2021年06月25日
Youtuber動画が心に響かない
特にこの一年間で、Youtube動画が本当に増えました。在宅勤務や遊ぶ時間の減少が、その大きな理由だと思います。一人しゃべり、ゆっくり解説、アバター利用など、だいたい様式が決まってきているようです。
ところが、それらの動画を見ても心に響かないのです。それどころか、いかにも「Youtuber動画」的な作りだと、数十秒間で見る気がうせてしまうのです。私の勝手な予想ですが、テレビや映画のプロフェッショナルは、基本を学んだ上で日々進化、切磋琢磨するので「こなれた作り」になるのに対して、Youtuberは、「自己満足で、いかにもプロッぽそうなつくり」で、進化が止まってしまうからではないか、と思います。
例1:「ピンポン」「タラララッタラー」などの、定型効果音の利用
音を付けることで、加工している自分の存在感を出したくなるのでしょうね。なお、テレビの公共放送は、万一の災害の時にでも報道が可能なように、無音時間に制限があるそうです。
それらの音を付けることで、かえって「19-20時台のバラエティ番組」のように安っぽさが増してしまいます。
例2:スポーツ新聞の見出しに使われるような、字幕スーパーの挿入
こちらも例1と同じです。見ればわかることをわざわざ文字で強調されると、なんだか馬鹿にされているような気がします。
例3:情報濃度が低い
文字による情報伝達は、人による差はあるものの、短時間で読み取ることが出来ます。しかし、動画では「言い回し」や「聞き取れるスピード」の観点、あるいは動画制作者の演出から、単位時間当たりの情報伝達量が非常に少ないです。時には、
「15分間も聞いて、たったこれだけの情報か。私の時間を返せ!」
と言いたくなるような動画があります。
また、最近は自動動画生成プログラムでもあるのか、アバターがYoutube独特な言い回しで回りくどくしゃべるものがあります。
「〇〇が××になると、いったいどんなことがあるのでしょうか?それは△△が**になるのです。△△が**になったら、大変だと思いませんか?私たちは、〇〇が××にならないようにしなければならないのです。」
などがそうです。聞き手に過度に寄り添う姿勢が気持ち悪く、しかも、定型文のように繰り替えされるので、人工的な感覚を抱いてしまいます。結果、全く聞き手の心に響かない印象を持ちます。
例4:後年の検索性
Youtube内で話されている内容は、サーチエンジンでは検索できません。ブログなどで書かれている内容は、サーチエンジンで検索すると関連性が高いものが導き出され、他の人の役に立ちます。Youtubeでは、製作者に広告収入は入りますが、知られずに埋もれる動画が多数あります。インターネット上の「知の結集」がそがれてしまうのです。
例5:しゃべっているだけ動画
昨年くらいまでは、実際の様子を映しながらしゃべっていたり、ホワイトボード等で解説をしながら話す動画が主体でしたが、今年になってとうとう「制作者がカメラの前でしゃべっているだけ」動画が増えました。これこそ文字に起こしてブログにしてくれたら、知の結集となるのに残念の極みです。これでも制作者に収益が入る可能性があるのですから、ブログ派の私にとっては、なんとも複雑な思いです。
まとめ
近頃のみんカラの動きを見ていると、投稿数が減っていることがうかがえます。私は、自分の他の生活を最優先にしているため、投稿やコメントは基本的に週末のみにしています。ブログの流行は2006年頃から始まりましたが、かつての「掲示板」と同様に、そろそろ寿命が近づいてきてしまっているのかもしれません。
これを打開するためにも、ブログにも広告収入制度を設けてはいかがでしょうか。1クリック0.01円くらいではいかがでしょうか?
また、このYoutuber動画が凋落するようなことがあった場合、原因は、低品質演出動画の増加とされるのではないか、と思います。
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Posted at
2021/06/26 22:13:13
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