
今日は3・14、世の中的にはホワイトデーですが、澤的には長男幸太朗の10回目の誕生日。
2006・3・14は初めて海外でレースを始める直前で確定申告に追われる個人事業主だった29歳の私が1人の父親になった日でした。
PCCA(ポルシェカレラカップアジア)の開幕戦でマレーシア・セパンに出発の直前。
生まれてきて顔を見てから出国出来て良かったと言う思い出が蘇ります。
幸太朗の成長 = 澤の海外レースの歴史でもある。
だから凄く毎年3・14を迎えると感慨深いのです。
そして3・11は5年前の忘れてならない東日本大震災の日。
2009年からの連続マカオGP優勝のご褒美もあって2011年は引き続きLKMからのお誘いでPCCAをフル参戦する事になっていた。
この日のその瞬間、私は2007年以来のフル参戦のPCCAの開幕前公式テストの為に意気揚々とマレーシア・セパンに向かう機上の人でした。
セパンに到着してから家内からの”鬼電話”に気づいて、コールバックした時の彼女の泣きそうな声と状況報告に震憾し、ホテルのNHKチャンネルから流れる津波の映像に頭が真っ白になった事が昨日の事の様に思えます。
テストを終えて成田に戻ってきて、まだ余震があって電車も止まっていて・・・
タクシーを捕まえて2万円も掛けて渋滞を抜けた裏道で自宅まで帰って、手がつけられてなかった事務所部屋のひっくり返り様も驚愕。
そしてそれからの数ヶ月の先行きの見えない閉塞感の高い毎日も苦しかったですよね。。。
それで結局、きっと見えない何かの力や縁も働いて、その年PCCAで日本人初のチャンピオンを獲得できたという意味でも想い出深い海外レース5年を経た2011年でした。
災害や争いがない平穏平和な日常の上に皆さんの楽しいサーキットライフがあり、私たちが居ると言う事を再認識させられる3・11でもあります。
3月は新スタートの季節なのでレースシーンも準備に追われる季節ですが、私のとっても襟を正し直す時期。
そうした節目節目の大きな出来事があって今年海外レースを始めて初めて丸10年(11年目)。
今晩は幸太朗の誕生日のお祝いを終えてから羽田に向かいます。
ここからドーハ経由でイタリア・ローマへ今夜飛びます。
念願のル・マン24時間参戦に向けてClearwater RacingとAFコルセとの初の共同作業、バレルンガサーキットでの458GTE車両のテスト走行となります。
タイミング的にもやっぱり感慨深く、色々と自分の今いる位置や”こうでありたい”と言う気持ち。
守るべき子供たちが出来てから、速さは衰えたかもしれないけど、強さや仕事としての充実は確実に上がった私のこの10年。
ワンスマを支持して下さる方が増え、未だに素晴らしい環境でレース活動も出来ている事に改めて感謝しつつ、色々な事に思いを馳せながら、遠くイタリアまで行ってきたいと思います。。。
Posted at 2016/03/14 19:02:59 | |
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