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moto('91)のブログ一覧

2025年08月11日 イイね!

SM社でスペード社のことを話す

SM社でスペード社のことを話すアルバイトの記憶 スペード社シリーズ

 1シーズン目は、実質2月3日から本格的な勤務を開始しました。朝会社を出て夜帰社なので、同じアルバイトはもちろんのこと、職長や監督社員さんと会話をすることはありませんでした。座る席もないほど人がいるのに、きわめて孤独な職場でした。

そしてその週の後半、おそらく2月6日か7日は、帰宅途中にSM社のお店に寄りました。もとより乗換駅でしたから、大した手間ではありません。もちろんいつもの通り社員さんはいます。私が別のアルバイトを始めたことは、私を嫌っている大木という社員には秘密でしたので、大木さんがいないときに行ったと思います。

私は当時、スペード社の仕事自体には満足していましたが、どうにも

「この職場は、人を人として扱っていないような気がする

ことが不満でしたので、SM社の神さまとカッパさんに聞いてもらおうと思っての訪問でした。

まず、仕事の状況について聞かれます。

カッパ「moto('91)君、どんな状況で働いているの?」

moto('91)「人が多いので、まず、詰め所に行って立って仕事を待ちます。」

神「え?立って待っているの?」

moto('91)「ええ、そうです。同時期に勤務を希望した人が多いようなのです。」

カッパ「そうなんだあ。食事はついているの?」

moto('91)「いいえ、基本的には行った先で自分でお金を払ってどこかのお店で食べますが?」

神「そういう仕事って、飯付きなんじゃないの?」

moto('91)「そういう仕事って、何ですか?」

カッパ「給料は日払いだよね?」

moto('91)「10日締めの25日払いですよ?」

カッパ「そうかあ。moto('91)君、かっこつけてスーツなんか着なくったって良いのに。どうで作業服に着替えるんだから。」

moto('91)「え?言っていることがよくわかりませんが?」

カッパ「どうせさあ、「あるよあるよ、仕事あるよ。飯付きだよ。日払いだよ。」って言っている人について行って、現場で働いているんだろ?」

ここでようやく、二人は私が日雇いで土木建設作業をしているものだと、勝手に思い込んでいることに気づきました。

神「そんな職場、雇われ人を人間扱いしないに決まっているじゃないか。」

moto('91)「いや、その、あの」

 まったく、神様もカッパさんも、ウイット?がきいた話し方をするものです。最も、こういう話し方は男性のみの、「オールド・ボーイズ・ネットワーク」ならではのもので、男女均等職場には向かない話し方です。こういう話し方は、楽しいことは楽しいですが、将来にわたって浸かっていてはならない雰囲気です。これか脱却したく、私は別の職場でも働くことにしたのではなかったでしょうか。

しかし、翌日のSM社での勤務の際、私が別のアルバイトをしていることがさっそく店長の耳に入り、

店長「moto('91)君、君、日雇いのアルバイトをしているんだって?そんなところさっさとやめて、うちだけにしなよ。」

と、言ってくるのでした。

不満はありつつも、このようなフランクな点がSM社の良いところでした。この雰囲気をスペード社にも持ち込みたかったと思いつつ、業務内容の違いでそれは難しかったのです。しかし、私がスペード社を退職して1年が経過する頃から徐々に近代化され、体制はそれほどしっかりはしませんが、フレンドリーな雰囲気も消えていくのでした。
Posted at 2025/08/12 00:03:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | スペード社 | ビジネス/学習
2025年08月10日 イイね!

標準業務量はどの程度か?

