前哨的動向として、激辛ブームが起こりました。始まりはカレーパンだったか、今もある「カラムーチョ」だったかはわかりません。レトルトカレーでは、「×5倍」や「×100倍」というものも現れました。しかしカレーの場合の辛み成分は唐辛子ペーストによってもたらされるため、辛さが増すほどほとんど唐辛子になるという、なんとも複雑な印象の製品でした。しかし、それまでアクセントでしかなかった「辛味」がビジネスになり、また、ドーナッツ扱いのカレーパンが調理パンの一つになっていくなど、食品の大きな転換点でもありました。

・電子レンジ専用食品登場
 今では考えられないことですが、この頃の一般家庭には電子レンジはありませんでした。むしろ、オーブンレンジの方が普及していたかもしれません。そんな中、ハウス食品などが「電子レンジ専用食品」としてグラタンやラザニアを発売します。この時に「ラザニア」を知った人も多いのではないでしょうか?

・海外労働者多数来日
 好景気になり始めた日本に、アジア諸国から労働者が来日します。男性は上記「新人類」が3k職場を嫌ったためそれらの職場に、女性は接待付飲食業に付くことが多かったようで、「ジャパゆきさん」と呼ばれました。

・タンスにゴンのCM
 金鳥が発売する衣類用防虫剤の「ゴン」は、CMで主婦らしき女性が「亭主元気で留守がいい」と言わせます。外で働くのは男性、家にいるのが女性としていた頃の、最後の女性観ではないでしょうか?また、専業主婦が持て余した時間を外出(デパート、展示会、友達とお茶を飲む)に向けることが許され始めたとみることもできます。それまでの時代は、女性が昼間に一人で家から出ると、「何をしに行くんだ?」と、奇異の目で見られたいたものです。

また、男性を給与運搬人のように歌う言葉はひどいですが、この頃の男性は休日に家にいてもごろ寝ばかり、定年退職後自時間を持て余して妻に付いて行こうとしても邪魔者扱い、という、まるで履いても履いてもほうきにまとわりつく、「濡れ落ち葉」の様だともされていたのです。

・水上高原スキー場がオープン
 この時期よりもはるか前からあったスキーですが、この頃から徐々に都市部の人の冬のレジャーとして普及していきます。水上高原は群馬県北部にあり、部分的に開業していた関越自動車道を利用すると、都内から日帰りでも行けます。現代の様に、パソコンもスマートフォンもゲームセンターもなく、冬の関東平野で休日を有効に過ごそうとすると、スキーしかなかったのも事実です。以降、
「スキーをはじめとしたスポーツはレジャー」
「スキーは若者同士の出会いの場」
「スキーウェアは冬のファッション」
として、15年間ほど続いていきます。

・泉重千代さん、死去
 当時日本国内最高齢とされていた泉重千代さんが、120歳で亡くなりました。これに伴い、江戸時代生まれの日本人が絶滅しました。しかし、戸籍制度があいまいで、泉さんの生年月日は「自称」だったらしく、本当に最高齢であったかは不明らしいという結果が出ました。

・レトロブーム始まる
 前年の「つくば科学博覧会」の反動か、古典的なもののブームが始まりました。国鉄は古い機関車を使った企画列車を走らせたり、古い木製家具をインテリアとして購入する若い女性が現れたり、古い家電製品風デザインの家電製品が現れたりしました。それまでの「デジタルブーム」が終わり、無機質なデザインよりも有機的なデザインが好まれるようになっていきます。
自動車分野でもこの傾向は顕著で、日産は後に限定販売される「Be-1」をモーターショーに参考参考したり、クラシックカーを取り上げる自動車雑誌「ノスタルジック ヒーロー」誌が創刊されたりしました。

いかがでしたか?いつの時代でも若者の突飛な行動が年配者の意にそぐわない傾向があるものですが、平穏だった?昭和50年代が終わり、次の時代へ向かわせる大きな流れが始まったことが伝わってくるのではないでしょうか?特に、「男らしい」「女らしい」などといった、ジェンダーな価値観がこの頃から崩れ始めていったことが印象的です。
Posted at 2024/02/25 15:12:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2024年02月23日 イイね!

