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智海寺の奥山のブログ一覧

2019年12月20日 イイね!

初 北海道

床屋のオヤジ(こないだまでアンチャンだったのに)に、
「仕事にプライベートに趣味に、そんなに悩んでて人生辛いだろ」と言われたので、現実逃避してきました。

先月は発作的に博多に行き、その帰りに札幌行きを決意したのですが、その日が11月中頃でした。

本当に発作的に行こうと思ったので、何で行くかは決めきれず、最初はもうこれからが走り納めになるかもということで、苫小牧までカーフェリーで行って札幌入りしようと思っていたのですが、想像以上に時間がかかるのと交通費が相当かかるために現実的ではないと断念。時期的に雪道になりそうでしたが、これはそんなに問題じゃなかったのでちょっと悔しかった。
次に考えたのが鉄道、もとい新幹線。北海道新幹線が開通したんですから折角なので気心知れた鉄道で行ってみるのもいいかなぁと思って検索したんですが、片道8時間かかるのと、片道数万かかることが判明して、これじゃ時間的にきつすぎるのでやめました。乗る分には非常に慣れているので惜しかったし、鉄道というのが風情があって旅らしいと思ったので残念だった。

そして次に考えたのが飛行機…思えば、もう10年以上前になるんですか、学生時代の卒業旅行が沖縄だったんですがその時に乗ったのが最初で最後でした。当時と大きく違うのはLCCが相当普及して、最早飛行機と言えばLCCが一択になるような世の中に変貌したということ。そして距離的に、新幹線よりも半分の時間で、しかも値段は殆ど変わらないか逆に安い交通手段になっているということです。これならば、金曜の仕事終わりに移動しておいて、一泊して次の日に活動、夜の便で帰ってくるという事も可能。
しかし最大の問題は、何より飛行機にプライベートで乗ったことがないという点です。それに他の交通手段に比べて心理的に穏やかでない。まあこれは移動中常にアルコールを浴びていれば問題なかろうかと思いましたが、本当に乗るまでが全く未知の経験でした。学生時代の旅行の按排は引率がやってくれましたからね。

でも考えてみても、陸路が新幹線それ以外は空路だけでほぼ選択肢はなく、しかも値段的にも安い上に早いので、空路にすることにしました。

そこで、飛行機の乗り方をネットで調べる日々が続きました。最大の難関は搭乗前検査だと思っていたのですが、ではなくてチケットの予約だと思いました。新幹線は最速でも乗車一か月前からですが、当日に買ってもそんなに値段が変わりません。あるとすれば繁忙期価格で割高になることくらいです。いずれにせよそんなに運賃に変わりはありません。
しかし飛行機はそうはいきませんーーー最大の違いは日によって便によって時間によって、そしてタイミングによって搭乗券の値段が変わることです。そして新幹線との最大の違いは自由席がないこと、つまり全部指定席であり、乗ることができる人数の絶対値が決まっているので、それ以上が無いのです。だから席が買えないと乗れない、ということは乗るなら予約を取ることが必然になるのです。

今回は博多行きから1か月程度開いていたので予約は取れました。但しこれは、簡単に予約が取れるであろう便にしたからというのもあります。予約しようとした時、出発時間が同じでもっと安い便というのは結構あったのですが、今回は全日空を利用しました。これは先の学生時代の旅行で乗ったのが全日空であったことと、LCCなどに比べると所謂フルサービスで比較的手続きがやりやすいというコメントが多かったからです。ですから日本航空という手もあったのですが、過去の経験から今回は全日空にしました。

既にここまでに色々と検索をかけて調べ、結構な時間をかけていたのですが、まず予約の仕方がよくわからない…予約サイトというのがあるのですが、新幹線でこれに相当するのが所謂「えきねっと」ですけれども、これは新幹線の運用母体であるJRが運用しているので何の躊躇もなく利用できるのですが、一方で飛行機の場合は「えきねっと」と「価格ドットコム」を合体させたような所謂「比較サイト」で予約することになります。どういう訳だか小生の環境ではこの比較サイトの予約画面からが全然進まず、結局比較サイトで探して、運航会社の独自サイトで予約するという流れになりました。おかげで手間にしか思えませんでした。

さらに予約時には、これは全日空だけなのかもしれませんがクレジットカード情報を要求されます。ついでに予約システムを利用するには会員になる必要があるとかで個人情報を要求されましたが、このあたりは飛行機という乗り物の安全保障上の要求なのかと思いましたので仕方ないのかもしれません。
こうしてようやく札幌行きの航空券を手に入れることができました。面白いと思ったのは座席を選べるところで、本当に機体の好きな座席を選ぶことができるので、今回は出遅れもあって後部になったのですが結果的になかなか良い席だったと思います。

まだまだ乗る前の手間は続きます。何でも二次元バーコードというものを手に入れないといけないらしく、それを発行するために搭乗数日前にまたその発行をしなくてはなりません。究極的にはこれは無くてもよいらしいのですが、搭乗時にはこれを無茶苦茶使う事になった。


そんなイベントを経てようやく搭乗当日がやってきました。羽田空港出発なので、小生は北に行くのになぜか南の東京へ行く事になります。だってそのほうが早いんだから仕方ありません。
東京までは慣れた電車で何も考えずにチンタラ行きました。いつもと違うのは、普段滅多に用のない品川で降りる事だけ。そう思っていたんですが…

