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2021年09月04日 イイね!

古着屋が潰れていた

古着屋が潰れていた ここ1か月ほどカー用品店に行けず、カー用品店の往復路にあるお店の動向もわかりませんでした。

カー用品店の道中に古着屋があったのですが、店の中のものがさっぱりと無くなっていました。閉店のようですが、理由を推測しました。

①コロナウィルスの流行から、他人が着た服を着たがらなくなった
②ファッション傾向の変化から、洗いざらした感じが風合いをもたらすような、「デニムカジュアル系服」が衰退した
③ヤフーオークション、ラクマ、メルカリなどの、フリーマーケットサイトの躍進により、お店で古着を買わなくなった
④資金繰りの悪化など、お店単独の事情

こんなところでしょうか。

本日は、古着屋さんの苦労をねぎらう意味で、古着屋全体の記憶をたどってみました。

 「極端な物不足の太平洋戦争直後」、「ブルーデニムの存在が伝えられながら、簡単に手に入らなかったらしい1960年代後半から1970年代初め」を除き、古着を買う風習はなかったように思います。

その流れが変わったのは、1994年だったと記憶しています。当時バブル崩壊の傾向は明らかになり、大学生でもアルバイトに不自由する時期でした。

突然、「アディダスの’70年代ジャージを組み合わせたファッション」や「デニムをずり下げて、下着を見せたファッション」などが流行りだしました。前年から、デニムを基本とする男性カジュアルファッションで確立され始めたのですが、急進的に感じたものでした。

そのテレビニュースを聞いた私の両親は、「戦争直後じゃあるまいし、今ごろ古着?」と笑っており、私は「景気の下落も、ついにここまで来たか。」と思ったものでした。

当時スマッシュヒットをしていた女性二人組の、「MANISH」がうたう「煌めく瞬間に捕らわれて」でも、「角の古着屋にふと入ってみる」という歌詞がありました。すなわち、「古着屋はおしゃれな場所」、という感覚があったようです。同時にテレビ東京でも、「浅草橋ヤング洋品店」で、積極的に古着ファッションを取り入れる人が紹介されていました。私は、「中古車と同様に古着は生産できないのになあ」と思ったものです。

ところが、特に濃色のTシャツについては、「いかにもおろし立てでござい」という色だと、濃すぎて浮いてしまうものです。

美味しんぼの海原雄山も、「皿に塗られた「銀」」について、「新品のときはぎらぎらとしていて下品極まりなかったが、錆びてよい色合いになった。」と言っていました。古着Tシャツにも、確かにそんな「錆びてよい色合い」の感覚があったように思います。

 古着のファッションとしてのピークは、1996年から2003年頃までだったと感じます。その後、特に女性ファッションではデニムカジュアルが徐々に後退、「エビちゃん・優ちゃん・もえちゃん」の「キレイ目カジュアル」が中心となっていきました。

その後のリーマンショックによる不景気期でも、ファッションとしての古着は盛り上がらず、古着もデニムカジュアルも難しくなっていきました。ファッションに、良い、悪い、の理由はありません。その時代に流行れば良し、流行らなければ悪し、です。

 その古着屋さんも、時代の変化の波に飲み込まれ、消えていくのだと思います。SDGsの考えから行けば、古着はエコロジーなものです。古着屋としてのビジネスは廃れて行ってしまっても、残ってほしい文化です。
Posted at 2021/09/04 20:55:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | ファッション | ショッピング
2021年02月02日 イイね!

女性にロングブーツが復活!?