ドラマ「不適切にもほどがある」でフューチャー!1986年を調査する(エンターテインメント編)

ドラマ「不適切にもほどがある」でフューチャー!1986年を調査する(エンターテインメント編)  TBS系列で金曜日午後10時から放送されているテレビドラマ「不適切にもほどがある」は、1986年当時50歳の教員(演:阿部サダヲ)が、2024年との間をタイムスリップする物語です。当然彼は1986年の中年男性の感覚で行動するのですから、様々なところでトラブルを発生、一方で彼の行動から現代の「過剰コンプライアンス」にも警鐘を鳴らす物語になっています。

そして近代史好きの私には、当然1986年を調べる必要性が生まれました。さっそく、当時の世相を振り返ってみましょう。

エンターテインメント編

・CD売上拡大と貸出合法化
 すでに実用化されていたCDプレーヤーは、非常に効果でした。しかし、レコードと比較するとコンパクトで取り扱いも楽、ということで普及が進みます。この年には売り上げ規模が前年比205%上昇、LPレコード市場を超えました。あわせてすでに都市部にあった「貸しレコード店」がCDを貸し出すことも法的に認められます。これにより、以後音楽を聴くことが一般化していきます。

・「夜霧のハウスマヌカン」
 これは、歌謡曲の題名です。洋服販売店店員を「ハウスマヌカン」などと呼ぶようになっていてファッションの最先端に近い人と扱う一方、「しゃけ弁当」などと言う歌詞の通り、実際には薄給で生活が苦しいことをうたっていました。ファッションの広まりと、一見華やかな世界が実際にはそうでもないことの、二つの面をうたっていました。

・ニューミュージックの時代始まる
 洋楽カヴァーやオリジナルながらカッコよさを出していた「シティポップ」のりゅこうが続く中、渡辺美里などの「ニューミュージック」が現れます。アップテンポではない曲が多く、都会で頑張る若者の応援歌的歌詞(?)なのかな。これより前の時代に活躍していた松任谷由実や竹内まりやなども評価が高まりました。

・「おニャン子クラブ」大躍進
 前年から放送が始まったフジテレビ系「おニャン子クラブ」は、大人気を得ていました。都市部の高校に通う「ちょっとかわいい子」をアイドルとしてそのまま仕立て上げていたのは、後年AKB48で成功を収める秋元康のプロデュースです。

彼女たちが歌う様子は、決してうまくはないもののキャッチーで、それ以前のアイドル歌謡と比較しても親しみやすいものでした。そのため、男子高校生は、彼女たちのおニャン子クラブ内の「会員番号」と顔を覚えることに懸命になり、ひいては都内の学校の制服と高校を覚えたりと、制服ブームが訪れます。男性にかぎらず、OLは曲「セーラー服を脱がさないで」の曲と振り付けを覚えて会社の宴会の出し物にし、女子中高生はかわいい制服の学校に行きたがるようになりました。

・後藤久美子デビュー
 おニャン子クラブが躍進を続ける中、翌年以降「おニャン子」を排斥し、解散に追いやる(?)「美少女」が台頭を始めました。その一号が後藤久美子「ゴクミ」です。翌年からは「ヤルキ、ゲンキ、ナマイキ」のキャッチフレーズで、活動を本格化していきます。年齢の割に精悍な顔立ちの彼女は、同年代よりもむしろ同年代の娘を持つ父親の年代の男性に人気だったとの説があります。以降、ツッパリスケバンではない、強い女性が増えていきます。

・「OHエルくらぶ」放送開始
 各企業のOLが回ごと出演し、各社ごとの特徴やランチ模様などを面白おかしく紹介する番組です。いわばOL版おニャン子クラブともいえます。都会で働き、暮らすことがお洒落だとされ始めたことのあらわれでもあり、以後、地方に生まれ育った女性でも、高校を卒業すると都市部へ出ることが基本となっていったとも言えます。

