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2025年07月21日 イイね!

第二期「ひみつのアッコちゃん」配信に、革命を感じた日

第二期「ひみつのアッコちゃん」配信に、革命を感じた日 「ひみつのアッコちゃん」は、「魔法使いサリー」に続く東映魔女っ子アニメーション第二弾作品です。アッコちゃんが化粧用コンパクトを模した道具に「テクマクマヤコン」と唱えると、アッコちゃんは他の生物へと変身、身の回りの困った人や事件を解決します。第一期は1969年に放送され、当時人気を博したそうです。そのアッコちゃんは、藤子不二雄アニメリバイバルへと対抗するために、1988年から1年強の間、フジテレビで第二期として放送されました。

担当プロデューサーは、第一期アッコちゃんの「上品でおとなしく、めそめそした雰囲気」が嫌いで、第二期アッコちゃんの性格を活発でドジで喜怒哀楽豊かなキャラクターへとモデルチェンジ、当時人気を博しました。添付画像にも表れている通り、怒りをあらわにすることもあります。ブルゾン(ジャンパー(これも死語)の当時の呼び名)にミニスカート、コンバースのスニーカーに似た靴を着用し、良く走り回っていました。この作品を10歳程度までの女子が視聴していたとすると、その約7年後の1995年に「コギャル」が登場したことにつながっているようにも感じます。昭和50年代(1975年-1984年)の女子像は、「優しく、まじめで、おとなしい」だったものを、打ち崩したきっかけと考えています。

そして、この作品を横目で見ていた当時の私は、「もしや、男性が優位とされていた時代はついに終わるかもしれない」と予想したのです。アッコちゃんは主人公故、「アッコちゃんが思ったことや行動したことはいつも正しく、良い結果につながる」万能な描写です。

当時の世の中も、男女雇用機会均等法ブームに沸いていました。それまで20歳前後で働きに出て、数年で結婚して家庭に入っていた女性が、より長く、高収入になっていくことが予想され、「20歳代の女性」の市場が突然現れたのです。
・自動車メーカーは小型ハッチバックやクーペを発売
・都市部に工場を持っていた企業は跡地にスポーツクラブを建てて「都市型健康サービス」を提供
・アパレル業界は20歳代の未婚の婦人服をデザイン
・食品会社は、電子レンジ調理食材や小分けした食材などを開発
などがありました。

当時、私の身の回りでも
「都市部の高校に通っているお姉さんが、企業の新製品座談会に招かれ、友達とものを食べて自由におしゃべりをしているだけで、謝礼として1万円だか3万円だか5万円をもらった」
という話が出ました。
そのため私は、「男性は意見を言ってもお金をもらえないどころか、意見を言うことすら許されていないのか。」ということに落胆したのです。

私は、「もしかしたら、今後日本にも女帝が現れて、男性は女帝の墓を作るために強制労働をさせられる世の中が来るかもしれない。」と考え、一瞬、「自4」が頭をよぎりました。しかし、4んだところで4ぬときに痛かったり苦しかったりするかもしれませんし、生まれ変わるとは限りませんし、生まれ変わったところでまた男かもしれないしと、早々に考え直したのでした。

しかし、「ひみつのアッコちゃん」第二期放送開始後、約3年間は女性にとって天国かもしれなかった時期(実際には、イメージほどはそうでもなかったという説もあります)が続いています。あの時、私が感じた「意見を聞いてももらえないのか」は、これまで長い間女性が感じたことだったのですね。

そんな、主人公が大活躍する第二期「ひみつのアッコちゃん」、当時の雰囲気を味わってみてはいかがでしょうか。毎週日曜日18時公開開始、二週間公開です。下記に東映アニメーション公式チャンネルのURLを添付しておきます。
Posted at 2025/07/21 11:38:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 過去のテレビ番組 | 音楽/映画/テレビ
2025年03月31日 イイね!

