• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

虎猫飯店.jpのブログ一覧

2014年05月04日 イイね!

ワンダー・シビック

ワンダー・シビック’80年代前半に出てきたワンダーシビックは、「一車種で三種のホイールベースを用いてきた」と徳大寺先生が驚きのコメントを出していました。普通、あり得ないんですってね。そこがまたホンダらしい所。

あの頃はホンダに興味が無かったので、シビックを欲しいとも思いませんでした。(初代CR-Xはかなり欲しかった)
しかし、DOHCエンジンを積んだSiにはやられちゃいましたね。それを知ったのは平成になってからです。知り合いがSiのシビックを持っていて、隣にのっけて貰ったんですが、豪快なエンジンサウンドにやられてしまった。それまで4A-G派だったのに・・・。w

ホンダのツインカムエンジンに乗っていないのは、私の人生最大の後悔だ。今はもう、ホンダもターボ(次期ビート)かハイブリッド(CR-Z)なので、8000rpmまで回るDOHC V-TECなんか出さないだろう。

ところでワンダーシビックのCM曲は、ルイ・アームストロングのアレではなかったですか?


さて、昨日思い出せなかった事が判明しました。
L型エンジンのチューナー。柿本レーシングです。ようやく「すっきり」しました。
今は色々やってますが、昭和の頃は「Lといえば柿本」だったんですよね。

しかしまぁ「暗黒時代」によくいじくりまわしていたものだ。あの頃のチューニング屋は非合法の地下組織みたいな扱いでしたからね。マフラー交換すら「違反」をとられる時代でしたから。


Posted at 2014/05/04 22:10:40 | コメント(2) | トラックバック(0) | 車一般 | 日記
2014年05月03日 イイね!

国産車で300km/hを目指していた昭和。

国産車で300km/hを目指していた昭和。先日取り上げたカウンタックが公称300km/hだったけど、実際にそこまで出せるかは不明でした。

その頃の日本車は200km巡航で走る事さえ難しいと言われてたんですよね。(1980年代の事)

クルマの造りが欧州車と大きく違っていたんじゃないかと思ってます。日本の道路では100kmそこそこですから、それに合わせて造ってりゃいい。剛性もダンパーも日本仕様では200kmなんて怖すぎるんでしょう。

’80年代にHKSやRS山本、TRUSTなどのチューナーが当時の国産スポーツカーをチューニングして、300km超を目指していた時代がありました。
セリカXX、FC3S、Zなどをチューンして谷田部のテストコースでやってたんじゃないかな?

その様子を取り上げた車雑誌を当時読んでいたんです。

排気量を上げ、大型のタービンを装着しても、300kmの壁は中々破れなかった。
当時の車はデザイン的に空気抵抗もかなりあったんではないかと記憶する。


久しぶりにセリカXXを見て、そんな事を思い出しました。


※思い出せないんですが、日産のL型エンジンチューンに拘っていたチューナーの名前が分かりません。誰か教えて。
Posted at 2014/05/03 17:29:39 | コメント(5) | トラックバック(0) | 車一般 | 日記
2014年05月03日 イイね!

未来を感じたZ20ソアラ

未来を感じたZ20ソアラソアラは初代がハイテク満載で、「凄いクルマ」と言われてましたが、免許の無い私にはどんなものか理解できませんでした。
電子制御サスやデジパネが付いたのが、初代ソアラからでしたかね?それまでの車がえらくローテクに見えてしまった・・・・。

ソアラは「ハイソカーブーム」なる現象を起こす。まだ2L超の税金がバカ高い頃、東京では山の手のお金持ちの奥様の車だったり、大学生のボンボンに買ってやる傾向が見られた。

そんなの縁(¥)が無いので、ボカァ惹かれもしなかったんですけど、二代目のこの車は「格好いいなぁ」って思ったんですよ。

デジタルメーターを鏡に映す、なんとかメーターって技術が凄いなと。初代セルシオもそのメーターを採用したんですよね。

いずれにしても、若造には手の届く車ではありませんでした。

因みに私は初代ソアラと初代レパードの見分けがつかないほどに車音痴でした。
当時のカローラとサニーの違いも分からなかった。免許取る前の話ですけどね。車なんて皆同じだろ?って認識だったんですから。w

ああ、二代目ソアラ欲しいなぁ。3.0GTが欲しいです。ツインターボは子供っぽくて好みではありません。優雅に乗るのがソアラですから。(^-^)





Posted at 2014/05/03 17:12:47 | コメント(3) | トラックバック(0) | 車一般 | 日記
2014年05月02日 イイね!

