2012年04月07日
この日は、宇宙戦艦ヤマト2199の第一回映画上映開始の日でした。早速行ってまいりました。
以下、ネタバレがありますのでこれから見に行きたい方はお気をつけください。
1974年版の際の第一話に相当する部分は、2週間前に見ていますが、この部分はそのままでした。そして今回初めて見ることになるのは、新二話です。ヤマトのエンジン始動から出発に相当する部分です。
1974年版のテレビ版では、第二話で補助エンジン始動、戦艦大和の錆びた外板を落とし、発進して主砲を発射、敵空母を破壊します。そして画面上では旧戦艦大和の最後を描くシーンとなり、終了となります。
そして第三話は、再び地球上のどこかにヤマトは停泊し、乗組員が乗り込みます。そして冥王星から発射された超大型ミサイルを破壊、出発となります。
第二話で一度は発進しておきながら、第三話では再度停泊したり、エンジンがかからないともめたり、どうにも脚本が混乱しています。
そんなわけで、1974年版の映画版では、第二話と第三話がまとめられ、「ヤマトが大和の外板をまといながら乗組員が乗り込み、超大型ミサイルが発射され、ヤマトは急いで外板を撤去、発進して主砲を発射して超大型ミサイルを撃破、出発」します。そして画面上では、戦艦大和の回想シーンとなります。
敵空母撃破のシーンがそのまま削除されていますが、この映画版の方が自然な流れです。
この2199版では、テレビ版を踏襲しています。ただ、
戦艦大和の回想シーンが描かれていません!
エンジンもすぐにかかります。
このため、戦艦大和の歴史や現代(2199年)にヤマトが蘇った歴史、そしてエンジンがかからない間の緊張感が全くなくなっています。
戦争から60余年を経過し、戦中派の方は既に故人に、そしてその直接の遺族も故人になりつつある時期ではありますが、この大和のシーンを全く削除してしまうのは、この宇宙戦艦ヤマト2199の物語全体が軽々しくなってしまうことを意味します。この時点でなんともがっかりしてしまいました。
制作者も、「マクロス」だとか「エヴァンゲリオン」だとかを制作した方々で、アニメのプロではあっても人間的深さがない方々なのかな?という気分になりました。
アニメバブルが崩壊しつつある機運がある昨今ですが、アニメがブームになっても一般にほとに受け入れられていかなかったのは、このように社会的な描写を行わなかったからなのでしょうね。
エンジンはあっさりかかりますが、これも「プッシュスタートスイッチ」で車のエンジンがかかる世代ゆえのものなのでしょうか?当時の車はチョークノブとアクセルを操作して始動したものです。掛からないエンジンと接近する超大型ミサイルとで醸し出された緊張感ですが、2199からは全くなくなっています。
制作者の事前インタビューでは、「当時の破天荒さや重々しさを現代に再現すると、どうしても違和感があった」と言っていますが、どうしてまたこんな勝手なことを言うのでしょうか?この方々が単なるアニメオタクだからでしょうね。こんなことではアニメーションの将来は暗いことでしょう。
以前、アニメーション関係者は「オタクの印象を跳ね返した」と書きましたが、結局また同じ状態に戻るかもしれません。残念でした。
まあ、ヤマトのシーンとエンジン始動のシーンを除けば、概ね楽しめましたよ。
Posted at 2012/04/08 16:17:55 | |
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