さて、冬が本格的に始まる前に、年末あたりに予定している長期車中泊の練習も兼ねて、泊りがけで遠出してみることにしました。いつもと違い前出しが非常に短いです。
前々から分かっていた事ですが、純正で履いていた夏タイヤの溝がもうありません。スタッドレスと大体均等になるように走っている筈なのですが、だいぶ早い気がします。それはともかく、溝が皆無という訳ではないものの気にはなるし、どうせそのうち米沢や会津のほうは夜の道も怪しくなるので、頃合いとしては良いところですし、少々早いですが交換しました。
なので、今時分では積雪という所はまだないでしょうが、これでそうそう困らずに雪国方面にも行けるようになりました。本気で降られたらそりゃあ行けないと思いますので、今のうちに行っておくのが良いと思われます。
ということで、前から行きたいとは思っていたものの、長らく実行できていなかった、竜飛岬へ行くことにしました。
実は直近で、今年二度目の象潟へ行ってきたのですが、今回は象潟ではなく鳥海山を目当てに、あとはどこまで北方面へ行けるかを試しに行ってみました。結局は周遊道路の鳥海ブルーラインが走りやすくて面白かったのと、鳥海山の紅葉がまだ始まりの頃でしたが綺麗だったのとで、時間が結構かかり由利本荘あたりで折り返したのですが、試しに車中泊演習をしてみたものの色々と課題がありました。それで、まだ時期ということで紅葉目当てと、改善した車中泊仕様のテストとして、13年振りの青森と、初の竜飛岬へ行くことにしました。
ちょうど夜勤の週だったので、空いている夜に出発するのに具合が良かったのもあり、金曜の深夜に出発しました。そこからはひたすら東北道を北上するのですが、時期的に工事がやたらと多く、そのせいで途中の120キロ区間もほぼ機能せずでしたが、去年に来たことのある盛岡まですんなりと進みました。ちなみに盛岡までで大体、象潟とかと同じくらいの距離です。
ただ地図を見ていると、青森まではここからさらに200キロあるのと、竜飛岬まではついでに70キロ近く下道です。こうして距離だけ見ると、帰省とそんなに変わらない感じだったのですが、渋滞もないし東北道のほうが線形も良いので、あまり疲れたという感じでもありませんでした。しかしどうにもガソリンだけは順調に減っており、仕方がないので早めでしたが長者原SAで給油ついでに自分もカロリー補給しました。
この日、青森秋田に寒波が来ていたので、状況によってはと思っていたのですが、前々から気になっていた八甲田山へ行ってみることにしました。幸い大雪という様子ではなさそうだったので、紅葉目当てに行ってみたのです。
最寄りの黒石ICで降りて、そこから酸ヶ湯方面へひたすら山道ですが、観光地だからか道幅が広くて走りやすかったです。登っていくうちに気温がゼロになり、雨が降ってきたと思ったらみぞれでした。
そのうちに着いたのが城ヶ倉大橋
職場の青森出身人がなぜかよくこの名前を言っていたのですが、最近グーグルマップでルートを考えていたところ、大体ここで大渋滞表示になっていたので気になっていましたが、紅葉の名所だったようです。というか、紅葉って雪と同時に見るようなものでしたっけ? 小生の常識が崩れ去った瞬間でしたが、成程これは良い眺めでした。晴れていたらと思うのは贅沢ですが、今度は晴れた時に見たいものです。
マップで見てすぐ近くに、いつも大雪になると話題になる酸ヶ湯温泉が本当に近くにあるということで、試しに行ってみました。すると城ヶ倉大橋でみぞれだったのが雪に変わり、酸ヶ湯に着くまでには雪になりました。
これ、30分もしない内に道にも雪が積もり始めました。大体小生が知っている雪というのは、一晩くらいちらついて漸く積もるのですが、ここはちらついたら積もり始めて、30分で道が白くシャーベットです。さすがに日本一の積雪量は洒落にならない、というかもう降るとか、タイヤ替えて正解でした。
テレビなんかでよく見る宿です。入っていけばよかったですが、日中には竜飛岬に行きたかったので、今回はスルーしていますが、大雪の時にまた来たいです。
ここから十和田湖に行くことも考えましたが、この天気を考えるとちょっと怖かったので、どちらかと言うと帰り道になる八甲田山方面へ進みました。
さて八甲田山と言うと一番思い出されるのは雪中行軍でしょう。ちなみにこの日の八甲田山の景色がこれです。
丁度あの有名な銅像の裏から見た光景ですが、紅葉が終わってから雪が降るのが普通なんじゃないのでしょうか…しかしここは知らない土地ですから、こういう事もある訳です。
10月ですでに雪が降るような所の真冬の山中を行軍するのですから、自分が知っているような「足が埋もれる位の雪道」どころの話ではないことは容易に想像できます。

