先日は、「
今クルマから離れているといわれる若者」を中心とした歴史を追った形になりましたが、今回は「代々の若者と車」という見方から「若者のクルマ離れ」を検証します。ただ、私も年をとりますので、幼い頃のことは伝聞ですし、最近のことは「今の若者は」的な見方になるので、このブログを読む方はそれを加味して読んでください。
1975年10月
「太陽にほえろ!」の「ぼんぼん刑事登場」の回において、ラリーが題材にされます。とはいうものの、複数台で同時にダート路を走り、抜きつ抜かれつしながら区間タイムを競うという、大変不思議な「グランドラリー」なるものでした。この設定がもったいないですが、捜査第一係内のやりとりで、次のような台詞があります。
「ラリーって何だ?」
「今若い連中の間で流行っている、車を使ってタイムを競うのがあって」
「ああ、あれか」
1972年だかに、全日本アルペンラリーとかいう大規模なラリーが行われてからしばらくの間、ラリーは流行っていたようですね。510ブルーバードやらコルトやらが活躍したそうです。どれだけ流行ったのかはわかりませんが、それ以前の「誰もが車にあこがれた」こととは少し違う、クルマと若者の付き合い方があったようです。
1977年
スーパーカーブームの年です。これは子供中心でしたね。この頃から車好きという方も少なくないはずです。アニメも車ものがたくさん放送されました。
「激走(?)ルーベンカイザー」
「グランプリの鷹」
「飛び出せ マシン飛龍」
「マシンハヤブサ」
これで全部かな??「グランプリの鷹」のオープニングテーマの格好よさ、「マシンハヤブサ」のチームワークのよさは、今でもなんとなく覚えています。ただし、このブームは終わるのも早く、翌1978年には終わってしまい、これらの番組も早々に打ち切られてしまいました。「スーパーカークイズ」とかいうクイズ番組もありましたね。
ファミリーカー用として、ディーゼルエンジン車が一部でブームになりました。
1979年
アルトが47万円で登場し、女性の通勤車としてもてはやされました。
1980年
FFファミリア登場。赤いファミリアにサーフボードを付け、海岸でナンパをすることが流行ったそうです。車はデートにもナンパにも必要不可欠な小道具だったそうです。なお、サーフボードキャリアを買うお金がない人は、汎用のキャリアにサーフボードをボルト止めしていたのだとか???ハッチバック車が、若者の車として、以後しばらく固定します。
子供(私)は、ブルーバード(910)ターボのCMに魅かれました。たしか「8時だよ全員集合」のスポンサーには日産自動車がいて、このCMが良く流れたいたように思います。いかにも速そうな感じがして、ターボの構造はわからないけど、早く免許を取ってブルーバードのターボを運転してみたいなあ、と思っていました。
当時の自動車雑誌は、ターボVSDOHCが続いたらしいですね。
1981年
ソアラ登場。馬力の数値はわからりませんでしたが、日本で最も高い馬力で最も高い車、と人づてに聞きました。ハイソカーがもてはやされはじめ、独身貴族は貯金してこの車を買い、デートにいそしんだらしいです。叔父の友人がこの車を買い、夜叔父を送ってきたときに門のところまでこの車を見に行った記憶があります。
1982年
二代目プレリュード発売。価格もソアラより安く、当時としてはスマートな格好に、世の女性が競って(?)買ったそうです。デートカーとしても良く使われたそうです。私の記憶にはありません。
ガソリン価格が最も効果だったらしいこの頃、リッターカーが話題になります。
1983年
エリマキトカゲ ブームに。三菱ミラージュのCMに出たことがきっかけだったそうですが、肝心のミラージュはサッパリ売れませんでした。広告業界では、今でもこの事例は、「CMだけが突出して話題になることはならない」という事例に使われるそうです。
AE86もこの年に出ましたが、モータースポーツの世界では話題になったそうです。若者には話題になったのかなあ??なお、ファミリーカーのFF化が本格化しましたが、一般の人でも「FFはイヤだ」という人が多数いました。
1984年
フジテレビで、「よろしくメカドック」放送開始。漫画ではもう少し前から連載されていたようですが、7年前のアニメ群とは違い、実写の名前が出てくることが新鮮でした。主人公はチューナーとはいえど「自動車整備士」で、これをきっかけに自動車整備士を目指した方も多いのではないでしょうか?
