TBS系列で金曜日午後10時から放送されているテレビドラマ「不適切にもほどがある」は、1986年当時50歳の教員(演:阿部サダヲ)が、2024年との間をタイムスリップする物語です。当然彼は1986年の中年男性の感覚で行動するのですから、様々なところでトラブルを発生、一方で彼の行動から現代の「過剰コンプライアンス」にも警鐘を鳴らす物語になっています。
そして近代史好きの私には、当然1986年を調べる必要性が生まれました。さっそく、当時の世相を振り返ってみましょう。
機械編
・カムリ/ビスタがフルモデルチェンジ
初代はシンプルで室内が広い前輪駆動のセダンとして売り出しましたが、シンプルすぎて持つ喜びが足りない、という声があったようです。そのため外観はやや丸く、室内はベロア調など贅沢志向にしました。特筆だったのは「ハイメカツインカムエンジン」です。カムシャフトプーリーを1個とし、もう一方のカムシャフトはカムシャフト間のギヤで駆動する方式です。バルブタイミングの自由度とバルブの大きさが低下しますが、シリンダーヘッドを小さくできます。以後、他社でも同様の方式のツインカムエンジンが増えていきました。
ソアラフルモデルチェンジ、スープラ登場
ソアラは初代で成功した「高級高性能大型クーペ」の性格を強め、スープラも先代のセリカXXよりも高級志向を強めていきます。どちらも似たような車になりましたが、ソアラは比較的高年齢層にも受け入れられ、スープラは若年層寄りでした。そのため、スープラはデートカーになったとも言えます。しかし、ソアラはほとんど性格を変えないまま熟成を図っていったのに対して、スープラはこの後徐々にスポーツカー化していきます。
セリカにGT-four追加
ハイパワーなスポーツクーペのセリカに、フルタイム4WDモデルが追加されました。ハイパワーを4輪に振り分け、安定して走行できるようにする目的です。すでに他の国産車がフルタイム4WDを採用していましたが、ついにスポーツモデルでも4WD化が始まったといえます。
スターレットにもターボエンジン車追加
自然吸気1300ccEFIエンジンでもかなりのハイパワーを誇っていましたが、ターボ装着でついに105馬力を実現しました。相当なハイパワーで、以後、モータースポーツベースとしても、血気盛んな若者用としても人気を博していきます。
姉妹車化が進む日産
1600ccエンジンクラスだったスタンザを、新たにブルーバードの姉妹車として登場させました。先行していたオースターとともに3姉妹となるのですが、ブルーバードともどもあまり人気があったモデルとは言えず、単なる販売店競争の現れでした。
同様にパルサーもモデルチェンジしますが、リベルタビラとラングレーもモデルチェンジします。サニーにはRZ-1のサブネームを持つクーペを追加しますが、いずれもモデルごとの差異が小さく、存在意義が疑問でした。ただし、ビスカスカップリングをセンターデフとして使用した、「フルオートフルタイム4WD」は簡易的な4WD化として、現在のスタンバイ4WD方式の元祖になっているといえます。
レパードがフルモデルチェンジ
初代モデルは2ドアに加えて4ドアセダンもあるなど、かつてのブルーバード2000GT的性格だったレパードは、2ドアクーペのみで登場します。濃紺をイメージカラーとするなどシックな印象でしたが、ソアラのハイパワーエンジンのインパクトと比較すると地味に映ってしまい、さらに人気を落とすのでした。しかし2024年現在、「あぶない刑事」ファンにこのモデルが支えられていることを考えると、歴史上の存在となってしまったソアラは、古臭く見えてしまいます。
ルーチェをフルモデルチェンジ
やや線が欲しく華奢な印象だったルーチェが、丸くマッシブな印象のスタイルにモデルチェンジしました。高剛性ボディとマルチリンク式リヤサスペンションは、後の「走りも高性能な高級車」のはしりともいえ、新時代の高級車像を打ち出しました。しかし、翌年にフルモデルチェンジを受けたセドリック/グロリアも同様の路線をたどることになり、短い天下でした。
