
昭和46年に発売されたブルーバードUは、ひとつ前のブルーバードを比較して曲面を多用したボデーが特徴的でした。1980年代初め頃は街中を走るブルーバードUの台数は非常に多かったのですが、急激に910型やU11型と置き換わっていきました。私は、1970年代初めを代表するスタイルの乗用車の一つだと思っています。
今日語られるブルーバードUに対する評価は、「旧型の510型と比較してスタイルが変わりすぎて不人気となった」ということが定説です。
しかし、みんカラ内のお友達が具体的な販売台数の表やグラフとともに史実をたどると、「第一次オイルショックとこれに伴う価格の上昇により、ブルーバードはコロナと共に販売台数を減らし、さらにギャランシグマやアコードの登場、スカイラインの大人気の影響を受け、昭和48年以降は販売台数が伸び悩んだ。」が実際のところのようです。
私がその史実を再検証するのはおこがましく、これを覆す新事実もありません。そこで、「ブルーバードUが不人気車と言われるようになった経緯」を探ってみました。
その1.ブルーバードU販売直後
ブルーバード510は、その前の411型発売時と比較し、急激に販売台数を伸ばしました。ブルーバードU発売時には510型も併売され、また、販売台数が再度急激に上昇することもなかったようです。そのため日産側は、「ブルーバードUはブルーバードの直系ではない。」という発表をしました。そのため、「日産自身がブルーバードUを失敗作だと言った。」と後に勝手に言い換える人が現れた原因と推察されます。
その2.旧車本
添付の写真は、1991年前半に発行された「ノスタルジックヒーロー」誌の記事です。不人気車とは書いておりませんが、不幸なブルーバードを表現されています。ブルーバード510の頃は競争相手というとコロナしかありませんでした。しかし、コロナマークⅡやカリーナ、ローレルやバイオレット、ギャラン、カペラ、レオーネなどが登場し、同じクラスにたくさんの車種がひしめき合うようになりました。そんな中ですから、単一車種として同じ販売台数を稼ぐことは困難だと考えます。それを「不幸」というのは、脚色が行き過ぎていると思います。
余談
このブルーバードUのオーナーは、同じ号の読者売買欄にて、このブルーバードUとコレクションのもう一台を売却しようとしています。程度が良い1台に絞るためなのか、当時すでに崩壊していたバブル経済のため、家計が悪化していたのか、理由は不明です。今でもSNSやオーナーズクラブで活動されてないか調べてみました。お名前が出てこないどころか、2010年の破産者リスト掲示板にお名前が出ておりました。
その3.所ジョージ氏
1990年代前半、所ジョージ氏の自動車トーク番組が深夜枠に設定されました。その中で氏は、「ブルーバードU、懐かしいですね!当時日産が下取りにこの車が入ると、再販せずに潰していたという欠陥車ですね!」などと言っていました。当時すでにリコール制度は確立されていました。もしブルーバードUが本当に欠陥車だとしてこのようにされていたら、それこそ社会問題です。
仮に再販されていなかったとしても、当時の情勢に鑑みると不自然さはありません。実際のところは、
「当時クーラーが普及をはじめ、クーラーがついていない車は中古車価値が低いため、売れなかった」
「ブルーバード910型を売るために、下取りで入ってきた、単に同じ名前のブルーバードUは、再販しなかった」
「触媒の交換時期が48か月に指定されていたペレット式酸化触媒の昭和50年対策車は、触媒を交換してまで乗り続ける人が少なく、再販上も手間がかかったために潰された」
あたりがその理由ではないか、と推察されます。
その4.徳大寺有恒氏と三本和彦氏
当時をはせた自動車評論家と自動車ジャーナリストです。今でもファンが多く、いち素人の私がネガティブなことを書くと、どんな反論が来るものやら。
しかし、氏たちは軽妙なトークが特徴である反面、データに基づいて語ることは苦手とお見受けしました。いわゆるコメンテーター喋りです。テレビ番組には有効かもしれませんが、「思い付きトーク」が多すぎるのです。
徳大寺有恒氏は、書の中で「ブルーバードは、510は素晴らしかったが610,810と駄作が続き、910で復活した」と語り、三本和彦氏はテレ部番組の中で、「810、ああ、あの失敗作ね。」と日産の人を前に言っていました。
これらの、610と810に対する徳大寺氏の評価や、三本氏の810に対する発言が610への評価と置き換わり、後に本を書く人が「610は不人気車」と書いたものと推察されます。
その5.モータースポーツ評価
モータースポーツ用として使用される車のうち、その道に入り始めた人は「少し前にモータースポーツ用として多用された車」を選ぶ傾向にあります。チューニング手段が出尽くしているうえにパーツが豊富、より速い車に移行した人の車を安く譲ってもらえたり、部品を仲間内で融通できる、などの利点があるためです。
ブルーバード510はラリーなどを中心に多用されました。しかし、その後他社から発売される車の方がパワフルになってきたこと、ブルーバードUは510型からほとんどパワーアップしなかったこと、ブルーバードUになって重量が増したことなどから、ブルーバードUをモータースポーツ用として選ぶ人は少なかったようです。
そのため、「遅い車」→「モータースポーツ用として適さない車」→「モータースポーツ用として不人気な車」→「不人気な車」と、勝手に言い換えられたのではないでしょうか。
まとめ
今や、本やインターネット読み物の編集者は、ウイキペディアやサイト内に書かれたことをそのまま書いて編集している人ばかりです。当時を生きていた人がいだすきっかけとしてそのような資料を補助的に使用することと、当時を知らない人がとくとくと信用する場合とでは、書かれ方が違います。結果、上記の出来事にどんどん尾ひれがつき、「ブルーバードUは不人気車」と、勝手に事実化されたものと推察されます。
世の中に伝承される「各種の格言や言い伝え」にも、このように勝手に生成された事実が多数あると考えられます。今後も、「いかにも事実めいたこと」は、その出展も含めて、厳しく調べていきたいと思います。
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旧型車 | クルマ
Posted at
2020/02/03 22:05:39