2014年07月30日
早いもので、もう一年の半分以上が経ちました。
何故にこうも時間は早く過ぎていくのでしょうか。
我々にできることは、いみじくもアインシュタインが語ったように、
相対性理論を応用することです。
とある少年が、アインシュタインに相対性理論とは何かと質問した時、
「君が好きな女の子と一緒にいる時、時間が過ぎるのが早く感じるだろう、
君が大嫌いな科目の授業を受ける時、時間が過ぎるのが遅く感じるだろう。
それと同じことさ」
と言ったそうです。
ところが大きく矛盾することがあります。
大好きなことをやっていると、時間を忘れて、
時間が一瞬で過ぎてしまうこと、時間がなかなか過ぎないこと、二通りがあります。
単に好きなことだけをやっていると、時間はすぐに過ぎてしまいます。
やっていることの密度が非常に高い場合、時間がゆっくりになります。
これは何にせよ、たとえ好きな事だろうが何だろうが、そうなります。
たとえば、衝突する瞬間など、世界がハイスピードカメラになるものです。
本気で今一瞬のこの出来事に集中する時は、起きていることが、遅くなる訳では
ありませんが、その一コマがものすごい密度で見えます。
単に好きなことをやっているだけでは、時間はすぐに過ぎてしまいます。
どれだけそれに集中できるかで、時間の進み方は変わってくるのです。
これが、観測者…つまりは時間は自分を流れているので自分が観測するのですが、
こういう理屈で時間が変わってくるということです。
そこまで集中できることはそうそうありませんが、
たまにうたた寝をして起きると20分くらい、それでも一気に眠気が覚めたりするものです。
年をとると時間が経つのが早く感じるようになりますが、それだけ世の中の出来事が陳腐化してしまい、集中できるような要素がなくなるからでしょう。
誠につまらないことです。
だからと言って、毎日が頭をひねらなければ生きていけないような日々では、
胃も痛くなるし気も休まらないしで、長生きしたくなくなるでしょう。
せめて、明日はどうすれば売り上げが伸びるか、何を試してやろうかと明るいことを考えておれるような毎日になれば、最高なのですが。
どうにも、そうならないんですね。
Posted at 2014/07/30 07:58:12 | |
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2014年07月29日
まさかこのテーマを使う事があるとは思いませんでした。
最近のマイブームは、「米ニンニク」を作ることです。
例の事件以来ニンニクがおっかないので、ニンニクは食べてません。
冬場だと2日くらいは保温のまま持つことも多いのですが、夏場は全く持ちません。
2日も経つとベッタリして、腹を壊します。
言わば圧力釜のような状態なので意外に殺菌もできて大丈夫なのかと思えば、そうでもなさそうです。
仕方がないので、米を炊いたらラップで一膳分ずつ分けておくのですが、
頭をひねっておくのでいかにもニンニクらしくなります。
こうして日々米ニンニクが量産されているのですが、炊きたてだとそれほど味も変わらず、意外なほど炊きたての味が残ります。
手間と、レンジの電気代がかかりますけれども。
私は去年の暮れあたりまで、土鍋で米を炊いて炊飯器を御櫃代わりにしていたので
炊飯器の炊きたての味は最高じゃないと思っているのですが、何しろ楽なので、
これでもいいかなぁと思うようになっています。
ちなみに、いつだかラップしておいた米をかなり長時間レンジにかけたら、
ものの見事にレトルトごはんの味に変化しました。あれって、レンジの味なんですね。
今度は、ラップごはんの冷凍がどれだけ持つか試してみようと思います。
Posted at 2014/07/29 08:07:39 | |
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2014年07月28日
大抵の場合、電器には電気接点があります。
携帯も充電端子は電気接点であり、懐かしいファミコンもカセットと本体の間は
電気接点、グルグル回すボリュームや切り替えスイッチ、壁のスイッチ、モーターと、
非常に多くの接点があります。
