
アルバイトの記憶 スペード社シリーズ
アルバイトの記憶を振り返るシリーズを、「スペード社シリーズ」としてまとめることにしました。今後は、過去のブログにも「スペード社シリーズ」と記載することにします。
景気後退に伴う不穏な空気が流れ始めていた職場でしたが、繁忙期の仕事は忙しかったです。コマンダーさんと王様さんを連れて行った1月20日か繁忙初日の2月2日に、私が午後6時頃に帰社すると、職長かホウセンカ大学のゆで太郎さんから、
「今日残業できる?」
と聞かれました。第一期は午後6時帰社後に清算をし、さっさと帰宅していた私にとっては意外な質問でした。忙しかったとはいっても配達・回収業務で、オフィス街を歩いたり電車に乗ったりすることが大半を占めてしましたから、疲れはさほどでもありませんでした。今から思えば、20歳前後でしたので疲労がたまりにくい体だったからかもしれません。残業代も出ますので、二つ返事で残業をすることにしました。
残業をすることになると、確か法令上食事代か食事を支給することが決まりになっていたと思います。この職場では食事を提供することになっていたようで、近くのイタリアンレストランから出前を取りました。何だったかは覚えていませんが、辛いか熱かったように思います。猫舌の私は、
「うわ、熱くて食べられない」
と思わず口走ってしまいました。これに対して監督社員さんは、
「だったらママに食べてもらえよ。」
などと言い返してきました。この瞬間も言い返し方に私は違和感を覚えたのですが、後になり徐々にわかってきたことです。
それよりも、この残業時間帯は待機時間が多くを占めていました。協力会社から試作品が出来上がってから業務が始まるため、午後6時から午後8時頃まで待機していたように思います。この時間帯は帰宅したり外出したりしなければ自由に過ごしてもよく、アルバイト同士でおしゃべりをしても良かったのです。
この繁忙初日は、確か職長、ゆで太郎さん、貧乏さん、花崎さん、野比さん、南大阪さん辺りがいたような気がします。おしゃべりは仕事上不要ではありますが、仕事を離れて互いの人間的部分に触れるようで、私にとっては心のオアシス的に感じられた時間でした。
午後8時頃になると、協力会社さんに試作品を取りに行き、翌日の準備を始めます。翌日出勤した人がすぐに外出できるように、試作品と送り状を梱包します。そしてお届け先の住所から地図を付け、行き方などのコメントを添えます。さらにお届け先で近い箇所はまとめ、「〇〇方面便」とします。とはいえ9時過ぎから17時までに訪問を終えなければなりませんから、1人でこなせる量はせいぜい7件程度です。それを勘案してまとめますから、結構大変です。
大体午後10時頃に分配が終わり、監督社員を除いて帰途につきます。勤務時間は午前9時前から午後10時まで、昼の休憩時間は移動時間として私は考えており、食事はせずに「断食道場」としていました。
いかがでしょうか?勤務時間は13時間、時給は当時の平均よりも100円ほど高い印象でしたから、当時の私にとっては楽しみを感じられる時間帯だったのです。
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スペード社 | ビジネス/学習
Posted at
2025/03/20 23:55:21