出発日は11月16日…感の良い方はお気づきでしょう。そう、山手線工事運休の日でした。ついでに京浜東北線も運休ということで、小生の乗っていた上野東京ラインはみっちり迂回の渋滞に巻き込まれました。これまで休日に乗っていたのとは全然違う乗車率に困惑しながら(と言いつつ座っていたので影響は軽微だったのですが)あと数駅と、品川駅で降車。ここからは初となる京急で羽田空港まで向かいました。
案外羽田へ行く人は多いんだなぁと思いながら数駅揺られていましたが、結構外国の人が多くて、やっぱり空港らしいなあと思いました。

さて羽田空港で降りると、もうここからはよくある小生の既視感も働かない全くの初体験です。来た事あるなぁなんて全く感じられません。この時点で搭乗の一時間以上前、結構余裕を持ってきた筈なのですが、時間があれば酒でも飲んでいればいいだろうと気楽に考えていました。

しかしここからが難関だったかもしれません。事前に搭乗予約の確認メールが来ていて知ってはいたのですが、搭乗前検査、要するに手荷物検査があって、それを搭乗20分前までに終わらせないといけないのですが、これがどこであって、どこに行けばできるのかがよくわからんと。
電車を降りてすぐに検査場云々と書かれた電光掲示板が出てきたのでその前で「一体こいつは何を言っているんだ」と格闘していたのですが何とか把握し、どうせ90分もあるしいざとなったら日本語も通じるのですからと散歩しつつビールでも飲んで待つ事にしました。

急いで走るのは嫌だなと思って、散歩していて見つけた搭乗前検査口の前にあるバーで一本開けていると、もうちょっとだけ時間があったので、屋上の展望台に上ってみました。

すげー空港だぁ~なんて思いながら、どこかで何で飛行機なんて乗ろうとしてんだよ俺という心の声が聞こえてきました。
いやあこうして空港に来ていざ目の前にしてしまうと、しかも今からこれに乗るんだと思うと童心に還ったかのようになってしまいますね。やっぱりどこかにはメカ好きな童心が残っていて、やっぱり車も好きなのでしょう。

そうこうしているともう搭乗前検査の良い時間になってしまい、結局そこから急ぐ事になってしまいました。まあ急いでも検査待ちに並んでしまうのでどうにもならなかったのですが。
そして、どうにか弁当は買えたものの、中で飲むんだと決めていた日本酒は買えませんでした。というかコンビニにしか置いていなかったようで、検査口あたりでは売ってませんでした。次は前もって買っておくようにします。

さあてこの搭乗前検査、保安検査とか言いますが要するに手荷物検査です。実際手荷物だけじゃなくて全身を金属探知機で見られるので非常に心配。映画なんかで見て全身身ぐるみ剥がされるなんて事を想定して、新しい目の下着で行ったのに、ベルトを外しただけで何事もなく通過。まあそりゃそうでしょう。体に仕込んである金属と言ったら、虫歯治療で入れたチタン製の土台とアマルガムだけのはず。
ところで手荷物検査と言うくらいですから、手荷物も当然見られます。寧ろ心配だったのは手荷物のほう…別にそんな、暗器を仕込んでいた訳ではないですけれども、前回学生時代に那覇空港で暇つぶしに持ち込んだPS2とドリームキャストが手荷物検査で引っかかってカバンを全展開された過去があるので、そっちのほうが気になっていたのです…と言いながらも、これを見越してカバンの中の変なものは出して来たので全く問題ありませんでした。普通に財布を出すのを忘れていましたが。

国内旅行なのでもうこれだけであとは搭乗です。少し時間があったので売店でビールを調達、日本酒はやはりありませんでした。それよりも、至る所で搭乗前日にダウンロードしたバーコードを要求されました。多分LCCだとこういうのをセルフで自分でやってねと言われるのでしょうが、これまでのレベルであれば慣れれば何とかなるかなと思います。


今回の座席は期待最後尾から二列目という位置だったので、乗ってから結構歩きました。外から見るよりも結構中は長いんだなあなんて思いつつ。
同時に、これから飛ぶんだなぁと思うと何とも言えない恐ろしさというか、もしかしたらこれが久しいワクワク感なのかわかりませんが、何とも言えない気持ちでいつ飛ぶんだろうとただそれだけを考えていました。滑走路までは固すぎのサスペンションで走って、普段の車のそれと変わらない感じでしたが、滑走路まで来ると一気に変わりますね。

まあ、一般人が体験できる最高速度の乗り物なんですからそりゃあ推進力があるのは分かっていますが、飛行機のあの加速力というのは凄まじいものがありますな。
昔Topgearで、ブガッティヴェイロンとユーロファイター タイフーンが一往復対決したのを見ましたが、機体が重い軽いの違いはあるとはいえ、あれくらい凄まじい加速をするもんなんですね。加速が凄いから初代シーマ張りにリヤが沈むのか、それとも上昇するのにフラップを操作するから前が上がるのか分かりませんが、これだけありゃあ飛べるんじゃないのと思わせるようなパワーでしたね。
それが過ぎたらひたすら上へ登っていくだけで、当初の目的にしていた「自分の家を上から見る」のは、シートベルトのサインが消えたらもう過ぎていたみたいです(どんだけ早いねん)。

