
この日はガレージシロクマさんにて、ブルーバードシルフィの作業をお願いしました。その作業時間と待機時間、私は代車を提供されて、一時帰宅しました。その車は、90年代末に大ヒットし、フィットなどのミニミニバンの登場を促した、デミオ、マツダの経営危機も解消され、マーケティングの上でも画期的な車でした。
デミオ登場の背景
1986年、マツダにはオートラマブランドの小型車「フェスティバ」がありました。この車、ちょっとおしゃれな感覚を持った女子大生をイメージした車として、スターレットやマーチとはひと味もふた味も違った車として、一定の評価を得ていました。モデル後期には屋根が開く「キャンバストップ」や、韓国の起亜自動車から逆輸入し、「NICS」という言葉とともに現れた「フェスティバ5(5ドア)」も登場しました。
次のモデルは、フルモデルチェンジで、まるでCRXを真似たかのようなクーペボディとなり、お洒落な雰囲気もなくなり、市場を一気に失いました。同時に4ドアセダンの「オートザム レビュー」も追加されましたが、あわせて討ち死に状態となってしまいました。
1990年代半ばの不景気で、マツダはその前に展開していたマツダ(アンフィニ)、オートラマ、オートザム、ユーノスチャンネル展開が失敗し、経営危機状態になっていました。その経営危機状態を救ったのが、このデミオです。
当時の小型車といえば、FFスターレットやマーチのような「かわい子ちゃん車」ないしは「あんちゃんが飛ばす、小型ホットハッチ仕様」と相場が決まっていました。その前のKP61スターレットの時代は、後期こそ後輪駆動スポーティーカー練習用小型車にはなっていましたが、パブリカスターレットとパブリカの時代は、ファミリーカーでもありました。
このデミオは、小型車でもファミリーカーになれることを再度証明し、小型車本来の姿に戻った車でした。30歳代以上の人でも、男女誰でも乗っても様になる車で、その普通の車感覚が受け入れられたのでしょう。
二代目デミオは初代のコンセプトを近代化した、キープコンセプトの車でした。当時、フィットやヴィッツ、マーチなどとともに「コンパクトカー戦争」を起こしましたが、その後市場は軽自動車に移行しました。
マツダはもとより大量生産ではトヨタや日産にはかなわないことを自覚しており、小型ワゴンタイプのフィットが大ヒットしたなかにあっては不利と考え、三代目では小型ハッチバックになりました。そのデミオが再び独特な市場を形成し、トヨタもアクアでデミオのコンセプトに追従したり、米国でデミオを扱うことを決めたほどです。
エンジン
ヒットこそすれど、企画された時期はそんなことは予想もしなかったことでしょう。エンジンは、基本的にフェスティバの時期に搭載していたB3エンジンとB5エンジンを搭載しています。もちろん燃料噴射系統は近代化し、EGIを採用しています。

もとより「がさつく」と評価されることが多いマツダの4気筒エンジンですが、意外にそのような印象はありませんでした。もちろん、現代のエンジンと比較すると古さは覆うべくもありません。しかし、後述するトランスミッションの設定が絶妙であるため、パワーはそこそこなのですが、実に活発に車を走らせます。
エンジンの回り方は、今日のエンジンと比べると重々しく、ブルーバードシルフィのQG18DEとコロナの18R-GEUのあいだの時代のエンジンであることがわかります。この「重々しさ」が、扱って楽しい印象を醸し出しているように感じます。
トランスミッション
5月に乗ってみた、最終型
ファミリアと同じ型式と思われる電子制御4速ATを採用しています。F4AXELだったかな?2000年のマイナーチェンジで搭載されたと記憶しています。それまでは、1500ccの一部以外は、前時代的な3速ATを採用していたと思います。街中を走るだけなら3速でも十分なのですが、郊外の道や高速道路ではトップギヤでも変速比が低すぎ、エンジンは唸るわうるさいわ、パワーは余るわで、もったいないことこの上ありません。いつも思うのですが、トランスミッションは3速以上、エンジンは4気筒以上だと思います。
