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2021年07月18日 イイね!

野球少女がいました

野球少女がいました 昨日、今日と広い場所の脇を通りましたら、子供野球チームが練習をしていました。暑いのに頑張るなあ、と見ていましたら、一人髪の毛が長い子がいました。髪の毛が長い男子もいますが、雰囲気から女の子の様でした。

他に女の子はいないようでしたが、男の子に混ざって頑張っていました。女の子でも野球をしたり、そんな女の子を周囲の男の子も普通に受け入れる時代になったのですね。そんな子供が大人になる頃には、今よりもより一層男女平等が進んだ時代になりそうです。

私が子供の頃は、まだまだ男女平等は遅れていました。そもそも子供向けスポーツチームなどで女子が入れたのは、以下だけだったと思います。

・バレーボール:むしろ、男子でバレーボールをしていると「女っぽい」と言われたものです。
・体操・新体操:こちらも、女子向けスポーツの位置づけでした。
・ポートボール・バスケットボール:ポートボールが女子向けの様な位置づけでした。バスケットボールは女子がしても良いスポーツという位置づけでした。
・卓球:こちらも、「女子がしても良いスポーツ」という位置づけでした。ただし、「ネクラ」の評価は付きました。

これが男子でしたら、野球、サッカーが加わったものです。1985年放送の「うちの子にかぎって2」では、「キャプテン翼ものがたり」という、女子生徒がサッカークラブに入ったお話がありました。それでも、お転婆とか男勝りとか変わっているとか、そんな評価がなされたものでした。

 「これが普通」「これが当たり前」ということを、昔の大人はよく言いました。そんな不文律のようなことを全部知ることが、「大人になる」とされていたように思います。しかし、「なぜそれが普通なのですか?」と聞き返すと、ほとんどの人は「当たり前だから」程度しか言えませんでした。そもそも、根拠など何もなかったのです。

 この日見た野球少女や周囲の男の子は、新しい時代を作っていってほしいと思います。
Posted at 2021/07/18 21:10:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 時事 | スポーツ
2021年06月13日 イイね!

「ネットカフェ産業」の早い栄枯盛衰

「ネットカフェ産業」の早い栄枯盛衰 今日のサーチエンジンニュースヘッドラインには、ネットカフェの惨状を記す記事がありました。特にこの1年少々の間は、コロナウィルス下での失業等により、住居を失ってしまった人や、心の問題や生まれつきの点がある方、犯罪関係に巻き込まれた方もいると思われる内容でした。

そもそも、ネットカフェとはどこから来たものなのか、私お得意の近代史で振り返ってみました。

0.「簡易宿泊所」「ベッドハウス」の時代

 1960年代の大都市は、土木建設事業が数多くあり、農閑期に地方から出稼ぎに来る人がたくさんいました。家族を養うために働いている人たちですから、なるべく生活費を抑えたいと思うのは自然です。そんな人たちを泊める施設として、「簡易宿泊所」や「ベッドハウス」が大都市圏に出来たようです。畳敷きや板張りの部屋に、2段、3段ベッドを備え、その個別ベッドを貸し出す事業です。借りる人は基本的に長期にわたりますが、1泊300円程度でのその日貸もあったようです。



1974年におけるベッドハウスの部屋
賭博が行われています。いずれの人も清潔感がありません。賭場が開かれています。貧困同士がさらに食い合ってしまっています。



1976年におけるベッドハウス外観
1940年代に築かれた建物でしょうか。老朽化が進んでいますが、この種の建物が取り壊されるのは、もう少し後の時代で、1990年代でも残っていた建物はあります。



1983年におけるベッドハウス内部
1974年とは同じですが、いる人の改善が進んでいます。

1.「インターネットカフェ」

 もちろん、「ネットカフェ」と称するのですから、インターネット開通後に出来ています。まず、パソコンが通信可能になったのが、電電公社時代末期の1984年秋頃だったと思います。パソコンに当時の黒電話やプッシュホンを接続、受話器をモデムカプラに差し込んで、パソコンに音声信号の送受信をするものでした。

