2021年09月19日
男女平等の歴史を探る(太平洋戦争以前編)
先日、オイルショック直前の世相を持っていたテレビドラマ「高校教師」のことを探りました。そこで、現代にいたるまでの男女平等(男尊女卑、女尊男卑)の歴史的流れがよくわかりました。
最近は、SDGsだとか20歳代の保守回帰などと言われる中で、またぞろ「女性を持ち上げておけばよいだろう」「楽して得しちゃおう」ということになりかねないので、はっきりと過去からの歴史を書くことにしました。
何せ、大新聞でも「今は男性優位、女性不利だから」などと、当たり前のようにただ書いてしまう世の中です。本当に、検証しようという気はないのですね。
弥生時代
卑弥呼(ヒミコ、最近はヒミカといっていたという説もあるらしいです。鋼鉄ジーグのようで、私はヒミカの方が好きです。)が、占い師として将来や天気を占ったりする存在としてあがめられました。権力者ではなかった模様です。
大和時代
推古天皇など、女帝の時代がありました。とはいえ、この時期の天皇には道教や菅原家、藤原家などの摂政や関白職がそばについていました。天皇は、それらが考えたことを採用するだけの、ある種の傀儡だった模様です。
平安時代
紫式部や清少納言が活躍しました。とはいえ宮中作家としての活動であって、政治にはかかわりませんでした。
鎌倉時代
源頼朝の死後、北条政子が活躍したことになっています。しかし、彼女は源頼朝の妻ではありますが、北条家の人物でもありました。当時の源氏では頼家、実朝と政治能力が出ないまま続きましたが、だからと言って北条時政などが前面に出て来るといろいろ周囲との問題を生みます。そこで京都の九条家から招いた摂家将軍を立て、実権は北条時政や北条義時とし、自身は「頼朝の遺志を継ぐ妻」として活動したのでした。
室町時代
八代将軍足利義政の正室、日野富子がいました。足利義政は、兄の足利義教が赤松満祐に殺害されたためか、今でいうところのPTSDの可能性がありした。そのため義政は政治に関心を失い、遊びほうけていました。日野富子は、義政に代わって幕府の財政を支えるため、関所を作り、収益を得ました。ただし、収益によって私腹を肥やしていただけの可能性もあります。また、応仁の乱を作った原因ともいわれています。既に決まっていた足利義視への家督相続をひっくり返し、わが子の義尚に継がせようと策略を図ったようです。
江戸時代
江戸城中に「大奥」はありました。2004年頃に映画化されましたが、政治の上では特別なことはなかったようです。
明治時代~1945年
地方では、農業や商業、食品製造業として働きました。また、殖産興業の一つとして製糸工場が出来、重要な働き手になっていました。太平洋戦争の戦局が悪くなるにつれて、電車の運転や車掌などにも就いた例があるようです。
この時期のまとめ
この時期は、確かに女性が虐げられていたような印象です。戦争が多発していた時代でしたので、男性が女性を守り、女性は家事に専従するという風景です。家事もかなり手間がかかりますので、専従する必要がありましたからね。しかし、農家では家事をしながら農作業もしていたのです。
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2021/09/19 10:54:46
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