AKB48には全く興味はありません。しかし、顔が映像的に映えますし、曲も秋元康らしくポップで親しみやすい感じなのが、この種のアイドルにしては長生きさせている理由でしょう。
そのAKB48の新曲のタイトルは、「1994年の雷鳴」だそうです。このように具体的な年代を出されると、思い出にふけってしまう年齢になりました!?
1994年は、はっきりとバブル好景気が崩壊していました。しかし、当時はまだ景気の循環の一つで、3年もたてばまた好景気になると考えられていました。実際にも、1997年頃には、金融機関や商社が倒産したものの、一瞬好景気にはなりましたかね?
ホイチョイプロによると、バブル景気の崩壊は1990年3月の「金融総量規制政策」にあると考えられ、当時の私は湾岸戦争勃発にあると考えていました。
実際にはその頃にはまだ景気の後退は、株価やら生産機械の受注額だけにしか現れておらず、一般人には感じられませんでした。初めて感じたのは、1992年夏、アルバイト情報誌の「フロムA」が、かなり薄くなったことです。前年の夏は、毎週毎週女性週刊誌のような厚さで発行されていました。ページ下には読者投稿が載せられ、そんな中の「常連女性」と男性のやり取りが、今日で言う「ニート」や「自宅警備員」のようで、気持ち悪かったなあ。
1992年度に就職活動をした女性から活動が苦しくなりました。1993年度は、男性も苦労するようになりました。理工系の教授の推薦状も役に立たなくなった、とも聞かれるようになりました。この
アルバイトは、まさに就職活動の点から景気を見ることにつながったのです。
就職氷河期と言われるようになったのは、私が活動した1995年度でしたね。
そんな、年々景気が冷え込む1994年ですが、前年は記録的な冷夏で、秋にはコメが不足、タイ米が輸入されたのですが、やれマズイだのコメは国産が良いだの言われながら、結局農業が顧みられていないのは、みなさんもお分かりの通りです。
1994年は、暑い夏でした。夏は暑いながらお先は真っ暗、世の中に明るい話題はありませんでした。確か、8月3日に最高気温34度くらいを記録したんだったかな??今ならなんでもない気温ですよね。その日に私はこの
アルバイトの面接を受け、9月14日まで働いたんだったかな?このアルバイトは、いわば世の中の底辺に近い仕事で、気温が高いのに制服は個人貸与ではなくその場貸し、しかも洗濯は二回使用に一回、という不潔ぶりでした。他人がかいた汗が付いた服を着るのは、嫌ですよねえ~。
8月初旬こそ暑かったのですが、20日頃にひどい雷雨があり、その日以降、大気の状態が不安定になりました。22日に、アルバイト会場から見える雷雲が、どんどん大きくなったのが印象的でした。8日に、ハイエースのロングを運転していた人が巻き込み確認を怠って車をへこませ、その場で解雇されたのですが、彼は「お星様になった」と、仲間から揶揄されていました。その22日に夕方空に光る星を見て、「あれは彼の星だよ」、などと仲間内で戯言を言う余裕さえ出てきました。
そして9月12日、朝から雨だったのですが、肌寒くてね~。このアルバイトを始めた頃にはクーラーをガンガン効かせていたのが、「同じアルバイトで1ヶ月も経たないのにヒーターか」、と、感慨にふけったものでした。
テレビでは前年から「不気味なキャラクター」が出る作品が流行り、この年は「人間・失格」がはやったかな?音楽ではZARDなどのビーイング系列が流行る中、trfの勢いが徐々に増していくのが分かりました。突然ヒップホップが流行り、「EAST END+YURI」が一発屋?として登場しました。
そんなわけで、ひどい雷は数回ありましたが、それほど雷が多い夏だったとは思いません。
Posted at 2012/10/11 22:04:16 | |
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