「<a href='https://minkara.carview.co.jp/userid/243946/blog/46635934' target='_blank'>働かないおじさん</a>」はすっかり有名になりましたが、私のこれまでの経験の中には、「働かないお兄さん」もいました。今回は、その出来事をまとめてみます。
なおこのブログは、事実をもとにしたフィクションであり、文中の名称などはすべて架空のものです。
<span style='font-size:20px;line-height:130%;'>事例1.「矢崎さん」事件</span>
その職場は、出勤当日に働く各員が自分の裁量で「配達と受け取り仕事」を請け負い、始業時刻とともに外出する様式でした。だからと言って無制限に仕事を請け負うことは出来ず、行先の指定がない限り17時よりも前には仕事先に行き、指定があればその時刻に、とはいえ最終でも18時頃というのが大半の仕事でした。
ただし、給料は時給制であり、請け負った仕事の量とは無関係でした。しかし、だからといって
「給料はもらいますが、仕事は一件もやりたくありません。」
と言って事務所内に鎮座することは、さすがに出来ませんでした。
当時私は既にこの仕事に慣れており、
「ああ、ここが行けるね。あれ?ここも近いなあ。おっと、ここもすぐそこだよ。えー、こっちも近いじゃないかあ。こまったなあ。(ニコニコ)」
と言っては仕事を取ることが好きで、全部行けないことが残念にすら思えたのでした。それにしても、今思えば「誰がどこに行くか」を管理しないのはダメですよね。働いている人が「行くのやーめた」といって、配達物を捨てていたら大問題ですから。
そんな無管理状態でしたので、モラルハザードに近い事案が起こったようです。そのお兄さんはいかにも「温厚なおじさん」といったやや老けた顔立ちで、ちょうど俳優の矢崎滋さんに似ていました。(以下、矢崎さんとする。)
その日私は、長距離仕事を1件こなした後に短距離仕事を1件対応、事務所内に午後4時半頃に戻るという、珍しく早く帰社した日でした。矢崎さんともう一人の男性が事務所内の控室に座っており、その頃の経済動向について当たり障りのない会話をしていました。
午後4時45分頃だったか、職長がその場にやってきて、矢崎さんにこう言いました。
「あんたさあ、今まで何していた?仕事もせずにずっとおしゃべりしていたでしょ?ふざけんなよ。」
社内は、怒る、怒られるようなことがめったになかったのですが、私も矢崎さんももう一人の男性も、固まってしまいました。
職長がその場を去ったあと、矢崎さんはもう一人の男性と、
「仕事をして、「ありがとう」と感謝されるならともかく、怒られるようなら来ない方がましですよね。その分会社も給料を払わなくて済むし。」
と話し、定時の17時で退社、その後出社しなくなって自然消滅しました。
私は翌日準備の仕事があったために、定時以降も残っていましたが、そこに職長やその他の職歴長めの男性がやってきて、矢崎さんの一件についてこのように語っていました。
「あの男(矢崎さん)さあ、いつも仕事を少なく受け取って午後4時頃に戻ってきて、ゆっくり休んで定時に帰っているんだよね。どうしようもないよ。」
私は、それならもっと早めに注意をすればよかったように感じたのですが、そこは個人のモラルにゆだねる職場だったのでしょうね。こうなるなら、やはり仕事評価は出来高制のように感じます。
おまけ
職長がやって来た時、矢崎さんともう一人の男は「経済動向を中心とした世間話」をしていると書きました。この事件の思い出から、私の中では「経済概論的世間話」は、仕事が出来ない人ならではの特徴ということで記憶されてしまいました。しかし、どうやらどの場でも共通するようです。
<span style='font-size:20px;line-height:130%;'>事例2.「キセルさん」事件</span>
上記と同じ職場の出来事です。この職場にはいろいろな人がいましたが、私は「出身大学によってカラーが違うものだなあ」と、眺めるだけでもいろいろ興味深い人の違いがありました。
聞けば誰もが知っている有名大学の「ノッキング大学」出身だったキセルさんは、柔らかい物腰と誰とでも仲良く話す親しみやすさ、そして何となく育ちの良さを感じさせる風貌と、その他の方とは違う感じが漂っていました。
しかし、私が「この仕事の繁忙期」初出勤となったその日、キセルさんはトラブルを起こしてしまいます。顧客のところに訪問した際に、コートを脱がずに挨拶をしてしまい、顧客から会社に苦情の電話が来たとのことです。
海外ではお客さんのところに来た際にコートを脱ぐことは、お客さんのところに長居をすることを意味するらしく、むしろ失礼とされています。しかし、日本ではコートを脱ぐ方がマナーになっています。
監督社員がキセルさんを個別に呼び出し、上記のことを注意したと聞いています。キセルさんは仕事の上では失敗した話を聞かなかったので、職場内でも
「みんな気を付けよう」
程度に話し、特にキセルさんを責めはしなかったそうです。
ところが、翌日からキセルさんは来なくなってしまいました。キセルさんにかぎらず、何かのきっかけに来なくなってしまう人は多数おり、会社側も自然消滅した人を呼び戻しませんでした。キセルさんはもう何年もこの仕事をしていたとかで、その後の職場では、
「こんな形でキセルさんとお別れになるとは、なんだか寂しいね。」
と話していました。
ところが、その日から2か月ほどたった頃、ちょうど繁忙仕事が終わり、会社が費用を負担する「お疲れ様会」が開かれるその日、キセルさんは何事もなかったかのように出社してきました。ノッキング大学出身者はキセルさんのみで、他にキセルさんに個別に連絡をするような人はいなかったのに、皆、
「何というグッドタイミング(?)だ!」
と、互いに顔を見合わせたのでした。
それでも一部には、何事もなかったかのようにキセルさんとおしゃべりをする人がいて、「なんと温厚な」と、これまた驚いたのでした。キセルさんは、怒られた翌日頃から来た日頃まで、当初から旅行する予定だったそうです。
もちろん、キセルさんはその後のお疲れ様会に参加したのでした。
なお、この職場は一定の年代になると自動的に退職する仕組みになっており、キセルさんは自然退職に該当します。
まあ、矢崎さんの例と同様に、いくら仕事をしてもしなくても、給料は同じです。キセルさんが出勤していない期間は無給です。偶然とはいえお疲れ様会の日に出勤し、繁忙期仕事をしていないのに会社の金で飲食をするのは、何だか複雑な思いでした。しかし、「働かざるもの食うべからず」と言って追い返すのも寂しいですし、「まあ、結果オーライ」だったといえます。
人柄が温厚なことは、仕事とは別にして考えないといけないのかもしれませんね。
<span style='font-size:20px;line-height:130%;'>おわりに</span>
私が矢崎さんやキセルさん、職長と会うことは、おそらく一生ないでしょう。本名も忘れてしまいましたし、向こうにとっても同じだと思います。そのため、ご当人がこのブログを読んでも、おそらく自身のこととはわからないと思います。
どちらの人のことも、「働かないおじさん」に通じる要素であり、働かないおじさんは、彼らがお兄さんの時点である程度決まっている可能性が高いと感じます。