女性にロングブーツが復活!? 女性にロングブーツが流行らなくなって久しいです。2015年頃だったか、ブーティがロングブーツを追った形ですが、昨年にはそのブーティーすらなくなっている状況でした。

ロングブーツがどれだけいなくなったか、通勤経路で数えていたものです。昨シーズンは、なんと5人程度しかいませんでした。それも、日本人でない方が大半を占めていました。暖房が行き届き、SDGsや女性営業職増加の関係で女性らしさを誇示するファッションは、もう二度と流行らないと思っておりました。

それが今シーズン、昨日までに何と20人に到達した模様です。水商売らしき女性も含んでおりますが、多数ではありません。ただし、おしゃれ度が非常に高いというほどではないことが懸念材料です。

もとより、1本棒となっている部分を区間ごとに分断すると長さを直感的に得られず、その分だけ「脚長効果」が得られます。また、ロングブーツを履いていることを誇示することになるのですから、自然と短めなスカートになります。すなわち腰から下が、スカート領域、素足領域、ブーツ領域の三領域に分断されますので、実際の下半身長さもかなりのものになることでしょう。

コロナウィルスが蔓延してもう1年、コロナウィルス期から脱却したい、という気持ちが、それ以前のファッションである「ラージスタイル(?)」をやめたい、という気持ちにちながっているのかもしれません。

とはいえ、ファッションのプロでも何でもない、ただの私が言っているだけですから、予感の範疇のことです。靴を購入または売却する際は、この話を思い浮かべてみてください。当たった場合は良しとして、外れた場合は「簡単に他人を信用するな。特に自分を信用しろという人間をな。」と、「家なき子」の「黒崎先生(演:京本政樹)」の言葉を胸に生きて(?)くださいね。
Posted at 2021/02/02 22:43:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | ファッション | 日記
2020年07月24日 イイね!

ついに「おしゃれをすると格好悪い」時代が来る!

ついに「おしゃれをすると格好悪い」時代が来る! 2005年の夏頃だったか、私は富士山の五合目までドライブに行きました。これまで行ったことがなかったからです。そして車を駐車場に止め、風景を楽しんでいると周囲の人が私をじろじろとニヤニヤして見ています。どうやら、私の服装(半袖、ハーフパンツ、サンダル)を見て、「バカが平地の服装で登山、死にに来た。新聞に載るから、今のうちによく顔を見ておこう。」と、嘲笑の目だったようです。時に、服装で人の中身まで判断されます。

 今日のインターネットニュースで、「「セシル・マクビー」という若い女性向けファッションブランドが、実店舗だけでなく通販事業からも撤退する」という報道がありました。実は、昨年の同時期に同ブランドの方針転換のニュースが報じられており、時代が急変している様子が感じられます。

このブランドは、いわゆる「'90年代後半以降のギャル」に支えられたブランドだったそうです。早い話が、「アムラー」に代表される、短く細いトップスでへそを出し、ミニスカートやショートパンツにブーツを組み合わせる、などといった着こなしを支えたブランドだったとのことです。

以前、ファッションの傾向が変化していることをブログ化したことがあります。アムラーこそ色々変化し、ファッションの傾向が変わりました。まず、その変遷を負います。

1987年頃 ブレザーにチェックのミニスカートに制服をモデルチェンジする学校が増える。
1990年頃 白いハイソックスをわざわざたるませ、ソックタッチで止めるくしゅソックスという履き方が現れる。「探偵物語(松田優作版)」の再放送の影響で、薄茶色のダウンジャケットが横浜から流行る。
1991年頃 金ボタンのブレザーが流行る。
1993年頃 白いポロシャツとブルーデニムの組み合わせによる、渋カジが流行る。
1995年頃 「TRY ME~私を信じて~」以降、安室奈美恵の曲が流行る。同時に、「この曲を含む安室奈美恵が歌う曲のジャケットに描かれたような、へそ出し、ミニスカートまたはショートパンツにブーツ」のような服が「アムラー」とされる。
1996年頃 MAXの4人のファッションが、OLに導入される。OLと水商売の女性の垣根が低くなる。
1997年頃 Every Little Thingが流行り、ボーカルの持田香織のファッション「細眉、まつげを強調、目元に青いアイシャドー、キャミソールにミニスカート」をはじめとしたファッションが「モチダー」と呼ばれる。
1999年頃 長身の女優が主人公のドラマ(ナースのお仕事、ナオミ、ショムニ、お水の花道など)が増え、目元を強調したファッションが増える。
2000年頃 浜崎あゆみ、モーニング娘。など、金髪、細眉、美白などが流行る。
2003年頃 若槻千夏など、アムラーとギャルを融合させたファッションgみられる。
2006年頃 倖田來未を中心とした「エロかっこいい」ファッションが現れる。アムラーの再来。
2008年頃 「エビちゃん、優ちゃん、もえちゃん」などを中心とした、CANCAN誌のファッションが現れる。「モテ系」と呼ばれる。アムラーのお姉さん版。
2010年頃 水商売をしている人たちのファッションを取り上げた「小悪魔ageha」が人気になり、小学生女の子が将来なりたい職業に「キャバ嬢」と挙げるようになる。
2011年頃 東日本大震災発生。「美咲ナンバーワン」のギャル/ギャル男イメージが、この種の外観の最後。

