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2016年03月06日 イイね!

「気まぐれコンセプト完全版35年分」で、近代史研究

「気まぐれコンセプト完全版35年分」で、近代史研究 この本は、週刊ビックコミックスピリッツに連載中の漫画、「気まぐれコンセプト」の総集編です。総集編とは言っても、連載が終わるわけではありません。連載は昭和56年より始まり、絵柄は変わったものの今も続いています。

漫画は、広告代理店に勤務する主人公とその周辺事情を描いたもので、広告やテレビ、人々の暮らしが中心となっています。「軽チャー」とでも言える分野で、嫌いな人も結構いる分野です。

 とはいえ、政治経済史や事件記録とはことなり、その時々の事情を生き生きと映し出していますので、時代感覚を学ぶ教材としても面白いと思い、購入しました。

ようやく2000年編まで読み終えたところです。携帯電話の普及が一段落、通話やメールは概ね普及し、街にはガングロコギャルが溢れていた時期です。

それにしても、2000年頃と現在を比較すると、インターネットによる情報伝達や購入行動がかなり進んでいることがわかります。郊外にもいろいろなお店ができ、流行の大都市集中傾向も軽減されているように感じます。

学生もより流行にとらわれなくなり、真面目傾向が進んだと思いますが、ただ「自分中心傾向」が進んでいるだけかもしれません。雑誌に出ていたお店に行ったり、冬はスキーに夏は海、秋はテニスと皆が同じことをしていた「流行」のピークは、1990年頃かな、と感じました。

 時代はどんどん進みますが、今や企業の代表を勤める人は昭和55年以降に就職した人がほとんどです。以前にも「20年経つと企業は出来事を忘れる」と書きました。勤務期間は40年、新人の頃に起こることは、上司からただ命令されてすることですので学習されません。40歳代が問題解決の中心となりますが、20年経つと退職してしまいます。

となると、もはや第二次オイルショックのことすら、企業の記憶からなくなってしまっているといえます。高度成長期や第一次オイルショックなど、企業経営を揺るがした出来事は、すでに忘れ去られていることになってしまいます。

企業の歴史は記録し、よかった出来事も悪かった出来事もつぶさにまとめることで、次世代へ活かせるのだなあ、とあらためて感じました。
Posted at 2016/03/06 23:23:07 | コメント(1) | トラックバック(0) | 歴史 | ビジネス/学習
2015年12月13日 イイね!

時代が変われば産業も変わる

時代が変われば産業も変わる この更地にされようとしている場所は、かつて「中古ゲーム、CD、DVD販売店」があった場所です。確か1990年代の末期に出来、同種の産業としては後発の方でした。まだブックオフが出来る前の話です。

ゲームの中古販売は1980年代末期に、CD,DVD販売は、1990年代初めに登場しました。中でもCDは、「レンタル上がり」というものもあり、私はよくお世話になりました。

ゲームの中古販売は、ファミリーコンピューターの時期から現れ始めました。プレイステーションの時期に繁盛していたようですね。いつの間にか新品も販売するようになり、街の子供のオアシスにようになっていました。

 中古品は生産できません。全て顧客からの買取によって成立しています。中古品の価格はあってないようなものですので、売る方は理由があって売るのですから買い叩き、結構良い値段で販売する、というビジネススタイルでした。

その中古ソフトが販売されると新品ソフトウェアの流通が悪化するために、プレイステーションでは発売開始からある程度経過したソフトウェアを「名作シリーズ」として低廉な価格で販売、中古ソフト撲滅の圧力をかけました。

 時代は流れ、2010年代になると、CDは不況、DVDも愛蔵版以外は売れなくなり、VHSはそもそも再生機すら危ない状態、ゲームはプレイヤー人口減少となりました。ゲームや音楽も、データ配信へと移行しています。即ち、ソフトウェアは何らかの媒体に入れて販売するのではなく、権利を購入するものへと変わってきました。