魔法使いサリーの傑作「ミスター雪だるま」公開中

 東映アニメーションの公式youtubeでは、魔法使いサリーの第一シリーズが公開中です。確か1965年頃から放送されたこの作品は、後に続く魔法使い少女ものアニメーションの元祖となり、大人気を得ました。そのため以後何度も再放送されており、私も2-3回は見たように記憶しています。

中でも記憶されているのが、私が小学校6年生の夏休み期間の放送です。その頃私は学習塾に通っており、塾から帰宅するとちょうどサリーちゃんの放送時間だったような気がします。塾から解放された時間帯の楽しみとして、毎日見ていたようです。

一方でこの頃のドラマ類理解度を振り返ると、少し前の小学校5年生の頃だと「いわゆる男の子向けアクションアニメーション(ロボットや宇宙戦艦が活躍するもの)」は、シーンのカッコよさで視聴可能、1時間もの実写ドラマは、シーンを切り取ってかっこよいシーンだけを追って見ていたように思います。伏線はもちろんのこと、登場人物の心情になることなどとても不可能、アクションのないアニメーションやドラマは、何が楽しいのかわからない、という気持ちでした。

そしてこの時期にサリーちゃんを見ていると、なぜか急に心に染み入るようになってきます。サリーちゃんの時期の経済事情が関係しているのか、まれに困っている人や悲しい運命に会ってしまう人も描かれるのですが、見終わった後にいたたまれない気持ちになったこともあったかもしれません。

その作品の一つがこの、「ミスター雪だるま」です。雪だるまを擬人化し、季節が進むと溶けてしまうことから、期間が限られた友達として描かれたものです。この



あらすじ

サリーちゃんが住む町に雪が降った。サリーちゃんは庭に雪だるまをつくるのだが、カブが魔法をかけて雪だるまを動けるようにしてしまう。雪だるまは動き出すのだが、サリーちゃんを主とし、カブを召使にしようとする。

雪でできている雪だるま故、サリーちゃんの家の中は暑すぎると、水をかけたり冷やしたり、氷まみれにしてしまう。あまりの寒さに風邪をひくサリーちゃんとカブだった。

人間のことを何も知らない雪だるまは、サリーのために薬屋に行って風邪薬を買おうとする。ところがお金を持っていないために、薬屋の主人は「店の前に看板を持って立っていたら売ってやる」と、雪だるまを店の前に立たせる。日が出てきて気温が上昇、雪だるまは溶け始めてしまう。

約束の時間がたち、雪だるまはサリーの家に戻る。腹が立って収まらないカブは、雪だるまに魔法で出したたいまつをかざし、溶かしてしまおうとする。たいまつを放り投げてやめさせようとするサリーちゃん、ところがたいまつは魔法の本の本棚のところに落ちてしまっており、このままでは魔法の本も家も燃えてしまう。

雪だるまはとっさに本棚のところに行って火を覆って、消火をする。火は消えたが、すっかりやせ細ってしまった雪だるま。泣いて非を詫びるカブだったが、雪だるまは言う。
「もとより限られた命、少し早まっただけのこと。それよりカブ、サリー様にお仕えするのだ」

息絶える雪だるま。

しかし雪だるまはサリーちゃんの魔法で蘇り、北の国へ送られるのだった。


 古い話ゆえに未消化なところがありますが、雪だるまが自信を犠牲にしてまでサリーを守ること、カブのいたずらと自責の念、最後はカブも許す雪だるま、と、アニメーションの得ながらキャラクターに命が吹き込まれていることを感じました。

小学校6年生の頃に話に戻ると、塾の同級生も何人か見ていたようですし、2学期になって学校の同級生に聞いても、男子の何人かは見ていたようです。そしてこの頃私は、「女子向けのアニメーションは、男子向けのアニメーションよりも内容に深みがあって大人っぽい。」と思ったものです。

これを機に、それまでやや国語を苦手としていた私は、文章を読むと登場人物の心情が出に取るようにわかるようになり、比較的得意な科目になったのでした。
Posted at 2025/03/31 22:26:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 過去のテレビ番組 | 音楽/映画/テレビ
2025年02月24日 イイね!