標準業務量はどの程度か?アルバイトの記憶 スペード社シリーズ

 この職場の業務量は、まったく自由でした。前日に配布や回収案件の封書入れや地図の作成、近隣案件2から3件まとめ業務が完了しており、当日は「誰がどこの配布/回収先に行くか」を申し出るだけだったと思います。
その申請時に、
「2件?ちょっと働かなさすぎじゃない?」

「9件!?時間内に終えられる?」
などと、件数を数えられたりチェックされたりすることはなく、もしかしたら申し出る必要もなかったかもしれません。その代わり、案件1件を対応したら、その都度出先から電話をして、
「次、〇〇に行きます」
と、本部に確認をしてから次の業務に移っていました。まれに、「〇△に緊急対応してほしいので、向かってください。」と指示を受けることがあったと思いますが、私がそのようなことに出会ったかどうかは、覚えておりません。そのため、2件だけ取って外出をして定時まで戻らなくても、誰も何もわからないのです。

 1シーズン目の私が着任2日目だった2月3日のこと、天気は良かったのですが、ブーブー文句を言った鉄腕女子大のそばつゆさんはいるようですし、ホウセンカ大学の竜次さんからは
「辞めちゃったかと思ったよ」
と言われましたので、私の気分は最悪でした。

1日目は誰かに付いて行ったのと、1件だけ回収に行っただけでしたが、この日はもう一人で業務でした。定時になるとみんな案件に群がっていましたが、たぶんいくつかの山は余るような状況だったと思います。余ったものは、一体どうしていたのでしょうかね?中には昼間時に一回帰社する人もいたかもしれませんので、午後に誰かが回収に向かったのかもしれません。

私は気分が悪くなりそうな詰め所にはなるべく居たくなかったために、3山(7~9件程度)を持っていったような気がします。その山を取るときにも、「そことここ、近いですよ。」と、他の人に言いたくなる気持ちを抑えておりました。

例えば、東京の日本橋一丁目と二丁目の件が組み合わされていて、隣には京橋一丁目と三丁目の件が組み合わされていて、さらにその隣に銀座一丁目と四丁目の案件があったとしたら、日本橋の件と京橋の件を取って取るのをやめるのではなく、全部取りますよね??さらに内幸町一丁目の17時時間指定案件があったら、「ああ、それなら最後のまとめに行ってこようか?という気分になりませんか?私はそのようにどんどん取っていったので、最低7件どころかやはり最低9件にはなっていたと思います。

そんなこんなで、早春の東京をおさんぽ気分であちこち練り歩き、日が落ちて気温が下がった頃に社に戻る、というルートが私の中に描けて、請負労働者のような自由な気持ちになっていたと思います。もちろん、回収や配布が終了したら社に電話をしましたよ。なお、1シーズン目は他の人とコミュニケーションを取りませんでしたので、他の人がどうしていたかはわかりません。

そんな楽しいおさんぽを済ませ、18時頃に帰社しました。椅子に座りきれないほどいたアルバイト要員は、この時間になるとちらほらしかいませんでした。私は心地よい足の疲れを癒すために、椅子に座ってくつろぎます。すると職長が驚いた顔をして寄ってきたので、私は

「回収した案件の品物は、職長にお渡しすればよいですか?」

と聞き、渡します。

「大丈夫だった?どこに行っちゃったのかと、皆で心配していたんだよ。こんなに仕事をして。これ、誰かにこれだけやれって言われたの?」

と聞いてきましたので、私は、

「回収のたびに電話はしましたよ。それに、自分の意思で案件を選んで行ってきたのですよ。」

と答えました。

職長は、まるで私を10歳未満の子供がお使いに行った後のように頭をなで、

「がんばったね」

と言ってきます。こういうのは、なんだか嫌でしたね。私はこの頃、成人こそしていない年齢でしたが、SM社では普通に接客をしていましたからね。

 しかし、こういうことを職長から言われるということは、9件は他の人と比較してかなり多い件数、ということですよね。おそらく他の人は、4~5件/日程度の対応だったのではないか、と思います。しかし、案件ごとに地図はあるし、電柱には住居表示はあるし、所々に案内地図はあるし、冬季だからどんなに歩いても汗はかかないし、で、9件位はすぐにできると思うのだけどなあ?