2011年にギャル/ギャル男が絶滅したのではなく、実質的には2014年頃に絶滅しているようです。

 報道によると、セシル・マクビーの売り上げピークは2007年、昨年度はピークの半分になっていたそうです。すなわち、コロナウィルス関連による業績悪化ではないのです。

プレ・アムラー登場から、少しずつ姿を変えながら来たファッションの流れが、なぜ10年間で急激に縮小されたのでしょうか?私は、「ギャルの行く末」が見えてしまったためではないか、と思っています。

ここ数年、DVや子供の放置死事件が見受けられます。そのDVの被害者や放置死の加害者の多くが、地味な女性ではなく元ギャルやキャバ嬢、あるいはそれらの見た目を有する人たちです。

そういう人たちですと、どうしても「アクセサリーじゃらじゃらクズ男」などに引っかかり、「若くして妊娠・出産、女性が面倒になった男は暴力をふるい、そして男は遊びまわって離婚、自身も遊びたくて子供を放置死」、となっていってしまうのです。

すなわち、ギャル的服装でいると、「あ、あの人はそのうち男に暴力を振るわれたり、子供を放置死させたりして、新聞に載るんだね!今のうちに顔を覚えておこう。」と見られるのです。すなわち、冒頭の「富士山五合目に、半袖ハーフパンツ、サンダルで行った私」を見る周囲の人、と構図が同じなのです。

今、街を行く人を見ても、かつてのギャルのように「頑張っておしゃれをしました!」という人は絶滅しています。コロナウィルス前でもそうでした。おしゃれをしていると、まるでダメ人間であることを触れ回りながら歩いているようなものです。

ギャル的服装は、シャープで意志の強さを感じさせてかっこう良い服装だと思っていましたが、思わぬところで物言いがついてしまったようです。そんな歴史の突然変化に見限られてしまった形の「ギャル服メーカー」ですが、このまま若年者ファッションの火が消えてしまうのでしょうか?なお、昭和40年代半ばにもファッションの火が付き、石油ショックで火が消えました。以後も何らかの流行がありましたが、トータルコーディネート的なファッションは、プレ・アムラー期まで途絶えていました。

まとめ
 どの産業も、世の中の流れに翻弄されます。特にアパレル業者は、流行や経済動向に左右されます。今反映していることは、10年後反映していることの理由になりません。今の10歳代が地味になり、遊び惚けなくなったのは、歓迎しべきことなのでしょうか?それとも、経済活動を縮小させてしまっているのでしょうか?私は、後者のような気がするようになってきました。
Posted at 2020/07/25 22:32:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | ファッション | ビジネス/学習
2019年11月16日 イイね!