そのうちドリンクサービスがあって、サービスの緑茶を飲んで弁当の焼鯖寿司をつまんでいたら、残り二切れというところでシートベルトのサインが出てしまい。あと5分で着陸態勢に入るそうで…いや幾ら何でも早くないのと…
まあね、でも分かってましたよ。沖縄へ行った時も巡航時速900キロだったんですから、それで計算したら1時間かからないんだから…離陸と着陸のほうが時間を食うのは分かってたし…
急いで弁当を仕舞ったけれども、まだスチュワーデス(今回は女性乗務員しかいなかった)が動いているからまだいけると全部片づけて、それでもまだ余裕があったからビールも片づけた。そしたら親切にも(よくありがちな、これ片付けてくれないかな~的な動作をした訳でもないのに)一番近くのポジションを担当していたスチュワーデスさんがわざわざ拾いに来てくれた。やっぱりしっかり教育されてるんだなあと感心してしまいましたが、こんなに短時間じゃそんなにサービスも要るのかとも…綺麗な方でした。これで長時間フライトできるとしたらどんなに快適か。


そして降下していくと、段々と北海道の陸地が見えてくる。荒涼な(決して蔑称ではなくまさしくその言葉通りに)シベリアを思わせる白樺の林が見えてくる。さっき羽田を上がった時は都会のビル群や港湾地帯を望む関東の平野だったが、今度は見渡す限り冷たい白樺の森が続く大地の新千歳空港。一気に環境が変わったのと同時に、どこか冷たさを感じさせる景色。
一番難しいのは着陸らしいですが、やはり結構揺られながらも、まあ最近は家の都合で離島へ行く事が増えたこともあって連絡船で揺られているのであまり気にするほどでもなかったですが、多少揺れはありつつも無事到着。
やっぱり時速900キロを発生するエンジンは馬鹿にできないと思いますが、それよりあのGを受けながら操作をするという自信が自分にはありませんので、多分小生はF1でフル加速を決められない人間だと思いました。あと、もし戦争で戦闘機に乗れと言われても多分できない。

いざ降りてしまえば感覚が地面を走っている車になってすぐに分かるので、そうなったらもう最後、今度は一気に冷えて涼しくなりました。なんせ最高気温1度、出発した時とは10度くらいの差があるんですから。折しもこの日、自宅でも目立って冷え込んだ日だったので猶更こちらは寒かった。
でもまだ空港直結の駅で電車待ちするので何も不都合はないですが、この後がどうなるのかがちょっと気にはなってくる。仕方がないので、1本残ったビールを飲みながら列車を待ち、大人しくただ黙って列車に揺られる。


ただどうにもですねえ、飛行機の時からやたら人が多いと思っていたんですよ。だってわざわざ、世間が二連休なのに会社が三連休なのを利用して来たのに、どうにもこうにも人が多い。しかも女の人が異様に多い。

で、荷物を見ると「ARASHI」のバッグばかりなんですね。どうも嵐のライブがあるみたいで、それで今週末は人出が多いらしいです。そりゃそうだよなあ、何でかホテルも今週だけ高かったし、飛行機も高かったし…そういう事かと納得しましたが、小生には関係ない…寧ろそういう話題があるほうが、こうしてブログに書けるからラッキーだ…と思って列車に揺られつ、一人ビールを飲みながら酒臭く飲んだくれるオッサンになり果てる…役を演じ切りました。


そして札幌駅に到着。

小生の人生の記憶の上で北海道に来た事はないので、紛れもなく札幌に来たのも初です。しかし寒い…

ここまで来たらもう寒い。しかも雪が舞ってました。最高気温1度は伊達じゃない。嘘やろと言いたくもなりますが、微妙に雪が残っているので嘘じゃないみたい。

さーて全く地理がわからない。改札を抜けたら途端に迷子になる。適当に歩いてみることにして、駅から出てみました。
そしたら急に吹雪いてきて、さっさとどこかに隠れたいくらいの天気になりました。Googleマップでも特に目ぼしい所はなさそうなので、駅に戻ろうとしたんですが、突然道を聞かれました。
「Excuse me, I want to go Sapporo Dome」
そんな、初めて来た出先で聞かないでくれよと思ってしまいますが、外国の人に道を聞かれました。荷物によれば多分中国から、どうにかしたいところですがこっちも初めて来た身で、でも断れずとりあえずgoogleで調べてみるがよくわからず…
「I have to go to ARASHI's concert! Oh, what I do...」
「そーりー、あいかむひあとぅでぃ、あいむふぉーりなー、そう…」
なんて事を言っていたら他の人に聞いておられました。わからん事はわからんと言ったほうがずっと親切です。でも頼られたら断れず…仕方がありません。

しかし成程、嵐のコンサートがあるのなら納得しました。どうりでホテルも飛行機も高い訳で。中国やら海外からも追っかけが来るくらい…そういえば、二宮君が結婚するんだって?ということは引退か?引退コンサートなら、来るかもなぁ…なんて思いながら駅に戻る。
思いのほか札幌駅には列車と土産以外の用事がなかったので、すすきの方面へ出てみました。まあ今回の思いつき旅の要件はすすきのに集中していたので、ここへ来ればほぼ目標達成したようなもんです。

