
最後に、国産車の想ひ出に触れたいと思います。
47年に渡る愛車人生。
初めての愛車シビックからアコードに乗り継ぎ、当時はホンダが大好きでした。
特にアコードが登場した時は衝撃的で、その斬新なスタイルは当時の最先端をゆき、世間に鮮烈な印象を与えました。
一世を風靡していたスカイラインからアコードに乗り換える人が続々と現れました。
車体はグニャグニャで柔らかく、ジャッキアップするとドアは閉りません。
古くなると、ジャッキアップしなくてもドアが閉まらなくなりました。
塗装も酷くて、Aピラーの付け根がグサグサに腐ってきました。
ハイビームにするとヒューズも飛びました。
でも、エンジンは最高でした。さすが、エンジンのホンダ。
5,000rpmでずっと回しても、まるでモーターのように静かに回り続け、全くダレてきません。
仕事で自動車会社と付き合い出したのも、ホンダが最初でした。
和光研究所でクレイモデルを削っているモデラーの方と親しくなり、随分といろいろなことを教えて貰いました。
狭山工場の食堂で、昼食を食べたのも懐かしい思い出です。
若者の心を鷲掴みにしたホンダだったのですが、いつのまにか、ミニバンと軽のメーカーに成り下がってしまいました。
いろんな原因があると思いますが、米国でアコードが売れすぎたことが、大きく影響していると私は思います。
アコードは米国人が抱く憧れの欧州車のイメージそのものの車で、しかも安くて燃費も良い。
そのアコードがバカ売れしたので、ホンダは規模をひたすら追求するようになってしまい、トレンドや売れ線を追うだけのメーカーになってしまったのではと考えています。
ホンダらしい、車好きの心をつかむ車が無くなってしまい、残念でなりません。
日産も米国市場だけを向くようになり、米国人好みのボテっとした不細工なデザインになってしまいました。
また、メルセデスのエンジンを積んだりして、迷走しました。
901運動を頑張った時期もありましたが、技術の日産というアイデンティティを下ろしてしまい、競争軸を見失ったのではないでしょうか。
私にとっての日産といえば、なんといってもスカイラインGT。
3代目 C10型のハコスカです。
大きく重たく眠いと言われた日産製のL20型エンジンが搭載されはじめた頃だと思いますが、愛読していたモーターファン誌のロードテストで取り上げられました。
もう半世紀以上も前の記事なので記憶が曖昧ですが、たしか東名の大井松田〜御殿場あたりの長い登り坂がいつもの評価区間だったようで、その長い登り坂を低いピストンスピードで登っていったことを絶賛していました。
さすがスカイラインGT。すごいなあと感銘を受けたのですが、今思い返してみると、単に低回転のトルクが充分にあったということに過ぎません。
名ばかりのGTは道を開けると揶揄されたり、日本グランプリでサバンナに蹴散らされても、やっぱりスカイライン、いつかはスカイラインと思っていましたので、日本市場をすっかり軽視してしまった日産は残念でなりません。
さて、トヨタ。
数えきれないくらい、世界中のトヨタへ行きました。
米国、タイ、ベトナム、インドネシア、インドにも行きました。
研究会にも参画しましたし、ラインの立ち上げにも関与しました。
ただ残念ながら、欲しいと思った車は1台もありませんでした。
トヨタ車との最初の出会いは、会社の先輩のコロナGTでした。
運転してみたらということでハンドルを握ったところ、その遊びの大きさに仰天!
こんな恐ろしい車は運転できないと感じたことが、強く記憶に残っています。
どの道を走ったのかも、未だに覚えているほどですから。
ディーラーへ行くとあとで付き纏われそうなので、東京出張時に仕事を適当に切り上げ、晴海にあったMEGAWEBに何度も行きました。
試乗コースはとても短いのですが、取っ替え引っ替え、いろんな車を楽しみました。
ただ残念ながら、どの車もネガティブな点ばかり目につき、心惹かれる車に出会うことはありませんでした。
そういえば、RX-8に乗ってレクサスのディーラーへ行って試乗したことがあるのですが、椅子に座らせてもらえれず、もちろん珈琲も出ず、カタログすらくれなかったことに驚きましたが、流石トヨタ。冷やかしの客にはコストも時間も一切かけない姿勢が徹底されていました。
ただ、最近になって今のプリウスのマスタード色が凄く気に入りました。近くのディーラーにその色の試乗車があり、前を通るたびに気になっていたんです。
また、シートベンチレーションも気に入りました。真夏にベッタリと背中にへばりつくシートは最悪ですから。
ただ、あまりにも車高が低すぎます。身体が硬くなった年寄りは、乗り降りできません。
カローラのACTIVE SPORTも良いなあと思いました。
車好き、自称カーマニアの人生最後の車がカローラって、「いとをかし」ではないかと。
ただ、右左折時の衝突回避機能が無いことと、インプレッサが良すぎたことで、ついにトヨタ車とは縁ができませんでした。
最初にハンドルを握ったのが、父親が乗っていた黒いレザートップのファミリア1200クーペだったのでマツダとは縁があるのですが、RX-8やロードスターを所有することになったきっかけは、いずれも仕事で訪れたマツダの本社です。
RX-8の方は、本社のショールームに展示されていたのに座ったことですし、ロードスターの方は研究開発棟の玄関の横に置かれていた発売前の試作車を目にしたことです。
まあ滅多に社外の人間が来る場所ではないので置いていたのだと思いましたが、アバルトの人たちの居室も建屋の中にありました。
この両車とも専用の部品が多いですし、生産台数もしれていますので、いろいろ工夫して新規の設備投資を抑えているマツダでなかったら、こんな価格で販売できないはずです。
40歳で初めてBMWに乗って以後、乗ってみたいと思った国産車は、RX-8とロードスターだけでした。
一度でもBMWに乗ってしまうと国産車には戻れないと言われていますが、よくわかります。
特に、憧れのメルセデスやBMWといったドイツのプレミアムブランドに乗った方がそうなると思うのですが、ようやく車社会のヒエラルキーの上位に上り詰めたのに、いまさら国産車に戻ることは都落ち、もしくは落ちぶれてしまったと見られることを恐れるからだと思います。
その点、RX-8やロードスターは車社会のヒエラルキーを超越していますので、何の迷いもなく戻れたのだと思います。
いずれにしても、試乗も含めて国内外のいろんなメーカーの様々な車に乗ることができ、本当に良かったと思います。
タイヤが4つ付いているのは同じなのに、こんなに違うものかと驚きました。
試乗した時の印象は、今現在乗っている車に左右されると言いますが、その逆に、今乗っている車の良いところや悪いところもすぐわかります。
ひとつのメーカーの車に拘らずに、いろいろ乗ってみることをお勧めします。
視野が広がりますし、目から鱗かもしれません。
ただ、クルマ欲しい病が首をもたげるかもしれませんが。
最後にひとつ心残りなのは、キャンピングカーです。
あれに乗って日本一周、したかっなあと。
キャンピングカー乗りのYouTubeも、ずいぶんと観ました。
ただでも、置いておくところがないですし、神経質なので熟睡できないだろうなあと諦めました。
以上、独断と偏見に満ちた車談義にお付き合い頂き、誠に有難う御座いました。