中山美穂さんの記憶をさかのぼる

中山美穂さんの記憶をさかのぼる 2024年12月初めに、中山美穂さんが急逝されました。まだまだこれから、という時期で、しかも事故によって亡くなられたのは非常に残念です。中山さんはトップスターでしたが、私が初めて見た頃は無名であり、親しみを感じたものです。そんな中山さんを初めて見た頃のことを遡り、故人にささげたいと思います。

デビュー

 中山さんがデビューされたのは、雑誌の検証コーナーのモデルらしいですが、私が読んでいた雑誌ではないようなので、存じ上げておりません。おそらく多くの方と同様に、ドラマ「毎度おさわがせします(パート1)」で初めて拝見しました。1985年1月8日に放送が開始されましたが、当時の私の家の事情で、2月までテレビを見られませんでした。しかし通っていた学校の教室では、

「中山さんは同級生(または隣の学級)の中川静子さん(仮名)ではないか?」

と大騒ぎになりました。

同級生がテレビに出ているとなると、どうしても見たくなってしまうのです。そろそろこれからの人生を考える中で、「芸能人になる」という選択はありませんでしたので、このことには人生で何回もないような驚きを感じたものです。

しかしどうしても2月までテレビは見られなかったため、お預けとなりました。

「毎度おさわがせします」視聴

 そして2月5日、ようやく「毎度おさわがせします」を見ることができて中山さんの姿を拝見、「中山さんは中川さんである」と確信を持ったのです。そのことを隣席にいる女子に話すと、
「まだあんなドラマ見ているの?中山さんは中川さんじゃないよ。」
と言われたのでした。なお、タイトルの画像は私が「毎度おさわがせします」を初めて見て、中山さんは中川さんだと思ってしまった時のものです。

当時いた教室では、火曜日に放送されている「毎度おさわがせします」よりも土曜日に放送されている「スクールウォーズ」が人気となっていました。曜日が異なるものの話題は「スクールウォーズ」に集中し、「毎度おさわがせします」どころではなかったのです。なお、隣の教室では「毎度おさわがせします」の方が流行っていたようです。

現在の目で見ても中山さんは中川さんそのもののように感じるのですが、違うものは仕方がありません。いつの間にか中山さんのことも気にならなくなってしまいましたが、当時の言い方での「男勝り」な姿勢はしびれました。それまで何年間か、「聖子ちゃん」ブームが続いていましたから、当時の女性の多くは「かわいこちゃん」や「ぶりっ子」になっていました。それが、中山さんの役柄は反抗しているだけとはいえ、からっとした乾いた感じのキャラクターで出てきました。私はすっかりやられてしまったものです。

「毎度おさわがせします」の約半年前、同じテレビ局では「うちの子にかぎって」という小学生ものドラマが放送されていました。そこで生き生き演じる子役の出演者を見て、これまでの子役とは違う演技を感じていました。若干作風は異なりますが、「毎度おさわがせします」も子役が演じているものだと思わされました。当時私は、ドラマの登場人物で演じている人は、その人の性格や思ったことそのままに、台本とは別に演じているものだとばかり思っていました。中山さんが中川さんでないことはわかりましたので、「中山さんと友達になれたらよいなあ」と思ったものです。

その後の中山さん

 その後、中山さんは「ビーバップハイスクール」に出演、年末には「毎度おさわがせします(パート2)」に出演、おおむね「毎度おさわがせします」に近い設定ながらホームドラマから学園ものドラマとして主演級になった「な・ま・い・き・盛り」を経て主演女優になってしまいましたので、一般人の私と友達になるというのは、まったくおこがましいものになってしまいました。また、「毎度おさわがせします」を終えた後、中山さんは比較的柔らかい、おそらくご当人に近い雰囲気の役を演じるようになっていきましたが、「毎度おさわがせします」の「森のどか」役は、歴史的にエポックメーキングだったといえます。

 それまで芸能人は多少知ってはいたものの、友達になりたい、と思ったのはこれが初めてだったかもしれません。やはり、女子が元気が良いのが良いねえ!

次は、「毎度おさわがせします」ことを語る予定です。
Posted at 2025/02/24 22:05:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 過去のテレビ番組 | 音楽/映画/テレビ
2024年08月10日 イイね!

