2007年08月29日
中村うさぎ氏が、渋谷の「兄が妹を殺した事件」の両親が経営する歯科に潜入するレポートを読みました。私もこの事件報道を聞いたとき、両親は「金持ちだけど人間味が薄く、子供には腐るほど金を与えていた人」だと思っていたのですが、その辺りのことはともかく、医者としては患者に丁寧に接する、ごく普通の人だったとのことです。そして記事は、「世の中の親たちで、自分の子供の教育を完全にこなしているといえる人はどれだけいるだろうか?この家庭は、ほんの少しの「ボタンの掛け違い」を発端にこうなってしまっただけではないのか?」とつづっています。さらに兄の公判の風景については、「言外の意味を理解せず、「広汎性発達障害のようだった」と言っています。そのため、父や長兄が言ったとする「亜澄がいなければ」という言葉をそのまま捕らえ、殺してしまったとまとめていました。
うーん、たしかに「人の教育」は、ほんの少しの誤差(?)が大きな結果の違いになって現れると聞いています。しかしねえ、、、私が今まで出会った風景からすると、過剰に裕福な家庭に育った人は、人間的に問題がある人が多かったような気がするなあ。亜澄さんがそうだったとされる、「他人に対して過剰に攻撃的で、思いやりに全く欠ける」という人は、その典型だと思います。
それと、記事そのもにについて。うさぎ氏は医師でもなんでもないのですが、その人が軽々しく「広汎性発達障害」という表現を使って欲しくないなあ。どうも最近、精神医学や心理学にかかわる言葉が簡単に傾向にありますね。8年前、浜崎あゆみの曲に「トラウマ」というのがありましたが、これ以降単に記憶に強く残るだけのことをこう言ったり、子供の教育で、戦争などのつらい過去の歴史を教えないことを、「トラウマになるから」という理由で片付けたりする傾向が見られるようになりました。最近はアスペルガー症候群などの広汎性発達障害が話題になることがありますが、この「障害を持つ人の行動」を見ると、理工系の学生にたくさんいますって!「アニメやPCの話をすると止まらない」、「人と目を合わせない」、「失礼なことを平気で言う」など、普通でした。それだけの部分をとると、みんなアスペルガー症候群になってしまいます。しかし、その部分を捉えるとそうだというだけで、話してみれば良いところもあるし、「その人の個性」と捕らえることがもっとも自然だと思います。それ以降に会った人でも、はじめは良い感じの人だったけど、どんどん「変」な部分がわかりますが、それをいちいち「発達障害」の例と重ねてしまうというのもおかしなことだと思います。
ですから、少なくともこんな「ローカルブログ」とは全く違う市販の雑誌を書いている人には、「乱暴な考察」は止めて欲しいのです。
Posted at 2007/08/31 22:57:06 | |
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