
TBS系列で金曜日午後10時から放送されているテレビドラマ「不適切にもほどがある」は、1986年当時50歳の教員(演:阿部サダヲ)が、2024年との間をタイムスリップする物語です。当然彼は1986年の中年男性の感覚で行動するのですから、様々なところでトラブルを発生、一方で彼の行動から現代の「過剰コンプライアンス」にも警鐘を鳴らす物語になっています。
そして近代史好きの私には、当然1986年を調べる必要性が生まれました。さっそく、当時の世相を振り返ってみましょう。
政治、経済
・前年に開催された「プラザ合意」により、急速に円高が進行
1960年代半ばから日本は「原材料を輸入して製品に加工、輸出して利益を得ている加工貿易国」とされ、特に1975年からの10年間はアメリカに自動車や家電を「集中豪雨的に輸出」していました。その結果貿易摩擦が起こっていたのです。円高のために輸出産業府が大きな打撃を受け、「日本の栄華もこれまでか」と感じさせるほどでした。これを解消させるために、これまでの「日本人は休まず働いて利益を得るのにお金を使わない」ことをやめ、休日を増やしたりレジャーをしたり物を買ったりすることが単に推奨されるだけでなく、日本を維持することだとされるようになっていきます。
・都市部地価上昇
上記に伴う金融緩和もあったのですが、都市再開発が叫ばれていました。太平洋戦争直後に都市部に建てられた個人住宅が40年を経過、1964年の東京オリンピック前後に建てられた駅やビルなどのインフラが20年を経過と、双方が同時に寿命を迎えていました。いずれも、単に建て替えるのではなく、高層化や重層化などをしないと都市機能を維持できないとされたのです。そのため、都市部ではまとまった再開発が計画され、個人の木造住宅などは暴力団などを使って追い出しては転売する、「地上げ行為」が行われました。
・男女雇用機会均等法施行
2年前に可決されていた男女雇用機会均等法が施行されました。この法令に基づき、それまでの男性と同等の業務を行う女性を「総合職」と命名、私服で業務で就かせるようになりました。従来の補助業務の女性は「一般職」と区別され、制服を着用して業務をします。しかし職場では、
「女性を営業に向かわせたら、「男をよこせ」と客先からクレームが発生した」
「女性は無責任だからやらせる仕事などない」
などと邪魔にされ、
一般職女性からは、
「お茶くみ、コピー取り、お使いをしないとは言わせないよ」
「四年制大学を出てきたからといって、偉そうにしないで」
と、大変な目にあったそうです。その結果、もとより女性が多かった雑誌社や広告関係に女性が流れる傾向にあった一方、コンピュータソフトやリース、外食産業などの、比較的新しい産業は受け入れていたようです。
一方、社会党では土井たか子氏が委員長に就任し、女性活躍熱は少しずつ高まっていきます。
・マル優廃止と株式投資
非課税貯蓄枠制度(?)のマル優が廃止されることが決定されました。預貯金から金融市場への個人資産の移行が始まりました。おりしも前年に民営化していたNTT(旧電電公社)が株式を公開、その高値と値上がりぶりに多くの人が驚嘆し、株式投資熱が高まります。各種の金融商品へ投資を行うことを「財テク(財務テクノロジーの略)」と呼ばれ、銀行や証券会社は「奥様向け財テク教室」などを開催、さらに投資熱をあおりました。
・労働者派遣法施行
それまで、会社などの団体で職務を行う場合、業務として他社に委託する場合を除いて直接雇用が基本でした。それが、「採用と職務場所は別」となる労働者派遣事業が許可されたのです。この時期では高度で専門性が高い13職務に限定され、現在の「派遣労働者」というよりも、それこそ料理人の「包丁一本さらしに巻いて」の高度なプロフェッショナル色が強いものだったのです。しかし、職務のプロ色は強いものの、まだまだ「重要な業務に社外の者を就かせるわけにはいかない」という会社がほとんどで、派遣労働者になると出世は出来ない傾向はありました。
いかがでしょうか?これまでの昭和50年代(1975-1985年)が、1973年と1979年に発生したオイルショックで比較的停滞した低成長時代だったのに対して、「時代が動き始めた」と感じられたのではないでしょうか。
少々長くなりましたので、他の分野は次回に続きます。
Posted at 2024/02/23 15:13:58 | |
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