2007年12月24日
Xマスイヴのトホホな思い出【三菱ミニカ編】
もう14年前のことだ。
1993年の12月に始めに納車になった三菱ミニカPX。
ファミリアの後釜に買った車である。
この車を選んだのは、仕事で使うので狭い道へも躊躇せず入っていけるからと、ファミリアが歳に合わなくなって来た事があげられる。
5年半しか乗らなかった上に、勝手に売り飛ばして狭い軽に換えたので、親が怒った。親は10年くらい乗らせるつもりでいたからだ。まぁ昭和一桁の人とは価値観が違いますからね。
さて、納車二週間後にXmasイブを迎えた。その日中仕事で走っていたら、ルームミラーに白煙が映りこんでいる。全く後方が見えない。
なんだろう?と思った瞬間、ガクン!っと速度が落ち、踏み込んでも20km/hしか出ない。流れにも乗れないし、後続車へも迷惑だ。幸い家から2kmくらいの所だったので、引き返した。白煙を吐きながら・・・。
今みたいに代わりの車がないのが痛かった。正月も年始廻りに行かなきゃならないし、暮れだってまだまだ忙しい。車が無いのは致命的だ。
すぐに三菱へ電話をして事の状況を話す。
「いま暮れで人手が無いんですよ。来年でも良いですか?6日頃なら通常営業に戻りますので」
「それじゃ困るよ。暮れだって忙しいし、年始廻りもあるんだから早く直して欲しいんだけどね。もしくは代車があればいいけど」
「代車はちょっとないですね~。じゃあここまで乗ってきて戴けますか?それなら直せますから」
20km離れたDラーまで乗って来いと言う。時速20kmしか出ない車で・・・だ。その事は最初に話してあるのに。バイパスまであるんだ。
ここで温厚な私も流石にここでキレました。
「アナタ何を聞いてたんだよ?20kmしか出ない車でそこまで来いだって??お客に事故らせる気ですか?大体新車で買って2週間で壊れる車って何ですか?買う時に『ウチの車は出来が違います』って言われたのに、こういう意味なのか?うちはそっちに行けないから、さっさと直しに来てよ!!(ガチャン)」
若いメカニックが直しに来ましたが、さも面倒くさそうな顔でした。
エンジンの何かの部品が壊れていたとかで即交換。思えばリコールだったかも知れませんが、向こうはそれ以上何も言わない。すぐに直ったのは良かったけど、これで親から「勝手なことするからだ!」と弱みを握られた。三菱への評価も下がった。
まぁそれでもミニカは健気に走ってくれたので満足していますが、「あの頃の三菱は本当に酷かったな」と、イブが来る度に思い出します。
話は変わりますが、首都高・新宿-池袋(山の手トンネル)は、新宿から三宅坂へは行けないんですね(確か・・・)。
東北道から来て八王子方面へ行くのに首都高C1を通らずに済む道なんだ。えらい誤解をしていました。利用者もそのような誤解をして居る人が多かったと聞きます。
来年できる渋谷への接続も、神奈川方面にしかいけないのだろうか?まあそれでも良いよね。
来年は名古屋から富山へ通じる道が完成するので、行き難い北陸方面へのアクセスが向上するので楽しみではある。飛騨高山も近くなるし。
ブログ一覧 |
ドキュメンタリー | 日記
Posted at
2007/12/24 23:19:28
今、あなたにおすすめ