
アルバイトの記憶 スペード社シリーズ
お疲れさま会は開かれたのですが、この会は開催概要などの評判が非常に悪かったのです。
4年生がほとんどいなくなった時点で開催されたこと
突然開催されたこと
社内で小ぢんまりと開催されたこと
などの理由から、特に4年生は非常に不満に思っていたようです。その理由から、有志で3月末に一席設けようということになり、異動した私やすでに来なくなっていた人などへも電話で連絡をしたようです。
とはいえ、職場の雰囲気になじんではいなかった方やあくまでもお金のためにアルバイトをしていたという方もいます。さらに学校のクラブの送別会と重なる人や、4月からの勤め先の勤務が始まる方、内定者パーティへ参加する方などもいて、全員は揃わなかったようです。私が良く知っている中でも、野比さんと三田村さんの両方か野比さんが参加できなかったと思います。やはり、人を組織に強く結びつけるのは、人と人のつながりなのでしょうか?
会自体は、非常に和やかに進みましたよ。会自体の印象が薄くなってしまうほど、ごく穏やかに楽しく進みました。まあ、私の周りでは一つないことはなかったのですが、以下のようなことです。
その会では、鍋料理が出ました。私は家族以外と鍋料理を囲むのはこれが2回目、1回目はこの2週間と10日前の成人式の際に、コマンダーさんと王様さん、あと、このアルバイトとは無関係ですが、プロッターさんという方もいたような気がしますが、居なかったかもしれません。そこで「もつ鍋」を注文したら「寄せ鍋」が出てきて、まあそれでも楽しく食べた、という場でした。
そのコマンダーさんと王様さんの時には家族と鍋を囲んだ時と同じように食べたのですが、何も問題は起こりませんでした。また、ヤマト産業大学の掃除部でもコロッケや空揚げといった揚げ物が主体の会であり、鍋料理は出てきませんでした。
話をお疲れさま会2に戻すと、私はお疲れさま会の失敗をしないように、4年生を送り出すという意味から、この場ではなるべく裏方に徹するようにして、鍋の準備をしようとしました。そこで自分の箸を使ってしまったのです。
同席した黄海さんが、
「〇〇〇〇を使うな」
と言ってきました。私は〇〇〇〇が別の言葉に聞こえ、聞き返しました。
「ジカバシ(直箸)」
でした。何のことかわからず聞き返すと、自分が口に入れた箸を使うことでした。思い出してみれば、ほぼ同じような理由で私が小さい頃、父親に「流しそうめん」に連れて行ってほしいと言ったら、
「誰かが箸をつけたそうめんが流れて来るから汚い」
と言って、連れて行ってもらえませんでした。
そんな理由から、私の目の前にある鍋には手を付けてもらえない状態になってしまい、私は気分を落ち込ませるのでした。ただ、会も中盤になった頃に席の変更が行われた際に、別の人が一緒食べてくれました。
会の最中はなるべくおとなしくし、酒も飲まず、周囲の人と自然に言葉を交わすようにしました。今思えばこれが酒席での普通の過ごし方ですが、一回目のお疲れさま会では、それがつかめていなかったのですね。掃除部は掃除活動が主体で、主席は年に1回程度でした。それでは酒席の場の過ごし方など学べません。私は、ヤマト産業大学や掃除部は私が向かおうとしている方向と合っているのかどうか、疑問に思うようにもなっていったのです。
それはさておき、会の様子なども写真に収めて卒業生の皆さんに渡すつもりでした。が、なかなかそうはいかなくなってしまったのです。
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Posted at
2025/04/13 23:00:12