併せて、中古品販売店もブックオフへと集中し、その辺の業者が参入して効率よく営業できる時代ではなくなってきたのかもしれません。

 1990年代半ばに勢いが良かった産業というと、この種の中古ソフトウェア販売の他に、以下のようなものがあります。

・ジーンズメイト等、ジーンズカジュアル服販売業
・宅配ピザ店
・アダルトビデオを中心としたビデオカセット販売店
・酒の安売り店
・ダイクマ等のディスカウントストア
・大手レンタルビデオ店(アコム、TSUTAYA等

今では規模を縮小したり、業態を変えつつある産業が多いです。20年も経過すると、意外に世の中の情勢が変わっていることが多いことに気づきます。

学生に人気がある職種も、20年も経過すると衰退産業になっていることが多いです。音楽制作会社やゲームソフト会社、マンガ出版社など、当時は製品を作ることはお札を刷るようなもの、とすら言われていました。

あなたが勤務している会社は、情勢の変化に対応できるような柔軟な体制になっていますか?
Posted at 2015/12/23 23:23:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | ビジネス/学習
2015年06月02日 イイね!

NHKスペシャル「 戦後70年ニッポンの肖像」 視聴のおすすめ

 私は戦後史が大好きで、これまでも「車好き」の歴史や、新社会人についていろいろ書いてきましたし、テレビでも平成20年期が何度か放送されました。

そして今度は、NHKによる戦後70年期です。戦後から高度経済成長期の終わりまでと、低成長時代からバブル景気、失われた20年までの二回に分けて放送されていました。







既に本放送は放送済みで、今夜と木曜日の夜に再放送されます。本放送は都合により後編しか見られなかったのですが、非常に充実した内容でした。

大まかに書きますと、次のような内容です。

プラザ合意によって急速に円高が進行します。それまで、原材料を海外から輸入して国内で製品に加工、輸出をして外貨を得ていた日本は、輸出の競争力が失われます。日銀は公定歩合を下げて、市中に資金を供給します。これにより、「金が金を生む」マネーゲームが進行します。国内は未曾有の好景気に湧きますが、土地・住宅難が起こります。

市民から、「このままでは家を買えない」との意見が続出しました。なお、この時に家を買うのを諦めたような人が、こぞって高級車を買ったのでした。思えばこの状況の方がおかしく、それまでは皆小型車に乗っており、それこそコロナやブルーバードを買える人は、割と裕福な方の家だと言えました。

ようやく日銀は公定歩合を引き上げました。番組中では語られませんでしたが、土地総量規制政策なるものも打ち出され、土地の流通にも制限がかけられました。この結果、「土地転がし」は出来なくなりました。

1989年の年末に株価が最高額を迎えましたが、年明けから急速に株価が下落しました。これによりマネーゲームは終焉、バブル景気は急速に終わりました。

その後、経団連などを中心にバブル以後が模索されました。労働者派遣法などが緩和されたのもこの頃です。それまで高性能を誇った日本の家電製品は、コスト削減と同業他社との争いに視点を変えるのですが、いわゆる「ガラパゴス化」が進行、海外の家電メーカーの敵ではなくなるのでした。

 高度経済成長編はわかりませんが、ぜひ学生からサラリーマン、企業経営者の方の方にぜひ見ていただきたい番組です。中でも後編では、サンヨーの元社長が登場し、当時のことを語ります。中国の巨大家電メーカーの「ハイアール」を、当時目もくれなかったのは痛恨の思い出ある、という内容のことを語っています。

また、「日本は加工貿易国。日本のうるさいお客さんの意見を聞いた結果、大雑把なアメリカ人が設計した製品よりも気配りが行き届いた、優秀な製品を作れるようになった。」という、地理や社会科の教科書が書いていた事柄が、実は日本のメーカーをガラパゴス化へと追い込む要因になったことがよくわかります。

高度成長期終わりまでの部分の再放送は、本日深夜(3日)午前0時10分~1時、低成長時代から失われた20年までは、4日深夜(5日)午前1時30分~2時55分に、NHK総合にて放送されます。
Posted at 2015/06/03 00:01:11 | コメント(2) | トラックバック(0) | 歴史 | ビジネス/学習
2014年03月21日 イイね!