電気接点がない電器なんて、まずないと言ってよいでしょう。
今のところ、金の接触抵抗が金属中で最も低いというのは、既に述べており広く知られているものと思いますが、大抵の接点には金メッキがされています。
携帯などは充電端子が金メッキされていますし、他にも、少々値段のするヘッドホンやイヤホンの端子、アンプやCDプレイヤーの裏の端子にも金メッキが使われています。
金は酸化しにくいので、酸化つまりはサビることでの接触不良が起こりにくく、これを応用したものです。
おまけに抵抗も少ないので、接点にはもってこいなのです。
一般に「金メッキは高価」と思われているようですが、実際のところ、そのコストはほぼ手間賃でしかありません。
金閣寺の金を全部はがしたところで角砂糖何個分しかないように、金メッキで使う金など非常に極微量で、メッキに使う他のモノのほうが高くつくぐらいです。
確かに面積次第でしょうが、金の値段はそれほどもいかないでしょう。
おまけに、18Kと24Kなどと言われますが、純度も色々違います。
非常に数の必要なものにはそれほど純度の高い金は使いません。しかし中の基盤だったり、酸化しては困るところには純度の高い金を使います。
これだけでもコストは変化しますし、酸化のしやすさなども変わります。
一方、メッキされていない接点もあります。
意外にもメッキされていない接点は多いものです。当然ながらさびますが、余り問題のないところが多かったりします。
たとえば白熱灯だったり蛍光灯の電極は、確かにメッキもされておらずサビもしますが、だからと言って金メッキしたらそれだけ恩恵があるか-明るさが良くなるかと言えば、そうではありません。
確かに抵抗は少なくなりますが、実用レベルでは問題になりません。
寧ろこのようなレベルのものに金メッキをしたところで、金具の精度がありませんから、つまりはメッキをはがしてしまいます。
逆に言えば、常に金具を削って取り付けるようなもので、意外にサビが無視できるのです。
コンセントなども、そうですね。
殊にアンプなどになると、内部には接点が多くあります。
回路保護用のリレー、切り替えスイッチ、ボリューム、入出力端子など非常に多いですから、それだけ不良を起こすことも多い訳です。
特にプリアンプは接点不良が起き易く、ヤマハの渾身のC-1などは多機能が災いして、接点不良が非常に起き易くなっていました。
逆にパワーアンプは、言って見れば電源スイッチと回路保護リレーとスピーカー端子と入力端子、これくらいですから非常に簡素なものです。
回路保護リレーはよく接触不良を起こします。
ボリュームなどは接触不良を防ぐために重接点にするなどの工夫がされており、最も不調が出にくい部品です。
しかし中にはバランス調整も同軸上にあるボリュームがあり、この場合だと少々厄介で、こちらが単接点だったりすると良くありません。
手動セレクタも意外に不調が起き易いですが、暫く動かしていなかった時などが多く、大抵は回し直せば戻ることも多いです。
ところが回路保護リレーは単接点のものが多く、ケース自体も密閉されている訳ではないので酸化します。
これが酸化して接触不良を起こすようになると、交換するか洗浄するしかありません。
ボリュームを小さくした時に片チャンネルからの音が出なくなるのは、大抵このパターンが多いです。
最近ではデジタルアンプが増えてきて、ボタンを押すと音量が変わるタイプが主流になりつつあります。
しかし伝統的なアンプでは、この構成を殆ど変えていないものも多くあります。
さすがに新しい分だけ接点不良が起きることも少ないですから何とも言えませんが、起きることは起きます。
リレーのような小さな接点ではこれだけの悪影響を及ぼすのですから、スピーカー端子や入出力端子が酸化したら、かなりの影響を与える…とも読み取れます。
実際にはそれほど大きな影響が出て、聴くに耐えない…と言ったことにはそうそうなりませんが、掃除してみると「細かな音が聞き取れるようになった、メリハリがしっかりとした」という変化があったりすることも、あります。
掃除しておくに越したことはありません。
接点の掃除には、接点復活剤の使用が一番よいです。
吹いて少々経ったら軽くふき取ればよいのです。