余談ですが、次の信号が赤になったのを見ると、「キャノンボール編」の最後を思い出し、ずっと前から減速、そして信号の少し前で青になるのを見計らい、加速で交差点を抜けるようにしてしまいます。
1985年
アルシオーネ発売。猫も杓子もスポーティーカーブームに。
1986年
ソアラモデルチェンジ。サーブ900とともに、「女子大生ホイホイ」と呼ばれる。この車で女性を誘えば、すぐについてくるという意味だったそうです。フジテレビ系列で「オールナイトフジ」なる、女子大生がたくさん出演する番組が放送され、世の中は女子大生中心に回っているかのような雰囲気でした。
また、ハイメカツインカム登場。良くわからないが、ツインカムは良いらしい、と一般の人でも理解しました。
カリーナED登場。背がより低い4ドアハードトップがブームに。お嬢様御用達車になりました。
ファミリア4WD登場。ラリーの世界はその戦闘力に大騒ぎになりました。一般人へのブームは、翌年から。
F1が一般の人も含めて話題になりましたね。
1987年
ブルーバードアテーサシリーズ、ギャランVR4発売。高出力車がファミリーカーにも現れ、イメージリーダーを務める上、比較的多くの台数がファミリーにも導入される。
映画「私をスキーに連れてって」上映。セリカGT-FOURが雪上アクションを演じ、4WDの走破能力の高さを訴える。以降、スキーブームとともに、フルタイム4WDがもてはやされました。
また、FFジェミニのカースタントをしているCMが、一般の人にも話題になりました。
カローラ系列がモデルチェンジし、レビンのソアラ的ルックに若者や女性が飛びつきました。特に1500ccエンジンのものは、女性の通勤車として結構売れる。男性は1600ccシリーズを選び、「テンロク市場」が出来上がりました。
1988年
「Be1」の予約に多くの電話が殺到しました。セフィーロの「お元気ですか?」CMが、子供や若者に話題になりました。シルビアがモデルチェンジし、スマートな格好になりました。デートカーの地位をあっという 間にプレリュードから奪いました。
1989年
スカイラインモデルチェンジ。GT-Rも話題になる。GT-Rはかなり高価であるにもかかわらず、シルビアの上位のデートカーとして使う者も現れました。ユーノスロードスターも登場しました。当初スマートでかわいらしくて運転して楽しい車、としてもてはやされましたが、デートカーとして使うと「髪が乱れる」「顔が埃っぽくなる」などで、デートカーにはなりませんでした。
当時、好景気からタクシーの運転手のなり手が減り、その一方で企業の接待などで需要が増大したことから、夜タクシーを拾うことが困難になりました。そのため、夜遊びをした女性が家に帰るときは「送り迎え専用の車持ち友達(?)」を呼び、送り迎えのみさせるという風習があった。これを「アッシー(足)君」と呼びました。同類にプレゼント専用友達「ミツグ君」、お食事専用友達「メッシー(飯)君」、オーディオ等接続専用理工系友達「ツナグ君」もありました。
なお、当時どうしてこれほどまでにデート至上主義であったかというと、昭和41年が「ひのえうま」で、年頃を迎える女性が少なくなったからでした。農村部は深刻な嫁不足が起こり、海外から嫁候補を迎え入れ、お見合いをするのでした。
レガシィも登場しましたね。マニアにはRSが話題になりましたが、翌年からワゴンが売れ始め、ワゴンブームが始まりました。
アコードインスパイア、ビガー登場。ロングノーズときらきらヘッドライトに多くの人が心を奪われました。デートカー的セダンの登場。
VTECエンジン登場。圧倒的なパワーに、多くの人が参ってしまいましたが、VTECパワーとインテグラのシルビア的スタイルに、ハイパワーでデートもこなせる若者車になりました。ツウは、CR-Xやシビックを買いましたとさ。
コロナExiv登場、カリーナEDモデルチェンジ、また若者や女性に売れました。スポーティーカーを卒業し、きれい目に車に乗りたい、という人が乗る傾向にあったかなあ???