沢尻エリカ容疑者6年前の姿に、ファッションの変化を強く感じる

沢尻エリカ容疑者6年前の姿に、ファッションの変化を強く感じる この日突然報道された「沢尻エリカ容疑者、合成麻薬所持」の逮捕報道に対して、色々な局が特別報道をしておりました。TBSは、新情報7daysニュースキャスターにて、2013年の沢尻エリカ容疑者の姿を映していました。

沢尻エリカ容疑者のことはさておき、その姿に2013年が遠くなったことを強く感じました。2013年と言えば6年前ですが、その6年前の2007年や、さらに6年前の2001年と比較しても、2013年から2019年にかけての変化が大きく感じます。多くの場合は、時間の経過を感じさせる連続性を感じるものですが、この6年は断絶ともいうほどの変化を感じています。
その写真をここに掲示します。



1.体形を良く出すタイトな服
 11月の映像ですので、屋外ではコートを羽織っていました。そのコートを脱いだ姿がこちらです。Tシャツ(ただし、起毛でいかにも高価そうな仕立て)で、首の部分はVネック、袖も短く、女性向けTシャツ特有の縫製です。タイトで体のラインを出し、肌の露出も多いなど、女性であることを前面に押し出しています。こういうシャツは、最近見なくなりました。なお、デニムもタイトで、これまた体のラインを良く出しています。

2.存在をはっきり訴えるベルト
 バックルこそ目立ちませんが、していることをはっきり訴えているベルトです。ベルトが目立つと体を上下に分断するので、足の短さが目立たなくなります。また、デニムも引き締まって見えます。

3.タイトなデニムと乗馬スタイル
 この頃もデニムはタイトでスキニーであり、股上も浅かったものです。裾をブーツに入れることで脚を分断、脚を長く見せる効果を得ています。まあ、ブーツが起毛で高額そうであることが、実際に街を歩いていた人と異なるのですが、効果はほぼ同じです。

4.全体
 この6年前は倖田來未の「エロかわいい、エロかっこいい」の時代でした。若槻千夏を中心とした「ギャル」文化が成熟していた時期で、今回の沢尻エリカの服装もその延長線上にありました。

またその6年前は、サーフファッションが流行っていました。PICOというブランドのTシャツが流行っていました。サイズが小さいそのシャツに、デニムは股上が浅く、ブーツカットでした。

さらに6年前は「アムラー」登場の年で、デニムはそれほど流行ってはいませんでしたが、Tシャツは今回の写真のように、著しく小型のものを着る風潮が始まっていました。

すなわち、今回の沢尻エリカ容疑者の服装は、18年前からの連続性を想起させるものでした。

5.今年は?
 もうデニムが衰退して、3年がたつでしょうか?デニムではない綿などのズボンは、「真面目君スタイル」とでも言いましょうか、長く忌み嫌われていました。それが、2016年頃からはっきりとデニムに不利になっていったようです。

これまでも、プレバブルの1988年頃からバブル終わりの1994年の間は、デニム受難の年でした。1977年頃から1984年頃も、決して主流の服ではなかったようです。

去年から今年の女性の服というと、スカートスタイルが完全に復帰し、去年はからし色、今年の夏は赤紫色の、ロングで比較的幅広なものが流行っていました。上もスカートのエレガントさに合わせて、デザインされたボタンのシャツが主流だったようです。もう、倖田來未も安室奈美恵も、まったくその姿を残していません。

2013年から2019年前での間に起ったのは大きな災害です。2011年に発生した東日本大震災をきっかけとした各種の天災が、少しずつ多くの人に影響を及ぼしていったのでしょうね。ただ、私は現在の女性の服装よりも、これまでの方がより活発で健康そうな感じがして、好みです。
Posted at 2019/11/17 21:59:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | ファッション | 暮らし/家族
2019年08月17日 イイね!