・大映テレビドラマの人気低下
 大映テレビが製作するドラマは、「スチュワーデス物語」で人気が始まり、「不良少女と呼ばれて」や「スクールウォーズ」で人気を博していました。この年は「この子誰の子」(演:杉浦美幸)が放送されましたが、さすがに大げささや嘘くささが飽きられ始めていました。

・TBS若者向けドラマ人気加速
 1984年の「うちの子にかぎって」、1985年の「毎度おさわがせします」で、ドラマに新しい風を吹き込んでいたTBSは、さらにその傾向を加速させます。
「セーラー服通り」では女子高生の日常を、「痛快OL通り」では同じくOLの日常と恋愛を描きます。「男女7人夏物語」は、古典的となっていた若者群像ドラマを近代化したもので、トレンディドラマの始まりの一つの作品とされています。

他局でも、フジテレビは中山美穂主演で「な・ま・い・き盛り」を製作します。お色気要素は当時としては控えめにする一方で、明るく楽しく適度にじゃじゃ馬な中山美穂演じる主人公女子高校生が特徴でした。以後、中山美穂は「視聴者層の友達やお姉さん」的人気を得ていきます。

・「太陽にほえろ!」放送終了と「あぶない刑事」放送開始
 石原裕次郎自身の病気の進行が番組終了の理由ですが、視聴率は徐々に落ちていました。都会で挫折する若者を描くことが得意なドラマでしたが、この時代では古くなりつつあったのです。その後、脚本賞化と次の番組準備のために、3か月間「太陽にほえろ!partⅡ」が放送されますが、長寿番組の終了に多くの人は「昭和は末期に差し掛かっている」という感覚を持っていました。

一方、日曜日夜に放送が始まった「あぶない刑事」は、前番組の「誇りの報酬」ひいては、1970年代の「俺たちの報酬」に端を発した「バディ刑事もの」です。当初はハードさを売りにしていたようですが、徐々にコミカルな要素を加えて人気を博していきます。刑事の仕事に命を懸けなければ犯人や被害者にも感情移入しない主人公たち、とくに悩みなく犯罪をしている犯人、そして洋楽的な「おしゃれな」劇中曲で人気を博していきます。

・アニメーションの方向性転換
 前年に放送が始まった「TOUCH」は、おもちゃを売らないアニメながら、ヒットしていました。この年は「めぞん一刻」が始まり、アニメながら恋愛要素が受け入れられたり、高橋留美子風美女に魅せられていました。

テレビ朝日は「宇宙船サジタリウス」で擬人化した動物が宇宙船に乗って各星をめぐっては冒険したり人助けをするアニメです。地味ながら魅せるストーリーでロングラン放送となりました。

また、フジテレビは「あんみつ姫」を放送します。何度もリバイバルする古典作品ですが、アニメ版は活発なあんみつ姫の冒険的物語となっており、ここでも女性が活躍する姿が描かれています。

・男性ファッション誌「Men’s NON・NO」創刊
 1960年代半ばにVANなどのジャケットが流行して以降、男性のファッションという分野はありませんでした。そもそもファッションをするのは女性で、男性でファッションをしているのは
「男らしくない」
「男は中身で勝負(女は外見?)」
「見た目がかっこ悪い方が中身が充実している」
などと言われていました。それが、いよいよ男性にもファッションをしてよいという空気が流れてくるのです。

・ファミコンブーム本格化
 1985年に発売された「ゼビウス」がキラーコンテンツとなって、ファミコンブームが進んでいきます。この年はヒットはないようですが、「ファミコン必勝本」「勝ファミコン」「ファミコン通信」などと、ファミコンのゲームを紹介したり、ゲーム中の技を紹介する本が次々創刊されました。さらに国際的人気となった「スーパーマリオブラザース」は翌年、社会問題から歴史になった「ドラゴンクエスト(Ⅲ?)」は、さらに翌年の発売です。ファミコン雑誌などで人気があった「高橋名人」と「毛利名人」が主演する映画も製作されたようです。

・衣笠祥男選手、2000試合出場
 広島カープの選手だった衣笠選手は、特別活躍するスター選手ではなかったものの、2000試合に出場します。最後は体を壊していたようで1打席出場などと言うこともあったそうですが、余力を残して引退しテレビで活躍した江川卓選手と対比、ボロボロになるまで働いた姿が賞賛されました。

