
アルバイトの記憶 スペード社シリーズ シーズン2
私は学生アルバイトに過ぎませんでしたから、学校が始まったら土曜日位しかスペード社には行けません。スペード社は隔週土曜日は営業しており、さらに仕事の性質上、スポットの仕事をするアルバイトが必要な職場でした。
また、私が通っていたヤマト産業大学は、この年から授業が完全週休二日制になり、土曜日は完全休講となりました。すなわちスペード社には月2回行けることにはなったのですが、掃除部の活動日が水曜日と土曜日であったため、そうそうスペード社には行けなかったのです。シーズン1のお疲れさま会の時にそのことを監督社員さんに伝え、「それでも良いから来てほしい」と言われたものですから、月1回くらいは行こうとした気がします。
そんなことから、4月は3日以降2‐3回、5月は2回、6月は1回行ったのですが、6月半ばに監督社員さんから電話があり、「この勤務時間の短さでは、給料は払えない」と言われました。まあ、当然のことです。しかし、監督社員さんも大人なのですから、「学校の期間はそちらを優先して良いから、長期休みの期間は来てくれないか?」と言えば良かったのです。本当に、説明が出来ない人です。
6月半ば以降はスペード社には行かなくなったのですが、確か夏休み期間中は行ったのかもしれません。
夏休み期間中は、文系の人でも「ゼミ」があるなどの理由で、そうそう毎日は来ていなかったと思います。そんな中で私は毎日勤務しており、多少なりとも役には立ったのではないでしょうか。暑い中お使いにも行きましたし、事務もしました。この時期でも、集配業務もあったような気がします。4年生の人は入れ代わり立ち代わり来ており、色々な人と話すことが出来ました。しかし、南大阪さんと山町さんは見かけなかったと思います。
その入れ代わり立ち代わり来る4年生の中で、
「左官さん」とほぼ二人きりになった日があります。シーズン1中に、アルバイト名簿に私の家の近隣の人がいるらしいことは把握していましたが、その近隣の人が左官さんだったのです。
左官さんは、まるで「峰不二子」が現実に現れたようなスタイルの人でした。身長は女性の平均よりもやや高く、しかもいつもヒールが少し高い靴を履いていたように思います。スタイルは峰不二子風で、それこそ「出るところは出て引っ込むところは引っ込む」スタイルでした。私は「こういう感じの人が、実在するんだなあ」と思わされたものです。ところが、なぜか左官さんには「小学生の時の同級生のお母さん」や「親戚のおばさん」感を感じてしまい、すぐにスタイルには目が向かなくなりました。不思議なものです。
夏の事務中心の職場の中で、監督社員さんから私と左官さんに対して、「お客さんと販売商品項目ごとの値を整理した表を作る」よう指示を受けました。まだ表計算ソフトを自由に使用できる環境ではなかったため、紙に書いて整理します。当然、社名と品目が交差する表を書いて値を書いて計算するだけなのですが、左官さんは、「どうやろっか?」と尋ねてきます。
私としては、上記のようにするしかないと考えていたので、どうもこうもありません。単に左官さんが私にコミュニケーションを取りたくて話しかけているだけなら良かったのですが、真意はどうだったのでしょう?仕事は仕事ですから、左官さんには「社名と品目ごとの表を書いて整理をします。」と言いました。すると左官さんは、「じゃあ、私は計算機を操作するね。」とミニスカートにヒールが高い靴の足を組み替えながら言います。
私は少々もやっとした気持ちを抑えながら、表を書きます。そして監督社員さんから渡された会社・品目売り上げ数値を表に書き込み、品目ごとの売上総額と会社ごとの売上総額の欄だけが空欄となった表を作成しました。そして各数値の数字を読み上げ、左官さんは計算機を操作します。その合計数値を私が表に書き込みます。最後に検算をして監督社員さんに結果を渡しましたが、やはりもやもやが取れませんでした。
その仕事が終わって少しした後、たぶん午後3時から4時頃だったのではないでしょうか?監督社員さんか職長に2~3件分の集配業務を言い渡されたのですが、左官さんは「集配業務は男性の仕事だから」と言い、椅子に根が生えてしまいました。確か左官さんは帰国子女だと聞いていました。私は「海外は男女平等だったのではないだろうか?」と再度もやもやした気持ちを感じながら、集配業務に出発したのでした。
午後のその時間から数件の集配業務でしたから、帰社は当然午後5時を過ぎました。左官さんは待っているかな、と思っていましたが、当然退社済みでした。まあ、アルバイト職場は学校でもなければクラブ活動でもありませんので、退社して当然です。私としては、「2人で分ければお互い早く終えられたのに。」という気持ちを残しながら、この日の勤務を終えました。
この次に左官さんと会ったのは、確か繁忙期でした。その時に起こった「
矢崎さん事件」の際に左官さんの評判を聞くのですが、その時のブログに書いたように、職長や黄海さんは左官さん否定派、貧乏さん、タクシーさん、ぬーくんさんはメロメロ、と、左官さんは人により評価が正反対になる人でした。私は、今でも左官さんの評価には迷っています。しかしまあ、古い話ですし左官さんと再会することはもうないでしょうから、評価はしなくても良いことでしょう。
Posted at 2026/03/21 15:09:27 | |
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