 よく、「うちはチームワークだから、誰がどれだけやったかは関係ない。皆を信じている。」と言っている職場があります。しかし、それは単に無管理状態というだけで、必ず不正をする人が現れています。やはり「出来高制」の論理を入れることが、「働かないおじさん」や「チームワークと言って、自身はいつも助けられる側に回るだけの人」の抑制につながるのだ、と思っています。
Posted at 2025/08/11 00:13:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | スペード社 | ビジネス/学習
2025年08月09日 イイね!

コロナを買うに至るまで(資金調達編)

コロナを買うに至るまで(資金調達編) 先日は運転免許取得編を書きましたが、並行して資金を調達しなければ車は購入できません。また、運転練習サービスは、確か6月中旬か下旬位までのサービスでしたから、この時期はアルバイトができません。

実はこれよりも前、4月中旬頃に両親に「アルバイトをしたい」と伝えたのですが、
「今は新しい学校の生活に慣れることが一番大切」
「働くことは、学校に行って勉強することとは全然違うよ」
と言われました。
そのため、7月までの期間はひとまず家と学校の往復にしていたのでした。ここでもしアルバイトをしていたら、運転練習サービスには参加できませんでした。結果として、アルバイトをしなくて良かったといえます。

私が通ったヤマト産業大学は、各試験終了日が他校と比較して遅い方でした。前期末試験終了日は、確か7月22日頃だったと思います。アルバイトの探し方すら知らなかった私は、この試験が終了してからアルバイト情報誌を購入したのです。試験終了時期が早い学校は、おそらく7月10日頃には終了しているはずです。前倒しでアルバイトを決めることなく、他校生が既にアルバイトを始めている時期にようやく仕事を探し始めたのですから、良い仕事(私にとって楽かどうかと給与水準の比が高い)など、あるはずがありません。

結果として、コンビニエンスストアの総菜製造の仕事をしたのですが、初めての仕事が
・低温
・立ち仕事
・夜勤
・ノーコミュニケーション
では続けられるはずもなく、体調を壊し気味になってすぐに退職せざるを得ませんでした。
「朝や昼に購入するコンビニエンスストアの総菜は、こういう人たちの苦労で成り立っているのだ」
と感謝しつつ、職場を去ったのです。

仕事を辞めてぶらぶらしていても、暑いし車は遠のくばかりです。再び仕事を探すのですが、現代のようにインターネット就職情報サイトはありません。就職情報誌を発売日の朝に購入して探すのでした。

 今度は、給与水準を若干落とす一方で、体力をあまり使わなさそうで、長く続けられそうな職種で探します。すると、SMというパソコン販売店が募集していました。私はパソコン黎明期に購入しており、ゲームをしていた時期がありましたので、多少知識はあるつもりでした。応募後即採用となり、もしかしたら面接の後に勤務ができるか聞かれ、そのまま勤務開始だったかもしれません。願ったり叶ったりです。涼しい店内でレジ係を務めました。最初はハードウェアコーナーに配属されましたが、どうも私には荷が重かったようで、その後ソフトウェアコーナーに移動になりました。

いずれSM店での出来事も書こうと思います。当時は両親も健在でしたから、私にとってお盆は関係なく、たぶん週休1日位で11時の開店から20時の閉店まで勤務していたかもしれません。9月初めに掃除部の合宿練習会があったためにその数日を休んだだけでしたから、秋期授業が始まる頃には約25万円を貯められました。

さらに夏休み期間終了後はどうするか、店長に相談するとその後も土日や平日3時間くらいなど、出来る範囲で継続しても良いとしていただきましたので、無期限で働けることになりました。