第二期青春学園ドラマ「飛び出せ青春」を見る

第二期青春学園ドラマ「飛び出せ青春」を見る 今年の夏も暑いですね。十分寝たと思っても疲れが取れません。仕事から帰ってくると余力がなく、ブログを書けません。ようやく休暇となりましたので、少しずつ書いていくことにしました。

春頃のことですが、「飛び出せ青春」という青春学園ドラマを視聴しました。1972年初めから1年間、日本テレビで放送された学園ドラマです。村野武範さんが教員として主演しており、生徒役は第一期学園ドラマやその他の学園ドラマで人気があった人が多数出演しています。「青い三角定規」というフォークソング?グループが歌う主題歌の「太陽がくれた季節」も大ヒットし、一時期は「青春」の代名詞ともされた作品です。

 以前見たと書いた第一期青春ドラマは、夏木陽介主演で「青春とはなんだ」でした。これがヒットし続編を、となったところで夏木氏のスケジュールが一杯で、当時無名だった劉雷太が主演を務めた「これが青春だ」を放送します。翌年はマンネリ化を危惧したプロデューサーが設定を変更したものの、不評で途中から元の路線に戻った、「でっかい青春」となります。さらに先生共々成長のドラマを、とした「進め!青春」は不評となって打ち切り、当時のウーマンリブ運動に合わせた「炎の青春」も打ち切りとなっていました。その後、制作会社が異なる森田健作主演「おれは男だ!」がヒット、プロデューサーは第二期青春ドラマの制作を決意し、この「飛び出せ青春」」が制作されたとのことです。

 「飛び出せ青春」は、おおむね第一期青春ドラマの路線を踏襲しているものの、時代に合わせて作品の雰囲気が変更されています。

1つ目は、劇中の音楽(サウンドトラック)が充実したことです。登場人物の行動が音楽によって演出されるため、より臨場感が強まります。

2つ目は、カメラワークが早くなることで、シーンの転換にメリハリが出たことです。第一期青春ものの場合には現代の感覚では「のんびりしているな」と感じたものですが、ストーリーがテンポ良く進んでいきます。

3つ目は、フィクションが強まった一方で、ドラマらしいストーリー展開になったことです。クライマックスも用意され、より感情移入出来るようになったことです。

以上の変化は、テレビ局がドラマの制作に慣れてきて、1時間の中で視聴者を引き込む方法がわかってきたためによる変化だと考えられます。プロデューサーの岡田晋吉氏はこの年に「太陽にほえろ!」の制作にかかわり、脚本の鎌田敏夫氏は 翌年から「太陽にほえろ!」の脚本に参加、1970年代らしいドラマを確立していきます。すなわち、ドラマを1960年代の叙景型から叙情型へ進化させたのが、この「飛び出せ青春」だったといえます。

当時、この作品を見ていた人が夢中になるのも当然で、その後のコントなどで青春ドラマ的シーンがあったり、その際に「太陽がくれた季節」が流されるのも、この作品への敬意があったからなのだ、と改めて感じたのでした。

さて、その作品の一つの22話「飛び込もう青春の海へ」は、以下のようなストーリーでした。

あらすじ
 舞台となっている太陽学園は、夏休みになった。学校の寮に入っている先生と多くの生徒は、寮母さん(演:菅井きん)が育った島へ合宿旅行に行くことになった。寮母さんの甥っ子(演:柴田光(光ににんべん)彦)がいるのだが、「気楽な高校生活を楽しんでいる、嫌な高校生」とみているようだ。

島では、廃屋となった建物に泊まることになった。島にいる間は、何か目標を決めて行動しようと呼びかける先生。しかし、甥っ子の態度が気に食わない生徒(演:石橋正次)たち。ケンカになり、生徒の一人は腹いせに船を壊してしまう。

そんな折、島民の中の女の子は高熱を発してしまう。島には医師はおらず、電話もなかった。交通手段だけでなく、連絡手段も船だったのだ。そこで、海を泳いで連絡に行くという甥、しかし、甥はケンカでけがをしている。

自分たちが起こしたことの責任は自分たちでとる、と、出発しようとする甥を殴り飛ばし、そのまま駆け出していく生徒(石橋)と追う先生、そしてそのまま波止場から海に飛び込み、陸を目指して泳ぐのだった。

感想
 まるで、クライマックスの泳ぎのシーンを持ってくるためにストーリーがあるようなものです。クライマックスには、すっかり生徒と先生を応援してしまいました。実際の学校ではこんなことはないだろうとも思いつつ、こんなことなら起こるかもしれない、という絶妙なウソの要素が絶妙です。自分が損な役(海を泳いで助けを呼びに行く)を引き受けるために、相手を殴る展開も青春ものっぽいです。