ハスラーのMT仕様を見てきた。

ハスラーのMT仕様を見てきた。県内に1台だけ試乗車があったので、見てきました。
MTなんて今時絶滅寸前ですからね~。

ストロークも短めで、節度もあってシフトを楽しめるようになってます。

ただ、グレードが低いので、シートリフターが無く、着座するとMTのシフトノブがやや低過ぎるかな?
意識して左手を下げてやらないといけない。

そこが惜しかった・・・。

↓↓フォトギャラでストロークを再現しました。
Posted at 2014/05/02 18:37:40 | コメント(1) | トラックバック(0) | 車一般 | 日記
2014年05月02日 イイね!

アイルトン・セナ他界から20年・・・・

そんなになるんですね。

今更言うまでもなく、彼は偉大なドライバーでした。あまりに偉大すぎて、私は嫌いでした。

1994年5月2日。前夜のサンマリノGPを録画しておいて翌日観るつもりでした。
朝起きて茶の間に行ったら、親父が「おい、セナが死んだんだぞ」と。
うちの親父が「セナ」という言葉を口にしたのも意外でしたが、「死んだ」とは何を言うんだ?何をバカな?!
しかし、人の死を冗談にする様な親父ではない。
流れていた朝7時のNHKニュースで、それが真実であると知り、絶句しました。
前日にはローランド・ラッツェンバーガーが亡くなり、不吉な予感がしていたのですが、まさかこんな事になるとは・・・・。
その頃、私はどんなに悲しい場面に遭遇しても涙が出ないという症状が続いていました。当時で8年くらいは泣いてなかった。
親しくしていた知り合いの奥さまが病気で亡くなり、まだ十代の子供らが嘆いている姿を見ても、全く涙は出なかった。
お涙頂戴番組(再会物とか)を観ても泣けない。涙腺が無くなったのか?と思っていた。

2日の昼御飯を食べながら昼のニュースでセナの訃報をまた流した。
画面は観なかったが、飯を食べながら涙が流れ出てきていた。
その後、意を決してサンマリノGPのビデオを観たが、悲痛な三宅アナと川井ちゃんのコメントを聞いていたら、滝のごとく涙が流れます。
あんなに嫌いだったのに、なんで涙が止まらんのだろう?やはり俺もセナに惹かれていたのか?
※その日を境に些細な事ですぐに泣けるようになった。

連休明けの日に、青山一丁目のホンダ本社へ行き、飾ってあったマクラーレン・ホンダに手を合わせてきた。

その年はTIサーキット英田でアジアGPが行われ、日本で二回GPが観られる年でした。
セナが二回観られるはずだった・・・・。

しかし、同年秋の鈴鹿GPは、セナ追悼の儀式が行われようとは・・・・。

私は鈴鹿サーキットで、その模様を見ていた。
セナのヘルメットカラーにペイントされたヘリコプターがサーキットをコースに添って一周飛行し、空高く昇って行く。
まるでセナの魂が彼の愛した鈴鹿サーキットから天に昇っていくかの様な光景であった・・・・。

Posted at 2014/05/02 08:24:09 | コメント(5) | トラックバック(0) | スポーツ | モブログ

プロフィール

「@虎猫飯店.jp  さて、対戦相手はカブスか?連中が競って、5戦までもつれた方が、ドジャースは休めるのだけど。佐々木朗希は、日本じゃ週一くらいでしか投げてないから。」
何シテル?   10/10 15:32
7月にみんカラ歴20年目に入ります。呼吸をするように続けてきたら、こんな歳月が・・・。何の努力もしておりません。ただ、『クルマが好き♪』。勉強なんか、続かないけ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

リンク・クリップ

もう放置かな 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/04/12 10:08:14
有難う、JC。親切なJC。 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/07/11 09:17:45
11月23日 “いいニッサンの日” 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/11/23 08:36:14

愛車一覧

フォルクスワーゲン ザ・ビートル (ハッチバック) フォルクスワーゲン ザ・ビートル (ハッチバック)
8年落ちにしては綺麗な個体でしたが、結構不具合が多くて驚きました。試乗せずに決めたので、 ...
フォルクスワーゲン アップ! フォルクスワーゲン アップ!
2代目のup!です。グレードは、ハイアップ。
ダイハツ ハイゼットトラック ゼットン (ダイハツ ハイゼットトラック)
叔父の形見のサンバートラックが壊れたので、箱替えです。
日産 スカイラインGT‐R 日産 スカイラインGT‐R
平成6年式 32バカ一代!車は三代目(^-^; オーディオとホーン以外は、どノーマル。距 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation