2016年09月19日
ふとドライブに行くつもりが、次第にスピードを出したくなり、ついつい高速へ。
別に都内まで行くつもりはなかったのですが、南へ南へ進んでいくと、いつの間にか川口ジャンクション、
外環との分岐が来てしまったので、どうせだから秋葉原でオーディオ関係でも見てこようと思い、そういやあ首都高に入ったら東の方へ行くはずだから、左へ行っておこうと、三郷方面へ。
何故か三郷がサンゴウではなくミサトと、いつになっても覚えられない。
それは置いといて、本当は外環で分岐ではなくて、そのまま直進しておけば良かったと、八潮PAに至ってから気付いて後の祭り。
そういえば6号線を走っていて、さっきから、このままだと湾岸線の標識ばかり、そういえば東雲に日本最大級のスーパーオートバックスがあるらしいから、このまま行って見るのもいいかも。
でも別に欲しいものもないし、そもそも今回は何かを求めて来たというよりは、ネタになりそうなものを探しに来たというのが一番。つーかゼロ番として、ただカーステで音楽を聞きながら走りたいというのがある。秋葉原はそのついで。
だから湾岸線へ行くのもいいかと思った。しかも直線が延々と続くそうであるから、一度走ってみたい気はあった。けれどもそこまで行けば随分南になるし、盆の帰り道を逆流しつつ戻って来ないといけない。それもどうか。やはりあの二車線合流は願わくば通りたくない。
仕方がないので途中からC2へ変更。これも間違った。本当はもう一つ先の堀切JCTだった。このまま行ったら、本当に盆の帰り道になる。さすがに今から帰省する訳にもいかんでよ。山手トンネルを抜けたらホームシックになりそうで嫌だ。
なので、今まで走ったことの無い5号線へ。一体ここはどこだ。東京の都会の中なのはわかるが、一体どのあたりなのかまるで分からない。気分は異郷の地で迷子になった、上京したての学生はてまた新成人か。頼るものも無く進むしかないが、何よりこちとら車であるし首都高であるから、立ち止まる訳にも行かぬ。その分寂しさは一塩である。
だが楽しめる要素もあった。劇的に変わり行く都会のその風景を見ていると、これが先人達の作り上げた、この国の今の姿なのであると。聞けば秋葉原は、進駐軍からの流出品や横流し品を扱う闇市が元になったらしい。その頃には日本のどこの街ともさして変わらないバラックや並の小屋が立ち並ぶ、極一般的な町並みであったそうである。しかし今や、その姿は全く感じられぬほどに都会化してしまっている。
こうして高低木の雑木林のように林立するビルを眺めていると、先人の業に驚かされる。一体どうして、このように巨大な建造物を作り上げられるのか。それが出来るから、今こうして存在するのは間違いないが、存在していることがそもそも驚きである。全てが計算されているとは分かっていても、素人には、それが簡単に壊れたりすることがもしやあるのではと、心配も出てくる。だがこうして、それを可能にする技術があるということこそに、ただただ不思議さと、驚きを感じるのであった。
そして都市高速としては異例なほどに複雑な構造を持つ首都高。だからこそ生まれるこの風景、そしてこの車窓の景色に、首都高の持つ魅力というものの一端があるのだと思わずには居られなかった。なによりその建設を可能にした先人らの技術と知恵があったことも、ただただ驚きである。
それだけではない。かつてバブル期には日本は世界で一番Ferrariが走っている国だった。その後は説明するまでもないが、今でも東京は世界有数の経済規模を有する街である。一体どんな人物が乗っているのか不思議であるが、いかにも高価そうな車が走っている。恐らく迷子になって走っていたのは一時間程だったろうが、その間に、Aston_martin、Bentley、Rolls&Roys、Maserati、Maybach、Porscheを見ることができた。あのMaybachのただものでない風体は、ただものではない値段を強烈にイメージさせた。確かオプションを入れると、エクセレロで10億を超えるらしい。一体あの車の一体どこに、それほどの値段がかかっているのであろうか。よくよく探せばバンパーの一つは流用されていそうな気もせんでもないが、果たしてその値段は妥当なのかと、到底買えぬ身としては、答えの無い疑問に心を入れぞいては、溜息を吐くのみであった。そして現実的に考えてみれば、何とも非現実的な値段のその車を興味本位で見に行って一つ当てでもすれば、おまえは一体どこからその修理代を持ってくるのかと、頭の片隅の理性から警報が出るのであった。
案外、こうスムーズに流れている首都高というのは、至極普通に走れるものである。一体どうして、連休にもなるとあの走りにくい状態が出来上がるのか。それはやはり、設計からしてそれほど大量に捌くことを考慮していないからであろう。線形も悪く無理の多い設計は、そもそも数を考えてよりも、利便性のみを考えた結果と考えるのが妥当であろう。それに渋滞するなと言うほうが無理というものである。本来の首都高の役目とは、これなのである。
では、もっと早期に圏央道やらのバイパスを何故作らなかったのかという疑問が沸く。少なくとも今よりも建設は容易であったろうし、既に交通戦争あたりから首都高はオーバーキャパシティであったろうことは想像に難くない。それほど工事の難所ばかりだったとかいう訳でもなさそうで、単にやらなかった、需要がなかった(ということにしていた)というのが本当のところであろう。如何にも東名まで延ばそうとしていた感のある外環道は、結局用地の問題を解決できないまま工事が止まり、より現実的な路線として圏央道が落ち着き、昨今愈愈帰結し開通した、という事であろう。
何でも昔はルーレット族なる走り屋が週末に出没したそうであるが、今もあるのだろうか。確かに走っていて複雑な取り回しは、峠道とはまた違ったテクニカルコースと言えよう印象を受ける。ただ流しているだけでもドライブをしているという感が強く出てくる。それを高速で抜けようとするのも分からなくはないが、こういう都会的なコースであればカートやらフォーミュラのほうが面白そうな気もする。
結局、秋葉原至近の出口がある1号線への分岐も無視して、箱崎、両国JCTを通ってわざわざ駒形まで一周して戻ってきた。ここまで東北道と外環、首都高と来たので時間的にあまりかかっておらず、そのせいかいつも国道4号で来る時のようなうんざり感は少なかった。
東北道は休日割引で川口まで2000円せず、首都高と外環でも1500もしなかった。最短距離ならば2500円くらいになろう。電車では片道2000円するが、駐車場やらで余計に取られる事はないので、やはり車で東京へ出るのは経済的ではない。だが、たまにこう高速を、軽自動車で走らないと言いながらフルスロットルで走るのは、どうにも癖になる爽快感があるのでやめられない。久々に東京までのドライブになったが、たまにはこういうのも良いかもしれない。
Posted at 2016/09/19 02:06:41 | |
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