そして、9月、10月とアルバイトを継続していくと、おそらく30万円少々貯められたのではないか、と思います。そろそろ車を買えそうだと考えて、中古車情報誌を見始めます。確か10月末か11月初め頃に、隣県の「走り屋専門中古車店」に25万円で「カローラ1600GTセダン(TE71後期型)」が売られていることを発見し、喜んで見に行きました。しかし、クオーターパネルの合わせ目に錆穴があったこと、私が好きだった1500ccモデルのAE70型とは異なるエンジン音で、私の好みではなかったこと、そして何より、諸費用(自動車税、重量税、場合によっては車検代、そして自動車保険料と任意保険料を加えると相当な金額になり、がっくりして帰ったのでした。

まだまだアルバイトが必要、とSM店でのアルバイトを継続するのですが、私が車を購入するためにアルバイトをしていることを同じ売り場の正社員に話すと、色々と嫌がらせをしてきました。彼は専門学校を卒業してから職を転々、行き場がなくてSM店で社員をしていたようです。そんな彼からすると、大学生で車を購入するなど、ボンボンにしか見えなかったのでしょう。

私自身も、SM店で垣間見た社会の構造に興味が出てきました。もう少し違った分野の企業や仕事も見てみたいと感じてきます。冬休み期間こそSM店でアルバイトをしましたが、長い春休み期間は別の仕事もしてみることにしました。再びアルバイト情報誌を購入し、おそらく1月9日か14日頃にスペード社が募集していることを発見しました。募集内容は、「対象は学生のみ、運搬の仕事であること、同じような仲間がたくさんいる、時給はSM社や同種の仕事よりも100円高かった」と思います。しかもあちこちに行けて楽しそう、と感じて応募しました。1月14日か16日に面接をしたと記憶しています。

面接を受けるのですが、監督社員さんから
「業務が忙しいので、もっと早く勤務できませんか?」
と言われます。後期試験が終わるのが2月3日でしたが、半月以上先です。
ここで
「2月3日以前は絶対無理です」
と言おうものなら不採用になりそうな勢いでしたので、
「試験の空き日である、1月20日(多分)だけは勤務できます。」
と言うと、採用されたと予感させる言葉をおっしゃっていただきました。

そこで私は、この仕事が法人向けサービスなのでなんとなく勘が働き、
「もしかして、スーツ姿での仕事ですか?」
と聞き返すと、
「そうです」
と言われてしまいました。私は入学式の時に、当時の流行からブレザーは作ってもらったものの、スーツを持っていませんでした。帰って両親に相談すると、
「そろそろ成人式だし、就職活動もあるだろうから、1着くらいスーツを持っていても良いのではないか?」
と言われましたが、お金を出すとは言いませんでした。何と、車両購入費用の一部を切り崩して働かなければならなくなったのです。

スペード社を辞退し、私を嫌うSM社の社員と2か月も缶詰めになるのは苦痛でしたので、仕方なくスーツを作るのでした。

そしてこの「勤務初日」へとつながっていきます。
Posted at 2025/08/09 17:01:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | スペード社 | 日記
2025年08月09日 イイね!

退職後のことは関係ないが

退職後のことは関係ないがアルバイトの記憶 スペード社シリーズ

 先に書いたように、私は2シーズン目の3月31日で退職しました。常勤アルバイトだった職長や来月大学の人たち、それにホウセンカ大学のぬーくんさん、コーヒー大学の松本市さん、南大阪さん、山町さん、蔦谷大学の黒宮内さん、山川大学進学予定のさくらんぼさんが残されたと思います。残されたとはいっても、就職活動でない学年の南大阪さん、山町さん、さくらんぼさんは、いつ働きに来たのでしょう?平日は学校の授業があるのですよ!