デボネアをフルモデルチェンジ
1960年代前半から細々とつくられていたデボネアが、とうとうフルモデルチェンジされました。この時代でも遅れていた角張ったスタイルを採用しており、「旧型も古臭いが、新型は出たときから古臭い」と言われました。
シティをフルモデルチェンジ
背が高く新しい感覚の乗用車として登場した初代シティは、この頃になると特徴の一つの「ポップな感じ」が「1980年的で古臭い」と言われていました。この二代目は反対に背を低くし、運動性能を高めるホンダ流になりました。この頃は1200ccエンジンしかありませんでしたが、後に追加される1300ccエンジンモデルは、現代でも相当な高性能を発揮します。
レオーネにフルタイム4WD設定拡大
頑固にパートタイム4WDを続けていたスバルは、ここへきて方向転換をして、フルタイム4WD車の設定を拡大してきました。自社の技術に強い自信を持ち続けると、いつのまにか他社に追い抜かれる良い例だといえます。
カルタスにDOHCエンジン搭載のGT-i追加
ごく簡素な「リッターカー」だったカルタスに、1300ccDOHCエンジン搭載車を追加しました。現代の「スイフトスポーツ」の先祖です。こちらもスターレットと同様、速いコンパクトカーを望む若者向けの商品ですが、スターレットと比較すると当時の台数も、その後残った台数も少ないように感じます。
アルトにDOHCエンジン搭載車追加
ハイパワーエンジン搭載のワークスが登場する前に、DOHCエンジン搭載車を追加しました。別途、ターボエンジン搭載車もエンジンをパワーアップしています。ライバルとなるダイハツのミラは前年にTR-XXを追加しており、軽自動車パワーウォーズ幕開け直前となりました。
FFジェミニにターボエンジン追加、イルムシャーシリーズを展開
他社のコンパクトセダンとはやや異なる性格のFFジェミニに、ターボエンジンが追加されました。ドイツのイルムシャー社でチューニングを受け、エアロパーツやエアロホイールカバーを装着しています。あわせてカースタントを用いたテレビCMの展開を始めたのもこの頃で、カローラやサニーとは異なる、若者向けの4ドアセダンというジャンルを開拓していきます。
・ANAが国際線の定期運航を開始
それまで国内線のみだったANAが国際線の定期運航を開始し、国策会社だった日本航空と競争が激しくなっていきます。ここにも、国鉄の失策の反省があるのでしょうかね?
・国鉄埼京線が新宿まで延伸
それまで池袋止まりで、赤羽線の性格が強かった埼京線でしたが、新宿まで延伸します。武蔵野線開業で空いた山の手貨物船を利用した乗り入れで、以後、東北線や高崎線乗り入れの先鞭となります。この国鉄ネットワークにより、東武や東急、小田急をはじめとした関東私鉄の苦戦が始まります。
・近鉄東大阪線、大阪市営地下鉄中央線と乗り入れ開始
関東と異なり、私鉄が都市部内ターミナル駅まで乗り入れていた大阪では、私鉄と地下鉄の乗り入れは行われていませんでした。それがこの乗り入れにて実現されたのですが、以後、それほど広まっていません。
・日本テレコム、第二電電、東京通信ネットワーク、日本高速通信事業開始
電電公社の民営化により、通信事業への参入が自由化されます。それまで会社専用電話網を持っていた会社が、新たに通信事業者として名乗りを上げたのです。この流れは、後年の携帯電話競争時代まで続いていきますが、再編も行われていきます。
・富士フィルムが、使い捨てカメラ「写ルンです」を発売
それまでも何度かカメラブームはありましたが、主に男性主体でした。写ルンですは、カメラとしての機能を最小限として、むしろ撮影を気軽に出来るようにしたものです。ブームとなるのはもう少し後ですが、「写真はかしこまって撮影するものではなく、気軽に日常を撮影するもの」とした効果は大きかったです。併せて、カメラはマニアのもの、という見かたも徐々に低下していきました。
・アスキーが、マイクロソフトとの提携を解消