女性のファッション50年史をまとめる



 車も街も、年々少しずつ変化していきます。1年ごとの変化はわずかでも、数年経過すると大きな変化となります。化粧品会社では5年ごとの変化を示す動画を公開していますが、私としては「異なる年の内容が混ぜられている」ように思ったのでした。
 今回、1969年放送の「五番目の刑事」のDVDが手に入り、1969年の女性のカラー映像を入手、ここ50年の女性の変化を追うことにしました。

 なお、男性ファッションで普段着が確立されたのは1996年以降、年ごとの変化よりも個人の違いの方が大きく、観察していて面白くありません。異論はあるかもしれませんが、「現代人の変化」として女性髪型・メイクの変化を追いました。

1969年
いわゆる「イエイエ」革命の年でした。レナウンが発表したニット素材の服「イエイエ」シリーズと、そのCMのことです。その2の女性は秘書役ですが、休日の様子だそうです。こちらの人がが着ている服は、そのシリーズの雰囲気をよく表しています。
左の人は、北川景子さんではありません。ホステス役の女性です。黒い服に色鮮やかなスカーフを組み合わせ、センスが良いです。こちらの方は髪をカラーリングしており、あでやかな感じを出しています。
左の人は、眉を細くしていますが、右の方は自然のままのようです。次の時代への変化が始まった年なのでしょうね。

1970年
お金がなく街をぶらぶらしている人、親は資産家の役です。
髪は完全にカラーリングされ、下の方はウエーブがかかっています。眉も十分補足されています。ほとんど1999年頃の雰囲気です。'70年代前半らしいけだるさと女性っぽさを前面に出す傾向が良いバランスになっています。

1972年
1971年の人の風景は、手に入りませんでした。
この人は、ろくに仕事もなく街をぶらついている「ごろつき」です。テンガロンハットといい、ピンク色の毛がもこもこした上着、ブルーデニムは、まさに1999年の姿そのものです。ブルーデニムが手に入りやすくなったことを示しています。眉はきわめて細く、1997年的です。

その2の人は、職業不明です。監禁シーンであるために髪は乱れ、汗ばんでいます。瞼に青いアイシャドーを施しており、こちらも1997年の雰囲気そのものです。

1973年
警察署庶務係員役です。黒地に赤い水玉模様と、サイケデリックが極まっています。一方の髪形は、ストレート基調で先端のみウェーブさせています。カラーリングの度合いも控えめです。毛量が多く感じられます。眉は前年同様細いままです。

1974年
左の女性は、初めて現れた「サーファーヘア」です。この年に採用するとは、相当早いです。
一方、右の女性は、この調べでは'70年代前半調の最後を飾る方です。横顔が見えないような髪型にするところが、'70年代前半に見えるポイントです。寒い日なのに深いVネックでアクセサリーを生かし、寒さはスカーフで防ぐなど、おしゃれ度が高いです。おしゃれは「我慢」から生まれるようです。

1975年
上流家庭の令嬢役です。前年とは、明らかに傾向が変わりました。毛量が少なくなり、すっきりした印象になっています。これまでの傾向と比較し、「上品」「優等生風」「ゴージャス」がキーワードであったように思います。ただし、眉は細いままです。

1976年
美容師役です。毛量はさらに抑えられています。耳を見せ、アクセサリーを生かしています。この種のコーディネートは、’90年代後半や現代でも、秘書などの方に受け継がれています。
その2の方は、1974年その2の方と同一の方が演じています。こちらはファッションモデル役です。見事に'70年代後半の雰囲気を出しています。耳や横顔を見せると、'70年代後半の雰囲気になるように思います。

1977年
OL役です。演じている女優固有の雰囲気もありますが、上品で知的な雰囲気を出そうとしているといえます。実際の毛量はあると思うのですが、毛量を抑えるように縮毛矯正をしているように思います。

1978年
OL役です。前年との違いはほとんどありません。こういうワンピース服は当時固有のもので、現代では見かけなくなってしまいましたね。

1979年
現代で言うフリーター役です。Tシャツにジーンズの組み合わせが、この時期突然復活したような印象があります。モスクワオリンピック前年効果か、スポーツウェアがタウンウェアとして初めて導入された時期です。ただし、Tシャツは’60年代後半からありました。
毛量が突然増え、額をもほとんど隠しています。松田聖子氏デビュー前ですが、いわゆる「アイドル調」髪型がこのころからあったことを示しています。