一回目の露営地です。車でも結構距離がありました。
往時はまだ天候もそこまで悪くなく、一日目の出発してすぐだったので、反って奥地まで進めてしまったと想像されます。

第二露営地です。車だと本当にすぐ近くの距離ですが、真冬の雪山では命懸けで一日進んでもたったこれだけの距離しか進めない。雪を知らない自分からすると、雪国というだけでもそれだけのリスクがあると思い知らされます。
第三露営地も探してみたのですが、グーグルマップにも画像があるものの、何往復しても見つけられませんでした。一か所怪しいところがあったのですが、藪に埋もれているのか、それかピンクテープがあったので、事故か何かで失われたのかもしれません。
近くに銅像茶屋なる廃墟があり、そこに有名な銅像があります。駐車場からちょっと階段を上ります。銅像の裏には行軍で殉職された方の名簿があります。
撮った時に背景で気づいたのですが、雲だと思っていたら山の上半分が真っ白だった。
10月で既に八甲田山はこの状態です。どうりで酸ヶ湯もあんなに降ってもおかしくない訳ですが、真冬にそんな所で訓練をしたのですから、当時は敵国地でそのような進軍が起きることを本当に考えていたのでしょう。我々歴史の授業で習った内容だけでも、かの国では冬の寒さで敵を撃退したとの逸話もあることを忘れてはなりません。
さて山コースはひとまず終わり、青森市内へ出ます。ほとんどそのまま真っすぐ進むと陸奥湾
アスパム
13年前に来た時は青森中央で降りて、三内丸山遺跡側から来たのですが、遺跡駐車場で開くまで寝てたが寝付けずにアスパムへ来た覚えが
確かほたてラーメンを食べた覚えがありますが、今も変わらずありました
その時は平日だったのか?本当にガラガラだったのですが、今回は凄い人でした
好物の「にんにくせんべい」を種類があるだけ買ったら3種類くらい、昔はもっと色々あった気がするのですが、結構当たり外れがあって、いつか貰ったのと同じ味を探しています

このあと善知鳥神社にも参拝しましたが、これは前回も同じ。ただ今回は猛烈に雨が酷かったのでベタベタで長居できませんでした。
さてここからが今回の本題で、竜飛岬へ。
竜飛岬はとにかく陸奥湾の海沿いをいけばいいのですが、思ったよりも遠かった気がします。途中山の中を抜けるのがそう思わせるのでしょうか。
あと20分くらいのところで、青函トンネルの本州側入口が広場として整備されていたので寄ってみました。思えばコロナ前に北海道へ行ったのを思い出しますが、帰りにここを通って帰ってきている筈です。
待っていたんですが、通過時刻案内に書かれていた時間になっても何も来ないので立ち去りました。

トイレもあり、ここで車中泊して明日帰る事も考えていたのですが、まだ慣れていない事もあり見送りました。
その後は再び海沿いを走りますが、ここはもう漁師町の在所の中を抜けていくような感じです。走りにくいです。ただし所々に休憩所があり、観光客対応はされている感じが見て取れます。
素掘り ハザードを焚いて
10分くらいすると、遂に竜飛岬への急な上り坂が現れます。途中でタヌキが真昼間から人目も気にせずに路肩で食い物を漁っているのには驚きましたが。
そして有名なアレです。
石川さゆりの曲「津軽海峡冬景色」の碑です。ボタンを押すと二番が流れます。そりゃあここまで来て、一番の上野発の~から歌われてもしゃあないか。でも逆に二番からだと…とは文句を言いすぎですね。
ちなみにこれ結構な音量で、当日は台風並の暴風みたいな風でしたが、絶妙なうるささ加減になっていました。
しかも何気に高音質(笑)
低音は出ませんが、中高域は結構優秀で、もし周りに家とかあったらうるさいだろうなぁ(笑)
碑を抜けてすぐにあるのが、有名な階段国道の看板