もう、古い機器でサビが見て分かるようなレベルの場合、端子ごと交換がベストですが部品がないことも多いので、研磨剤で磨くのも一つの手段です。
但しメッキは剥がれます。
接点復活剤はあまり使うと基板などを痛めることがあるので、なるべく少なくするほうが良いそうです。
私の経験では基板まで侵すようなことはありませんでしたが、ガラエポのようなしっかりした基板以外ではダメかもしれません。
いずれにせよ、アンプなどには非常に多くの接点があります。
これらを一度全て掃除してみるだけでも、かなりの効果があったりします。
決して悪くないけれども古い機器を手に入れて、しかしイマイチ音がよくない…という場合は、一度やってみる価値はあります。
次回は、コンデンサーについて取り上げようと思います。
(電気的性質などは全く知りませんが…)
Posted at 2014/07/28 02:16:19 | |
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2014年07月26日
今日はオイル交換したせいもあって完全に浮かれ気分で、しかし昼間は暑いので
スーパーで買い物をして、早めの夕飯に。
涼しくなってから再び走りに出てみると、どこかで花火が上がっているのが見えました。
何だか、不思議とギヤの入りが良いのです。
一体何でなのか、車の取説で確認しましたが、ミッションオイルとエンジンオイルは別物のハズで不思議で不思議なのですが、かなり調子が良いのです。
それほどオイルの硬さが変わってエンジンブレーキのかかりが変わったのか、それくらいしか考えられないのですが、そんなに変わるようなものでしょうか。
エンジンの回りはスムーズになりました。
前車でもモービルワンは使ったのですが、それと同じく回転がスムーズになった印象です。
回転がスルリと上がるので、面白くて走り回っていたらすぐに油が減ってしまいました。
タイヤの空気圧チェックがてらスタンドへ行くと、先客が一人ありました。
横目に見ていると、明らかにスポーツ系の車で、ハイオクガソリンを入れていました。
横で自分も入れると、まあ自然にも自分のほうが早く終わりました。
見ていても、ハイオクを入れる時の金額メーターの上がり方はすさまじいものがあります。
ついぞ最近まで同じような車に乗っていましたから、実際のハイオクユーザーにとっては「10円上がろうが殆ど気にならない」ので、それほど気にしていないと思われますが。
ガソリン、上がったままで困ったものです。ハイオクが消滅する日も近い…のか?
ついでに、坂道で「サイドブレーキをひかずにギヤだけで駐車できるのか?」を試してみました。
案外、結構な坂道でもローギヤ、リバースでは停車できました。
セカンドだと走り出してしまいます。
驚いたのは、停車時にフットブレーキを何度か踏むとロックされること。
この状態になると一旦エンジンをかけてやらないとブレーキをいくら踏んでも効かなくなります。
倍力装置の油圧が動かなくなるのでしょうか。思い切り踏んでも停まりませんでした。
暑すぎて、窓開けるだけでは追いつきませんね…
暫く遠出は夜になりそうです。
Posted at 2014/07/26 23:58:42 | |
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2014年07月25日
思えば、日本で議会政治が始まってからそう時間は経っていません。
世界で始めて議会政治を始めたのはどこだか、歴史嫌いの私ですからわかりませんが、ローマあたりが始めたのでしょう。
民主主義政治とは、日本人にとってまだ馴染みが薄いものなのです。
世界で先駆けて民主化を達成したローマ人、その流れを引き継ぐイタリア人は…
どうなのか知りませんが、いずれにせよつい二百年前まで殿様政治をしていた日本ですから、民主主義議会が上手く行かないのもある意味納得です。
独裁を容認する訳ではありませんが、善悪問わずに、個人崇拝や独裁体制を敷いていると、実行力は高くなります。
一方で権力を分配すると、足並みがあわなければ停滞します。ただでさえ決定に面倒な段階を踏まなくてはならないのに、足並みを揃えるのは一苦労です。