すすきの…薄野と書くらしいですが、繁華街らしいですね。まあ小生はそっち方面にはあまり興味がないのですが、今回の旅の目的は前回の博多と似て「石狩鍋を食べる」つもりでいたのですが、案外そんな店がない。それに一人旅なので、一人で頼むとなったら精々三人前からとか…そんなに食えない。じゃ、他にやりたい事をやって来ようと思い、すすきので興味のありそうな場所を回ることにしました。

と言いながら、すすきので適当に歩いていたら迷子になった。GPSもあるしそんなに深刻ではなかったのですが、そんな時に目の前に路面電車が出てきた。こんな時に出てこられたら、乗ってみるしかなくなってしまうではないですか。気が付いたら一駅ほど歩いていたらしいので、路面電車ですすきの中心部に戻ることに。
初めて路面電車用のオレンジの矢印を見た時は結構感動でしたね。あんなもん教習用のテキストという設定資料集に書かれているだけのただの設定だと思ってたくらいに、今まで見たことなかったですからね…見たまんまオレンジ矢印でしたね。
あと、路面電車の駅って車からしたら相当面倒臭い場所にあるなと。観光的には見た目はいいかもしれないが、車で走れとなったら結構めんどくさい気がしました。レンタカー借りて走ればよかった。

一通りすすきのを見て歩いていると丁度吹雪きだして、なかなかに応える寒さになってきました。なにせ昨日まで10度以上ある所にいたんですから、この温度差はハンパないですわ。再び路面電車の駅を見つけて、ホテル最寄の駅まで行く事に。
これが大失敗だったんですね。ホテルの最寄の駅は中島公園だったんですが、路面電車に「中島公園通」があったので、多少近い所だろうと思って降りてみたら完全に繁華街から外れてしまった。google先生に聞いてみたらここからホテルまで1キロ…しかも歩いたほうが早いとか…そこから、見知らぬ極寒の雪道を1キロ歩くという修行をしなくてはならなくなりました。

昨日までヌクヌクしていたのに、今日はこうして寒さで顔面が痛いくらいにやられてしまい、緯度差はそうでもないのに緯度って怖いなんて思いながらひたすらホテルに向かって滑る雪道を歩いていると、何やってんだろうなぁと、日本にいるのに何ああだこうだ言ってんだよと思えてきました。気分はアラスカかロシアにでも来たような感じ。20分歩くとようやくホテルが見えたので、とりあえず横になったらクラクラして動きたくなくなりました。


そうは言っても腹が減ってしまい、石狩鍋は無理でも何か地場のものがいいと、せめて地酒でも飲みながら魚が食いたいと適当に入ったら結構いい値段の店で、酒はともかく腹ごしらえだけで笑ってしまうほどの額になりました。もう少し待てばニシンが上がるのに、待っておけばよかったとこの時が一番後悔しましたが、日本酒はなかなかだった。ただ接客のオバチャンが、某サイトのコメントにもあったように一癖ありましたね。

日本酒で機嫌を良くしたせいで、途中で見つけたバーに入ってしまいました。今度はウイスキーが飲みたいと、ジャックダニエルやマッカランを飲んでいたら、こういうのも悪くないかなーなんて思えてきて、結構長居をしてしまった。決して酒も悪くなかったけれども、次第に店がガヤガヤしてきてそこで切り上げた。

そしたら何かのノリで、どうせだしこの際ジャズバーにでも行ってみるかと思ってしまった。たまたま目の前にJAZZ BARという看板があったのを見たからだけれども、その目の前の店がなぜか見つからなかったので、検索かけたら結構近いところにもあるというので行ってみたら、一人でも入れるし値段も安いらしい。折角来たのに何をしに来たのかわからんこの旅のことだから、記念に初めてのジャズバーにでも入ってみようと思い、押しかけてみることに。

多少迷子になりつつも、雑居ビルにあったバーを見つけて入ってみることに。外から何も見えないので、どうなっているのか何なのかよくわからない。大体この手の店には入ったことがないから、会員制とかじゃないのかと思えてしまうが、まあ駄目なら帰るだけなのでと開き直って入ってみた。
狭いけれどもカウンターに5席くらいの店で、Mcintoshのアンプで鳴らしているバーだった。ジャズバーというと某アニメの影響か生演奏を思い出して、どうも高そうなイメージがあるが、これならまだ安くあがるのかもしれない…と思って言われるがままに入ってみた。
ここまでに結構飛ばしていたのでアルコールは飲みたかったが明日をセーブしてコーヒーを注文。結構手間をかけて挽いて入れているので、別に缶コーヒーくらいを一杯でいいやと思っていたせいで非常に申し訳なくなってしまった。

コーヒーを飲んでいると店に二人になってしまい、そのうち三人になりまた二人になった。酔った勢いもあったのでベラベラ喋っていたのだが、ジャズは精々ピアノくらいしか聞かないと言ったらレコードを見繕って流してくれたし、サービスもしてくれた。さすがに一杯ではと思って紅茶も頼んだが、こちらも丁寧に入れてくれたしサービスまでしてくれたので結構長いこと居座ることになった。

