2020年02月08日
「働かないおじさん」論とビジネス書仕事論の矛盾
ここ最近のビジネス書サイトを見ると、「働かないおじさん」論が多数掲載されています。もはや古くて読む価値を感じません。
私がアルバイトをしていた頃、過労死問題で挙げられた広告代理店内に入ったことがありますが、フラーっとオフィス内を歩いているおじいさんに近い年代の人がいました。
また別のアルバイトでは、グループ中核企業から送り込まれた「部長」の私物には、パターゴルフセットがありました。アルバイトまで午後11まで残業する繁忙期の中、勤務時間中は席にいるだけで、定時に帰っていました。
この起源を探っていくと、とある論にたどり着きました。
「プログラマー35歳定年説」
1983-6年頃、オフィス内にパソコンが導入される機運が生まれました。その前にもコンピューターが導入される時代がありましたが、これは大型コンピューターのこと、この時の論は、単独で処理能力があるパーソナルコンピューターを使ったプログラムのことです。
年齢が35歳になると、技術の進化に人間の能力進化が追い付かず、使い物にならなくなった当人は、人間的廃業に追い込まれるというものです。
しかし、実際には技術が革新的に進歩することはなく、これまでの改良で進んでいきました。また、実際にコンピュータープログラム事業としている人に聞くと、「35歳になれば管理職となり、プログラマーを指揮して仕事に当たったり、営業職として取引先との折衝に回る」とのことでした。
ところがこの論は、勝手に独自の「進化」をさせられます。
当時のおじさんだった昭和10-20年代半ば産まれの人は、「人間、35歳になったら現場仕事なんかしているものではない。」と勝手な説を唱えます。既に学校を卒業したら勤め人になることが当然であるかのような世の中になっており、部下として入社してくる人間が次から次へと出てきます。
ところてん式に押し上げられた「おじさん」は、管理職となり、管理職に空きがない場合には、それこそ「副」や「補佐」、または「新設した管理職」となります。部下の人数が多いものですから、何もしなくても仕事は進んでいきます。そのため、
「業務終了後にポンと肩に手を置いて飲みに誘う」
「取引先との関係円滑化のため、接待と言っては飲みに行く」
役になっていきます。しかし、本来の実働と離れたことをされたところで、何の意味もありませんよね。結局、年齢を重ねるほど仕事は出来なくなっていき、物の進化には追い付かなくなり、そのまま退職をするということになっていきます。
すなわち、「35歳になるまでその職場で頑張れば、あとは定年退職まで安泰」という世の中にしていったのでした。
「働かないおじさん」を作った「ビジネス書論」は、まだまだあります。
「誰が評価しても同じ評価になる人事評価術」
働いている人に目標を設定させ、しかるべき期間後に達成度を働いている人に評価させる手法が、昭和末期から平成の初めに導入されました。なんでも、海外の人事評価方法ということで、積極的に進められました。
とはいえ、それまではセールスマンなどの「出来高制」以外は「情実人事」で、「飲み会に付き合ったか」「仲間から好かれているか」「自分が好きかどうか」で評価していたのですから、そんな手法でもないよりはましでした。
結果、その職場の労働内容を知らなくても、人間的な深みがなくても、誰でも管理職が務まるような手法となっていきました。技術的に人間的にも年輪を重ねているとはいえない人を管理職に据え付けたところで、普通の人は尊敬しませんよね。「尊敬」のメカニズムを解析していない、「口だけ論」だと思います。
「答えを出さない上司」
人材育成本の流行で、「相談されても答えを言わず、考えさせる手法」が推奨されました。相談された方が明確な答えを持っており、教育のために部下に考えさせるのなら、この手法の存在意義がわかります。
しかし、「何もわかっていないのに、「答えは君の中にある」だとか「その答えを考えることが君の仕事だ」などと言われたら、相談した方は呆れるしかありません。呆れから尊敬は生まれません。結局、働いている人と管理職は乖離していくのでした。
「働かないおじさん」をビジネス書が取り上げますが、結局、「ビジネス書が取り上げてきた各論を忠実に実行してきた元若者」が、今の「働かないおじさん」だったのです。
ビジネス書の各論は、必ずしも同一人物が記述をしていません。また、「実際に始めてみたら、良いこともあったけれども悪い面もあった」ということかもしれません。しかし、ビジネス書が書いていることは、常に疑いながら読む必要があるということは、明らかだと思います。
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Posted at
2020/02/08 21:16:28
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