この要素は同じく1972年に放送を開始する「太陽にほえろ!」にも引き継がれ、特に鎌田敏夫氏が参加した1973年以降の作品に青春ものの雰囲気をもたらします。

今まで「古い」と見ることもしなかった「飛び出せ青春」ですが、1970年代ドラマの元祖的作品で、とても楽しめました。

その後の第二期青春ドラマ
 その後、やや間を開けて中村雅俊を教員として迎えた「われら青春!」が放送されます。しかし、学校というのは1年周期なのですよね。「飛び出せ青春」で、視聴者側も「すべてをやりつくした」と感じたのか、人気が出ずに半年で打ち切りになりました。岡田晋吉プロデューサーは、「われら青春」で高校を舞台にしたドラマの終了を痛感したそうで、以後は中村雅俊氏ほかを大学生に据えた共同生活モラトリアム学生ものの、「俺たち」シリーズに移行します。

おまけ
 この作品の3年前に放送された青春学園ものドラマ第一期第4作の「炎の青春」では、大学生の学生運動をまねてゲバ棒やプラカード、赤ヘルメットをかぶって学校に反対する生徒が出るシーンがありました。この「飛び出せ青春」では、第一話の冒頭に「まだ学生運動をしている一部の人たちがいるんだね」というセリフがあります。1970年を過ぎたら学生運動は沈静化した、とありますが、世の中が急変したことの表れではないか、と感じました。

おまけ2
 以前、制作関係者と思われる方のブログを読んだことがあります。製作終了後の打ち上げの場を、村野氏はすぐに抜け出して近くの海だかどこかにいたそうです。制作関係者が声をかけると、村野氏は
「もう(こんな子供が出ている番組は)やらないからな!」
と言ったそうです。村野氏はもともとシェイクスピアなどの古典劇志向だったそうです。この作品はというと、ところどころコミカルなシーンや音楽があり、それほどシリアスではありません。村野氏の気持ちも、よくわかります。
Posted at 2024/08/13 14:58:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | 過去のテレビ番組 | 音楽/映画/テレビ
2024年04月27日 イイね!

1965年放送 青春学園ドラマ「青春とはなんだ」を見る

1965年放送 青春学園ドラマ「青春とはなんだ」を見る 以前、青春学園ドラマ第一期最後の作品となった「炎の青春」を見た感想を書きました。時代をよく映していて面白く、他の同系列作品を見てみたい思っていた中、この日、第一期の最初となった「青春とはなんだ」を某所で見ることができたのです。

この「青春とはなんだ」は、石原慎太郎氏が原作です。晩年は政治家としての活動が主体だった石原慎太郎氏は、当時作家としての活動が主体でした。

「青春とはなんだ」が放送される10年前には「太陽の季節」を執筆し、当時の若者風俗を造ったようです。具体的には、夏の海をたむろしたり、同世代の女子に声をかけて遊ぶ、などです。太平洋戦争敗戦から10年の時期、戦後の雰囲気が薄いで過剰に自由に遊ぶ「戦中に生まれても戦争に行っていない世代」をたきつける形になったことで、俗悪作家とされたり、国会に証人喚問(?)させられたりした模様です。

 そして10年、おそらく石原慎太郎氏は宗旨替えをして、「若者とはどうあるべきか」を問う形で「青春とはなんだ」を執筆したものと推察されます。
 この作品がドラマ化された1965年は、都市周辺でようやく高校進学が広まっていった時期で、この作品は地方の街にある高校を舞台としていました。そのため、生徒も純朴で、貧しい家庭の生徒がいたり、時々出てくるラグビー部もユニフォームがボロボロと、いざなぎ景気前の生活は、まだまだだったことを感じさせます。

 実は、この作品には全く期待しておりませんでした。というのも、1960年代というと世の中の「動画」は映画が主力であり、テレビは出演してくれる人すらいなくて困った時代だったこと、登場人物の内面を描く手法は確立されておらず、出来事を単に並べて描く作品が主体だったこと、そして先生が生徒をけん引していくワンマンドラマ、と聞かされていたためです。