「フジテレビ開局55周年企画 報道スクープSP激動!世紀の大事件~目撃者が明かす10の新証言~」で歴史を振り返る

「フジテレビ開局55周年企画 報道スクープSP激動!世紀の大事件~目撃者が明かす10の新証言~」で歴史を振り返る 開局55周年とのことですが、5年おき位で放送される、戦後昭和史物の番組です。前回この種の番組が放送されたのは、平成20年か平成12年頃でしたかね?

 もっと昔からこの種の番組はありましたが、特に今回は昭和47年のあさま山荘事件以降の事件、事故が中心となっていました。もちろん、だっこちゃんの流行や大阪万博のことは軽く触れられており、昭和戦後史の体裁は整っております。でも、その前にも色々事件はあったのですよ。「オーミステーク事件」、「山崎判事餓死事件」、「義展ちゃん誘拐殺人事件」、「下山事件」、「三鷹事件」、「帝銀事件」に、「桜木町事故」、「飛騨バス転落事故」などなど。しかし、そんなにたくさん扱っていたら、とても3時間では放送しきれません。妥協したのでしょうね。

 さて、今回の放送で思い出した事件、事故がいくつかありました。「静岡ガス爆発事故」と「豊川信金取り付け騒ぎ事件」です。特に後者の方は、インターネットがない時代に「炎上騒ぎ」が起こった件として、とても新鮮な思いで見ました。飯田線の車内で女子高校生が話した「就職内定」に関するおしゃべりが飛び火し、やがて取り付け騒ぎになったというものです。

 今回触れられた事件、事故以外にも、もっと報道して欲しい事件、事故はあります。例えば、「新宿西口バス放火」、「川俣軍司事件」、「日本坂トンネル事故」、「三菱銀行立てこもり事件」などなどです。

この種の事件、事故は、関係者が亡くなってしまうと、永遠に真実がわからなくなってしまいます。また、「古いから」という理由で放送されないと、どんどん事件、事故が風化してしまいます。

私自身や世の中の戒め、という点からも、どうぞ今度は「戦後事件、事故史」として、ダイジェスト映像の羅列でも良いので、放送してください。
Posted at 2014/03/22 23:59:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 音楽/映画/テレビ
2013年08月27日 イイね!

戦後自動車業界史

 新型車を知ったり、市場動向を占ったりするためには、人と歴史を知る、私の持論です。ちょっとまとめてみましたので、ぜひご一読ください。意見なども伺えると嬉しいです。

昭和20年~昭和38年 太平洋戦争敗戦と経済成長

 日本は敗戦後、朝鮮戦争による復興、神武景気、岩戸景気をといった長期の好景気を迎え、さらに東京オリンピック開催を経験しました。この間、三種の神器として「電気洗濯機、電気冷蔵庫、電気掃除機」が普及、昭和30年代後半には大規模集合住宅などもでき始めました。

しかし、マイカーを持てるのはごく一部の層で、人々の移動手段はまだまだ鉄道やバスが主体でした。日本は原材料を輸入して工業製品に加工して輸出する「加工貿易国」として世界の中に存在していましたが、国内の産業構造は、農業・漁業から鉱工業、サービス業への転換がようやく始まりまった時期でした。

好景気の中で「所得倍増計画」などが画策されて、物価も上がりましたが給与水準も上がりました。そのような中で、「頑張ればマイカーが持てるかもしれない」と希望を持ち始めていました。

昭和38年~昭和48年 高度経済成長とマイカー時代の到来
 
 昭和30年の通産省主導の「国民車構想」、軽自動車制度の制定を経て、トヨタはコロナを昭和30年に、ブルーバードは前身のダットサン210の後継として昭和32年に登場しました。昭和38年には、ブルーバードが二代目の410に、コロナが翌年に「アローライン」を特徴とする三代目にフルモデルチェンジを受けました。そしてこの年、名神高速道路が開通し、富士スピードウエイでは第一回日本グランプリが開催されました。自動車は、いつでも自由に高速で移動できる乗り物として、人々が魅力を感じるようになってきました。パワーアップ競争の幕開けです。この二車では、コロナが昭和40年にツインキャブエンジンの1600Sを、ブルーバードが1200SSを登場させました。