まぁ旅は道連れとか旅の恥は掻き捨てとは言うが、今日あったことを全部そのまま喋っていたら結構良い時間になった。あんた嵐の追っかけ?コンサートあるのに来たの?なんていう地元丸出しの話題から、平成は災害の時代だったとか、飲み屋で喋りそうな話題をそれなりに並べていたら日を跨いでしまった。ここに入ってからセーブしていたおかげで大分と酒も飲めそうだったが、今日は切り上げる事にした。いやはや二件目があったからここへ来たようなものだが、あの店で飲むくらいならここで同じように飲んだほうが遙かにマシだった。
正直、ジャズを聴いていたかと言われたら微妙だけれども確かに音は良かったし、しかも位置的にコアキシャルユニットのブックシェルフのセンター位置だったから、普段聞いている位相バラバラのカーステに比べたら格段に素直で、良い意味で当たり障りがなくスムーズで、これなら長時間でも聞いていられるかなと思える音だった。ただ真空管だったからジャンルを選ぶかもしれないが、普段よく聞くピアノジャズを持ってきたら良かったのにと思った。
それよりも他の客とも話が進んでしまい、なにげに結構今の家に近い場所の知り合いの話とか、雪に埋もれた雪国の生活の話をしようにも彼らには当たり前すぎて出来ないとか、関東圏の都市構造は台風に弱いんじゃないかとか言い始まって、居ようと思えば閉店までいけそうな気もしていた。ただホテルのチェックアウト時間もあったし朝食付きにしたし、何より嵐のコンサートで割高のホテル代を払っているという事が明らかだったので布団代を無駄にしたくないという貧乏性が働いたことから、途中で切り上げる事にした。
こればっかりは非常に心残りだった。


結局その後はホテルに帰ったもののカフェインとアルコールと寒さのせいで余り眠れなかった。
しかし朝になっていざ起きると、外が真っ白になっていた。

こんな本当の真冬の装備なんてしていないし…というか、なっているなら現地で揃えるつもりだったがそうではなかったので揃えていないし、こうなってはもう外に出るのも嫌になってきた。別に休みは大事を取ってあと2日あるしこのまま居残るのもやぶさかではなかったが、だぶついていたらチェックアウト時間になってホテルを後にした。

しかし外はこの天気である。

どこまで行ってもこの調子なんだから、慣れない人間はただただ嫌になるだけである。最初はこれを楽しみにしていたというのに。

そうは言っても次第に晴れてきて、雪は降らなくなり軽く観光はできそうになったので、札幌界隈で有名所を回る事にした。ただ帰りの時間が昼の一時という事もあり、札幌タワーと時計台を見てほぼ終わりになった。

まあこの時も、例のARASHIファンが大勢いて実に賑やかだった。
そういや時計台は何のためにあるのか疑問だったが、元々は札幌農学校の演武場だったものが今に残っているらしい。てっきり松前藩が蝦夷地を統治するのに作った云々なのかと思ったけれども。クラーク博士は本国に帰ったあと困窮してしまったと某番組で語られていたのを今も思い出す。


土産を買い昼飯を買いしているとすぐに帰りの時間になった。帰りは飛行機を取っていなかったが、函館まで特急で、函館からは最寄まで新幹線を取っていた。これがこの旅のもう一つの目的でもあって、ひとつは青函トンネルを抜ける事、もうひとつは雪国の冬の姿を見る事だったが、後者については雪国とはならなかった。とはいえ、ここまでにも僅かながら雪国の生活というものを見てきてはいるので、これは次回の楽しみとしたいところである。
札幌から函館までは特急とはいえ三時間以上の長旅になる。逆に言えば、札幌から三時間乗っても北海道なのである。それだけデカイのが北海道だが、そんなの関係なしに東京からわずか一時間で着く飛行機の速さと言ったら一体…

日本酒や弁当を買い込み特急へ乗り込むと、やはりここでも追っかけに囲まれた。どうやら飛行機は関東組らしく、東北組は北海道新幹線とこの特急で来ているらしかった。それだけ熱中できるものがあるのが小生には羨ましい。

電車ではない。汽車である。ディーゼルである。しかも振り子列車である。これは揺れそうだと思いながらも乗り込んだが、実際のところはそんなに揺れなかった。前に岡山から出雲へ行く時の特急はかなり特徴的な揺れ方をしていた。

ここから函館に至るまでは、もうただひたすら列車に乗っているだけである。窓の外の景色も、白樺の林、山林、少し開けた市街地。海沿いに出てからは小さな漁村、断崖と海、そして山林。全体的に言えるのは、密度の低い都市部が広がり、小規模な街が点在すること。

正直なところ、今回列車に乗って、JR北海道が赤字なのがよくわかる気がした。とにかく線路距離が長すぎるし、利用人口の少ない駅が多すぎるのである。北海道管内の総延長が長い割には利用人口がそれほど多くなく、保守費用が嵩み過ぎていることが想像に難くない。それだけ人口が希薄なのである。たとえば手近な例で言えば、福島の只見線や、栃木の野岩鉄道、水郡線の福島茨城県境などかもしれない。これが各駅停車の駅では延々と続いており、しかも距離も非常に長い。
今回乗ったのは函館から札幌を結ぶだけでなく、本州からもつながるルートであり、そのような利用状況だったとしても廃線にはならないかもしれないが、このような重要幹線でもない限りは間違いなく廃線になるだろう。そうでもしなくては、JR北海道単独では維持できないほどの規模なのである。そしてそれが至る所に存在している。加えて自動車という移動手段が確立された現代において、重要性の薄れたこれら不採算の路線は、負の側面以外で一体どういう効果効能をJR北海道に対して齎しているのだろうか。


