
2024年12月初めに、中山美穂さんが急逝されました。まだまだこれから、という時期で、しかも事故によって亡くなられたのは非常に残念です。中山さんはトップスターでしたが、私が初めて見た頃は無名であり、親しみを感じたものです。そんな中山さんを初めて見た頃のことを遡り、故人にささげたいと思います。
デビュー
中山さんがデビューされたのは、雑誌の検証コーナーのモデルらしいですが、私が読んでいた雑誌ではないようなので、存じ上げておりません。おそらく多くの方と同様に、ドラマ「毎度おさわがせします(パート1)」で初めて拝見しました。1985年1月8日に放送が開始されましたが、当時の私の家の事情で、2月までテレビを見られませんでした。しかし通っていた学校の教室では、
「中山さんは同級生(または隣の学級)の中川静子さん(仮名)ではないか?」
と大騒ぎになりました。
同級生がテレビに出ているとなると、どうしても見たくなってしまうのです。そろそろこれからの人生を考える中で、「芸能人になる」という選択はありませんでしたので、このことには人生で何回もないような驚きを感じたものです。
しかしどうしても2月までテレビは見られなかったため、お預けとなりました。
「毎度おさわがせします」視聴
そして2月5日、ようやく「毎度おさわがせします」を見ることができて中山さんの姿を拝見、「中山さんは中川さんである」と確信を持ったのです。そのことを隣席にいる女子に話すと、
「まだあんなドラマ見ているの?中山さんは中川さんじゃないよ。」
と言われたのでした。なお、タイトルの画像は私が「毎度おさわがせします」を初めて見て、中山さんは中川さんだと思ってしまった時のものです。
当時いた教室では、火曜日に放送されている「毎度おさわがせします」よりも土曜日に放送されている「スクールウォーズ」が人気となっていました。曜日が異なるものの話題は「スクールウォーズ」に集中し、「毎度おさわがせします」どころではなかったのです。なお、隣の教室では「毎度おさわがせします」の方が流行っていたようです。
現在の目で見ても中山さんは中川さんそのもののように感じるのですが、違うものは仕方がありません。いつの間にか中山さんのことも気にならなくなってしまいましたが、当時の言い方での「男勝り」な姿勢はしびれました。それまで何年間か、「聖子ちゃん」ブームが続いていましたから、当時の女性の多くは「かわいこちゃん」や「ぶりっ子」になっていました。それが、中山さんの役柄は反抗しているだけとはいえ、からっとした乾いた感じのキャラクターで出てきました。私はすっかりやられてしまったものです。
「毎度おさわがせします」の約半年前、同じテレビ局では「うちの子にかぎって」という小学生ものドラマが放送されていました。そこで生き生き演じる子役の出演者を見て、これまでの子役とは違う演技を感じていました。若干作風は異なりますが、「毎度おさわがせします」も子役が演じているものだと思わされました。当時私は、ドラマの登場人物で演じている人は、その人の性格や思ったことそのままに、台本とは別に演じているものだとばかり思っていました。中山さんが中川さんでないことはわかりましたので、「中山さんと友達になれたらよいなあ」と思ったものです。
その後の中山さん
その後、中山さんは「ビーバップハイスクール」に出演、年末には「毎度おさわがせします(パート2)」に出演、おおむね「毎度おさわがせします」に近い設定ながらホームドラマから学園ものドラマとして主演級になった「な・ま・い・き・盛り」を経て主演女優になってしまいましたので、一般人の私と友達になるというのは、まったくおこがましいものになってしまいました。また、「毎度おさわがせします」を終えた後、中山さんは比較的柔らかい、おそらくご当人に近い雰囲気の役を演じるようになっていきましたが、「毎度おさわがせします」の「森のどか」役は、歴史的にエポックメーキングだったといえます。
それまで芸能人は多少知ってはいたものの、友達になりたい、と思ったのはこれが初めてだったかもしれません。やはり、女子が元気が良いのが良いねえ!
次は、「毎度おさわがせします」ことを語る予定です。
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Posted at
2025/02/24 22:05:24