1980年
児童養護施設職員役です。毛量は多いのですが、サーファーカット化し、耳と額を出しています。
その2の方の赤い上着の方は、当時よく見られた雰囲気です。額にかかった髪、先端がちょっと上を向くカット、Vネックサマーセーター(?)です。アイドルや女子プロレスラー、竹の子族などがこんな雰囲気でした。一方、紫色の服の方の方は、現代でもいそうな感じです。コンベンショナルとはすっきりしていることでもあると思います。

1981年
毛量はさらに増えています。眉の太さは不明です。サーファーカットを組み合わせた、いわゆる「聖子ちゃんカット」髪型です。

1982年
警察の庶務職員です。1981年の方よりもさっぱりしていますが、大筋では「聖子ちゃんカット」の領域にあると思います。

1983年
OL役です。風が強いこと、「自殺をしようとする役」であることから、髪が乱れ、表情に覇気がありません。身近にこんな方がいたら、気を付けてあげてください。
聖子ちゃんカットを踏襲しつつも、シャープな印象を出そうとしていることがわかります。
その2の方のように、ショートヘアにして「脱聖子ちゃんカット」を目指す人もいました。頭の上に毛が集中し、重心が高そうに見えてしまうことからか、この年のみの傾向に終わったように思います。

1984年
都内喫茶店従業員役です。聖子ちゃんカットの範疇ながら、眉や化粧、アクセサリーに、甘さを排除してシャープに見せようとする傾向が見えます。

1985年
ワーキングシングルマザー役です。眉を太く強く見せようとしていることがうかがえます。つくった前髪から、「脱聖子ちゃんカット」の傾向が見えます。肌が黒いのは、当時「夏に肌が黒いのは健康的な証拠」とされたため、ということもあります。

1986年
就職活動中の4年制大学生役です。現代の就活ルックと異なり、ライトグレーに飾りブラウスでした。耳と額を出し、「脱子供っぽさ」をねらっているように思います。非対称に分けた髪は、窓のひさしのようになっています。

1987年
女性大学生役です。髪の非対称分けが進み、一方は髪が薄く見えるほどです。太くされた眉毛は、相対的に空いた額の広さを緩和する効果があったのでしょうか。
余談ですが、この役者さんはこの頃の刑事ものによく出演されていた方です。完璧かつ一般人離れして整った顔立ちです。
それにしても、後ろのネットにあるマーク、どこかで見たような気がします。

1988年
建築デザイナー役です。髪にウエーブがかけられていますが、これが「ソバージュ」です。広く空いた額を、作り前髪で緩和しようとしている様子がうかがえます。

その2の人こそ、いわゆる「バブル期」スタイルです。作り前髪がないために、髪が薄く見えてしまいます。非対称に分けた髪をかき上げるしぐさをよくしていたものです。
1989年
前年とほとんど同じ傾向です。正面から見て三角形になるようにデザインするようにしていますね。

1990年
基本的に前年と同じ傾向です。こちらは、ストレートヘアをした場合の様子です。作り前髪が顕著になっており、これをさらに上げると「トサカ」となるのです。喫煙する女性が大人の女性という見方だったので、隔世の感があります。

1991年
前年と同じ傾向が続いています。こちらは比較的品を感じさせるようなチューニングにしています。右の方のようなソバージュも継続していましたし、左の方のようにひさし状前髪と非対称分けを採用する人もいました。

1992年
前年と同じ傾向が続いていますが、セット度が低下し、自然体になっています。

1993年
ライダースジャケットととの組み合わせが斬新でした。この方は長身であり、この服やアメリカンカレッジロゴ入りTシャツとデニムとの組み合わせで、「アメリカの男の子っぽい服」で出ていました。前年までの傾向が断絶し、後年の「ストリートカジュアル」に続く傾向が始まったといえます。髪は当時の美少女ブームなりの「ロングストレートヘア」です。

1994年
街ゆく人です。すでに安室奈美恵氏はデビューしていましたが、そのファッションをまねるごく初期の人です。髪色は不明ですが。こげ茶程度でしょう。毛量は多く、移行期間であることがわかります。