この写真の反対側は見事な山林である。こういう所を延々と走っていくのがJR北海道の路線である。ただでさえ沿線に利用客が少ない状態で日々送迎を繰り返すよりも、昔ながらのように下宿や寮生活をするほうが遙かに効率的で、経済的で、そして影響の範囲を個人に留めることができる。
需要はゼロではないのかもしれない。しかし残念ながら、鉄道会社は営利企業である。公共交通として公的資金の投入はあるかもしれないが無限ではない。その中で損益分岐点を超えられない事業は、企業にとって負の財産を増していく事になる。もしこれが一般的な製造販売業なら原価に見合った値上げをすればいいが、公共交通ではそれも困難。

そして、今回バーで聞いた現地人の言葉である。
「本州へ行くなら飛行機を使う。列車を使う感覚がない」
この言葉に、北海道内の列車需要に対する回答の一端が見られるだろう。今回乗ったように、青森など東北圏からの移動においては北海道新幹線が開通することによって発生するメリットがあるだろう。だが、関東圏経由でのメインの移動手段になったりということは、実用的な面から飛行機という選択肢の代替になり難いので、限定的になるだろう。道内や飛行機を使うのが手間になる東北地方間といった、短距離中距離における移動手段が主な目的にならざるを得ない。

一般路線については、現実的にも、生活の中での交通手段として使うより、出張や観光、帰省などといった非日常的な利用のほうが多い路線も多い。元が炭鉱等からの搬出用として作られた路線であれば猶更であろう。北海道の延線は元々、夕張や石狩といった鉱業地帯からの重量輸送手段として誕生し、それが生活路線にもなり、駅は住民等からの要望があって作られたものが多いらしい。現在は逆に鉱業はほぼ壊滅状態で、駅も周辺住民がほぼ居なくなっていたり或いは自動車の利用がメインになっていたりと、実際それほど必要としない状態になっている。そんな中で「民営化企業が」これだけの総延長を維持していく必要があるのか、非常に疑問に思わざるを得ない。
中には利用率の高い路線や区間もあるだろうし、一概には言えないかもしれないが、鉄道という運用形態を取る必要性が果たしてどこまであるのかは、非常に疑問である。

例として挙げるが、三重県の松阪駅から伊勢奥津駅を結ぶ名松線は、台風による断線から相当の長期間を経て復旧を果たしたが、その間はバスによる代行輸送を行っていた。復旧については、JR東海が全額負担するのではなく地方自治体も負担しており、元はJR東海は再度の災害による被災の可能性を考慮して、大規模に復旧させる事を考慮していなかったが、しかし土砂崩れ等に対する対策も盛り込んだ上で復旧させている。

別段、このように地方自治体が協力して復旧を果たすことに異論はないし、JR側の復旧に対する考えも非常によく理解できる。しかし復旧までの間にバス代行輸送で事足りていた事実や、その際の経費に加えて、さらに復旧費用が重なっていることは無視すべきではないように思われる。復旧を果たしたことによって…根本的にはその路線が稼ぐことができるようになったのか(少なくともその投資に見合う意義があるのかどうか)という点がどうも忘れられているように見えてしまうのは、小生だけであろうか。

鉄道が公共交通機関であると言っても、残念ながらJRは1988年に民営化されており、利益を得ることを目標とする企業になっている。いわば私鉄と変わりなくなった。それまでは国鉄であり、全国一体型の国営企業であって、公共事業として不採算路線を他の路線の利益で補うという考えも理解できたのであるが、極端な話、現在最も儲けのあるJR東海=最も儲かる東海道新幹線はJR東海が運用しており、最も採算が合わないJR北海道にはそのようなドル箱路線がない。しかし分社化されJR北海道という企業単位になったところからは、彼らは「自力だけで」企業努力として赤字の削減…コストダウンをはじめとして、不採算事業の改廃や新規事業の開拓をしていかなければならない身分となったのであり、そのような流れになっていくことは一般企業として至極当然のことである。いや、そのようにしていくと1988年に変えたのである。
だが現実的にはどうだろうか。黒字化どころか、黒字経営すら厳しいような事業環境である。なのに公共交通であるだけに廃止が難しく、解決策の見えないまま赤字が特に持ち上げられ、今に至る。


素人の観点から述べてきたが、最後に個人的な結論を付け加えると、公共交通機関という位置付けをするならば、民営化自体に無理があるように思われる。何だかんだ言っても、北海道内の不採算路線をじゃあ民間企業的に次から次へと廃止していきましょうというのは無理な話で、不採算でも戦略的に重要であるとか物資輸送に重要であるとか、空路や自動車輸送では補えない部分が必ず出てくる。勿論路線の吟味改廃は必要ではあるが、経営戦略論だけ国土開発論だけのどちらに傾いてもうまくいかない問題。単に民営化の時に運用者を地域で分けたために起きている問題だとすれば、最も簡単に理由付けができる。
だが民営化が完全な失敗かと言えばそうとも言えない。確かに不採算という問題はあるが、コストに関する問題は解決すべき事案であるし、黒字化も進めないといけないし、事業の簡素化も進めるべきで、その点では民営化は間違いとは言えない。