当時は、主にパソコンメーカーの富士通やNEC、パソコン雑誌社のアスキーや工学社などがネットワークを提供したり、個人がホストとなって参加者を募ったりする、「パソコン通信」が主体でした。利用者はそこに設けられた「掲示板」や「チャット」で会話を楽しんだり、旅行情報などを入手したりするのでした。

パソコン通信の時代に変化が訪れたのが、1995年頃です。パソコン同士をネットワークにつなぐ「インターネット」が、windows95とともにアメリカからやってきました。当初は楽観視をしていたパソコン通信業者もこの大きな流れに巻き込まれ、パソコン通信経由のインターネット接続サービスを始めたのでした。これが現在の「プロバイダ」です。

「(インター)ネットカフェ」は、この頃に出来ました。セットで購入すると40万円、プロバイダ契約も高く、通信量も従量制で遅かった状況ですので、個人でパソコンを購入する人は、まだまだ少数派でした。幸運にも利用できるのは、先進的な会社や理工系の学校に所属している人程度で、それ以外の人は「インターネット?、何の網?」という感覚でした。

 そんな状況下でしたので、インターネットの取り扱いは「江戸時代末期に日本に来た黒船」でした。そのインターネットをツールとして楽しむ場所として、「(インター)ネットカフェ」産業が登場しました。

すなわち、「大都市近郊に住む感覚が鋭い人々(意識高い系と呼ばれた人々。現在は「意識高い系」は半ばからかいに使われる言葉になってしまいました。)が、表参道や青山といった場所にある、オープンスペースを持つカフェで、おしゃれな服を着て会話とお茶を楽しみながらインターネットを見る」場だったのです。これが1995年頃に出始め、1996~7年はおしゃれな人たちがデートなどに使う場として機能していました。

1998年頃になると、インターネットを個人で導入する人が増え始め、ネットカフェのおしゃれさは徐々に薄れていきました。

2.「まんが喫茶」

 その時期に、「まんが喫茶」が大都市ターミナル駅周辺に現れました。1996年は、漫画雑誌出版社を中心とした出版産業が、大変好調だった時期です。大人が漫画を読むことに対する批判は、その好調ぶりに消えてしまいました。漫画喫茶は、漫画単行本を全巻揃えるなどし、民間の図書館として機能していました。

当初はついたて付きのカウンター席が中心だったようですが、徐々に半個室を売りにするお店が増えました。徐々に時間当たり単価が低下していき、安い料金で時間をつぶせる場所として、利用者を増やしていきました。それまで街には、喫茶店や本屋くらいしか時間をつぶせるところがありませんでした。前者は店員さんの冷たい視線が気になりますし、後者は脚が疲れます。マンガ喫茶は、店側が要求する料金を払って、堂々とマンガを読み、時間をつぶせるのですから、お客さんが来ないはずはありませんでした。

3.「ビデオ鑑賞所」

 1980年代後半、家庭にビデオデッキが普及するとともに、ビデオレンタル店が登場しました。この頃に米国で、「カウチポテト族」という言葉が現れました。長椅子(カウチ)に寝転がって、ポテトチップをつまみながら自宅で(ビデオに録画されている)映画を楽しむ若者、という意味です。長椅子に寝転がるのは大変ではないか、とか、ポテトチップである必要性はあるのか、とか、名前からビデオがなくなっているが、といった疑問はありましたが、まあ、とにかく映画を自宅で鑑賞する、という行為が成立しました。

それを公共の場で出来るようにしたのが、「ビデオ鑑賞所」です。上記のマンガ喫茶の派生版として登場しました。時間をつぶしたい人が必ずしもまんが好きとは限りません。そんな非まんが族の人を対象として登場したのが、「ビデオ鑑賞所」でした。まんが喫茶と異なり、個室状でないと他の人に迷惑が掛かります。また、鑑賞時間も長くなりがちです。滞在時間の延長化や、終電車を逃した人が深夜1時から4時くらいまでの間をビデオを観賞しようがしまいが自由に過ごせる場、として、ターミナル駅近くの繁華街で急速に出来て行ったのでした。