1990年
雑誌「ルボラン」に、「当世自動車部事情」という記事が掲載されました。いまどきの若者は、車は女の子とおしゃれに乗る道具として考え、ジムカーナやダートらなどで運転の腕を上げようとする傾向が薄れたことを嘆く記事でした。
「間違いだらけの自動車選び」に、自動車と環境問題についての記事が出ました。この頃から「石油資源の枯渇」や「オゾン層の破壊」が話題になり始めましたが、環境を話題にするのは「まじめぶった、つまらない人」「化粧っ気のない、魅力に欠ける女性」に限定されました。ただし、大学には環境を掲げた学部が現れました。
エスティマを始めとしたミニバンが発売されましたが、当時の若者は見向きもしませんでした。
バブルの終焉は、この年3月の「土地流通総量抑制政策(?)」とされています。
なお、女子高の制服モデルチェンジが経済の話題にもなりました。あわせて美少女ブームが起こり、大学生が高校生や中学生と交際することも珍しくなかったそうです。もちろん車は必需品で、「間違いだらけの」によると、夕方の学校にはずらっとシルビアが並んでいたそうです。
なお、成人女性とのデートには、輸入車が必要だという噂がまことしやかに流れました。BMW E30 3シリーズが「六本木カローラ」といわれるほどゴロゴロいたそうです。
1991年
湾岸戦争始がまりました。原油にまみれた野鳥が何度も映し出され、環境問題がより一般化します。プレリュードがモデルチェンジするものの、デートカーとしては全く相手にされませんでした。カローラレビンも価格が200万円台になり、若者は手も出なくなりました。その一方で、シルビアのブームは沸騰したままでした。
渋谷にクロスカントリー4WDの車高をさらに上げた「車高族」なるものが現れました。世の中は、パジェロの発売を受けてクロスカントリー4WDブームになりました。
サイノスが発売され、「友達以上、恋人未満」というキャッチフレーズが話題になりました。自動車がデートの小道具であったことを端的にあらわしています。
AT限定免許があわられました。当時は「AT車に乗ったらMTが乗れなくなる」と言って、AT限定では免許を取らない人が多数を占めましたが、それも始めだけのことで、すぐに女性から平気でAT限定免許を取るようになりました。
この頃、「ねるとん紅鯨団」という男女合コン番組が放送されていましたが、「男が車を持ち寄ってくる回」が度々ありました。TE71カローラセダンのラリー仕様に乗ってきた人、私はあなたのことを忘れませんよ。
私個人では、たしか1月3日午後2時放送の「所印の車はえらい」お正月スペシャルで、常磐道キャノンボールやゼロヨン大会、ジムカーナ大会のシーンを見て、「一般の車でもモータースポーツが出来るんだ!」と胸をわくわくさせ、大学に入ったら絶対自動車部に入るんだ、と決心しました。
1992年
C34ローレル発売そのスタイルに皆驚きました。前年のクロノスの登場やこの車、インテグラに翌年のシルビアと、ちょっとだけ車に興味があります、という人でも車のスタイルに「?」を感じていました。車を企画する人たちと買う側の意識のずれが見え始めた事件でした。もちろんこのときはローレルが単独で勝手に失敗しただけと思っていました。
カムリ・ビスタのGT廃止。これらの車のGTなぞ大して数が出るものではありません。しかし、「売れない設定グレードは廃止」となる傾向の初めての事件でした。
一方で「ランサーエボリューション」や「インプレッサWRX」が発売されました。WRCが身近になるかと思いましたが、WRCオタクは現れたものの、一般の人には話題になりませんでした。WRCが好きでこれらの車に乗る人を評してか、「車は高性能らしいけど、なんだかオタクっぽくて不潔で、良くわからない専門用語を話していて、気持ち悪い」とする雑誌記事を目にしました。女性から、車好き=オタクと評され始めました。
1993年
クライスラーネオンが低価格戦略を発表し、車の話題が経済の観点からの話題になりました。車を良く知らない人は、「日本の自動車メーカーはビッグ3につぶされる」と悲観的な見方をしていました。経済学部の学生なんかが話題にしていたなあ。環境問題も含め、車を小難しく語ることが賢いことで、走りが云々、というのは前時代的で頭が悪い学生、というイメージが急速に広まりました。