ところで、国鉄からJRに変わって、何か根本のサービスは変わっただろうか。極論JRも国鉄も、公共交通手段である。目的地に移動することができるというサービスは変わっていない。日本全国のどこでも行けるが、結局JR各社は相互に連携を取り合ってサービスを提供している。これはずっと変わっていない。だが民営化したことで地域分社化し、赤字の所と黒字の所が出てきた。分社化すれば地域差によってこのような結果になることは予想できたはずであるが、しかし公共交通機関であるという但し書きが付いて回る。どうしても矛盾した事を要求されるが、そもそもこのような企業体を営利とか存続のみで語るのが正しいのであろうか。

思うに、JR北海道が赤字だから経営がとかではなく、この場合は赤字で良いのである。というか赤字になって当然である。こういう場合にこそ公的資金を投入するべきで(勿論需要などを勘案しての必要十分な量を低コストで提供するという目標を達成した上でだが)、経営努力以上の削減などをJR北海道がする必要性はないと考える。路線の設計段階での維持計画に対して実運用が異なるし、種々の要件が絡んで改廃も難しい。そんなものに普通の経営管理を持ち込んで、完全に当てはまるのだろうか。赤字だから悪いという見方自体がそもそも間違っているのではないか。

繰り返すが、一般企業と同じくあらゆる経営努力をした上で、である。そこには緩い観光需要などは当然見込まれないし、不要なサービスや余計な人員は含まれない。
よく「惜しまれつつも閉店」などと言われるが、惜しむならなぜ閉店したのかを考えたほうがよい。単純な話、閉店するのには殆どの場合に明確な理由がある。最も多いのは、店舗経営するのに十分な意味がないから--つまりは経営的=利益的に魅力がないからである。利益を通り越して損失、負債を出していることも少なくない。利益を生み出すのに最も基本的なものは、単純に売上である。しかし売上は単価によって決まってくるので、勿論単価は高いほうがよい。だが単価が高いと消費者の購買意欲は削がれ購入頻度が下がる。けれど必要なものであれば買わなければいけないので、もし他に安く売る店があれば余程の理由がなければそちらで買うだろう。でも安くした場合、同じ売上にするには数を多く売らないといけない。そうすると数を売るため、安くするために犠牲にするものが出てくる。ある程度犠牲にして数を多く売るのか、それとも少々高くても、それでも買ってもらえるような努力=サービスをするのか、その按排。だから単価の設定は非常に難しい。
「惜しまれつつも閉店」する場合、この価格設定の安さとサービスの良さが乖離していたという事になる。そして大体の場合、この乖離が大きいほど「良い店」という評価がされることが多い。こういうサービス精神の高ぶった経営をした場合、小生の拙い人生経験からすると、おおよそ大概の店が失敗する。安く売り多く売るのも大変だが、高くとも少しでも売るのも大変。だが安く売るほうが簡単。なぜなら安くすればいいから。逆は大変、高くするには相応の工夫が必要だから。そこで、本当はこうしたいのになぁという設定よりも価格を安くして数を増やすように設定し、サービスを厚くするので「良い店」になる。けれどやっぱり、いつでも行けるような価格でもないし、そこまでの魅力がある訳でもないという中途半端な位置なので、今のような景気では結局来てもらえずに「惜しまれつつ閉店」。

鉄道にもこの「惜しまれつつも閉店」に近いものがある。廃線である。鉄道はあまり料金を下げることはしないけれども、維持する必要はあるので運賃を上げる。すると大体、高いから使わない、車があるから使わない、別になくても困らないから益々使われない。結局それで廃線になるが、すると突然「惜しまれつつ廃線」となる。それは困ると沿線自治体が声を上げるが、では費用負担をと言うと話が進まない。この点、先の名松線は評価できるところだと思います。
まあこの場合、最終的に廃線になって地方自治体がバスを走らせるんですが、それも廃止されることが殆ど。つまり、その鉄道路線にはそれだけの魅力しかなかったという事になるのです。

今の民営化の下ではそうなっていくのが流れです。そこに自治体の資本が入ったら国鉄にまた戻り始めます。
では国鉄に戻せばいいじゃんと思うかもしれませんが、不採算路線を変わらず維持し続け、赤字分を税金から補填するとしたら、当然税金が上がる訳で。いずれにしろ、民営化で運賃が上がるか、路線がなくなって不便になるか、税金で負担するか。どこかしらで我々に負担は来るのです。そう思えばまだ、言葉は悪くなってしまいますが不便な思いをする人が沿線の人に限定される今の民営化JRのほうが、現実的なのかなとも思えてしまいました。

また話が壮大になりますが、国鉄に限らずあらゆる公共サービスが随分と進み過ぎたせいで、どんどん税金や保険料が上がっていくなと。そりゃ戦後の頃の医療の進歩での寿命の延長に比べたら、今の医療での寿命の延長のほうがずっとコストがかかるんですから保険がきくとなれば当然負担は増えます。それを使うのが普通になったらそりゃ医療費も膨らむわなと。決して増税を闇雲に許容する訳ではありませんが、まだ上がると思います。
それを思えば、もうちょっと保険の範囲を絞って公的負担をシンプルにするか、アメリカみたいに自己責任にするか。こうして負担が増えるばかりになってくると、アメリカってやっぱり合理的な体系になってるなと思えてきたりして。