4.3業態の融合

 これらの3業態は、対象物が異なるだけで営業形態が似ています。インタネットカフェはパソコン、まんが喫茶は本棚と椅子と机、ビデオ鑑賞所は個室とビデオデッキとテレビが必要です。そのため、椅子と机と本棚と個室とパソコンとビデオデッキとテレビを備えた複合店が、2000年頃に登場してきました。滞在時間が長いので、飲み物お替り自由、終電を逃した人のためにシャワーも併設、と、どんどん装備品が進化していきました。

2000年頃のオタクをからかうマンガに、「2000年のミレニアムの年越しにも、オタクはマンガ喫茶で過ごすだろう。寂しい人たちだ。」というものがあります。この頃から、一種の宿泊所としての機能を作ってしまい、「(インターネット)カフェ」と「まんが喫茶(漫喫やマンキなどと呼ばれていました)」、「ビデオ鑑賞所」が一体化し、「ネットカフェ」と呼ばれるようになっていきました。

5.リーマンショックとネットカフェ

 2008年に、米国のリーマンブラザース証券の経営が破綻しました。当初、「日本は無関係」、と楽観視されていました。しかし、2008年末から派遣労働者を辞めさせる「派遣切り」、収入を失った人が住む場所にも不自由して公園などに住まざるを得なくなる、「派遣村」も出来ました。その中の人には、ネットカフェに住まざるを得なくなった人もいたことでしょう。この頃からネットカフェは本格的に「宿泊所」として機能するようになっていきました。

6.現在のネットカフェ
 今は「ネットカフェ」がさらに省略されて、「ネカフェ」と呼ぶそうですね。これでは「寝カフェ」と誤認する人もいると思います。知人はネットカフェをして「寝床」と表現しましたが、まさに寝床化しています。

それにしても、貧困とは人の心も貧しくしてしまうのでしょうか。この種の宿泊所は、どうしても衛生状態が悪くなりがちです。心を病んで、風呂に入らなくても気にならなくなってしまう人も出て来るものです。

その結果、ネットカフェは不衛生で不法行為も行われる場所となりました。火災や殺人の恐れもあることから、店員が中を見られる半個室にしかできないよう、法改正が行われたと思います。

7.まとめ

 いかがでしたでしょうか。都会的でおしゃれできれいで意識高い系の人が集まる場所だった「インターネットカフェ」が、「宿泊所」「寝床」へと変化するのに、20年程度しかかかりませんでした。産業にはいろいろ寿命や変化がありますが、その中でも変動が著しかった産業だといえます。現在では、1980年代半ばにはなくなっていたと思う「ベッドハウス」「簡易宿泊所」「ドヤ」が、再来したことになります。

街をよくするには、ネットカフェをなくすだけでなく、そこへ転落する人を少なくする、世の中の人が働く仕組みを変えていく必要を感じたのでした。
Posted at 2021/06/13 21:48:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | 時事 | ビジネス/学習
2021年03月01日 イイね!

トヨタ ヴォクシーのCMに、ジェンダーの悪継承を感じる

 森喜朗さんが、すっかり更迭されてしまいましたね。もはやニュースにもなりません。私は、80歳を超えた森さんは、同世代の男性と比較すると、ずいぶんと女性に理解がある方に思います。おそらくその辺の80歳男性なら
「女は黙っていろ」
「女の意見なんか、聞くんじゃない」
という辺りが平均的ではないでしょうか?それを、会議に女性を入れて、ご当人は面倒といいながらも意見を言わせていたのですから、その辺の人との違いを感じます。

しかし、いくらその辺の人よりも進歩的だからといって、世の中の平均はもっと進化、改善された80歳代は、なお時代遅れということになってしまいました。これで「老害」は現実のものになり、今後の世の中の動向は変わっていくことでしょう。

 さて、そんな森さん問題も聞かなくなっていた今日、私はトヨタ「ヴォクシー」のCMを目にしました。私が見たのは、男親運転席、女児後席版です。女親運転席、男児後席版もあります。



男性が女児に格好をつけているところを見せ、女児に「将来、(自分が何もしなくても済むように、あたかも)父親の様に自分を守ってくれる男性を探そう。」という価値観を植え付けている描写に見えてしまいます。

男女共同参画社会、SDGs、といっても、結局男性依存なの!?女性が何もしなくても良いように、男性が立ち振る舞うの?