この時期のコロナとブルーバードは、性能競争を繰り広げることになります。コロナは、国産初の「2ドアハードトップボデー」モデルや、DOHCツインキャブエンジンを搭載した「トヨタ1600GT」をラインナップします。一方、ブルーバードは昭和42年に510型にフルモデルチェンジし、シャープなスタイルと四輪独立懸架、SOHCエンジンを採用し、ブルーバード史上もっとも注目されたといっても良いほどの人気車種になりました。ブルーバードとコロナの頭文字をとり、「BC戦争」などと呼ばれました。

一方で、さらに低価格なシリーズ展開として、昭和41年には日産は1000ccのサニーを発売しました。この情報を事前につかんでいたトヨタは、急遽エンジンの排気量を1100cに拡大し、「プラス100ccの余裕」と広告展開を図りました。

トヨタ、日産の争いは、高価格車にも波及します。日産は、昭和41年に合併したプリンス自動車の高性能車として「スカイライン」を、高級車として日産系の「セドリック」、プリンス系の「グロリア」をもっていましたが、スカイラインとブルーバードの間を埋めるモデルとして、昭和43年に「ローレル」を登場させました。当時の高級車は法人需要が中心であったため、オーナー向けモデルの展開が必要だったのです。

対するトヨタは、当初はコロナの新モデルとして用意していた車を、「コロナマークⅡ」として登場させました。また、昭和42年新登場のクラウンは、「白いクラウン」とキャッチコピーをまとい、さらに2ドアハードトップモデルも加えて、個人需要も狙う形となりました。

 一方、アメリカでは戦後生まれ世代が自動車免許を取る時期に差し掛かり、若者が乗る安価なスポーティーカーが登場しました。フォードマスタングです。この車は、普通の乗用車のシャシーに若々しいボデーを載せたもので、結果、大ヒットにつながりました。この手法を提唱したのは、同社の「アイアコッカ」氏です。今でこそ当たり前の手法ですが、当時は斬新な手法でした。
このマスタングのヒットを受け、新しい感覚を持つヤング層やファミリー層を対象として、トヨタはカリーナとセリカを発売しました。当時としては斬新な5リンク式リヤサスペンションを備え「足のいい奴」と宣伝、人気車種になりました。

 この時代は、トヨタと日産が、エンジンのパワーアップとボデーバリエーションの展開を争った時期で、人々の目が自動車に集まっていた時期でもありました。しかし、それまでなかった自動車が街に現れたため、いろいろな問題が出てきました。有鉛ハイオクガソリンが原因とされている「牛込柳町鉛中毒事件」、自動車の排気ガスも原因となる、都市部の光化学スモッグやぜんそく、交通事故死者の増大、騒音公害などです。

昭和45年には公害対策基本法が制定されました。アメリカでも自動車の排気ガスが問題となり、通称マスキー法が定められました。それまで自動車の排気ガスには、規制らしい規制がなかったのですから、各国の自動車メーカーは排気ガスの対策へと舵を切ることになります。

また、昭和48年には、第四次中東戦争を有利に戦おうとする産油国が原油の価格を70%アップすることを発表します。特に原油を輸入に頼っている日本では「第一次オイルショック」が起こり、国内経済が拡大から収縮に向かいます。石油価格の上昇はアメリカも同様で、小型車へのシフトが起こりました。

このように、高度経済成長期に拡大した自動車市場は、排ガス規制の制定とオイルショックの影響を受け、混迷の時代へと移っていきます。

昭和48年~昭和53年 オイルショックと排ガス規制の時代

 この時期の排ガス規制は、乗用車においては昭和48年、50年、51年、53年と、段階的に進められることになりました。規制に適合していない新型車は販売が出来なくなるのですから、自動車メーカーは対策に奔走することになります。

アメリカでは、ビッグスリー(フォード、GM、クライスラー)が、「こんな規制をしたら、車が動かなくなってしまう。」と、議会に訴えます。しかし、この規制値をホンダが、CVCC方式のエンジンでクリアします。それまで弱小メーカーでしかなかったホンダが、一躍世界に名を知られるきっかけとなりました。