そんな事を考えながら、函館行きの特急に揺られていました。五稜郭に行ってみたいと思っていたんですが、あの綺麗な星型は上から見るから綺麗なのであって、実際に行ったら星型に見えないんだと思ったら途端に諦めがつきました。

そして新幹線に乗り、念願だった青函トンネルへ……何だか防音壁がずーっと続いてるなと思っていたら、真っ暗な所をずーっと走り続けるだけで、そのうち車内の電光掲示板に「青函トンネルのご案内」が出てきて、ああ今抜けてるのねと…
早すぎて竜飛海底駅もわからないし、掲示板で最深部と言われてもわからないし、まぁこんなもんかと思っていたら新青森。津軽海峡冬景色の風景を拝む事もできず、雪の積もる前の青森市街の夜景を眺めながらそのうち乗り換えの仙台駅。仙台は何度か来ているので既視感も働かず、帰ってきたなぁとしか思えず。
本当に来たのが早かったという事だけが悔やまれました。



こうして、小生の北海道旅行が終わりました。往復宿泊費で五万円弱くらい。しかも一泊しかしてませんから、かなり高くついてます。何もしてないので記念にと、探してもいなかったDVDのボックスを買ったり。
まあでもジャズバーは最高でした。アホみたいに高くついた夜食も悪くはなかったけど再訪はないかなぁ。二件目のバーも悪くはないけど、ジャズバーを知ったらこっちは無いかな。土産として焼鮭を地元に送りましたが、博多と同じく食べ物は確かに旨い。次回は食事もよく考えて来たいと思いましたが、できればやはり自分の車で宗谷岬まで行ってみたいですね。稚内市内にあるという、ロシア語の案内標識を実物で見たい。ロシア語は学生時代に単位が足りずに取っていたので、意味はわからないけど読めることは読めるのです。
あとはイトムカの乾電池処理工場に行きたいけど、一般人は見学できないらしいので外見だけでも。それと夕張ドライブ。何でそこに建てたのか未だに不思議な京セラの北見工場、国後歯舞色丹択捉の北方領土、脱獄不能の極寒の網走刑務所を是非とも真冬に見たい。
年明けてすぐには無理でしょうけれども、いつかまた行ってみたいですね。

ちなみに…
空港だかどこかで、たまたま妙なポスターを見てしまいました…
「ユジノサハリンスク~…云々」
これを見た時に小生がスマホで成田・モスクワ間の飛行機を検索したのは言う間でもありません。
というか、思った以上に飛行機が安く感じたので金銭的には無理ではないと思うのですが、さすがに日本からは出たことがないしパスポートも持っていないし、もしかしたら要注意人物としてブラックリストに登録されているかもしれないし、今回の札幌のようにすぐには行けないですが…

海外と言えば中国韓国台湾が身近ですが、おしなべて気軽に行ける雰囲気ではないですし、だからって独り身でグアムサイパンへ行っても何の罰ゲームなのかわからないし…きっと今回の札幌行きよりも安く上がるんでしょうけれど…
目ぼしい国内の都市は行ってしまったので、今度は中規模の都市にも行ってみようかと思っていたりします。加えて、空港のあの雰囲気がなんとも気に入ってしまい、ましてやそこで飲んだビールが気に入ってしまったので、折角ですから海外にも目を向けてみようかなと。
行くなら名の通ったところが行きやすくて良いでしょうけれども、どうせならというか、何よりも小生の中の人はネタにすることを重視しているきらいがありますので、「初めての海外旅行でモスクワ行ってきたぜイエーイ」なんてやらかす可能性があります。まあ海外旅行はさすがにシャレにならんので香港あたりで…といきたいですが例の状況なので…行くなら香港がいいですが。

それと、個人的な好みになるんですがツアーとかで団体行動するよりも、単独行動で一体何なのかわからない路地を歩いたり、ふらりと店に入るのが良かったりもするので、ホテルの手配とかも含めてめんどくさいですが自分でやるのが好きみたいです。
「じゃあアンタ、モスクワのホテルどうやって手配すんの?ロシア語できんの?ばかなの?」と言われそうですが、一昔前ならともかく今はネットでポチればイケますしねぇ…下手しなくてもgoogleで国内ホテルと同じように予約できるんじゃないですか?あとは予約確認の電話だけ忘れなければ、着いてからアンタの部屋ないよって言われなくて済むと思うので…
学生時代のロシア語のテキストでも引っ張ってきてやり直しましょうかね…


ま、そんなこんなで床屋も心配してくれるほど長い付き合いがあるんですが、思えばもうこんな年になっちゃったよと。もっと若い時に色々やっときゃ良かったかなと今更思ったりして。そうすりゃ今頃、親父のように三児の父になっていたかも、もうちょいマシな人間になっていたかとも思うんですが、十年越しに青春してんだと思って好き放題やってます。おかげで財布も口座もスッカラカンですよ。

でも、もうちょい頑張れそうなので良しとします。
Posted at 2019/12/20 04:30:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 趣味

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