・霊能タレント「冝保愛子」デビュー
 デビューと書きましたが、確か普通の主婦の方だったはずです。霊能力に優れているとされ、各種の霊能番組、果てはバラエティ番組に出演していきました。すでに霊能番組は十数年放送されていた時期でしたが、霊能者のタレント化は初めてでした。以後、彼女やその他の人を祭り上げた霊能バラエティ番組が増えていきます。

・石原真理子、プッツン行動が止まらない
 引き締まった顔立ちとスタイルで人気があった女優の「石原真理子」が、数々の恋愛ゴタゴタを起こしたり、逃避行を演じたりと突飛な行動が目立つようになっていました。この行動はテレビワイドショーや週刊誌の格好のネタにされ、この突飛な行動を「プッツン」と呼び、彼女のことも「プッツン女優」と呼ぶようになりました。
しかしこの「プッツン」は、ほどなく脳の血管が切れることになぞらえて「すぐに怒る人」や「怒ること」へと意味が変化、さらに言葉が「キレる」に変化していきます。

・ニュース的バラエティ番組増加
 1984年に「中村敦夫の地球発22時」という番組が放送開始、ドキュメンタリー的に物事を紹介する番組がありましたが、さらに平易な内容とした「日本が知りたい」「なんてったって好奇心」などの番組が始まりました。バラエティと言ってもお笑いではなく、見終わって何となく賢くなったような気にさせられるこれらの番組は、以後ドラマに変わって増加していきます。

 いかがでしょうか?エンターテインメントの分野でも、昭和50年代の色合いを強く残した番組が終了し、バラエティ色が強いものが増えていることがわかると思います。バブル期はまだですが、この時代に「まじめになる」ことは、カッコ悪いことであり、場合によってはいじめの対象にされたり、異性から嫌われることにもつながりました。日本人が勤勉さを失い始めた時代だったのですね。
Posted at 2024/02/23 19:34:15 | コメント(1) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2024年02月23日 イイね!

ドラマ「不適切にもほどがある」でフューチャー!1986年を調査する(災害、事件、事故編)

ドラマ「不適切にもほどがある」でフューチャー!1986年を調査する(災害、事件、事故編) TBS系列で金曜日午後10時から放送されているテレビドラマ「不適切にもほどがある」は、1986年当時50歳の教員(演:阿部サダヲ)が、2024年との間をタイムスリップする物語です。当然彼は1986年の中年男性の感覚で行動するのですから、様々なところでトラブルを発生、一方で彼の行動から現代の「過剰コンプライアンス」にも警鐘を鳴らす物語になっています。

そして近代史好きの私には、当然1986年を調べる必要性が生まれました。さっそく、当時の世相を振り返ってみましょう。

事件、事故、災害編

・チェルノブイリ原子力発電所爆発
ソ連のチェルノブイリにある原子力発電所が爆発しました。放射性微粒子が偏西風の波動に乗って日本に到達、雨となって降り注ぐと言われました。そのため、雨が頭に当たると剝げるとすら言われ、少しでも雨に当たらないようにする人が増えました。

・エイズウィルスまん延
 世界各地でエイズウィルスのまん延が始まりました。主に男性同性愛者から拡大するとされ、一種の排斥運動に近い状態になりました。それまでの男性同性愛者は、

「そんな人もいるんだね」
「歌舞伎にも、女装する男性がいるよね」

程度に認識されていたのですが、まるで病原扱いになってしまったのです。

・伊豆大島の三原山噴火
 伊豆七島はほとんど火山なのですが、そのうち最も本州に近い三原山が突然爆発しました。島民は船で避難して無事だったようですが、1999年の「ノストラダムスの大予言」は、富士山が噴火して起こるのではないか、と、なりました。