その後、触媒コンバーターが開発された結果、ホンダも含めた多くのメーカーは触媒方式にシフトしていきます。結果として触媒方式が主流となりましたが、この時に研究されたエンジン内部の燃焼の仕組みは、次のハイパワー競争時代の糧となるのです。

市場では、低公害車をさておき、排ガス規制前の中古車の人気が高まりました。排ガス規制対策車は、ハイパワーエンジンが設定されていなかったり、エンジン本体の設計変更や各種浄化装置の取り付けによって燃費やパワーが悪化、車重も増加するありさまでした。街の中古車展示場が増えたのもこのころです。新車の市場は、排ガス規制や低公害ばかりで活気が失われていたためか、子供を中心にスーパーカーブームが起こりました。

 また、世界的な小型車ブームは、特にアメリカと日本との間で貿易摩擦を生じさせました。アメリカのメーカーは大型乗用車しか製造しておりませんでしたので小型車のノウハウがありませんでした。単に大型車を小さくしただけの小型車しか設計できなかったため、市場の多くを日本車が占める結果となりました。

自動車メーカーは、オイルショックと排ガス対策に追われた時期ではありましたが、この苦難をバネにして、日本車はより高い国際競争力を身に着け、次の時代へと移行します。

昭和53年~平成5年 パワー競争と対米輸出摩擦、そしてバブル景気

 排ガス対策は、昭和50年の時こそ混乱しましたが、昭和53年対策の頃になるとハイパワー車も復活してきます。排ガス対策前と比較してやや低下した出力を、当初は排気量増大で補ったり、電子制御燃料噴射化をしていました。

昭和53年には、トヨタはDOHCエンジンを復活させています。日産は、430型セドリック・グロリアで、国産車初のターボチャージャー付きガソリンエンジンを搭載しました。併せて点火時期も電子制御する、「エンジン集中制御方式ECCS」を採用しています。ECCS化で15馬力、ターボチャージャー装着で、さらに15馬力向上しています。

このターボチャージャー、暴走行為を助長するとのことで認可されていなかったのですが、「今まで捨てていた熱エネルギーを利用してターボチャージャーを回転させているから省エネルギーである。」という理由で認可されていたのでした。

当時のターボチャージャーはターボラグが大きく、アクセル操作に対して加速が遅れて発生する傾向にありました。この独特の加速感が人気となったこと、当時非常に高額であった3ナンバー乗用車の税金ではなく、5ナンバー乗用車並みの税金で2000cc超のエンジンの出力が得られるということで、大人気になりました。日産は、ターボチャージャーをレパード、スカイライン、ブルーバードにも展開しました。

トヨタはDOHCエンジン主体で展開をしていました。中でも昭和56年発売のソアラはDOHCの2800cc170馬力エンジンで、国産市販車で初めて時速200kmの壁を超えました。さらに翌年には、これまでの「DOHCかターボか」という世論に対して、3T-GTEU DOHCターボ160馬力エンジンで回答をします。

その他のメーカーも、三菱は全車種でターボ付きエンジンを選択できる「フルラインターボ」を展開したり、マツダはロータリーエンジンにターボチャージャーを装着、スバルも水平対向エンジンにターボチャージャーを装着するなど、ハイパワー競争が激しくなるのでした。

 一方で、駆動方式の変化が訪れたのもこの時期です。1974年のVWゴルフ登場以降、世界の小型車の駆動方式は、後輪駆動からスペース効率に優れる前輪駆動へと移行し始めます。それまで、スバル車とホンダ車、日産チェリーしか前輪駆動しかなかった時期から、昭和56年にサニーが、昭和58年にはカローラとブルーバードが加わりました。当時は、「前輪駆動嫌い」「AT嫌い」なドライバーが多数おり、モデルごとに一度に切り替えた日産に対してトヨタは、前輪駆動車と後輪駆動車を併売したり、ハイパワーエンジンモデルは後輪駆動のままにしていました。