1995年
「渋谷を闊歩する元気な女子高校生(≒ポスト団塊ジュニア世代)の象徴は、この人であったはずです。ゆるくふわっとしたミデアムロングヘアで、やや茶色です。眉はまだ太いです。

その後、なぜか「その2」の方が、「渋谷を闊歩する女性」だったことにされてしまいました。この人は服までそれらしかったからでしょうか。この方は、当初から眉を整えた程度で、決して細眉ではありませんでした。

1996年
看護師役です。自然体ながら作った前髪が特徴的です。劇中でも「茶髪」であることが指摘されており、茶髪化が進んだ時期がこの年であることがわかります。
その2の人が、細眉のオリジナルだと思います。当時ファッションリーダーであるとされましたが、いつの間にかなかったことになっています。なお、化粧が1969-70年の人そのものであることがわかります。

1997年
眉を細くすると、まぶた上縁と眉毛下端の間が広くなり、まぶたが腫れぼったく見えてしまいます。これを補うために、青いアイシャドーを広く塗布しています。これがそのまま後年の「ヤマンバ」メイクに発展していったと推察されます。また、もう量を抑えた上で縮毛矯正を強めにした髪も、後年に受け継がれていきます。

1998年
「紀香ヘア」が登場しました。基本スタイルから短くしてよし長くしてよしと、散髪直後から次回散髪直前まで、変化を含めて色々アレンジできる髪型です。以後、10年近く続いた上方です。肩が露出した服は、1996年右の方が1997年に始めた傾向の服です。

1999年
ロングストレートヘアを極めてまっすぐにした「スーパーストレートヘア」が始まりました。松本零士の世界の女性が、そのまま現実になったようです。また、眉が若干太くなっています。

2000年
縮毛矯正が極端で、針のように刺さってしまいそうです。茶髪化がさらに進み、金髪の方が増えたのもこのころの傾向です。

2001年
「紀香ヘア」の最も短いチューニングバージョンです。毛量も抑えられ、すっきり感が進んでいます。

2002年
スーパーストレートヘアも、紀香ヘアとともに継続しています。毛量は抑えていないようです。「お姉系」という言葉が現れ、「アムラー≒ストリートファッション」との二極分化が起こっていた時期です。

2003年
脱アムラー、脱紀香ヘアへの挑戦が始まりました。セミロングの非対称分けです。
この方は黒(ただしサテン素材)のジャケットを着用しています。大人感や「仕事ができる女性」の雰囲気を出すためだそうです。'90年代末の男性ボーカルユニットで黒ジャケットを着用する風景が散見されましたが、男性から女性へ流行が遷移した珍しい例です。就職活動用の服が、「灰色や紺色は高校生の制服のようで子供っぽく見えるから、黒にしましょう」とされたのもこの時期です。

2004年
この方オリジナルの髪形というよりは、紀香ヘアの最も伸びた髪の状態ともいえます。
なおこの映像では、肩が出た服にライトブルーのタイトなデニムをロールアップしてはいています。この頃は外国人の「スーパーモデル」がもてはやされ、その傾向を導入したスタイルでした。

2005年
この方が出始めの頃です。この写真を見ると、紀香ヘアの伸びた状態であることがわかります。カラー化が前年より進んでいます。

2006年
出版社で働く女性です。この頃でもなお「紀香ヘア」健在です。カラー化がさらに進んでいます。黒タイトパンツルックは、後年「レギンス」に発展します。

その2は、メガネの人もその右の人にも注目です。前年までの人も肌が露出した服を着用していますが、さらに進んでいます。右の人は、このころから出てきた「黒髪」の人です。毛量を抑えない髪と組み合わせています。

2007年
前年に「ギャルサー」というドラマが放送され、渋谷を闊歩する女性が再び注目されました。茶髪化が進みます。左右の女性はともにふっくらした髪型にされております。