 しかし、後に「太陽にほえろ!」などを制作する、日本テレビの岡田晋吉プロデューサーがかかわっているからか、後の時代のドラマ制作手法につながっていく片鱗が見え、楽しく見られたのです。

中でも、主人公の野々村先生(演:夏木陽介)が森山学園に着任する前に停学処分になっていた話は、当時ならではの貧しさと、学校の仲間感がうまく融合していて、当時の水準を大きく超えてたと思います。

あらすじ

 停学になっていた生徒(演:寺田農)の家は母子家庭で、母親は住居兼店舗を町の有力者から借りて生計を立てていた。寺田演じる生徒(以下、寺田青年)は隣の学校に通う有力者の息子を含む集団と喧嘩、数か月前から無期停学処分を受けていた。そして有力者は、母親に対して店を明け渡すように通告してくる。

そのことを聞いた野々村先生は、生徒にその時の状況を聞く。寺田青年はケンカの場の近くにはいたものの、当時の担任と折り合いが悪く、有力者の息子の言うままに寺田青年が有力者の息子に暴力をふるい、時計を奪ったとして処分を決定していたのだ。寺田青年の無実を晴らすよう、生徒と活動を開始する野々村先生。

野々村学級の生徒は、隣の学校のけんか集団に寺田青年は無実であると証言をしてもらえるよう、赴く。そこには番長的リーダーがいて、対応する。当初はそんな生徒たちと一戦交えようとするも、真摯な姿に共感、全校生徒を調べると約束する。

けんか集団番長の調査によると、問題となったけんか事件の際に、有力者の息子から時計を奪ったのは、そのけんかとは全く別の生徒であったことが判明する。野々村学級の生徒に謝罪するとともに、寺田青年を退学処分とする森山学園の学校会議で証言することを約束する番長。

その頃、森山学園では会議が開かれ、寺田青年を退学処分にするか否か、会議が行われていた。そこで番長たちの証言を得ることに成功、寺田青年は退学処分にならなかったのはもちろんのこと、停学処分も解かれた。

停学処分解除の報を寺田青年のもとに報告に行く野々村先生と生徒、そして番長一同。ところが寺田青年は、そのまま学校を退学するという。

理由は、「このまま学校に通うことよりも、母親を助けながら店を経営していくことが今の自分には大切になった。」

そして、野々村先生には「会ったこともない自分のような生徒のために奔走してくれて、こんなにうれしいことはない。それにしても変わった先生だなあ。そんな先生のクラスになれて幸せだ。」と感謝の言葉を伝え、野々村先生は寺田青年に「いつでも戻ってこい!」と言うのだった。

 いやあ、見ていて目頭が熱くなりましたよ。まだ会ったことがない生徒も自分の生徒そして活動する野々村先生と、仲間を救おうとする同じクラスの生徒、人間的大きさをも感じさせる番長、そして何より、貧しい家計を支えて働いていくことを決意する寺田青年の心意気です。停学処分が解かれても、家庭の事情で働かざるを得ない寺田青年の境遇、そして別れ際に感謝の言葉を伝えるのも、胸を打つ演出ですね。これを見ていた当時の中学生や小学生は、きっと勉強を頑張って高校に進学したいと思ったことでしょう。

 ところで、この番組の主力スポーツとして扱われていたはずのラグビーですが、確かにラグビーを取り扱う回もありました。強豪校が弱小校の森山学園ラグビー部に勝負を申し込み、野々村先生は街の人たちの協力を得たり、細かい作戦を使いながら、辛くも勝利するという展開でした。これもまた傑作でしたよ。

1972年頃にならないとテレビドラマは面白くならない、とばかり思っていたのですが、うれしい誤算でした。もちろん、現代にそのままの形で放送すると、ちょっと単純すぎるとは思いますが、見ている人の琴線に響く脚本を感じました。

当時の世相
 1969年放送の「炎の青春」は、当時の大学生に広まっていた学生運動が高校生にも伝わっていたことや、主力の生徒が女子生徒寄りにされるなどの、ウーマンリブ運動も感じさせる展開がありました。一方で、この作品にはそのどちらも全くありません。学生運動や女性の強まりが、わずか3-4年間で起こっていたことがよくわかりました。
Posted at 2024/04/27 16:34:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | 過去のテレビ番組 | 音楽/映画/テレビ

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