女親と男児版は、男児に「母親をいつまでも守ってやる」とかいう意味のことを言わせます。一瞬、「将来の介護もするよ!」と言っているように聞こえましたが、実際には

「女は”か弱い”のだから、男の自分が守ってやる!」

と言っているように聞こえました。

まあ、どのご家庭でも、「(僕、わたし)、将来は(ママ、パパ)と結婚する!」と子供が言っているようなほほえましい風景はあるでしょうから、その一環ともみなせないことはありません。

しかし、こんな何気ない表現が「ジェンダーの連鎖」を生むと、私は考えています。特に後者のような思想は、80歳代はおろか、もっと下の年代の人たちにも残っていることが多数あります。数年前のドラマ「4分間のマリーゴールド」でも、長兄(演:桐谷健太)が、「家長の自分が家を守る!」と妹(演:菜々緒)に言っていました。戦前の家制度の言葉を持ち出して、軍艦マーチでも流れてくるのかと思ってしまいました。

結局、こういう描写が
「女は黙って男についていけばよい」
「男は女に何かさせたら恥だ」

という、古い時代の価値観を子供に植え付けてしまいます。何のことはない、森さんがやっていたことそのままです。

 これまでも色々ありました。2000年前後の「男らしい女」「男性を積極的に選ぶ女性」(例、ドラマ「ハッピーマニア」の藤原紀香演じるフクちゃんなど)も、当時こそ「これまで男性が女性を選んでいたのに、女性が男性を選ぶ強い女像」と思ってしまいましたが、結局、「結婚して男性に頼る」という行く先が見える、似非強さでしかありませんでした。

 降って湧いた「SDGs」、過去から現在を追わずに、ただただ「男女平等」となってしまった近頃の様子に、いつかのような「いびつな男女平等観」が生み出されてしまうことを危惧しています。男女共同参画社会には十分に賛成するのですが、いろいろ議論が必要だと思います。

ということで、何回かに分けて、いつもの通りの近代史を書く予定です。
Posted at 2021/03/02 00:08:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | 時事 | クルマ
2021年02月13日 イイね!

東北地方を中心とした地震に、2011年3月7日頃を思い出す

 昨夜の地震は、非常に揺れましたね。私はテレビを見ていたのですが、たまたまCM中で、画面上に出てきた「緊急地震速報」の文字に、CM上の演出か何かだと思ってしまいました。そこから5秒間程度遅れてスマートフォンが緊急地震速報を知らせ、ほどなく北東方向からざわざわ音が伝わってきて、揺れに到達しました。

私の家の方は震度4だったようで、幸い被害はありませんでした。東北地方の被害はひどかったですが、夜間であったにもかかわらず、津波がなかったことが幸いでした。

 2011年の東日本大震災の時には、その週の初め頃、月曜日か火曜日だったように記憶していますが、震度5程度の比較的大きな地震がありました。その時にも津波はありましたが波高は20cm程度で、海なし県に住む私などは、「20cmで波?」などと思ってしまいました。

今回の地震でも報道されていますが、地震が起こると続いて地震が起こることがあります。東日本大震災の揺れ初めの時も、「また数日前の地震と同じ程度の地震か。」と思っていたほどです。

 繰り返し報道されている通り、10日から14日間程度は大きな地震が発生する可能性があります。東日本の皆さんは、地震発生時に取る行動を頭の中でシミュレーションをしておくなど、地震に備えるようにしてください。

追伸
 2011年3月13日は、11日に地震がなければ袖ヶ浦フォレストレースウェイで、サーキットを走行する予定でいました。しかも、地震が起こった時刻は場内を走行していたことになります。もしそうなっていたら一体どうしたであろうと、今でも思います。
Posted at 2021/02/14 21:47:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | 時事 | 日記
2021年02月12日 イイね!