この頃「浅草橋ヤング洋品店」の「水戸黄門コーナー」に土屋圭市が出ました。
1994年
就職氷河期。当然新入社員のボーナスも下がります。就職前後とも、若者はとてもクルマのことになんか気が回らなくなった時期でした。
F1ではセナが死に、F1ブームはほぼ終わりました。日本車の安全問題も取りざたされました。
ステーションワゴンブームは加熱し、キャンプもブームになりました。が、キャンプは不便(?)という、始めからわかりきった理由のため、ステーションワゴンはカジュアルなイメージをあらわして乗る車に変わっていきました。
「パンツ見せファッション」が現れました。バカっぽい大学生と、インテリっぽい学生の二極分化が進んだように感じます。どういうわけか、この頃急に車に関心がある大学生が減ったように感じます。たぶん、就職活動のことを考えてがんばる学生と、ひたすらバカっぽさを極める学生に分かれ、車で遊んだり車でデートしたりする中間層がいなくなったためだと思います。
若い社会人には、RAV4が人気だったようです。「本格派」はマニアック、という風潮を呼びました。
1995年
突然洗車ブームが起こりました。遊んでいる土地の活用法として、洗車場の建設があったためと思われます。男女が洗車場で仲良く洗車をしながらデート、という風景が見られました。この頃には、「デートの車は古くても良い」を経由し、「電車でも良い」に変わっていきました。
なお、NHKの「ためしてガッテン(か、その前身の番組)」で洗車特集が放送されました。モービルクリーンベースの代表の人が出演しました。ゲストの中尾彬が最初から「
洗車なんかしている暇があったらほかのことをしろ!」
などと洗車について否定する発言をしていましたが、最後も
「洗車は、するならしたいようにする」
と、番組自体をシラケさせる発言をしました。
「間違いだらけの」の「カローラⅡ三姉妹」「ファミリア」に、「歩くよりは楽」「動きました。そして目的地に着きましたよ。」と、車がつまらないことを評する文章が出ました。
インテグラタイプR発売。その高性能ぶりに、モータースポーツに関わる者はもはやあきらめを感じたようですが、一般の人には話題になりませんでした。なんとなく、これまでのスポーティカーが「エレガントながら走ると速い」としていたところに「とにかく速い」と来たものですから、
「スポカジ的な服をテーマにファッションセンスを競っていた中に、突然ランニングウエアを着て「これならスポーツ感覚満点でしょ」と言う人が現れたような」印象でした。そりゃここまで性能向上に特化すれば速くなるのは当然のことで、なんだか「スポーティーな車とは何か」、と考えさせられました。
1996年
シボレーアストロ、シボレーカプリスがブームになりました。服も車も「頭が悪そうに見せる」ことが一種のファッションになりました。頭が悪そうに見せたくない人は、アコードワゴンに乗る傾向がありましたね。ワゴンブームだけが続いているような感じでしたが、「エレガントに見せる」ことは嫌われましたね。
また、スノーボードのブームにより、再び(少しだけ)クロスカントリー4WDがブームになりました。
一方で2000ccエンジンで280馬力の車が現れました。が、前年のインテRの件とあわせ、騒ぐのはごく一部の人だけで、普通の人が知るところではありませんでした。
車好きとそれ以外の人との乖離が進んだ年でした。
イニシャルD連載開始。車で走ることが好きな人に、その風俗も含めて話題になりました。が、一般の人には「トラック野郎」で、桃次郎がトルコ風呂やドライブインに行って大暴れするかのような、粗野で下品な振る舞いと見ていました。その一方で、女子高生ブームは極大になっていました。エッチやワルでおしゃれなのは良いが、まじめや峠を暴走したりするのは変な人、という偏った(?)価値観が広まりました。
1997年
もうこの頃には洗車ブームは終わっていました。S-MX発売。ティッシュケースがあったり、運転席から助手席が倒せたり、フルフラットになったりと、「動くモーテル」と評論家は言いましたが、意外に値段が高く、同じ値段でもっと広いステップワゴンの方がお客が流れました。車を動かして遊ぶ時代から、とめて遊ぶ時代になったといわれました。
1998年
