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2021年06月13日

「ネットカフェ産業」の早い栄枯盛衰

「ネットカフェ産業」の早い栄枯盛衰  今日のサーチエンジンニュースヘッドラインには、ネットカフェの惨状を記す記事がありました。特にこの1年少々の間は、コロナウィルス下での失業等により、住居を失ってしまった人や、心の問題や生まれつきの点がある方、犯罪関係に巻き込まれた方もいると思われる内容でした。

そもそも、ネットカフェとはどこから来たものなのか、私お得意の近代史で振り返ってみました。

0.「簡易宿泊所」「ベッドハウス」の時代

 1960年代の大都市は、土木建設事業が数多くあり、農閑期に地方から出稼ぎに来る人がたくさんいました。家族を養うために働いている人たちですから、なるべく生活費を抑えたいと思うのは自然です。そんな人たちを泊める施設として、「簡易宿泊所」や「ベッドハウス」が大都市圏に出来たようです。畳敷きや板張りの部屋に、2段、3段ベッドを備え、その個別ベッドを貸し出す事業です。借りる人は基本的に長期にわたりますが、1泊300円程度でのその日貸もあったようです。



1974年におけるベッドハウスの部屋
賭博が行われています。いずれの人も清潔感がありません。賭場が開かれています。貧困同士がさらに食い合ってしまっています。



1976年におけるベッドハウス外観
1940年代に築かれた建物でしょうか。老朽化が進んでいますが、この種の建物が取り壊されるのは、もう少し後の時代で、1990年代でも残っていた建物はあります。



1983年におけるベッドハウス内部
1974年とは同じですが、いる人の改善が進んでいます。

1.「インターネットカフェ」

 もちろん、「ネットカフェ」と称するのですから、インターネット開通後に出来ています。まず、パソコンが通信可能になったのが、電電公社時代末期の1984年秋頃だったと思います。パソコンに当時の黒電話やプッシュホンを接続、受話器をモデムカプラに差し込んで、パソコンに音声信号の送受信をするものでした。

当時は、主にパソコンメーカーの富士通やNEC、パソコン雑誌社のアスキーや工学社などがネットワークを提供したり、個人がホストとなって参加者を募ったりする、「パソコン通信」が主体でした。利用者はそこに設けられた「掲示板」や「チャット」で会話を楽しんだり、旅行情報などを入手したりするのでした。

パソコン通信の時代に変化が訪れたのが、1995年頃です。パソコン同士をネットワークにつなぐ「インターネット」が、windows95とともにアメリカからやってきました。当初は楽観視をしていたパソコン通信業者もこの大きな流れに巻き込まれ、パソコン通信経由のインターネット接続サービスを始めたのでした。これが現在の「プロバイダ」です。

「(インター)ネットカフェ」は、この頃に出来ました。セットで購入すると40万円、プロバイダ契約も高く、通信量も従量制で遅かった状況ですので、個人でパソコンを購入する人は、まだまだ少数派でした。幸運にも利用できるのは、先進的な会社や理工系の学校に所属している人程度で、それ以外の人は「インターネット?、何の網?」という感覚でした。

 そんな状況下でしたので、インターネットの取り扱いは「江戸時代末期に日本に来た黒船」でした。そのインターネットをツールとして楽しむ場所として、「(インター)ネットカフェ」産業が登場しました。

すなわち、「大都市近郊に住む感覚が鋭い人々(意識高い系と呼ばれた人々。現在は「意識高い系」は半ばからかいに使われる言葉になってしまいました。)が、表参道や青山といった場所にある、オープンスペースを持つカフェで、おしゃれな服を着て会話とお茶を楽しみながらインターネットを見る」場だったのです。これが1995年頃に出始め、1996~7年はおしゃれな人たちがデートなどに使う場として機能していました。

1998年頃になると、インターネットを個人で導入する人が増え始め、ネットカフェのおしゃれさは徐々に薄れていきました。

2.「まんが喫茶」

 その時期に、「まんが喫茶」が大都市ターミナル駅周辺に現れました。1996年は、漫画雑誌出版社を中心とした出版産業が、大変好調だった時期です。大人が漫画を読むことに対する批判は、その好調ぶりに消えてしまいました。漫画喫茶は、漫画単行本を全巻揃えるなどし、民間の図書館として機能していました。