何か看板がやたらと綺麗です。階段が国道に指定されているのが問題だと言われるパターンと、国道なのに階段になっているのが話題になるパターンと二通りありますが、最近は後者が専らでしょうか。
折角なので降りてみましたが、結構運転も疲れて、膝が笑い始めましたので、途中のスタンプのところで引き返しました。
いやそれよりもウチの前の砂利道より水溜まり酷いよ(笑)
さてさてようやく目的の竜飛岬です。今年この冬最初の寒波が来ているということでしたが、もう笑ってしまうくらい風が強く、車がひっくり返るんじゃないかという位の強さでした。
自分は台風で暴風は経験していますが、ここは周りに遮るものがないので、逆にそれが怖くかったです。
しかもこれが寒い。氷点下ではないようでしたが、風が強いせいでただただ寒い。家を出る時点で寒波が来ているとか山では雪が降るという話は天気予報に出ていたので、出せそうなコートやらを持ってきていましたが、とりあえず寒さは何とかなりました。
駐車場から見える竜飛岬灯台
灯台の横を抜けて岬の先端へ行くのですが、
ここから進めないんです。これ、ちょうど横に風よけになる柱みたいなのがあって、自分みたいな70キロ近くある肥満体でも飛ばされそうなくらい風が強いんです。さすがにこの風は台風でもそうそうありません。というか、風が途切れないのが怖いです。
実際ここへ来るまでに四つ足になりかけました。すぐそこなのに危険を感じて断念するという状態に、初めて数秒の動画を撮ってみたのですが、動画は上げられないようです。
見えているのは海上自衛隊のレーダーのようですが、風速計も付いているようですが閲覧できるデータではないようです。
そして遠くに北海道ですが、当日はそんなの全く気にしている余裕がありませんでした。
津軽海峡冬景色 歌謡碑より竜飛岬全景
このあとは、五所川原方面へ抜けるために暫く来た道を戻りました。本当は小泊側をぐるっと回っていきたかったのですが、ガソリンもいい感じに減ってきていたので安全を取りました。
五所川原は出身の古い知人から色々と聞いていたので、どんな雪国か見てやろうと思っていたのですが、まあ行ってよくわかりました。当方の地元は寒気が来ても山が遮って、大半弱まって来るせいで大したことがないのですが、何も遮らずに海からそのまま来る下北半島なんて酷いに決まっているのです。
おまけに想像以上に田んぼだらけの土地で起伏がないので、本当に地吹雪で下手をしたら死ぬという土地であることがわかります。今日ですら風が結構酷かった。
そりゃあ家から出ないし訛るわなあと思っていましたが、言うほども田舎という感じではありませんでした。
この近くに、運送会社の社長の豪邸があったと思い見てみたかったのですが、多少検索してみたもののそれらしい情報がなく、しかし六時を過ぎて暗かったのでやめました。
いよいよ帰りも近いということで、日本酒を買いに、つがる柏のイオンに寄ってみました。なんでも津軽弁はこの近くの金木とかが一番訛りが凄いらしいと某番組でも言っていたので、そりゃもうゴリゴリに訛った津軽弁だらけだろうと思っていたら、これが全然訛っていませんでした。
その古い知人に聞いてみたところ、オバチャンは訛ってるだろう、寒くなってくると喋らないからだろうという事でしたがそういう感じでもなく、話し声がしないという訳でもなさそうでした。確かに暖房の効いたアスパムの売り場のオバチャンは凄い南部弁で訛って世間話してましたが、レジの若い娘は標準語でした。
たぶんですが、所謂使い手の世代が消えつつあるんだろうと思います。自分も、同じ訛りの筈なのに明らかに祖父祖母の世代は発音だけでなく言い回しも違うので、多分イントネーションとフレーズくらいしか知らないのだと思います。子供世代では理解はできても、祖父祖母と同じレベルで話せるかと言われればかなり限られるのでしょう。
それに「最近の若い子」…と言ってしまいますが、このような方言の純粋な使い手は恐らく自分くらいの歳の祖父祖母世代までがギリギリ…戦中生まれ世代までだと思います。戦後生まれの自分の両親は全くそのレベルでないのは明らかで、代を追うにつれてどんどん薄まっています。遂には自分の世代でも早ければ子供が成人しつつあるので、そうなれば果たして純粋な方言を使える人間はどれくらいいるのでしょうか。
現在の現役世代ほとんどの人間が「いわゆる標準語」に接する機会がほとんどで、周りも訛りが薄くなるとなれば、日本全国どこでも同じように薄まっているのだろうと思われます。
どうせいずれはその話し方を必要とされるなら、使わなくなるのもまた当然にも思います。
そういえば、その古い知人も祖父祖母世代と同居だったそうですし、小生もまた祖父祖母と同居でした。それでも訛りは抜けます。
大半の人はいずれそうなることを求められるのに、何か残念な感じがしますが、仕方ないのかもしれません。
イオンの食品売り場で、何か郷土料理でも売ってないかと思ったのですが、特にそれらしいものもなく、所謂凍み餅みたいなものもあるかと思いきや、特にこれがというものも見つけられなかったのは残念でした。日本酒も思っていたほども数はありませんでしたが、これは店の選びを間違っただけと思うことにしました。
イギリストーストを試しに買ってみました。帰った翌日からカフェインの取り過ぎて胸焼けが酷かったためパン食にしたのですが、砂糖多めマーガリンの薄切り食パンサンドで食べやすかったです。トースト要素がどうやっても見つかりませんでしたが。
そして、ここまで来て久しぶりにCD屋があったので、よりによってYOASOBIのアルバムを買ってしまいました。最近CD屋もめっきり見なくなったので、折角とここで買ってしまいましたが、10月末から使えるクーポン券を貰って断れず、なんだか寂しさを覚えました。
このオネーチャンも、バリバリの接客標準語でした。
帰りはひらすら、東北道を逆走です。途中で仮眠を取りながら帰ってきて、朝には家に着きました。
総程1450キロ、都合34時間、先日の象潟と合わせればもうオイル交換が近いです。
しかしこれで北方面は残すところ本州最北端の大間だけと言ってよいでしょう。そのうち、恐山と六ケ所巡りの八戸コースを走っているかもしれません。
それなら、週末に帰省して帰って来る事も出来る気がしてならないが。
まあ仕方ありません。行かさったはんで、しゃあねえべ。…とでもなるのでしょうか。