特にさくらんぼさんは2シーズン目繁忙期末期に採用と、経験が短い方です。その頃には、集配事業部からはがき事業部へ排出する人が決まっています。さくらんぼさん自身も学校が始まれば働きに来られなくなるのに、

「監督社員さんはなぜさくらんぼさんを採用したのだろう?」

という疑問を多くの人は感じ取っていました。

「おそらく、監督社員さんがさくらんぼさんのことをかわいいと思ったから採用したのだろう」

と皆思っていました。
しかし、それを口にしたらさくらんぼさんがかわいそうなので、誰も言わなかったと思います。

しかし、あまり勤務日がなく給与もそれほど支払わなかったであろう南大阪さんと山町さんまでも、クビにしています。お二人は秋頃に、

「それくらいの日にちしか来られないなら、辞めてもらえますか?」

と言われたそうですが、監督社員さんはなぜ

「また冬頃お願いします。それまでは休んでいてもらえないかな?」

と言わなかったのでしょうね。このことは、南大阪さんから聞きました。

そして、以下のことも起こったそうです。これは、私が仮に勤務していれば4シーズン目になっていたときに、松本市さんから電話で聞いた話です。

 まず、3シーズン目繁忙期前に公募で集めた人数は、2シーズン目程度に揃えたそうです。そして繁忙期が始まり、2シーズン目程度の
「一番遅く帰って来る人でも、18:30頃になる位」
の忙しさになるかと思いきや、20時、21時まで帰ってこられない人も出てきたとか?お客様の会社も、集荷を待つとは言っても19時くらいまでしかいられないでしょうから、これについては信ぴょう性について少々疑問です。

そんな折、2シーズン目からいた人たち(誰であるかは不明)が

「moto('91)君、(アルバイトに復帰して)来ないね。」

と話していたら、監督社員が、

「彼はクビにした」

と言ったそうです。さらに、

「職場を遊び場にするようなことをしたら、君たちも容赦なくクビにするから。」

とも言ったとのこと。

理由は誰の目にも明らかで、監督社員さんは

「2シーズン目のお疲れさま会で、私がさくらんぼさんにお酒を飲ませた」

と思い込んでいたからです。しかし、さくらんぼさんは私が飲ませていないこと、来月大学の人から飲まされていたことは記憶していたので、

「私に飲ませたのは、来月大学の人たちです。」

と言ったそうです。それに対して来月大学のTAOさんはさくらんぼさんに、

「お前が勝手に飲んでいたんだろ。他人のせいにするんじゃねえよ。」

とすごんだとか。男性が女性に言う言葉ではないですよね。

さらにさくらんぼさんは、
「moto('91)さんがクビになって自身が働き続けるのはおかしい」
と、その場で退職したようです。

さらに、私に「(監督社員さんに「さくらんぼさんに酒を飲ませたのは、来月大学の人たちだった、ということを)言いましょうよ。」と言ってきた旗本さんも、監督社員に抗議、けんかをして辞めたそうです。

結局、さくらんぼさんに酒を飲ませたことについては、来月大学の人は注意のみで済まされたとのこと。おかしいですよね。

なお、職長は他の人に、
「監督社員さんに電話をしたり公募に応募するのではなく、私たちの方に先に電話をしてくれていれば、何とかなったかもしれないのにね。」
と言ったそうです。

 そして日常業務は続くのですが、あまりにも仕事の進行が遅いことに皆がおかしいと思い始めたそうです。そこで、誰が何件の集配をこなしているか、職長とぬーくんさんが、各人の取扱件数を調べたそうです。すると、来月大学の人たちは、朝の業務仕分け時に一山の2~3件しか仕事をしていなかったことが判明。その程度の件数ではおおむね午前中か午後の初めくらいに終えられます。他校の人が職場の最寄り駅で喫茶店に入る来月大学の人たちを目撃、後をつけると来月大学の人たち全員が喫茶店にいたとのことでした。

そして監督社員さんか職長かぬーくんさんがその場へ踏み込み、

「あなたたちは何をやっているのですか!」

と、追及したとのことでした。

すると来月大学の人たちは、集配業務終了後会社へ戻らずに、終業時刻まで場外馬券売り場や駅の喫茶店でおしゃべりをして過ごしていたことが判明したのだそうです。私がいた2シーズン目から、喫茶店で時間つぶしをしていた輩がいたことはわかっていましたが、来月大学の人もしていたのでした。

