2011年05月03日

思うところあって、秩父鉄道に小旅行に来ています。寄居駅で待っていましたが、来るのは東急車ばかり。101系のために夜遅くまで待てないので8090系に乗りました。もう101系には乗れないのでしょうかね?

Posted at 2011/05/03 18:17:32 | |
トラックバック(0) |
鉄道 | 旅行/地域
2011年05月03日
私には、14歳年下と15歳年下、17歳年下の従兄弟がいます。彼・彼女らと話していて、私たちの世代と一番異なる嗜好が、アニメーションです。
特に15歳年下の従兄弟は、ガンダム(私には良く分からない代のガンダム)のプラモデルを良く作るとのことです。私は、小学4年生の1年間は良くガンダムのプラモデルを作りましたが、その後流行の衰退とともに、作らなくなりました。要するに、「にわかファン」でした。
その後、忘れもしない1989年、「幼女連続誘拐殺人事件」が起こりました。犯人がアニメーションのマニアであることから、当時「アニメーションを見ている人は、幼女誘拐に手を出す」と、今で言う風評被害も起こりました。
時代はバブル一辺倒、流行の中心は女子大生とヤンエグと称する、若い独身のサラリーマンとOLです。人口の上ではその下の団塊ジュニアが多いのですが、何せ団塊ジュニアはまだ高校生、マーケットでは相手にされないのでした。ヤンエグらが気にするのは、「ネアカ(根明)」か「ネクラ(根暗)」かでした。アニメーションはと言えば、子供かネクラな人の鑑賞物とすらされていました。ちなみに、「オタク」という言葉が一般の人に触れ渡ったのもこの頃です。
そうそう、この幼女誘拐殺人事件の前に、北海道の原野で遭難した人が倒木を「SOS」の形に並べ、その脇で餓死していた事件がありました。このSOSに倒木を並べる行為は何かのアニメーションか漫画で行われていたことであり、コメンテーターなどは、「倒木を並べる体力があるのなら、なぜ歩いて集落に行かなかったんでしょうね」などと言っていました。
そんな時代でしたので、あっという間にアニメーションは悪もの扱いを受けました。そのアニメーションを復権させたのは、宮崎駿アニメーション群と、その他アニメーションにかかわる業種(出版社、アニメーション制作会社、テレビ局、広告代理店)の人たちです。
従兄弟たちに、叔父は「昔は漫画のロボットのプラモデルや人形を買う人は、こっそり買っていたもんだ。」
私は、「1990年ごろは、アニメーションを見ていると「幼女を誘拐しないでくれよ」などと言われたんだよ。」
と言うと、従兄弟らは全く理解できないという顔をして聞きます。
現代のように、こうもアニメーションが普通の趣味であるようになったのも、上記アニメーション関係者の「アニメを健全なものにする」運動が功を奏したものといえます。
自動車趣味は、過去の「公道ドリフ」トや「公の場でのたむろ行為」などにより、言葉は悪いですが「社会的低層者の趣味」と見られつつあります。1977年に富士スピードウェイで事故があったときも、朝日新聞社は「レースは集団暴走行為」と述べたそうですが、今や自動車趣味の扱いは危機的状態にあると言えます。今こそアニメーション趣味が復権(?)したように、皆の努力で復権を目指しましょう。
Posted at 2011/05/03 00:25:32 | |
トラックバック(0) |
時事 | ビジネス/学習