今や消滅したアスキー社ですが、当初はマイクロソフトの日本代理店位置づけだったのです。まあ、マイクロソフトの方も今やあまり名前を聞かなくなってきていますが、コンピューター技術の会社というのは、トップであり続けるのは難しいのですね。
・PC-9801UV2発売、FM音源を初搭載
今やパソコンが扱う音源など無限だといえますが、この機種以前はごく簡単な、PSGという簡易的な音しか出せませんでした。FM音源化により音楽の自由度が高くなり、パソコンならではの音楽というものが出来始めました。
・PC-98LT、初のラップトップパソコンとして発売
こちらも今やパソコンの主流となる、折りたたみ、持ち運び自在なスタイルが、このPC-98LTで始まりました。ラップトップとはいえ膝上にどのくらいの時間載せておけるかはわかりませんが、持ち運びが自由になったことは一部の人には有効だったのかもしれません。
・PC-8801FH発売、パソコン初のブラックモデル
それまでパソコンと言えば、アイボリーかグレーというのが相場でした。オフィスになじむカラーとでもいうのでしょうか。このPC-8801FHはパソコン初のブラックボディとして登場し、以後、他社の機種にも広まっていきます。ブラックは個人需要を狙ったものとされており、以後、家電製品にもブラックが増えていきます。
・X1G、縦置き筐体で登場
一時、DELLなどのオフィルマシンでは、縦置き型が主流でした。その先駆だったのが、シャープのX1Gです。縦置きにより床面積が縮小、置き方が自由になるということが売りでした。
・ファミコンにディスクシステム登場
それまでのROM要領では複雑なゲームが出来なくなり、外付けのディスクシステムが登場しました。シャープが製作していた「クイックディスク」そのもので、読み取り速度は従来のフロッピーディスクに劣るものの、容量の上ではそれまでのROMをはるかに上回る、ということが特徴でした。しかしよく年頃から、より容量が大きな「メガROM」が登場し、ディスクシステムはあっという間に旧退化してしまいました。
・ブラザー工業、ソフトウェア通信販売システムの「TAKERU」の展開を開始
ソフトウエアは、データです。データならデータセンターに記憶させておき、必要に応じて送信、店舗の置いた自動販売機でダウンロードして、ディスクに格納することが可能です。ミシンやパソコン周辺機器製造メーカーのブラザー工業は、パソコンソフトのTAKERUの展開を始めました。
しかし、TAKERUで購入したソフトは箱が汎用のものになるにもかかわらず、価格は店頭販売品と同じ、ということで、まったく人気が得られませんでした。当時のパソコンソフトは、イメージ商品でもあったのです。現代の、本や漫画やゲームは権利を購入する、とは全く違った時代だったのですね。
しかし後年、ブラザー工業はTAKERUのシステムを活用した「通信カラオケ」事業に「JOY SOUND」として参入、大成功を収めるだけでなく、若者にカラオケを普及させたり、邦楽市場の拡大にと、世の中の動向すら変えてしまいました。
・ヴァル研究所「首都圏電車網最短経路案内システム」を発売
今でいう、「駅すぱあと」です。いや、駅すぱあとの機能が各サイトに格納されて、使用を意識しない人も多そうです。まあ、当時はまだまだマイナーな存在でしたが、気軽に経路や乗り換えを検索してくれるシステム、いや、検索システムとしての大きな一歩だったのかもしれません。しかし、鉄道好きには「そんなの頭で考えれば良いのに」という印象だったようです。
いかがでしょうか?懐かしいモデルやサービスはありましたか?ハイパワーかつ高性能モデルが多数発売されたのは1987年以降で、この年は自動車の上では小休止といった状況です。米国に工場を建設するなどの、円高対策に追われていたからかもしれません。また、文化の上でも自動車が必ずしも若者の中心というわけでもなく、まだ「郊外の人の移動の足」的側面が強かったようで、1980年代前半の空気が残っていたようです。