森喜朗会長辞任に、謝罪を許さない世の中の到来を感じる

 森喜朗会長が、辞任することになってしまいました。発言について考えてみました。もう、「〇性は、これこれこんな性質で」という論調が許されない時代になったことを強く感じさせた出来事でした。〇性が、〇座が、〇型は、などという区分けは、2000年ごろの心理学ゲームブームの頃なら、掃いて捨てるほど語られていました。私は、今回の発言は謝罪で済むものと思っておりましたが、時代の変化は速いようです。

それにしても、海外メディアが攻撃的な論調になったのを確認後、国内メディアがそれに右に倣え、となるのは、なんとも情けないことです。

森さんにかぎらず、多くの現在80歳前後の人を挨拶の場に出してしまうと、このような発言をしてしまうことが考えられます。今回は、森さん個人の人格ではなく、80歳代の人がそうしてしまうメカニズムを考えてみました。

1.昭和60年頃の風潮
 昭和60年頃は、日本が経済の上で欧米諸国に追いつき、さらに伸びるには欧米にさらに学ばなければならない、とされていた時期でした。2008年頃に「欧米では~」をギャグに使うお笑い芸人がいたらしいですが、昭和60年頃はいわゆる知識人層がまじめに議論をしていました。

これより前の時期、人前に立つ人のあいさつというのは、「いかに人間性を消すか。」にかかっていました。
「なるべく漢字を訓読みではなく音読みで読むような文章にする。」
「自分の思いよりも、ことわざや故事成語、古典などから引用する。」
などです。

一方、欧米人はジェスチャーを加えたり、ユーモアを交えたりし、話している人の人となりを感じさせる「スピーチ」をしていました。

どういうわけか、「ユーモア≒(アメリカン)ジョーク」を解釈されて伝えられました。昭和60年よりもう少し前の時期、「オレたちひょうきん族」などで、「本来言ってはならないようなことを言ってしまう」ことが面白いかのような風潮がありました。

結果、言ってはならないことを、場合によってはわざわざ言って、聴衆の笑いを誘う手法が出てきてしまいました。時に、「オジさん改造講座」などという本があり、従来方式を脱した中年男性は「面白いおじさん」、従来方式の中年男性は「オジサン」「オヤジ」などとされてしまっていました。

森さんは当時45歳、一般企業なら中間管理職になっているような時期です。おそらく、この「笑いを誘う」癖が染みついてしまっていたように思います。

少し前に蔓延した「バカッター」と、基本的なメカニズムは同じです。「ウケる」は、今やしてはならないこと、と思っていた方がちょうどよいです。

2.考えは変えられなくなってくる?
 価値観は、時代の流れとともに変わることがあります。近代史を振り返ると、十数年前のことは完全に「過去のこと」になります。人間がある程度若い頃は、自分の考えを変えることもできることでしょう。

しかし、年齢を重ねれば重ねるほどこれまでの自分に自信を持ってしまい、考えを変えづらくなってくるのではないでしょうか。

森さん世代の男性と女性の関係性を振り返ってみました。

昭和35年頃(森さん20歳)
 仕事の多くは力仕事でした。女性は、農業や漁業、電化製品や軽工業製品の工場で働くことはありましたが、多くは専業主婦だった時代です。「男が守ってやらなければならない。」と思ったことでしょう。

昭和45年頃(森さん30歳)
 ウーマンリブ運動が日本に伝わってきた頃です。雑誌社などに勤務する女性や、一般事務につく女性は増えてきたようです。男性と並ぼうと口が強い女性が出てきたようですが、内情はどうだったのでしょうか。まだまだ、「男性が折れてあげる。」時代だったようです。

昭和55年頃(森さん40歳)
 第一次、第二次石油ショック後のことです。すでにウーマンリブは完全に消え、「男性に守ってもらいたいと思わせる」女性が、女性として理想だとされていたようです。

平成2年頃(森さん50歳)
 女性の大学進学率が急上昇した時期です。そんな女性は「小生意気」と陰口をたたかれたものでした。しかしそんなことを本当に言ったら「オヤジ」と揶揄されるので、男性が黙っていた時期です。うまくやり過ごして、そんな女性が寿退職するのを待ったようです。