スムーズな運営をさせるために一箇所に権力を集中させるか、
権力の集中を防ぐために分散させて持たせるか、結局はその一箇所がどう動くか、
それだけでしかありません。
資本主義そして自由主義の祖国であるアメリカでさえ、ある程度は権力などの大きな力が介入したほうが、社会としては上手くいく認めています。
その走りがアジアの某国な訳ですが、社会運営としては確かに最先端を行っているようですが、問題は介入の仕方で、あまりにモラルや品位のないところが大きく取り上げられ、目立っております。
国家の品格とは、単に長年続いているだとかいう事よりも、国家という存在にふさわしい性格を備えているか、でしょう。
某国も以前は違う政権だったので、その時のほうがまだマシだった気がします。
長年停滞していた我が国の経済ですが、最近になって少々明るい兆しが見え始めてきました。
拙速だ見掛け倒しだ踊らされるなと、自由な風潮のもとには書き放題なのですが、情報戦も或る意味で社会への介入でしょう。
これは許容できるものとしても、旧体制が行ったように、戦況悪化の中で国民を犠牲にすることを促すようなものは許されるものではないでしょう。
まあ経済状況、特に消費などは、世態がどうかによるところが大きく、世態はまた時の社会の風体にもよりますから、この介入は有効でしょう。
昔、誰だったでしょうか…自由に疲れた人々は、服従することを望むとか言っておられた気がしますが、余りに自由すぎるのもそれはそれで生きにくいものです。
本当の自由主義のアメリカでは、老後の年金から保険に訴訟沙汰まで、自分でどうにかしろという社会です。
一方で本邦社会は、自由とは言いながらも古くからの慣行や慣習が色濃く残っている社会です。
現在の社会の主役…すなわち団塊世代が非常に強くその色を出している訳ですが、この後には、そのような慣行が余り気にされない時代が来そうです。
現在は完全な自由社会ではありませんし素地があるだけですから、こういう道を進むべきだとか、人はこうあるべきだ、という固定観念がまだ強い年代層が多いですから、本当に自由な世態になるのはまだ先でしょう。
しかしそうも言ってはおれません。
年金問題や医療費といった問題は、政府というものの力が有効な範囲が思ったよりも狭く、限定的であること、また自由に手出しのできる問題でもないことを明るみにしました。
ですがこのまま、今の社会を維持することを選択すれば、年金や医療費、教育費、生活にかかるほぼ全てに関してを自分で解決せねばならなくなるのは、間違いありません。
本邦は、某国が出生数を減らすために夫婦の子供の人数を規制しようとしましたが、失敗したように、まず強制的な手段には出ないでしょうが、其れなくしてこの問題の解決は図れません。
これは恐らく解決できないでしょう。それは根拠を示せと言われれば困りますが、新しい夫婦の数が右肩下がりに減っていく中で、2人から1人が生まれただけでは、減るに決まっています。
そうとなれば、これらの福祉については自前にせざるを得ません。
アテにできるものであるという判断が、どうにも付きません。
結局、経済活動においても人口が膨大であるほうが、雇用面でも経営面でも、ひいては生活面も財政的にも安定します。
実際のところは単に国家や生活の危機という話ではなく、経済的にも無理があるのです。
いや人口は戦後直後も少なかったと言われるでしょうが、あの頃は経済だけで自律成長できるほど、社会と生活が成熟していませんでした。
今はほぼ成熟し、最早飽和したとされるほどの時期です。
経済が自律成長することも難しい中、人口が増加することは有り得ません。
極端な話、現在の経済体系だから無理が出るのです。
売れなければ儲からず、給料としても反映されないので、さらに買わず売れずの悪循環になるのです。
どこまでも人間が欲深ければ成立するのでしょうが、はるかに欲深い、節約の苦手な国民性の某国でも、消費が落ち込んでいます。
一体、どうすれば永続的に経済が回るような形態ができるのでしょうか。
今のところそれらしい答えを知りません。
Posted at 2014/07/25 22:06:18 | |
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