これまでも何度か「AE86」を望む声がありました。数年前から「次期セリカ、コロナEXIVはFRになる」と噂されていました。この年ついに、「アルテッツア」が発売されました。が、「ちょっと車が好き」レベルの人は、FRを望んでいるわけでもなく、車好きには「パワーがない、車体が重い、大きすぎる」と、そっぽを向かれました。たぶんメーカー内では、これをきっかけに、「新時代のAE86不要論」につながったんだろうなあ。
当時の遊んでいる若者は、電車でクラブに行き、オールナイトで遊んで始発電車で帰る、ということをしていたそうです。車が出る幕がありません。
また軽自動車の新規格が発表され、小型車は要らない、というくらい普通に売れるようになりました。バブルの頃に、「軽自動車に乗る男はみっともない」と言っていたのが嘘のようです。
1999年
イニシャルD、アニメ化。moveも話題になりました。が、それは一部の車好きだけの動きであって、多くの一般の人はmoveにもついてきませんでした。音楽の主流は、浜崎あゆみ、ELTなど、avex系列にありました。
この年の「J’s Tipo」で、S2000をいろいろ解明する記事がありました。それは荒川河川敷で撮影していたようですが、「そばを通った大学生の団体が、車(S2000)に見向きもせずに通り過ぎたことが印象的だった。」とありました。
一部の人に、アベニールのテールゲートをスムージングし、カプリスのようにする人、ビレットグリルを装着することが流行りました。
2000年
この頃の若者の話題は携帯電話が主体でした。前年から着メロが話題になりました。車の話題はbBでした。四角いスタンダードな外観を、いろいろと変えてして乗る人が多かったですね。ただ、この頃になると「小汚い」「頭が悪そう」なのが徐々に嫌われはじめ、「bBは嫌い」という女性も結構な数がいました。「bBのこの下品さがたまらない」女性もいて、女性も二極分化が進みました。
「カスタマイズ」なる、車をいろいろ改造する人は絶対に使わない言葉が現れました。
ドラマ「ビューティフルライフ」により、「オペルヴィータ」が女性にもてはやされました。知りうる限り、女性に車が流行った最後の現象でした。
2001年
たしかフィットが発売され、それ以外のコンパクトカーも含めてコンパクトカーブームが興りました。老若男女でその差はなかったかなあ??自動車のユニセックス化が進みました。
TBSで藤原紀香主演「昔の男」が放送されました。昔大学で自動車部員だった者同士の恋の再燃(?)がテーマでしたが、車は出てこないわ、自動車部員なのに落ち着きすぎだわで、全く空虚な設定でした。大体、自動車部に所属する女性の多くがマネージャー志向だったように思います。
2002年
スポーティカーは排出ガス規制に対応させても販売量が見込めない、ということでスープラやシルビア、RX-7が販売終了になりました。騒ぐのは一定の年齢以上のおじさんに足を突っ込みつつある世代でした。
2007年
ごく一部の車好きに、「痛車ブーム」起こる。一般の人には、話題にもならず。
まとめ
どうもこの記事を書いていると、1994-6年ごろに境目があったように感じます。1995年は「55年体制崩壊」と言われた年です。まあ、政権は関係ないとは思いますがね。服で言うと、それまでジーンズにTシャツは「吉田栄作の服、もしくはお金がない人の服」と言っていたところが、この頃を境に普通の服になったように感じます。肩肘を張って、若いのにアルマーニのスーツを着ることがかえって恥ずかしくなった、といえます。(とはいうものの、女性のブランド物バッグの流行はごく最近まで続いたのだが。)
車も自分を立派に見せる小道具。もしくは服として使われていたのは確かです。時代が「自分を立派に見せる必要がなくなった」のなら、無理をして車に乗る人が減るのも当然です。
また、なんだかイニシャルDも「若者のクルマ離れ」に手を貸したような気がしますね。当初アニメのCGがちょっと話題になりましたが、すぐに「峠で車を走らせている人は、関わってはいけない人」というイメージを作ってしまったような気がします。
どうもうまくまとまりませんが、「車がおしゃれの小道具から切り離された」ことが、若者のクルマ離れにつながったような気がします。しかし歴史は、「車がおしゃれの小道具から離れた」と語っています。