平成12年頃(森さん60歳)
 フジテレビ長身女性ドラマシリーズの時期です。「女のカン」で「私が一番正しい」という顔をした女性がいたものです。「カン」は外れるので、男性はこっそりフォローに回るのが良いとされていた時期です。

平成22年頃(森さん70歳)
 「エビちゃん、優ちゃん、もえちゃん」ブームが終わり、ようやく普通にしていられる、中身が伴う女性が増えてきた時期です。

すなわち、ほとんどの時代で「男性は女性を守る」ことが良いとされていた時期でした。森さんの頭に、「女は助けてやるもの」と刷り込まれていたのではないでしょうか。70歳の時期に転換せよ、となっても、それまでの70年間が違ったのですから、すぐには変えられるものではなかったのではないか、と思います。

3.根回しシステム
 今でこそその場でいろいろ議論し合う会議スタイルが良いとされていますが、少し前までは違いました。会議までに会議以外の場(喫煙所、居酒屋、料亭など)で話をまとめておき、会議は決まったことの集大成を発表する場所、であることが良いとされていました。森さんは、その手腕にたけた人物だったそうです。

しかし、男性でも50歳代半ばよりも下の世代、女性には通用しない技なのではないでしょうか。森さんにとっては、自分の手法が通用しない人は「面倒」なのだと思います。

4.女性が加わると面倒です。
 当然のことです。男性とは視点が違うのですから、単純計算で調整しなければならないことが、2倍になることがあります。しかし、選手や観客にも女性がいるのですから、そこを調整してこそ「調整者」の手腕が発揮される、というものです。

私は、いつも同じ種類の人間で固まる会議というのは、危険性をはらんでいると思います。「〇性ばかりで楽だ」、というのは、全く誤った思考方法です。そのため、男子校や女子校の学校、あるいは、生徒の割合が偏っている学校は、さっさと学校法人格をはく奪するか、私立学校なら助成金を削減してもらいたいものです。

5.失言者は、辞職か自殺する世の中になってほしい?
 私は、今回の件と昨年7月の、木村花さん自殺事件が重なって見えてしまいます。もちろん、木村花さんの場合は演出付きの番組、森さんは公人と、立ち位置は異なります。

とはいえ、失言した時に謝罪することは許されず、それこそネットリンチ的に追い詰められて辞めさせられるか、あるいは、自殺するまで追い詰める世の中というのは、どうにも生きづらい世の中になると思います。これを読んだ皆さんのおじいさんやお父さんが何かの代表職に選ばれて、ほんの少しの失言で自殺まで追い込まれた、となったら、それこそ世の中を恨むことにならないでしょうか?

私は、今回の件は森さんに、「罵詈雑言を一時的に浴びせられ、それでもなお職を全う」してもらうのがちょうどよかったのではないか、と思います。

6.歳をとったら隠居
 昭和60年頃までは、「これまでの経験の積み重ね」がものをいう時代でした。そのため、困ったことがあったら年長者に相談すればよい時代でした。年長者は、その道の経験者でしたからね。

しかし、時代は変わりました。10年も経過すれば技術革新で手法が新しくなったり、環境が変わることが珍しくなくなりました。世の中の進化が、これまでの積み重ねで進化をするのではなく、全く変化をすることで進化をするようになってきた、と感じています。

そのため、歳を重ねた人を表に出してしまうと、かえって間違ってしまったり、その人に恥をかかせてしまうことが出てきました。すなわち、高齢者に時代に合わせて努力をしてもらうか、ご勇退願う時代になった、と思います。森さんには、最初から一歩奥まった「相談役」でいてもらった方が良かったことでしょう。

 以上、個人的な思いを書きました。中でも「1.」の項目は、人前であいさつやスピーチをする可能性がある人はすべて意識してほしく、「2.」の歴史については、森さんがああなったのは、時代のなせる業と思ってもらいたいものです。そして、「5.」のような、社会的リンチを与えるような世の中に、変わっていってほしくない、と思うのでした。
Posted at 2021/02/12 23:56:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 時事 | 日記

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