 こうしてハイパワー化と駆動方式の変化が進みましたが、出力が高くなると二本の駆動輪だけではエンジンの出力を地面に十分に伝えられなくなります。おりしもスパイクタイヤ廃止も決まった結果、4輪駆動車が注目され始めます。これまでもスバルはレオーネで4輪駆動を展開しておりましたが、悪路での走破性を重視したものでした。西ドイツのアウディは、この4WDをエンジン出力を効率よく地面に伝えるシステムとして、4WDの「クアトロ」システムを展開、国際ラリーで優勝すると、各メーカーの関心が4WDに向かいました。

昭和61年には、マツダファミリアとトヨタセリカが、翌年には日産ブルーバードがハイパワーエンジンの4WD車を発売しました。この4WD化によってさらにエンジン出力を増大しても安定して走行出来るようになり、昭和62年末には、三菱ギャランが2000ccエンジンで205馬力を実現、「リッター百馬力」の時代が訪れます。

大排気量エンジン車の出力も増大しました。中でも1988年に登場した日産シーマは、500万円を超える高価格と3000cc255馬力ターボエンジンによる高速性能を売りとし、爆発的に売れました。個人消費が伸びたことの総称として、「シーマ現象」などと呼ばれました。

その後、翌年には日産フェアレディZが3000ccエンジンで280馬力を、スカイラインも、GT-Rで2600cc280馬力を、スープラも2500ccで280馬力を実現しました。当時、高度成長期以降減少していた交通事故死者が再び増大していたため、当時の運輸省は登録車を280馬力に、軽自動車を64馬力にする行政指導が出されました。このため、パワー競争は出力の数値ではなく、どれだけ小さな排気量から高出力を取り出せるか、という方向に変わってまいりました。

輸入車も好調で、BMW3シリーズが「六本木カローラ」と呼ばれたり、ベンツ190Eが「小ベンツ」などと呼ばれ、高級車の扱いを受けないほどでした。ポルシェやフェラーリの中古車が、輸入を待てない人の需要を受けて高騰したのもこの時期です。

その一方でこの頃、三菱のパジェロがフルモデルチェンジを受けたり、トヨタからはエスティマが発売されたりと、当時はひとくくりで「RV」、現在のsuvやミニバンの元祖が発売されました。当時全盛期だったスキーブームなどをうけ、車そのものが趣味でない人や、大家族の人、ハイパワー車競争に飽きた人などに好意的に受け入れられました。また、乗用車タイプでもスバルのレガシィツーリングワゴンの人気に火が付き、ワゴンブームが訪れます。
 
 軽自動車も、物品税の廃止に伴って乗用車モデルが主流となり、また、規格の変更により居住性や走行性能が向上したことから、セカンドカーとして選ぶ人が増え始めました。

この時期は、「人々の生活の多様化」が各産業のキーワードとなり、経営の多角化や異業種進出などが積極的に行われ、自動車の車種も多様化した時代でした。自動車メーカーからはユーザーに対していろいろな提案が行われ、バブルの象徴として消えていったものもありますが、セダン離れのきっかけを作ったのは結局この時代でした。

平成5年~平成9年 バブル清算と低迷期

 バブルの崩壊は諸説あります。1990年初からの株価下落や、同年春の土地関連融資の抑制政策、有効求人倍率が低下した1992年などです。多くの人が景気が悪化したと感じるようになったのは、1993年頃です。この頃になると高級車や輸入車のブームは沈静化してきましたが、自動車の開発時期の関係で、しばらくは「バブルカー」が発売されました。今でこそ当たり前になった「2000cc未満の排気量で、車幅が1700mmを超える車種」などもその一つでした。

当初は「清貧の時代」などと呼ばれ、単なる景気の循環の上での不景気だと思われていました。個人消費は急速に落ち込み、特にレジャー産業などは大きな打撃を受けました。1994年頃になるとバブル崩壊以降に企画された車種が登場し始めました。V40型カムリ・ビスタなどがその代表格です。

前の時代からのRVブームは引き続きましたが、買い替え需要などは低迷しました。結果、車両の寿命が延び、気分や好みに応じて車を買い替える時代から、同じ車に長く乗る時代へと移行していったのです。

