2011年10月20日
この日、ようやく「ジウ」を見終えることで、前期のドラマを見終えることができました。選択していたのは、
「絶対零度2」
「チームバチスタ3 アリアドネの弾丸」
「ジウ」
「陽はまた昇る」
「ブルドクター」
です。それぞれの作品の感想などを、以下に書きます。
「絶対零度2」
実は、絶対零度1は挫折しています。当時まだ「低視聴率の女王」だった上戸彩が主演、ストーリーや登場人物の描写も淡々として、ドラマとして見るのにはドラマとしての内容が空っぽのように感じたためです。
今回、この作品は一番最初の事件編が一番よかったですね。犯人に近づくため、移動弁当販売業を営む恋人に、上戸彩女は「弁当を頻繁に買いに来るOL」として近づき、徐々に親しくなって犯人の情報を入手、そして犯人を逮捕。犯人の恋人は、友達として上戸彩女にそのことを電話で話そうとする。しかし、事件を終え、「友達ごっこ」を終了しなければならない上戸彩女は、電話機を処分する。刑事としての職務と、一人の人間として彼女と接してきた上戸彩女の心には、すきま風が吹く。
ん~、いいねえ!この「登場人物が、一人の人間としての考えと、刑事の職務との間に挟まれて苦しむ」。太陽にほえろ!でも特捜最前線でもよく使われました。特に、「NEWジャングル」の「浩平が泣いた」は、その最右翼の作品と言っても良いです。
ところが良かったのは1話まで。その後は「テロ組織」の姿が垣間見えたり、相手の懐に忍び込み、「USBメモリーをパソコンに接続してデータを盗む」とか「監視カメラ網にアクセスして犯人捜し」など、最近はやりのパソコン捜査とかくれんぼ&鬼ごっこになってしまいました。まあ、忍び込むシーンにはそれなりの緊迫感はありましたがね。
そうそう、「手カメラ」で撮影するのは良いけど、あまりにも手ブレするので、番組掲示板を通じて「画面が揺れすぎて気分が悪くなる」とメッセージをしたら、固定カメラ映像に切り替わっていました。プロのカメラマンなのに手ブレをするって、一体どういうことなのでしょうか??
さて最終回。桐谷健太はあわや殉職となりますが、そのまま生還。無事警察を退職します。そのあたりも「目が悪くなった」という伏線(と言えるか?)がありましたが、そのほかの展開が見られなかったため、たまたま刺されただけになってしまいました。シーンの無駄遣いです。
「チームバチスタ3 アリアドネの弾丸」
これは楽しめましたよ。推理小説の楽しさと緊迫感をそのままに、見ているこちらが「次はどうなるのだろう?」と、ハラハラさせられる展開でした。最後の二回で話が急に進んでしまった感じはしますが、この二人の主人公コンビで、また同じようなドラマを見せてほしいです。
以前、「ガリレオ」という、柴咲コウと福山雅治が共演する科学実験?ものドラマがありましたが、この二人と共演してほしい、と番組掲示板に書いたことがあります。実現しないかなあ?
「ジウ」
結構期待できそうな登場人物&設定なのに、それをぶち壊しにする展開でした。武闘派の黒木メイサ女と、温和派の多部未華子が、「異なる推理展開から捜査を進め、対決&協力しつつ事件を解決するドラマ」かと思っていたら、何のことはない、マシンガンとテロとゲームっぽいアクションシーン盛りだくさんの、ストーリー空っぽのドラマでした。
百歩譲って「ジウ」の話もするとしたら、放送開始から3-4回はジウとは関係ない1話完結の事件を上記のごとく描いてそれぞれの人物像を視聴者に刷り込み、その後ジウ編として展開すればよかったと思います。登場人物のキャラクター設定があいまいな中、ストーリーばかり進められてもついていけません。キャラクター設定も非常に薄っぺらでしたしね。
内容が薄いため、9回の放送でしたが7話まではほとんど「匍匐前進」状態でした。見ていてイライラしてきました。この作品も「テロ」「マシンガン」「実際の警察設定」にとらわれすぎです。空砲でならした「ゴリさん」が懐かしいです。
しかし、ドラマ周辺で「実際の警察では」などとのたまう「警察OB(中途退職者)」がいるそうですが、この人たちがドラマをつまらなくしているように思います。おかげで警察の内情の魅力がなくなり、反面、プロデューサーがドラマとしての面白味(?)を犯人側に持っていくためか、「猟奇的犯人」「テロ組織」「情報合戦」にばかり向かってしまいます。
「陽はまた昇る」
大コケドラマです。警察学校や消防学校がドラマの舞台になることはままありますが、本作品は成長ものとしてのドラマが失敗した場合を想定し、並行して犯人と逃げる教官の元奥さん(斉藤由紀)を置きました。
このため、ドラマの主題が定まらず、何を言いたいのかわからない作品になってしまいました。やっぱり、「テレビ朝日ドラマ品質」です。
「ブルドクター」
職業設定が、アリアドネと重なってしまいましたね。アリアドネは推理物ですが、こちらは「美味しんぼ」のように、何かを通じてその回のゲストが「家族の絆」を再確認するドラマに仕上げるのかと思ったら、それは第一話で終わってしまい、あとはなんだかよくわからない展開になってしまいました。1話は感動ポイントがぼやけてしまったとはいえ、なかなか意欲的な脚本だったので、そのままの感じで進めてほしかったです。
某週刊誌では、「江角マキコのガサツな演技がブルドーザーっぽいのか?」と皮肉っていましたが、ん~、確かにガサツだったかもしれません。でも、ドラマの設定自体が「ガリレオ」や「キイナ」になりたい、でも、「美味しんぼ」にもなりたい、と定まらなかったのが一番のガサツでしょう。
まとめ
テレビが面白くないのは、広告費が減ってテレビの製作費が減っている」と言われていますが、関係ないですね。脚本を書くのに脚本家を拘束する時間分の費用が掛かりますが、良い脚本を書いてもひどい脚本を書いても、拘束時間は同じです。修正させるところがあったとしても、それはプロデューサーが的確な指摘をすれば拘束時間は少なくて済みます。
どうも、味わい深いストーリーを描ける脚本家が減っているような気がします。約10年前、どこかのテレビ局の人が「「ながら視聴」でも見られるような脚本を書け。」と指令したことがあると聞いたことがありますが、その弊害が今でもあるといったところでしょう。
水が濁るのは鳥がたってから、上に立つ者は、浅はかな発言をしてはなりません。
そうそう、絶対零度のところで書きましたが、最近「手ブレ」をしている映像がかなり増えています。カメラを固定して撮影すると絵に動きがなくなるのはわかるのですが、手ブレした画像を見ていると、どうにも腹が立ってきます。フィルム撮影だったころは、そのカメラを持って登場人物と一緒に走って撮影することが多かったと聞きます。今のカメラよりも、ずっと重いカメラです。もっとしっかり撮影してください。ドラマの内容以前に、目が疲れてテレビを見られなくなってしまいます。
Posted at 2011/10/21 00:15:36 | |
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