・三井物産マニラ支店長若王子さん誘拐事件
 フィリピンのマニラで三井物産の支店長をされていた若王子さんという方が、武装集団に誘拐されて身代金が要求されるという事件が起こりました。当時円高によって海外旅行熱が高まっていましたが、海外は危ないことを再認識させられました。本件とは別ですが、台湾を旅行していた女性が現地タクシードライバーに殺害された事件も起こっています。

・トリカブト殺人事件
 男性が妻にトリカブトを接種させて殺害、保険金をだまし取ろうとした事件が起こります。近親者を殺害して保険金を受け取ろうとする事件は度々起こっていますが、男がトリカブトの栽培から行っていたことの計画性が報道されました。

・東京都内でいじめを苦にした自殺問題
 都区内の中学生だったS君が、いじめを苦にして自殺する事件が起こりました。ツッパリと校内暴力、家庭内暴力が起こっていた1980年代前半から急転、この前年からいじめ問題が増加していました。この事件では教員も「葬式ごっこ」などいじめの一部に(知らずに)加担していたことが注目されたのです。前年までは

「いじめなどよくあったこと」
「子供同士のことに親や教師が入り込むのはおかしい」

などと言われていましたが、ようやく社会問題として取り上げられるようになってきたのです。また、「わが子を学校任せにしていたら殺される」と、後年の「モンスターペアレント」問題の遠因ともなっております。
なお、移行期間ならではの現象として、前の時代の「ツッパリ」が気が弱そうな子を集団でいじめるような風景もあったそうです。

・余部鉄橋列車転落事故
 兵庫県の山陰本線の余部鉄橋で、強風にあおられて列車が横転、数十m落下する事故が起こりました。列車は回送電車でしたが、地上所工場が被害を受け、死者が発生しました。その車両が既存の客車を改造した、いわゆるジョイフルトレインだったため、改造の是非が議論されました。

・首都圏大雪と西武新宿線衝突事故
 春分の日以降では過去1位の積雪でした。西武新宿線では耐雪ブレーキを使用しなかったからなのか、後続列車が停車していた列車に衝突する事故が発生しました。

・岡田有希子自殺事件
 恋愛等で思い悩んでいたとされる、歌手の岡田有希子さんが飛び降り自殺をしました。連日の報道のため、ファンや同じような悩みを持っていた若者が後追い自殺をし、国会でも報道のしかたが問題とされました。

・ビートたけしフライデー編集部襲撃事件
 タレントのビートたけしが、自身に都合が悪い報道をした写真週刊誌のフライデー編集部に対して、自身の家来でもあるたけし軍団を引き連れて殴り込む事件が発生しました。報道の正確性は不明ですが、写真週刊誌の過熱した報道や芸能人の人権問題、言論と暴力など、様々な議論が行われました。

・各地で自動車が暴走
 主にA/T車を中心に、「勝手にエンジンの回転が上昇した」「ブレーキを踏んでも止まらなかった」などの理由で、事故が起こりました。千葉県では体育の日に小学生の列に車が突っ込む事故が発生、その車が小径ハンドルを装着していたため、「過敏になったハンドル操作が事故の原因」とされ、自動車の改造も危険だとの議論が生まれました。

いかがでしょうか?今見ると、ずいぶんと杜撰さが目に付いたり、暴力的だったり、過剰に自由すぎたりする点が目に付きますね。まだまだ昔の雰囲気が強かった時代だったのです。そんな時代を生き抜くためには、勉強をしてよい学校に行ったり自身が賢くなったり、あるいは腕力を付けるしかなかったのです。
Posted at 2024/02/23 16:56:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 暮らし/家族
2024年02月23日 イイね!

ドラマ「不適切にもほどがある」でフューチャー!1986年を調査する(政治・経済編)

ドラマ「不適切にもほどがある」でフューチャー!1986年を調査する(政治・経済編) TBS系列で金曜日午後10時から放送されているテレビドラマ「不適切にもほどがある」は、1986年当時50歳の教員(演:阿部サダヲ)が、2024年との間をタイムスリップする物語です。当然彼は1986年の中年男性の感覚で行動するのですから、様々なところでトラブルを発生、一方で彼の行動から現代の「過剰コンプライアンス」にも警鐘を鳴らす物語になっています。