価格への志向も強まりました。電話会社のCMのキャッチフレーズ「安いが一番」や、ディスカウント業者の「価格破壊」などが象徴しています。加えて1993年には「平成コメ騒動」が起こり、政治の世界でも、1995年に自民党から日本新党へと政権が交代、不安定な世相に拍車をかけました。経済の分野はやや遅れて、1997年に日本長期信用銀行や日本債券信用銀行、北海道拓殖銀行や山一證券が倒産するなど、ますます個人消費を落ち込ませる要因が重なりました。

そんな中、1995年には日米自動車協議に端を発する形で規制が緩和、点検項目の削減や車検の有効期間の延長などが行われました。

 まだ不安定な時代ながらもようやく落ち着きを見せた1997年、トヨタからプリウスが発売されます。当初は「高額なのに全く走らない車」としてごく一部の人が注目するだけの車種でしたが、現在の躍進ぶりは皆さんもご存じのところです。

また、ホンダからは1994年にアコードをベースにしたミニバン「オデッセイ」が発売されて一躍人気車種になるなど、乗用車の嗜好の変化がはっきりと表れてきました。モノスペース化はさらに進み、同じくホンダは「ステップワゴン」と「SMX」を発売、ステップワゴンが人気を得て、「箱型ミニバン」を定着させました。

しかし、その一方で「スバル インプレッサWRX」や、「三菱ランサーエボリューション」が、すぐに限定台数を売りさばいしてしまうなど、従来のハイパワー車も人気になったりして、自動車市場は一筋縄にはいかないことを示していたりもします。

 1993年から1997年は、前の時代の負の財産の整理や、経済再生を目的として各種の改革が起こった時期で、その前後では大きく世相が変わったものです。多くの人の気分は、「これまでの時代とは変わらなければ新しい時代に対応できない。」となっていったのです。


平成10年~平成20年 業界再編と離合、緩やかな景気拡大期

 この頃になると、世相は一応の安定を見せるようになりました。企業を安定化させて競争力を高めるためには、合併をすることが良いとされた時期でした。金融、商社だけでなく、自動車メーカーも再編の波に飲み込まれていきます。自動車の設計、開発、製造には膨大なコストがかかるため、生産台数が400万台規模にならないと生き残れないとする、「400万台クラブ」などという言葉も生まれました。

新車の世界でも、「コストダウンだけでは消費者に飽きられてしまう」機運が高まってきました。トヨタが絶えて久しかった後輪駆動のセダン「アルテッツア」を発売したり、コンパクトカーながら安っぽくない「ヴィッツ」を発売したり、スバルが高級感を出し始めた三代目のレガシィを発売するなど、節約一辺倒の時代からの変調が感じられるようになりました。

また、「古くからある車種のユーザー離れ」も、徐々に話題になるようになりました。古くから販売されている車種のユーザーの平均年齢が上昇し、そのユーザーが死去して買い替え需要がなくなる一方、古いユーザーの嗜好に合わせた結果、若い人の好みに合わなくなることなどがその問題点です。

自動車メーカーでは、古い車名をあっさり廃止したり、サブネームを付け加えて段階的に移行させたり、車名は変えずに車のスタイルを大幅に変更するなどのことをしました。ラジエターグリルやテールランプが異なるだけの兄弟車が整理され始めたのはこの頃です。

これまで、日本人の車種の指向は、ヒエラルキーをなしていました。トヨタなら、新人はスターレットに、係長になるとカローラ、課長がコロナで部長はマークⅡ、そして社長がクラウン、というものです。この構造はセルシオの登場やRV車の台頭に伴い、この時期になるとかなり崩れていましたが、車種の廃止によってほぼ完全になくなりました。すなわち、若い人でも成功したら高級車に乗ったり、年配者が小型車に乗っていても、全く恥ずかしくない時代が到来したのです。また、長い間敬遠されていた「ハッチバック」車も、ごく一般的な車種になり、人々が自由に車種を選べるようになりました。