変速様式は全くファミリアと同じで、発車後のローギヤにしている期間が長めになり、素早く加速をします。アクセル開度を緩めても、2000回転以上にならないとシフトアップしません。そのため、非常に素早く発車できるので、アンダーパワー車特有の、パワー不足による疲れが全く感じられません。
2速以上での変速はそれほど高い回転まで回さなくてもシフトアップしますが、既に他車の速度も上がっており、制限速度に近いためこれまたイライラを感じません。
もちろん、トップギヤの変速比も適正にされていますので、エンジン回転数が高くてうるさい、ということもありません。
マツダは早い時期からハーフロックアップを採用しており、この車にも採用しています。同時期のトヨタ車や日産車がトップギヤのみのロックアップであったのと比較すると、非常に高級な機構を採用していたことがわかります。
サスペンション
8万kmも走行された車であるため、ショックアブソーバーはヘタっています。しかし、これもファミリア同様、若干硬めに設定されているため、ヘタリによる煽られ感は少なくなっています。コーナーでのロールも少なめで、気持ちよくコーナーを抜けることができます。ベーシックな小型車なのに、運転していて軽快で楽しい車になっています。
リヤサスペンションが独立式であると、現在の水準であると「お金をかけすぎ」、「荷物室スペースが減る」とされるようですが、乗り心地の点では有利に働きます。突起乗り越え時のボデーの横方向の動きが少なく、快適度が増します。
ステアリング
ギヤ比がクイックなようで、これも気持ちよく曲がることができます。この時期はまだZOOM-ZOOMコンセプトではありませんでしたが、基本的な姿勢はZOOM-ZOOM以前から変わらなかったのだなあ、と思わせます。むしろ、リニアなステアリング操作感を重視した、ZOOM-ZOOM第二世代にすら近いとも言えます。
ブレーキ
スポンジーなペダルフィーリングであり、これ良くありませんでした。制動力の調整がしづらく、注意していないとカックンブレーキとなってしまいます。
ボデー
これはだいぶ前の設計の車であるが故、ボデー剛性という点では現在の車には劣ります。ゆるいというほどではありませんが、当時としては普通のレベルにあります。ファミリア同様、フロントサブフレームは鋼管パイプを使っていますが、形状から勝手に想像した、剛性の弱さはありません。
内装はビジネスライクに灰色が多用されたもので、良いデザインとは言えません。形状はシンプルで、男性向けとも女性向けとも言えない、中性的なデザインです。その後、再び内装が重視される時代になりましたので、これは古さを覆うべくもありません。
まとめ
バブル期には多くの車が大型、高級化し、小型車は「運転免許をとってから、2,3年乗る車」になってしまいました。スターレットのCMを見ると、その傾向がよくわかります。P80では、バンドブームに則って「レピッシュ」とかいうバンドが歌をうたいながら、画面では20歳代はじめの男女が車を神輿に見立てて担ぐ、などといったものです。
その後景気が悪化し、当時も現在のように「買う側のダウンサイジング」が、皆、口にはしないものの希望していた時期でした。その中で、道具のような潔さと年齢や性別を問わない出で立ちで出てきたのですから、これは売れないはずがありません。しかも、車としての仕上がりが良いのですから、当然のことです。「デミオ」の名前は歴史がありませんが、それでも売れた、ということは「クチコミ」の効果であると考えられます。
そんな訳でこのデミオ、マツダの歴史としては「会社が危機になるとヒットが出る」、マーケティングの歴史では、「基本に立ち返るとヒットする」「時代の流れを予測できればヒットする」、車好きとしては、「走って楽しい車は、必ずしもパワーが溢れたり背が低かったりはしない」と、改めて車の基本を思い出させることになったのでした。
そのデミオの発売からもう16年、現在のデミオにもその魂が生きていて、マツダは「普通の人が乗って楽しいと思う勘所を得ているメーカー」ということを再認識するのでした。
Posted at 2012/12/08 22:35:45 | |
トラックバック(0) |
試乗 | クルマ