
今日はT県へと出張でした。先月後半はA県とG県に出張と、お盆前の出張が多い時期に当たります。出張は、私が所属する企業グループの中核企業に呼ばれて行う形です。
G県にある拠点では、何とその中核企業の新入社員の女性の営業車に乗せてもらう機会がありました。見た目からなんとなく若いなあ、とは思っていましたが、
「私、新入社員なんですよ」
と言うものですから、
「え?じゃあ、この前(1992年)産まれたんだ!」
と答えてしまいました。
1992年といえば、車ではスカイラインに影響を受けて走りの性能を磨いたX90型マークⅡ三姉妹が発売、テレビでは佐野史郎演じる「冬彦さん」が話題になるなどのことがありました。音楽では、ZARD、WANDS、大黒摩季などが流行り始めた時期です。ついこの前ですよね。
さて、その中核企業ですが、第三次産業にある中では女性の進出が遅れていた業種でした。私は1990年代末期に入社したのですが、その頃の女性はその時代にあっても、「お茶くみ、コピー取り、偉い人が書いた手書き文章のワープロ起こし」などが主力業務で、高年齢の男性などは女性が仕事をしているとその他の男性に、「女性が仕事をしくても済むように、周囲の男が支えてやらんとな。」と平気で言うさまでした。また、私が営業支所に入ると、「私事務で忙しいのよね。その忙しい私の手を止めさせるあなたは誰?」という顔をして応対していました。
そんな企業グループでも事務機器の導入が進み、世代交代も進んだ結果、2000年代初めには女性の制服廃止(OL感覚の排除?)、2000年代半ばには「特約販売店さま応対係への任命」が進められました。その結果、私が仕事上で関わる方がそれまでは老齢の男性がほとんどだったのが、20歳代後半から50歳代半ばまでの女性に変わっていきました。そして「男性は外勤新規開拓、女性は内勤既存販売網維持」とされました。
この時代がしばらく続いた後、2010年頃からは法人営業部門に女性が登用、2013年には特約販売店担当女性営業職員が登場しました。
国の女性社会進出促進策、女性管理職増大策に対応し、私は男性の補助をつけながら女性の進出を図るのだろうな、と思っていました。しかしここへ来て、「いきなり新人女性を営業一線へ投入」という事態になったことに、私は驚いています。なんでも、「2年前入社の女性は事務基本、私はいきなり営業」とのことです。さぞかし恨めしいと思っているかと思いきや、「外回りに行くと事務所内の仕事が貯まるんです~。」と、まんざらでもないようです。ここへ来て、また女性の人間としての質が進歩したようです。
そこで、女性と女性の社会進出について振り返ってみました。
弥生時代から大和時代の間
卑弥呼なる女性が現れ、占いによって村の方向を指導していたようです。とはいえ、長老に登用されて占っていただけでしょうから、指導者とまでは言えないと思います。なお、これまでは「ヒミコ」と読んでいましたが、実際には「ヒミカ」だったそうで、鋼鉄ジーグの敵、邪魔大王国の女王ヒミカと同じ読み方になってしまいました。
大和時代から奈良時代
推古天皇という女帝が即位しました。適切な男子が死亡してしまったことによるものです。道教という僧侶を寵愛し、道教が言うとおりに政治をしていたようです。
鎌倉時代
鎌倉幕府の源頼家が流され、実朝が殺された結果、頼朝の妻であった北条政子が弟の時政とともに政治の実験を握りました。
室町時代
8代将軍義政の妻、日野富子が経済の実験を握りました。
安土桃山時代
豊臣秀吉の死後、側室の淀君が豊臣家の実権を握りました。大坂冬、夏の陣にて、大阪城へ篭ることを進めたのは彼女です。先見性のなさが歴史に残ります。
戦前まで
産業の主力は農業でした。女性は小学校を出ると農業の手伝いに使われることがほとんどでした。20歳くらいになると親が結婚相手を決めて結婚、相手の家に住んで、炊事洗濯掃除農業畜産と、家の働き手としてこき使われました。また、小作農の女子は工場などに働きに出されることも多かったそうです。
戦中戦争直後
男性が出征することで世の中の働き手が不足しました。そのため、鉄道の運転士や車掌として女性が活躍していました。学校の先生などの非製造業への女性の進出が始まったのもこの頃のようです。
昭和30年代後半
農業と家事の機械化が進み、農家に余剰労力が生まれました。世の中の産業が徐々に工業化されていくとともに、余剰となった農家の労力に工場が注目、郊外へ工場を建てて安く労働力を調達するようになりました。農家にとっても現金収入(それも、農業収入の3倍以上!)が得られるため、都合が良かったのです。
工場だけでなく、デパートの売り子やバスガイド、企業に事務職として勤務する女性もあわられ、働く女性は「BG(ビジネスガール)」などと呼ばれました。
昭和40年代から50年代半ば
高度成長が進み、家事の機械化、サラリーマン家庭の増大、家屋の郊外への進出が起こりました。アメリカに端を発する「女性の自由化運動」が始まりました。男女平等運動の結果、「家」制度からの解放が進み、女性の大学進学率が上昇しました。働く女性は増えたものの、結婚までの2-3年程度を、結婚相手を見つけるために働くという、「腰掛けOL」などもこの時期に生まれたようです。