ここでようやく監督社員さんは、来月大学の人たち全員をクビにしたそうです。2シーズン目には5人だった来月大学の人たちは、友呼びにより8人に増えていたと聞いたような気がします。すると全アルバイトの約30%の人数になりますので、あまり働いていなかった人たちではありますが、大変な戦力ダウンです。

あまり働かない人をクビにしても、対応人員が減るだけで仕事の量は変わりません。仕事は忙しくなるだけです。ここで改めて私が2シーズン目にこなしていた業務量が多かったことが分かり、再び私に白羽の矢が立ったそうです。

私を呼び戻すために監督社員さんか職長が私の家に電話をしたそうですが、私は電話を受けた覚えがありません。このことを松本市さんから聞いたときは思い出せなかったのですが、このブログを書いている先日に思い出しました。

私はこの時期に、市場調査会社の中央リサーチ社でアルバイトをしていました。ところが周囲の人の会話になじめず、どうにも居心地が悪く感じられました。対策としては、何のことはない、並行して勤務していたSM店のみで働けばよいことに気づき、中央リサーチ社を勝手に退職していました。おそらく2月初めのことです。

この頃は両親とも平日休みの仕事をしていたのですが、アルバイトから帰ってきた私に母は、

「今日はアルバイトに行ったの?アルバイトをしていたとかいうところから、電話があったよ。「moto('91)はアルバイトに行っていますが?」と答えたら、「そうですか。アルバイトに行っているのですか。」と言って切れたけど。」

と聞かされました。

当時の私は、
「中央リサーチ社から電話がかかってきて、私に就業継続の意思があるのか訪ねる電話だ。家にいなくてよかった。」
とばかり思っていました。しかしそう考えると、
「アルバイトに行っているのですか」
と言って電話が切れることは少々不自然です。勝手に辞めていった人を追いかける職場はなかなかありませんし、私が他のアルバイトをしているかどうかなど無関係だからです。この電話こそが、監督社員さん、または職長からかかってきた電話だったのだ、と気づいたのでした。

大変なことになった3シーズン目だったようですが、アルバイトを再募集したのかどうかはわかりません。集配事業部は正社員の営業部の補助的業務でしたが、結局営業社員も手分けをして手伝ったとかで、本末転倒のありさまです。最終的には、業務完了時期も遅れたとかで、監督社員さんの責任問題にもなったようです。そんな状況ですから、もちろん「お疲れさま会」も開かれなかったと聞きました。結果、監督社員さんはこの年度か年度の途中で担当を外され、隣席の子門正子さんとかいう人が3シーズン目の途中、または4シーズン目の監督になったと聞かされました。さらに3シーズン目の終わりに、職長も辞めていったようです。

そりゃ、働いていなかった人たちを残してまじめに働いていた人をどんどん辞めさせていったのですから、監督社員に対して不信感を感じるのも当然です。

改めて松本市さんは私に、

「1日どのくらいの件数をこなしていたの?」

と聞いてきたので、私は

「1時間当たり1件の1日7件が標準で、最高で一日9件か10件はこなしたよ」

と答えると、

「それじゃあ他の人の2倍か3倍の件数だよ。人数が同じでも、仕事の進みが遅くなったのも当然だね。」

と言うのでした。

また、さくらんぼさんや旗本さんが私をクビにした一件で辞めていったこと、来月大学の人たちが働いていなかったことを受けて監督社員さんは、

「大学生は会社をクラブ活動か何かと勘違いしているところがあって面倒だから、次の年度からはフリーターを採用することにするよ。」

と言ったそうです。そして松本市さんは、

「僕が口をきけばmoto('91)さんなら採用されるはずだから、新監督の子門さんに言ってあげようか?」

と言ってきました。

しかし、この電話の時点で別の市場調査会社へのアルバイトが決まっていたこと、一度であっても監督社員さんが私を「クビにした」と言ったらしいこと、さくらんぼさんも南大阪さんも山町さんもいない職場だと、私としては行く意味が薄いこと(何と学生じみた理由だ!)を伝え、松本市さんの申し出をお断りしたのでした。