 先の「ヴィッツ」が、スターレットと比べて中性的、かつ年配者が乗っても恥ずかしくない雰囲気に仕立てられていたことから、コンパクトカーブームが始まります。すでに1996年にマツダからはデミオが発売、大人気を得ていたところに他社が参入した形です。ホンダはロゴとキャパと統合してフィットを、マツダは品質感を大幅に向上させたデミオを、日産はマーチをモデルチェンジして投入しました。これらの車は、従来通りの「初めて買う車」としての需要、軽自動車からのアップグレードだけでなく、より大型車からの乗り換え需要も担うことになりました。

また、エスティマやオデッセイ、ステップワゴンの成功でファミリーカーとして認知され始めていたミニバンは、前輪駆動化されたセレナや、商用バン派生モデルから乗用モデルへと変貌したノア・ヴォクシーが加わり、ファミリーカーとしてはセダンやステーションワゴンを置き換えていきました。

旧車種の整理やミニバン、コンパクトカー化が進む中、2004年頃からガソリン価格の上昇が始まります。特に2004年~2005年には、レギュラーガソリンの平均価格が13円も上昇しました。当時、アメリカの製油所を台風が襲ったことも原因の一つでしたが、産油量が減って原油が枯渇するのではないか、ということ、二酸化炭素が増えることで地球温暖化が進むことなどから、多くの人に低燃費志向が表れてきます。

既に2003年にフルモデルチェンジを受け、走行性能が向上していたプリウスの人気が爆発、また、コンパクトカー化が進んでいくと、ユーザーの車型に対するこだわりが消えるためか、軽自動車への移行も始まりました。1998年の規格で軽自動車のスペースが広くなっていたことから、ユーザーにとっては抵抗なく移行できたようです。

景気そのものは、リーマンショックによる世界同時不況が起こる2008年まで拡大をつづけましたが、人々の自動車に対する志向が、燃費とスペースに向かっていた時代でした。

平成20年~現代 ハイブリッドや電動化等、新技術の時代

 ミニバン化と軽自動車化が進んでいる最中の2009年、市販の電気自動車としては第一号となる、三菱i-MiEVが、翌年には日産からリーフが発売されました。ハイブリッド自動車は電気自動車が普及するまでのつなぎの技術である、と言われており、両者はこれを先取りしたものです。航続距離や価格の面もあり、普及についてはまだまだこれからではあります。

 さらに2011年にはプリウスのプラグインハイブリッドが、2013年にはアウトランダーのプラグインハイブリッドが発売されました。さらに、スバルは自社初のXVハイブリッドが、アコードは新システムのハイブリッドが追加となり、カローラにもハイブリッドが追加、秋にはフィットが新システムのハイブリッドで登場する見込みです。

一方で、2009年に自工会が発表した市場動向調査における「若者のクルマ離れ」は、自動車メーカーの将来を脅かす問題としてとらえられ、トヨタは社長直轄プロジェクトとして、86/BRZを登場させました。
これまで約20年間にわたって台数を伸ばしていたミニバンは「秋風が吹いた」と言われるように販売台数が減少し、軽自動車は全自動車販売台数の40%を占めるまでに増大しています。

まとめ
 自動車は、工業製品でありながら、流行があるファッション性を持つ商品です。ユーザーがどんな車を望むのか、ということは、市場を見ることで「少し前」のことはわかります。しかし、次の時代を予測するのは、その車を作るメーカー自身です。

市場を構成するのも人でありながら、市場に商品を提供するのも人です。今の市場はどこから来て、どこへ行くのか、人あっての市場を知ることは、すなわち人を知ることではないでしょうか。市場を知る前に人を知る、開発の基本は人にあるからこそ、歴史を学ばねばならないと考えております。

以上。
Posted at 2013/08/27 23:23:11 | コメント(6) | トラックバック(0) | 歴史 | クルマ

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「パソコンは購入しました。次の週末の都合により、26日夜以降に活動を再開します。」
何シテル?   01/19 13:39
小さい頃、トラック野郎を見てトラックが好きになりました。その後「太陽にほえろ!」のカーアクションを見て、乗用車も好きになりました。カーグラフィックTVや新車情報...
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