2004年04月10日
このブログを読む方は、日付にお気を付けください。このブログは、2004年4月10日に参加した鉄道旅行について、2011年12月に思い出しながら書いているものです。
この時期は、父の1周忌でした。今振り返っても、父が病気になった2001年からしばらくの間、記憶がありません。もちろんいくつかはあるからこそ、このように過去ブログを書いているのですが、明らかに父が亡くなってから物忘れをするようになってしまいました。お年寄りがものを忘れるというのは、頭の機能が低下しているのもさながら、祖父、両親、親戚など、どんどん身近な人が亡くなり、悲しいことを忘れて生きるための、自己防衛なのかもしれませんね。
さて、1周忌ということもあり、そろそろ遊びを復活させても良いのではないか、と思うようになってきました。そんな折、インターネットのサイトで、吊り掛け駆動の「東武5070系を貸し切っての旅行」があることを知りました。第一回は2003年3月9日あたりにあったようですが、父の具合が悪い時期だったので、そんなときに参加はできませんでした。
結構高額な旅行ですが、すでに東武野田線専用となっていた5070系が、伊勢崎線、日光線を走ることはもうないかもしれないため、参加を決意したのでした。
集合は、確か8時30分に東武野田線清水公園駅でした。この日は穏やかに晴れた暖かい春の日でした。まさに旅行日和でしたね。清水公園につくと、むむむーーー、良く見なれた「鉄っちゃん」の風貌の方々が多数いらっしゃいました。そうそう、当時の清水公園駅の便所は、「ブラックホール」が開いていました。21世紀になっても「吊り掛け駆動」と「ブラックホール便所」を見せてくれる東武鉄道、なかなかやります!!
電車は、七光台車庫から来ました。当然「モハ5270」に乗ります。コンプレッサーがないので、快適な吊り掛け音を楽しめるからです。
そして出発、うーん、良い音です。発車のたびに聞き入ってしまいます。電車は春日部で側線に入り、定期列車の合い間を待って伊勢崎線に入ります。東武動物公園駅から日光線に入り、空いている日光線を飛ばします。ほぼ快速電車の運行スタイルなので、100km程度で運転していたように思います。
途中、新大平下駅でトイレ休憩です。これは、団体列車に良くあった運用ですね。そして、栃木、新栃木、新鹿沼と単なる停車をし、東武日光駅に到着です。
東武日光駅では、いろいろな方向幕を出したり、ヘッドマークを出したりしましたが、私はこの白地に青線の時期にないヘッドマークや行先を見ても、それは単なる架空のもの、と思ってしまうため、横で眺めていました。
東武日光駅では昼食休憩となりました。ここから撮り鉄の方々向けのバスが運行され、乗り鉄の方々は新鹿沼往復運行に乗ります。私は後者派ですね。ところが、車中が暖かかったのと、リーフスプリングの硬くゆすられる乗り心地に気持ちが良くなり、すっかり寝てしまいました。これでは、何のための旅行かわかりません。鹿沼からの復路は、しっかり吊り掛け音を楽しみましたよ。
再び東武日光に付き、少し休んでから帰りとなります。帰りもモハに乗りました。上り線は降坂路なので、吊り掛け音はほとんど聞こえません。この頃になると皆さん疲れたようで、眠っている方も多数いました。この時期って、明らかに日の入りが遅くなるのを実感する時期ですよね。午後6時位でも明るくなるころではなかったかな???
帰りは、春日部駅で再び側線に入った後、折り返して館林駅へ向かいます。なんでも、清水公園駅で解散した前回は、「始発電車」を勘違いして乗ってきた一般客がいたのだとか???
館林へ着くと、さすがに夜だったような気がします。ここで解散となり、一般の電車(確か10030系)に乗って帰途につきます。さすがに10030系は現代の電車、やわらかい乗り心地で、全く疲れません。ですが、何か物足りない。。。
そんなこんなで大満足だった5070系の旅、7年以上たった今でも、こんなに克明に覚えています。旅行はあまり好きでないのですが、こういう日帰り旅行は楽しいなあ!!!
Posted at 2011/12/23 00:54:09 | |
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