2017年11月05日
荻野目洋子リバイバルニュースに、旧車ブーム始まりの頃を思い出す
大阪の高校のダンス部が踊った「'90年代ダンス」が話題になり、荻野目洋子さんが再注目されているそうですね。
荻野目洋子さんや長山洋子さんは、おニャン子クラブと同じ時期に人気があり、アイドルブームとバンドブームの間を支えました。それまでの松田聖子さん以来の「アイドル歌謡曲」ブームが、麻倉未稀さんの「洋楽カヴァー」曲に徐々に取って代わり、荻野目洋子さんと長山洋子さん、winkなどによって幕が引かれたように思います。
時は実際のバブル期よりは少し前のことでした。それ以前には「旧車ブーム」などは、ごく一部の傾向だったようです。昭和50年代半ばの本でも、クラシックカーを愛でる人がいることが、「間違いだらけのクルマ選び」にも書かれていました。
昭和59年に「よろしくメカドック」がテレビで放映されました。その中では、初代セリカは単なるポンコツ自動車扱いでした。概ね昭和50年代半ばの傾向がそのまま続いていたと思います。その頃のクラシックカーとする感覚というと、以下のようだったと思います。
トヨタ2000GT(希少価値)
トヨタ800(小型スポーツカー)
トヨタ1600GT(トヨタ2000GTの部品を使った、普通の人でも買えそうなクルマ)
日産フェアレディZ432、240Z(Z432がスカイラインGT-Rのエンジンを用いていたこと、そのエンジンが不調だったということ、後に2400ccエンジンを搭載して好評になったというウンチクを含む。この節は、間違いだと思います。)
プリンススカイラインGT-A,GT-B(ボデーを延長して6気筒エンジンを搭載、レースでポルシェを抜く)
日産スカイラインGT-R(ハコスカ、ケンメリ、ケンメリの生産台数が少ないウンチクを含む)
日産シルビア(ハンドメイドということ)
マツダコスモ(宇宙船的スタイルとロータリーエンジンの実用化)
いすゞ117クーペ(長期生産車ということ、ハンドメイドということ)
その他の車は、古くてもただ古いというだけで、早く言えば価値のない車という扱いでした。その頃は、昭和55年頃から始まった、「コンピューター時代」が続いていました。1978年から発売された「パーソナルコンピューター」がブームとなり、テレビゲームだけでなく「仕事もコンピューターの時代へ」と言われるようになりました。昭和57年には「ゲームセンターあらし」がアニメ化、昭和59年には、太陽にほえろ!に「マイコン刑事」が登場、素手で拳銃に向かう時代から、パソコンを使って推理をする時代への変化を感じさせました。
音楽も、前述の洋楽カヴァー系だけでなく、デジタルサウンドも多数出てきました。麻倉未稀さんだけでなく、松任谷由美さんや中原めいこさんなどがそうです。結果、アナログ的なものは「古くて前時代的」と評価されたものでした。ハコスカは、GT-Rはただ希少という点で価値があるとされましたが、2000GT-X以下は4気筒エンジンでも何でもゴミ扱いでした。
そして昭和62年1月に、日産からBe-1が発売されました。ご存知の通り台数限定生産車でした。この頃から、「おいしい店」に行くことや「希少価値が高いもの」を購入することに、行列が出来る現象が起こっていました。その頃既に、サーブ900やソアラが「女子大生ホイホイ」とナンパ車とされていました。BMW3シリーズに至っては、「六本木カローラ」と言われるありさまで、珍しくも何でもない存在になっていました。
それが、高級車でもなければ輸入車でもないBe-1が「クラシックでかわいい」と評価されたのですから、これまでの流行がひっくり返った印象でした。
Be-1の事前予約人気のあと、女性の気を引くためや、仲間から評価されるがために、レトロブームが始まったように思います。同年秋頃には、レトロ家電製品(電話やテレビなどで、性能は新しく見た目は古く、という製品)が発売されました。同じく、既に時折放送されていた「懐かしのテレビ番組」企画が常設された形の、TBS系「テレビ探偵団」が始まりました。
昭和59年にデジタル感覚が最新とされながら、昭和62年にはレトロ感覚から始まったとは言え、古さが売りになるのですから、流行とは気まぐれなものです。
旧車ブームは何度か極大となった時期がありますが、平成3年には100万円を超えるブルーバード510型がありました。昭和40年代前半までがクラシックカーとされ、昭和40年代後半の車は「ただ古いだけ」とされました。特に排出ガス規制開始後の車は「ゴミ」とすら言われました。
そんな時代にT130コロナを38万円もの値段で売っていたのですから、お店は丸儲けですし、私の周囲の人は「ゴミでお金を取る詐欺師のお店」と言いました。
余談
デジタルブームに乗って、額に汗して犯人を追い詰め、説得で事件を解決する刑事ものドラマは、「古くてダサい」と一蹴されました。太陽にほえろ!は、パート2が昭和62年年頭に、特捜最前線は同年秋に放送を終了しております。
当時の若者(新人類、バブル世代)は、「仕事は給料を得る手段で、早く退勤して街へ繰り出して遊びたい。」と思っていたそうです。だからこそ、仕事も手を抜いて楽にしているように見える「あぶない刑事」がもてはやされたのです。
そんな太陽にほえろ!ですが、1992年末に放送開始20周年を記念してVHSビデオ化が開始、私は場合によっては車を買うのをやめて太陽にほえろ!ビデオを全巻揃えても良い、と思っていたほどです。
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旧型車 | クルマ
Posted at
2017/11/05 22:57:41
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