2008年
ふっくらしていた髪は、縮毛矯正とゆるく巻いたカールに変化しています。「巻き髪」「モテ系」などという言葉が出ていた頃でしょうか。リーマンショック直前で景気が良く、学生は売り手市場となり、CANCAN、viviなどのファッション誌がもてはやされていた時期です。

2009年
リーマンショックとは無関係に、前年と傾向はあまり変わりませんでした。私の記憶では、、「LOHAS(ロハス)」などの自然との調和を望む人が増えていたようなのですが、現実の世の中はそうでもなかったのですね、

2010年
「盛りヘア」という髪型です。キャバレーなどの仕事をしている女性のファッションが、街に出てきたスタイルです。ゆるくふわっとした印象です。

2011年
左の方は、まさに盛りヘアです。左の方のように、'70年代風と茶髪を組み合わせる傾向が見られました。この頃はK'POPも流行っていた時期で、派手化、セクシー化が進んでいた時期です。

2012年
東日本大震災をきっかけに、おとなしい傾向が望まれるようになりました。左右の方がおとなしいかどうかは別ですが、盛りヘアは急速に衰えていきました。この方型はのちに前髪が売りになりますが。この頃はまだ自然な前髪だったのですね。

2013年
現実の世の中では2014年のような雰囲気が出ており、この方々の雰囲気は「時代錯誤」とされていました。それにしても。カラーリングとウェーブは全時期でごく限られた人です。髪を二重に加工することは、費用の点でも髪への影響の点でも、あまり普及しないことなのでしょうかね。

2014年
東日本大震災後、派手にすることはためらわれました。髪の黒色化と地味化が進みました。マイルドヤンキーとまじめ層との二極分化が進んできた時期といえます。

2015年
ソフトな感じでもてはやされた方です。髪は前年の方と比較すると茶色化が進んだように思いますが、これでも「黒髪」というようになりました。長い時代で「黒」の定義が変わったのでしょうか。

2016年
これも黒髪扱いです。下端部がゆるくウエーブとなり、ソフトな感じが出ています。つくり前髪は、この時期はまだ一般の人に及んでいなかった、ということでしょうか。

2017年
作り前髪とロングで下端がゆるくウエーブした髪型の組み合わせです。髪の色が茶色くなっています。新たに働く女性スタイルが確立された時期で、黒ジャケットスーツスタイルが普段の服からは後退しつつ「正装」となっていった時期です。

2018年
「metoo」「kutoo」など、これまで長い歴史れ作られた「女性らしさ」が否定された年です。自然体で、加工度合いが低下しています。白いシャツにからし色のロングスカートと組み合わせそうな印象です。

2019年は?
2018年の継続と思いきや、少しずつ回帰する傾向が見られます。毎年春は進学、就職の時期で、これをきっかけにカラー化やパーマを進める美容室が多いものです。ここ数年は春こそそのような髪になる人が多いものの、夏にはほとんど元に戻ってしまうものでした。しかし今年は、カラーリングやパーマを継続する人が多いように感じます。化粧も、韓国風の人もいるものの、人工感が戻ってきています。作り前髪もほとんどなく、2013年右側の人に近い雰囲気の人もいます。

まとめ
1980年代だけがほかの時代と違いますね。1980年代調はリバイバルしていませんが、1970年代(前半)調は何度もリバイバルしています。
また、眉毛は細く整える時期の方が長いです。細いか太いかよりも、眉毛と眉毛でないところの境目をグラデーション化するかしないか、の違いのようにも感じます。
なお、ここに示していない傾向として、2004年ごろの「スーパーモデル」、1997年頃から2007年頃までの「(体格が良い)キャンギャル」があります。

結果として、眉を調整しない化粧はないこと、髪はほとんどの時期でカラーリングされていることがうかがえます。ここから離れたデザインは出てきますが、長続きしないことがわかりました。
Posted at 2019/08/17 23:46:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | ファッション | 暮らし/家族

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「8月末まで活動を休止しています。」
何シテル?   08/18 06:57
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