昭和60年代前半
この頃からアメリカからの外圧が高まりました。女性についてもそれまでは「4年制大学に行った女なんか、生意気なだけで雇いたくない。」などということが平然と言われていました。しかし、採用時に男女ごとの枠を決めてはならないなどの「雇用機会均等法」が施行され、少しずつ4年制大学に進む女性や、法学部や経済学部といった社会学部へ進む女性も現れました。しかし、「腰掛け」傾向はなくならず、「せっかく育てても数年で退職」と、企業を悩ませていました。
平成元年頃
この頃になると雇用機会均等法も定着を始めました。折しもバブル期であり、企業の収益は増えるものの人材登用難となり、新入社員でもはじめのボーナスに100万円も出すなどの業界が出てきました。
また、事務所内にはパソコンが入り始めました。それまで手書きだった事務書類をワープロで打ち直すという仕事や、手書き伝票をパソコンに入力した上で用紙に出力、専用ファイルに整理する、という業務が出てきました、OA化したのに事務業務が増大、それらに女性が当てられて、「簡単な仕事をおしゃべりをしながら何時間もかけて片付け、お昼はおしゃれなお店でランチ、3時にはトイレで女性井戸端会議が、定時後にはトイレでお化粧直しと合コンの打ち合わせ、などがあったようです。
当時のテレビ番組に、「Oh!エルくらぶ」なる番組がありました。大企業の女性一般職を客席に並べ、「当社の流行」や「会社近くのおしゃれなお店」を紹介したり、社内美人がアピールされたりと、一種のリクルート対策番組でもあったようです。当時学生だった私は、「OLなんか、遊んでばかりじゃないか!男女平等は100年くらい早いんじゃないか?」とすら思ったほどです。
1995年頃
それまで部内1台程度であったパソコンが急速に普及を始めました。また、文書の清書や伝票打ち出しだけでなく、事務データ入力にも使われるようになってきました。また、当然のように事務機器が使われるようになり、「ワープロ打ち、コピー取り」は、「必要な人が自身で行う」業務になりました。景気も既に悪化しており、一般事務職は採用を凍結、自然減によることになりました。
また、この頃から一般職が無理なら営業職へ、と、思考を変える女性が現れました。それまで店頭販売職は高卒の人がするもの、という暗黙の了解がありましたが、この分野にも大卒女子が進出してきました。この頃門戸を女性に開いたのが自動車販売店でしたが、その後あんまり進んでいませんね。
女性が進出するのは、広告、出版、金融は当然でしたが、法人営業などにも及び、割と新興企業(オリックス、ベネッセコーポレーション)などは、女性が活躍できるということで人気でした。
2000年代前半頃
期間の初期は、企業はさらに採用を凍結、「もう就職は無理」とはじめから諦めてしまう学生が多い中、着実に営業職への女性の進出が進んで行きました。2000年代半ばには街中でもスカートスーツ姿の女性をよく見かけるようになりました。喫茶店で一人でコーヒーを飲みながら仕事をしている姿や、喫煙所などにも見かけるようになりました。しかし、「出来る女子」スタイル先行という感じがしなくもありませんでした。
2000年代後半頃
竹内結子や篠原涼子演じる刑事ものが影響したのか、体のシルエットをきれいに見せるパンツスーツが登場、外勤時にはこれを着る女性が増えました。これもまあスタイル先行という気がしなくもありませんが、女性は外見から気持ちが高ぶる傾向が強いようで、徐々に実が伴ってきたようです。
新幹線などに乗ると、30歳代の男性営業担当者と20歳代の営業補助の女性、50歳代の部長の3人が談笑しながら出張する姿もよく見かけました。そんな女性は、決まってパンツスーツでしたね。社内ルールは会社それぞれでしょうが、仲間同士の旅行気分が羨ましい時期もありました。私の会社は、基本的に一人出張です。
ここ最近
それまでよく見かけたパンツスーツ姿の女性が急速に減少しています。暑いからなのか、流行りが終わったのか、いや、もしかすると、「時間をかけて乗り物に乗って行ってお客様のところに訪問してお客様の手を煩わせて商談する。」という活動自体が古くなったのかもしれません。考えてみれば、無駄な時間が多いですね。少ない人数で同じサービスを実現するためには、直接関係ないことを減らすしかありません。
考えてみれば、「酒席での接待」「ゴルフ接待」などの言葉を、いつの間にか聞かなくなったような気がします。「仕事時間を超えた付き合いから本音を引き出す」ということ自体がなくなったのかもしれませんね。営業を受ける方も個人的な生活があるのですし、いくら無料接待でも、時間まで増えてくれるわけではありません。
ということで、いよいよ男女が平等な立場で仕事を出来る時代が来たのかもしれません。女性が活躍する会社では、それこそ小学校5年生頃の、女子の成長期が始まった頃同様、男性に危機意識が生まれて男性も活性化することでしょう。
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Posted at
2015/08/08 01:41:59