そして近代史好きの私には、当然1986年を調べる必要性が生まれました。さっそく、当時の世相を振り返ってみましょう。

政治、経済
・前年に開催された「プラザ合意」により、急速に円高が進行
1960年代半ばから日本は「原材料を輸入して製品に加工、輸出して利益を得ている加工貿易国」とされ、特に1975年からの10年間はアメリカに自動車や家電を「集中豪雨的に輸出」していました。その結果貿易摩擦が起こっていたのです。円高のために輸出産業府が大きな打撃を受け、「日本の栄華もこれまでか」と感じさせるほどでした。これを解消させるために、これまでの「日本人は休まず働いて利益を得るのにお金を使わない」ことをやめ、休日を増やしたりレジャーをしたり物を買ったりすることが単に推奨されるだけでなく、日本を維持することだとされるようになっていきます。

・都市部地価上昇
上記に伴う金融緩和もあったのですが、都市再開発が叫ばれていました。太平洋戦争直後に都市部に建てられた個人住宅が40年を経過、1964年の東京オリンピック前後に建てられた駅やビルなどのインフラが20年を経過と、双方が同時に寿命を迎えていました。いずれも、単に建て替えるのではなく、高層化や重層化などをしないと都市機能を維持できないとされたのです。そのため、都市部ではまとまった再開発が計画され、個人の木造住宅などは暴力団などを使って追い出しては転売する、「地上げ行為」が行われました。

・男女雇用機会均等法施行
2年前に可決されていた男女雇用機会均等法が施行されました。この法令に基づき、それまでの男性と同等の業務を行う女性を「総合職」と命名、私服で業務で就かせるようになりました。従来の補助業務の女性は「一般職」と区別され、制服を着用して業務をします。しかし職場では、
「女性を営業に向かわせたら、「男をよこせ」と客先からクレームが発生した」
「女性は無責任だからやらせる仕事などない」
などと邪魔にされ、
一般職女性からは、
「お茶くみ、コピー取り、お使いをしないとは言わせないよ」
「四年制大学を出てきたからといって、偉そうにしないで」
と、大変な目にあったそうです。その結果、もとより女性が多かった雑誌社や広告関係に女性が流れる傾向にあった一方、コンピュータソフトやリース、外食産業などの、比較的新しい産業は受け入れていたようです。

一方、社会党では土井たか子氏が委員長に就任し、女性活躍熱は少しずつ高まっていきます。

・マル優廃止と株式投資
非課税貯蓄枠制度(?)のマル優が廃止されることが決定されました。預貯金から金融市場への個人資産の移行が始まりました。おりしも前年に民営化していたNTT(旧電電公社)が株式を公開、その高値と値上がりぶりに多くの人が驚嘆し、株式投資熱が高まります。各種の金融商品へ投資を行うことを「財テク(財務テクノロジーの略)」と呼ばれ、銀行や証券会社は「奥様向け財テク教室」などを開催、さらに投資熱をあおりました。

・労働者派遣法施行
それまで、会社などの団体で職務を行う場合、業務として他社に委託する場合を除いて直接雇用が基本でした。それが、「採用と職務場所は別」となる労働者派遣事業が許可されたのです。この時期では高度で専門性が高い13職務に限定され、現在の「派遣労働者」というよりも、それこそ料理人の「包丁一本さらしに巻いて」の高度なプロフェッショナル色が強いものだったのです。しかし、職務のプロ色は強いものの、まだまだ「重要な業務に社外の者を就かせるわけにはいかない」という会社がほとんどで、派遣労働者になると出世は出来ない傾向はありました。

いかがでしょうか?これまでの昭和50年代(1975-1985年)が、1973年と1979年に発生したオイルショックで比較的停滞した低成長時代だったのに対して、「時代が動き始めた」と感じられたのではないでしょうか。

少々長くなりましたので、他の分野は次回に続きます。
Posted at 2024/02/23 15:13:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 暮らし/家族

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「サザエさんを見ています。タラちゃんの声優さんが変わりましたが、ほとんど違和感がありません。今度の声優さんの貴家さんに対するリスペクトを感じます。」
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