 今思えば、3シーズン目に「はがき事業部でしたら採用できます」と言われた際に受けるべきでしたし、母から電話があった際に勝手に中央リサーチ社だと思わずに聞いておけばよかったですし、松本市さんの申し出を受けるべきでした。私も判断ミスをしています。思えば、私のプライドが邪魔をしていたのでしょうね。

「集配事業部から名指しではがき事業部へ排出されたこと」
「職長をはじめとした他のアルバイトに嫌われたと思い込んでいたこと」

などが、良くありませんでした。

いまさら言っても始まりませんが、その後の学校生活や正社員としての仕事はともかくとして、私生活の方は

「スペード社にとどまっていたら、違う結果になっていたかもしれない」

と思えることがいくつもあります。プライドとは、余計なものですね。今でも後悔しています。
Posted at 2025/08/09 19:32:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | スペード社 | ビジネス/学習
2025年07月21日 イイね!

いじめはあったが抗議の申し出だった

いじめはあったが抗議の申し出だったアルバイトの記憶 スペード社シリーズ

 濡れ衣を着せられた私でしたが、異動の発表はこれよりも前にあったような記憶があり、直接の関係はなかったと思います。そしてはがき事業部で働いているときに、「ねえ、言いましょうよ。」と言ってきた人の「言う」内容が何であったか思い出せなかったのですが、先日思い出しました。「はがき事業部がおかしい」のではなく、

募集部署と実際に働く内容が異なることは違法

もあったかもしれませんが、

「お疲れさま会でさくらんぼさんにお酒を飲ませたのは来月大学の人たちであること」



「来月大学の人たちは、私を追い出すために口裏を合わせて監督社員へ証言したこと」

だったのです。ただし、私を追い出す理由が、

「TAOさんがさくらんぼさんを落とそうとしていたのを、私の方に逃げられて私にべったりしていたことが悔しかったので、私を陥れた」

か、

「私が働きすぎているので、あまり働いていない(のちに判明)自分たちと差がつけられて邪魔になったから、最初から計画的にさくらんぼさんに飲ませて、私の方に追いやって責任を擦り付けようとしていた」

かは、思い出せません。どちらにしても、犯罪的にひどい人たちです。
私をいじめていた旗本さんは、私が女性にくっつかれていい気になっていたのは男として悔しい(?)が、来月大学の5人が席巻していることも嫌だったそうです。そして、「自分たちは勤務期間が短いからこのまま年度末で辞めても良いけれど、あなたは集配事業部で働き続けてほしい。」とも言っていたような気がします。

私は、このままはがき事業部で業務をしてさえいればこの年度を無事終了することができ、来年度はまた集配事業部で採用してもらえるものだと思い、その申し出を断ってしまいました。これは間違いですよね。このような、根拠のない期待はすべきではなく、問題はその都度解決していかなければなりません。私は旗本さんの申し出を受けて、監督社員へ抗議すべきでした。

以後、私は不平不満を垂らすのではなく、理路整然と抗議をすることに決めています。でないと、どんどんむしり取られますからね。

結局、これまでに書いたように年度末ではがき事業部での勤務を終了し、集配事業部へ挨拶に行き、この年の晩秋の公募に応募するも不採用だったことに変わりはありません。しかし、私がいなくなった集配事業部では、大変なことが起こったと松本市さんから聞かされました。
Posted at 2025/07/21 17:08:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | スペード社 | 日記

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何シテル?   01/19 13:39
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