当初はついたて付きのカウンター席が中心だったようですが、徐々に半個室を売りにするお店が増えました。徐々に時間当たり単価が低下していき、安い料金で時間をつぶせる場所として、利用者を増やしていきました。それまで街には、喫茶店や本屋くらいしか時間をつぶせるところがありませんでした。前者は店員さんの冷たい視線が気になりますし、後者は脚が疲れます。マンガ喫茶は、店側が要求する料金を払って、堂々とマンガを読み、時間をつぶせるのですから、お客さんが来ないはずはありませんでした。

3.「ビデオ鑑賞所」

 1980年代後半、家庭にビデオデッキが普及するとともに、ビデオレンタル店が登場しました。この頃に米国で、「カウチポテト族」という言葉が現れました。長椅子(カウチ)に寝転がって、ポテトチップをつまみながら自宅で(ビデオに録画されている)映画を楽しむ若者、という意味です。長椅子に寝転がるのは大変ではないか、とか、ポテトチップである必要性はあるのか、とか、名前からビデオがなくなっているが、といった疑問はありましたが、まあ、とにかく映画を自宅で鑑賞する、という行為が成立しました。

それを公共の場で出来るようにしたのが、「ビデオ鑑賞所」です。上記のマンガ喫茶の派生版として登場しました。時間をつぶしたい人が必ずしもまんが好きとは限りません。そんな非まんが族の人を対象として登場したのが、「ビデオ鑑賞所」でした。まんが喫茶と異なり、個室状でないと他の人に迷惑が掛かります。また、鑑賞時間も長くなりがちです。滞在時間の延長化や、終電車を逃した人が深夜1時から4時くらいまでの間をビデオを観賞しようがしまいが自由に過ごせる場、として、ターミナル駅近くの繁華街で急速に出来て行ったのでした。

4.3業態の融合

 これらの3業態は、対象物が異なるだけで営業形態が似ています。インタネットカフェはパソコン、まんが喫茶は本棚と椅子と机、ビデオ鑑賞所は個室とビデオデッキとテレビが必要です。そのため、椅子と机と本棚と個室とパソコンとビデオデッキとテレビを備えた複合店が、2000年頃に登場してきました。滞在時間が長いので、飲み物お替り自由、終電を逃した人のためにシャワーも併設、と、どんどん装備品が進化していきました。

2000年頃のオタクをからかうマンガに、「2000年のミレニアムの年越しにも、オタクはマンガ喫茶で過ごすだろう。寂しい人たちだ。」というものがあります。この頃から、一種の宿泊所としての機能を作ってしまい、「(インターネット)カフェ」と「まんが喫茶(漫喫やマンキなどと呼ばれていました)」、「ビデオ鑑賞所」が一体化し、「ネットカフェ」と呼ばれるようになっていきました。

5.リーマンショックとネットカフェ

 2008年に、米国のリーマンブラザース証券の経営が破綻しました。当初、「日本は無関係」、と楽観視されていました。しかし、2008年末から派遣労働者を辞めさせる「派遣切り」、収入を失った人が住む場所にも不自由して公園などに住まざるを得なくなる、「派遣村」も出来ました。その中の人には、ネットカフェに住まざるを得なくなった人もいたことでしょう。この頃からネットカフェは本格的に「宿泊所」として機能するようになっていきました。

6.現在のネットカフェ
 今は「ネットカフェ」がさらに省略されて、「ネカフェ」と呼ぶそうですね。これでは「寝カフェ」と誤認する人もいると思います。知人はネットカフェをして「寝床」と表現しましたが、まさに寝床化しています。

それにしても、貧困とは人の心も貧しくしてしまうのでしょうか。この種の宿泊所は、どうしても衛生状態が悪くなりがちです。心を病んで、風呂に入らなくても気にならなくなってしまう人も出て来るものです。

その結果、ネットカフェは不衛生で不法行為も行われる場所となりました。火災や殺人の恐れもあることから、店員が中を見られる半個室にしかできないよう、法改正が行われたと思います。

7.まとめ

 いかがでしたでしょうか。都会的でおしゃれできれいで意識高い系の人が集まる場所だった「インターネットカフェ」が、「宿泊所」「寝床」へと変化するのに、20年程度しかかかりませんでした。産業にはいろいろ寿命や変化がありますが、その中でも変動が著しかった産業だといえます。現在では、1980年代半ばにはなくなっていたと思う「ベッドハウス」「簡易宿泊所」「ドヤ」が、再来したことになります。

街をよくするには、ネットカフェをなくすだけでなく、そこへ転落する人を少なくする、世の中の人が働く仕組みを変えていく必要を感じたのでした。
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Posted at 2021/06/13 21:48:42

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